【中吊り】車内広告の思い出【つり革】
俺は「志望校が、母校になる」(代々木ゼミナール、1990年代)が印象深い。
通勤通学途上で何気なく目にしていた車内広告の思い出を語り合いましょう。 >>50
記憶が甦ったよそのフレーズ
どうもありがとう 「ナントヤラ 真似のできない つばさです」
みたいな俳句風のキャッチコピーが記憶にあるんだけど
正確な文面と、いつの何の宣伝か知ってる人
おしえて下さい
ググってもうまくヒットしない… 山陽電車つながりで、「高速理容」ってありましたよね
3000系だけでなく、2700系のような釣り掛け車にも中吊りがあったと思います
神戸高速線を知らなかったら、
高速で散髪してくれる店なのかなと誤解しちゃうw スポーツ新聞の広告(日刊スポーツとか、東京中日スポーツ)が
シール式になっていたなあ。
特に小田急線。 花柳病専門ってどこの駅で見たんだっけ、スレチ失礼… 懐かしくも何ともないが阪急では当然のように宝塚歌劇の上演の広告が出てるね
自分はこの会社に滅多に乗らないだけに乗り合わせた時にちょうどシーズンに当たるとしつこいくらいに
広告が出てるのでいやでも目に入り印象に残りました 113系 静岡T編成
L編成の代走で浜松や豊橋まで入ると車内ポスターに違和感を感じた。
川崎…横浜…
遠い地を見せているかのようだったよ。 80年代後半から90年代の西武車内広告、しつこいくらいに関連会社の広告ばかりだった。
西武ライオンズの試合結果速報の中吊りに、東伏見アイスアリーナに、西武デパートにPARCO、そして「泊まってゴルフ」のプリンスホテル、さらに「史上最低の遊園地」のとしまえんと・・
京成スカイライナーの広告のような、他の私鉄のものはほとんどなし。 名鉄車内で四線会のポスターを見なくなったが、解散? >>61
今だって西武はグループ関連の社告が他社より多めじゃん ドアの挟み込み注意の警告とセットになっていた「日清サラダ油」 高くて、
まずくて、
小さくて、
それでもいつも
満員です。 >>65のようなコピーを近鉄で見たような気がする
名古屋線沿線の居酒屋だったか? >>58
歌劇もそうだけど、あとは東宝の映画の宣伝もガッツリやってる >>69
ナイトスクープで検証していたが上映館案内の中吊り広告の外周の楽譜が実は宝塚音楽学校の校歌という緻密な計算のされた広告。
見破ったのはナニワのモーツァルトことキダ・タロー氏 「食べる前に、飲む!」
田中邦衛が出ていた頃の三共胃腸薬
忘年会シーズンの中吊りの定番だった。 24時間働けますか?
いかにもバブル全盛期らしいコピーだったな
「リゲイン」の中吊り、一編成(一両かな?)すべてが
あの黄色の広告になったのを覚えてる
俺は大阪環状線で見かけたが、首都圏でもあったはず 時任三郎がちょんまげ乗せて吠えていたっけな
異常な時代だった 東武野田線の3000の窓に貼られていた「フラット」ってな
広告シール。この会社のCMをテレビで見た事がある。
もう40年近くの前の話。生命保険か何かの会社だったのか? 阪急の正月広告は、歌劇団の女優とブレーブスの選手が各々晴れ着と袴姿で
沿線の神社仏閣のPRだったよ。 >>78
最近見ないね。当時は大阪地下鉄でよく見た
テツなら「JPR」(=民鉄)に反応してしまうよね。 出不精が、出かけた。それは名鉄ギフト券の仕業です。
小銭入れが、軽くなった。それはパノラマカードの仕業です。 むかし、「FLASH」の広告で、
きちんとした文句は忘れたが
母親の協力?で中学生が初ヌード云々、
ってのが、いたく記憶にある
何年の何月号だろう?
中身は見てないんで知らん >>77
阪神は小林、掛布が紋付き袴で登場
西宮戎と生田神社だったと思う 福岡市営地下鉄は当時あったデパートの福岡玉屋の広告をつり革にしていた
マークは山に玉で下に玉屋と縦書きに書いているから続けて読むと・・
ttp://qbiz.jp/image/detail/12aff275fb0aa4c5d64c668a1b34b37c.jpg グレー金利問題が表面化するまではサラ金の広告も幅を利かせてた
TIMみたく人文字を型どってたレイクのお姉さん達が強く印象に残る。 「座席は譲り合って座りましょう」
啓発ポスターのイラストがわたせせいぞう。
時代だ・・・ 3FETと呼ばれた写真週刊誌全盛期には中吊りも乗客の関心を引こうと
キャッチーなフレーズがてんこ盛りで、今となってはその‘必死ぶり’が微笑ましい 散々既出だがロス疑惑、日航機墜落、オウム教。
この3つが週刊誌中吊り広告の象徴だな。
小学校から大学までずっと電車通学してたのでよく覚えてる 中吊りを食い入るように見てるのは恥ずかしいから止めろと
よく親に小言言われてたなw >>91
今なら名誉毀損でコテンパンにやられそうな事でも平気で大見出しになってたよ。 >>90
フラッシュ、フライデー、フォーカス、エンマ、タッチ >>91
アイドル歌手の飛び降り自殺事件の現場写真も衝撃だったぞ ブルータスみたいな暑苦しい系の雑誌の中吊りもよく覚えてる \enむすび
いらっしゃいまし〜ん
むじんくん
ひタッチくん かつて東武6000に乗ったとき、車内に広告が少なくすっきりしているのが印象的だった。
中吊りは少しだけあったかな? 合格してグチャグチャになろう → 1週間で差し替え 週刊誌
首なし美人死体
どうして判るんだ、犯人でもないのに。 透明だったり、四角くなかったり、サンプルが付いてたり…。 大阪地下鉄名物だった、ゆびづめ注意のステッカー広告主も、東京生命、三井生命、興亜火災など保険会社だった。 意味不明
西日本で広く使われる言い回し。
とりたてて大阪だけピックアップしてさも名物のように偏向 昔の予讃本線の車内
『一六タルト』『らくれん牛乳』『フェリー おくどうご』とか。 小田急線や京王線に有った「東京コンタクトレンズ」の不気味な目の絵の広告 二十年程前の西武池袋線で見た
ドアステッカーの下半分に「グリーンピース」(環境保護団体の方)の広告
当時中坊の自分がその団体が何をしていたかなんてわかるはずもなく 国鉄末期の車内吊り広告について質問です。
現在でいうところの「○○(地名)DCキャンペーン」みたいな吊り広告のとき、
そのキャンペーンが催される管理局界を超えて
吊られることはありましたか?
近隣の管理局管内の列車に、ということです
ご存知の方おしえてください。 東京オンステージが正にそうだった。あれ全国の駅にポスターはおろか
車内にもあったぞ。 それはトーキョーだからでは。
たとえば天鉄局「あなたとなら大和路」(1986)
の車内吊りが、近隣である大鉄局
あるいはもう一つ先の福鉄局で
吊られてたりしましたか? 駅貼りはあっても、車内吊りはなかったような。
今よりも越境運用が多かったので他局車もみることができたせいからか見たつもりになっていたたのだろうか。 >>116
勿論。
大鉄では普通にあったし、福知山のキハ47にも広告していたぞ。 京浜急行のドアステッカーには、「L商会」がおなじみだった。
大きな人差し指(京急や相鉄は大きな手のひら)で注意喚起していた、
円形のドアステッカーもほとんど見なくなった(近畿ではドアステッカー自体小さかった)。
まだ残っているのは、京急の一部と、新京成、上信くらい? セーフはセーフ、アウトはアウト。
ルールとは厳しいものなんです。
罰則は必ずあります。
それがルールというものなんです。 ゆ ったり周遊、観光地
と きめくイベント
り ようしやすい、冠婚葬祭
の って満足、空港送迎
た くさんだって、大丈夫
び っくりさせます、心地良さ
に こにこわいわい、楽しい旅に
名鉄の貸切バス 既出だがサラ金の無人CDが登場した時の車内広告の勢いは記憶に残る
ダンスの武富士が有名だが、「べん、べ〜ん!」と口三味線を弾いていたプロミスも捨てがたい >>124
それは単なる「三味線(演奏)の擬音語」であって
「口三味線」ではないよ。 >>121
西の広告か
関空ができた頃だったかな
正当乗車を呼びかけたやつ >>124
「ラララむじんくん、ラララむじんくん」はどうかな また新しいからスレチっぽいがご勘弁
山本美月の中古車鑑定サイトの広告。
広告見て美形だなと感じたのはこれがはじめて
でもテレビのCMだと普通なんだな 名鉄7000など
一般車は緑色座席に広告入りの灰色ビニールカバー
特急仕様は赤色座席に白色無地の布カバー
白帯が出るか出ないかの辺りの記憶
一般車の枕カバー、肝心のスポンサーはほとんど記憶にない
ヤマケイ私鉄ハンドブックとか調べれば、当時の様子が分かるかな? タンクトップのフミヤが、わざと片手を挙げてさり気なくワキ毛を見せてるw コンピュータウイルスはパソコンのエイズです
しかしワクチンで除去できます 夏になると、海水浴の広告で水着のおねいさんにハァハァ クロスシートのヘッドカバーの広告といえば
近鉄が鑑真和尚の何かの記念でイベント打ったときのがあった
歴史を詳しくない人なら誰これ、何のことやら、となったのかな 旅行会社の広告にもハアハアした高校生時代
暗い青春期だった あんな大胆なビキニ姿のおねーちゃんをデカデカと真ん中に載せた広告が中吊りにあっても
何も言われなかったんだね
そういう時代だったのだ あんな、ってどんなやねんwアンタの脳内のこと俺ら分からんから例示してくれよ 沿線に競馬場・競艇場・競輪場を抱えている路線は
レース開催の広告が必ずあった
西宮競輪は有名選手の写真を背景にしてたが
揃いも揃ってパンチパーマだったので子供心に怖かったw ○月のレースガイド
公営ギャンブルの告知
見なくなったなぁ かつて、山手線に「AD Train」という、一社貸切中吊り列車があった頃、スポンサーは家電メーカーが圧倒的に多かった。
後に、家電不況で、家電メーカーが続々スポンサーを降りてからは、当時から流行り始めた自治体の観光キャンペーンの広告が多くなった。
今は、ラッピング広告が解禁されたため、一社貸切中吊りは少なくなったが、総武線のように、女性専用車だけ、女性向けの中吊り広告にしているのはある。 その家電の広告で印象的だったのが、ビクターのビデオデッキで、VHSもVHS-Cも、アダプターなしで使える機種の広告。
「大きいのも小さいのも入ります」という、見るからに下ネタ全開キャッチだった。
ちなみに、VHS-Cがアダプターなしで使えるというのは画期的な機構だったが、他社でフォロワーはなかった(OEMもなかった)。 国電の車内では、翌月の交通公社時刻表の広告が必ずと言っていいほどあったな。
「ひかりは西へ」や「全国白紙ダイヤ改正」のキャッチフレーズが印象的だった。