懐かしのステンレスカー・アルミカー
銀色の美しい輝きが私達に未来への希望を抱かせてくれた
草創期から普及期にかけてのステンレスカー・アルミカーについて語りましょう 錆びない・軽い・塗装不要
これぞ最強の合理化手段
泣き所は高コスト。 80年代からですかね、全面塗装のアルミカーが普通に見られるようになったのは
一見して鋼製車とは見分けが付かない 初期のアルミは酸化被膜が汚くなったりして
クリアラッカー塗装とかしてたね ジュラルミン製という説もあるようですがね>栃尾の210
日本初のアルミ電車は諸説あってはっきりしないというのが
意外といえば意外 当時の技術でジュラルミンを溶接するのは無理だったので
その説は否定されたみたいだよ。 いろいろググってみると、栃尾電鉄の車両はメーカー発注ではなく自社工場製という記事が!?
これはいよいよ眉唾だね。ジュラルミンはおろかアルミでもないんじゃねえか?
しかも塗装されてたんでしょ? >>4 >>5
国鉄301系も新造当初は無塗装だったが、数年後にクリアラッカー塗装となり
、さらに数年後には灰色塗装となった。 ジュラルミンなんて長持ちするんですか?
アルミ車も出始めの頃は
酸に弱いから梅干しに触れると穴が開くなどと
ギャグにされてましたね。
アルミ車の先駆、山陽の社史に出てました。 試作的要素が強かった阪神ジェットカーのステンレスカー「ジェット・シルバー」
冷房化されることもなく、車体が活用されることもなく廃車となったが、
ステンレス車体の電車は阪神電鉄のイメージを大きく変えていくようにも思えた 自社系の工場で新製・更新を行ってた会社にとっては
ステンレス、アルミ車体は、内製できないという点で
ネックでお試しにとどまる、という感じだったかもしれない
阪神も、9000がステンレスになったのは
震災下で外注せざるを得なかったからだし シルバージェットはどこかの地方私鉄にでも売却出来そうだったのにな 大井川鉄道が北鉄からアルミ車、岳南からステンレス車を買ったんで
もう少し阪神が長持ちさせていてくれれば、
と妄想。 シルバージェットは3扉だったから大井川には合わなかったのでは
普通鋼車のように簡単に2扉化はできない >>2>>4
大阪市の初期のアルミ車30系、60系は万博終わりの頃から、
つまり登場後5年もしないうちに既に黒ずみ、茶化が随所に見られるようになってたようです。
阪急側では苦々しく思っていたようですが、これという対策は立てられなかったとの由。
その後冷房取り付けの遅れでも利用客の不満を集める結果になってしまいました。