【中吊り】車内広告の思い出【つり革】
俺は「志望校が、母校になる」(代々木ゼミナール、1990年代)が印象深い。
通勤通学途上で何気なく目にしていた車内広告の思い出を語り合いましょう。 中吊りを食い入るように見てるのは恥ずかしいから止めろと
よく親に小言言われてたなw >>91
今なら名誉毀損でコテンパンにやられそうな事でも平気で大見出しになってたよ。 >>90
フラッシュ、フライデー、フォーカス、エンマ、タッチ >>91
アイドル歌手の飛び降り自殺事件の現場写真も衝撃だったぞ ブルータスみたいな暑苦しい系の雑誌の中吊りもよく覚えてる \enむすび
いらっしゃいまし〜ん
むじんくん
ひタッチくん かつて東武6000に乗ったとき、車内に広告が少なくすっきりしているのが印象的だった。
中吊りは少しだけあったかな? 合格してグチャグチャになろう → 1週間で差し替え 週刊誌
首なし美人死体
どうして判るんだ、犯人でもないのに。 透明だったり、四角くなかったり、サンプルが付いてたり…。 大阪地下鉄名物だった、ゆびづめ注意のステッカー広告主も、東京生命、三井生命、興亜火災など保険会社だった。 意味不明
西日本で広く使われる言い回し。
とりたてて大阪だけピックアップしてさも名物のように偏向 昔の予讃本線の車内
『一六タルト』『らくれん牛乳』『フェリー おくどうご』とか。 小田急線や京王線に有った「東京コンタクトレンズ」の不気味な目の絵の広告 二十年程前の西武池袋線で見た
ドアステッカーの下半分に「グリーンピース」(環境保護団体の方)の広告
当時中坊の自分がその団体が何をしていたかなんてわかるはずもなく 国鉄末期の車内吊り広告について質問です。
現在でいうところの「○○(地名)DCキャンペーン」みたいな吊り広告のとき、
そのキャンペーンが催される管理局界を超えて
吊られることはありましたか?
近隣の管理局管内の列車に、ということです
ご存知の方おしえてください。 東京オンステージが正にそうだった。あれ全国の駅にポスターはおろか
車内にもあったぞ。 それはトーキョーだからでは。
たとえば天鉄局「あなたとなら大和路」(1986)
の車内吊りが、近隣である大鉄局
あるいはもう一つ先の福鉄局で
吊られてたりしましたか? 駅貼りはあっても、車内吊りはなかったような。
今よりも越境運用が多かったので他局車もみることができたせいからか見たつもりになっていたたのだろうか。 >>116
勿論。
大鉄では普通にあったし、福知山のキハ47にも広告していたぞ。 京浜急行のドアステッカーには、「L商会」がおなじみだった。
大きな人差し指(京急や相鉄は大きな手のひら)で注意喚起していた、
円形のドアステッカーもほとんど見なくなった(近畿ではドアステッカー自体小さかった)。
まだ残っているのは、京急の一部と、新京成、上信くらい? セーフはセーフ、アウトはアウト。
ルールとは厳しいものなんです。
罰則は必ずあります。
それがルールというものなんです。 ゆ ったり周遊、観光地
と きめくイベント
り ようしやすい、冠婚葬祭
の って満足、空港送迎
た くさんだって、大丈夫
び っくりさせます、心地良さ
に こにこわいわい、楽しい旅に
名鉄の貸切バス 既出だがサラ金の無人CDが登場した時の車内広告の勢いは記憶に残る
ダンスの武富士が有名だが、「べん、べ〜ん!」と口三味線を弾いていたプロミスも捨てがたい >>124
それは単なる「三味線(演奏)の擬音語」であって
「口三味線」ではないよ。 >>121
西の広告か
関空ができた頃だったかな
正当乗車を呼びかけたやつ >>124
「ラララむじんくん、ラララむじんくん」はどうかな また新しいからスレチっぽいがご勘弁
山本美月の中古車鑑定サイトの広告。
広告見て美形だなと感じたのはこれがはじめて
でもテレビのCMだと普通なんだな 名鉄7000など
一般車は緑色座席に広告入りの灰色ビニールカバー
特急仕様は赤色座席に白色無地の布カバー
白帯が出るか出ないかの辺りの記憶
一般車の枕カバー、肝心のスポンサーはほとんど記憶にない
ヤマケイ私鉄ハンドブックとか調べれば、当時の様子が分かるかな? タンクトップのフミヤが、わざと片手を挙げてさり気なくワキ毛を見せてるw コンピュータウイルスはパソコンのエイズです
しかしワクチンで除去できます 夏になると、海水浴の広告で水着のおねいさんにハァハァ クロスシートのヘッドカバーの広告といえば
近鉄が鑑真和尚の何かの記念でイベント打ったときのがあった
歴史を詳しくない人なら誰これ、何のことやら、となったのかな 旅行会社の広告にもハアハアした高校生時代
暗い青春期だった あんな大胆なビキニ姿のおねーちゃんをデカデカと真ん中に載せた広告が中吊りにあっても
何も言われなかったんだね
そういう時代だったのだ あんな、ってどんなやねんwアンタの脳内のこと俺ら分からんから例示してくれよ 沿線に競馬場・競艇場・競輪場を抱えている路線は
レース開催の広告が必ずあった
西宮競輪は有名選手の写真を背景にしてたが
揃いも揃ってパンチパーマだったので子供心に怖かったw ○月のレースガイド
公営ギャンブルの告知
見なくなったなぁ かつて、山手線に「AD Train」という、一社貸切中吊り列車があった頃、スポンサーは家電メーカーが圧倒的に多かった。
後に、家電不況で、家電メーカーが続々スポンサーを降りてからは、当時から流行り始めた自治体の観光キャンペーンの広告が多くなった。
今は、ラッピング広告が解禁されたため、一社貸切中吊りは少なくなったが、総武線のように、女性専用車だけ、女性向けの中吊り広告にしているのはある。 その家電の広告で印象的だったのが、ビクターのビデオデッキで、VHSもVHS-Cも、アダプターなしで使える機種の広告。
「大きいのも小さいのも入ります」という、見るからに下ネタ全開キャッチだった。
ちなみに、VHS-Cがアダプターなしで使えるというのは画期的な機構だったが、他社でフォロワーはなかった(OEMもなかった)。 国電の車内では、翌月の交通公社時刻表の広告が必ずと言っていいほどあったな。
「ひかりは西へ」や「全国白紙ダイヤ改正」のキャッチフレーズが印象的だった。 今日の中吊りの思い出は足形に切り取られてるヤツ、ナニの宣伝だったんだ 昔の阪急は系列のものばかりだったな。
歌劇、百貨店、ブレーブス、ハイキング。
西宮競輪はあったかな? 競輪、競艇、オートで女性選手が出ている車内広告を見ると、時代が変わったんだなあと思う。かつては、写真もなく開催日と行き方が書いてある程度の味気ないものだった。 昭和40年代後半、小学館ビッグコミックの車内広告があった。
居酒屋のメニュー仕立てなど味があったが、いつの間にか見なくなったな。 >>152
阪急交通社のツアー募集
阪急不動産の建て売り住宅
東宝映画
特に阪急交通社がPRで多用する「命の洗濯」はとても印象に残るフレーズやった 何で東急の中古電車に東急百貨店の広告が残ってるの? 今から22年前(1996年)JR京葉線で見たアニメ番組
「モジャ公」の中吊り広告。このアニメの製作には
ジェイアール東日本企画が関わっていたんだから当然なんだけどw 都営5200のドア横の広告が全て
アニメージュだった事 >>157
阪急イングスも物量作戦を派手に展開してた
エアロビクス全盛の頃のレオタードのお姉ちゃんに(;´Д`)ハァハァ
毎朝通学で目にする男子高校生には毒だったw >>161
阪急交通社のグアム島ツアーポスターのビキニのネエちゃんも忘れんといてや
近鉄も近ツリ広告で同じことやってたんかな? 英会話ノヴァ
といっても全身ピンクのキショいうさぎのキャラクターではなくて、もっと前の、
農作業姿のおばちゃんが、ノープロブレム!と言って笑ってる広告 中村雅俊が耳にバナナを差し込んでるヘンな白人男に英語でツッコミしてるのはどこの英会話学校だったっけ?
とにかく英会話学校の車中広告は多かった 公募で名前が決まった日産マーチ
イメージキャラクターは近藤マッチ
電車の中吊りでクルマの広告というアンマッチングが面白かった
当時の日産には気骨のある社員がいたということか 宣伝費に莫大な予算を注ぎ込めるくらいにリターンがあったのだろう
電車や駅の広告の記憶は無いがメディアでの広告は物量作戦を地で行くくらいに盛大だった テレビでも話題になった唾液PCR検査の広告が凄かった@首都圏某線
一社広告って昔からの手法だがやっぱり効果的だな スレチだが後楽園球場バックネット下の「興亜火災」はいまでも記憶に残る
日テレの巨人戦中継の効果だな ナゴヤ球場のパロマ、川崎球場のマスプロといい勝負ですね >>173
それでもネット広告の強さには遠く及ばない >>176
「ネットより吊り広告のほうが効果ある!」みたいなレスだったら
あんたの言い返しスタンスも間違ってないけど、
173の人は「吊り広告はネット社会の現在でもそこそこ効果があるんだな」という観点のレスなんだから
それへ「ネットには及ばない」なんてレスはちょっとズレてると思う。 文春砲とか言われてのぼせ上がってるからもう駄目だよ 紙媒体の雑誌の売上が落ち込む一方なのに紙媒体の広告が見向きもされないのは当然でしょう 週刊誌の中吊り広告をポカーンと食い入るように見てるオッサンが若い女性にクスクス笑われてる所を目撃したのは一度や二度ではない
ちなみに山手線 週刊誌などは、網棚から拾うモノ
そして読んだら再び網棚へ 中村玉緒が何かを睨んでる顔のバックに「あきまへんで!」の文字
何の広告だったか未だに思い出せん
千代田線で目撃 TBSの連続ドラマでそんなタイトルの作品があった
主演が中村玉緒
千代田線は赤坂を通るから符合する 行きは赤だった
帰りは青だった
見かけたのは緑だった
すれ違ったのは黄色だった >>188
やはり印象深いのは2000年頃の渡鬼
あれも一両全部の中吊りが統一されてた
視聴率が高かった
幸楽のカップラーメンも発売された
ホームドラマが勢いのあった最後の時代 これが淡路か ニースじゃないか
ちょっと船旅 海外気分