思い出の横浜市営地下鉄を語りましょう! [転載禁止]©2ch.net
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ハマのシルバースター!思い出の横浜市営地下鉄を語ろう! 1990年頃、地下鉄関内駅工事中に新横浜方面の普段使われていないホームに入線してたような・・・。
あのホーム、枕木の形が違ってたり駅名標が無地のオレンジ色だったり、本線から見える所に事業用車が停めてあったりしてた。
↓これに写ってる、グレーだか薄緑色の「今度の電車は・・・」っていつ頃まで使われていたのだろう?
ttp://hamarepo.com/writer/story/images/images/hamarepo/kojima/2015/11/4716/09_r.jpg
あと初期の自動改札の逆三角形の表示器「↑」「×」も・・・。自分は長方形タイプしか見覚えがない。 >>9
>なんで汎用性の低い第三軌条集電にしちゃったんだろうな
数年前の鉄道ピクトリアルの記事にあったが、「公共交通のイニシアチブを奪われたくない」、
「市電の代替なので労組の事も考えた」とあった。よそと直通しない仕様にしたのは。
戦前だか昭和20年代にも横浜に地下鉄を作る計画があったが、当時の技術では埋立地に
地下鉄を掘るのは技術革新を待たない限り不可能だと何かの本に書いてあったような・・・。
※阪東橋、黄金町、浦舟町、関内〜山下公園界隈は元々は海。江戸時代に埋め立てて吉田新田に。
ついでに、桜木町ぴおシティの地下飲食店街の案内表記が、青地に楕円形の白や黄色の初代の地下鉄駅名標のデザインになってる。
しかも公衆電話が「赤でんわ」、ウインズが「日本競馬会」と書かれています・・・。 第三軌条集電はトンネルの断面積が少なくて済むから工事費の節約になる
銀座線、大阪市御堂筋線、名古屋市東山線と同じ発想 架空線式で造っても神戸市営山手線のような憂き目に
まぁ阪急と直通しようという構想はあるらしいが >>14
某著名評論家K氏が、ベストセラーになった本にそんなことを書いていたが
知り合いの市職員(技術職)に聞いたら全く根拠のない話だってよ
都市伝説ってやつか。
あと、これを選択した理由に、「高速運転の必要が無いから」というのもデマ 。 未成線・2号線神奈川新町〜屏風浦は京急に乗り入れる仕様だったのかな 小学生の頃、洋光台に住んでいて、横浜に買い物にいった帰り
母親にせがんで上大岡まで乗って江ノ電バスで帰った。当時
まだ珍しかった自動改札機、磁気券の匂い、くの字形の前面
デザインのどれもが新鮮に感じた。 >>19
横浜ー上永谷開通、1978年頃です。上大岡は雑然としていて
バス停は鎌倉街道の狭い歩道上、築堤の上を京急旧600形が走って
いたのを覚えてます。 >>17
完成していたら愛称はレッドラインになっていたんだろうな。 あとは上永谷の研修施設にあるという
「山下町」幕も。 >>18が乗ったであろう路線の
母校の小学校前のバス停が思い出になっちまった。・゚・(ノД`)・゚・。 >>12
屏風浦〜新町が出来てたら、かなり良かったろうなぁ 自動改札、導入は早かったものの。古い機種がだいぶあとまで残っていたイメージ。
阪急みたく。 >>9
トンネル断面が小さいから、建設費が浮かせられるから
とかね >>30
既出だった失礼。
いったい何故だったのだろう? 交通量流動調査の時調査カードを間違えて改札機に入れてしまって立ち往生してるマヌケな客がありましたな
定期券と大きさも材質も全然違うし、改札機に投入しないでくださいと赤書きしてるにもかかわらず入れてしまう奴って
どうなんと思ってました。対応されていた駅員さん、お疲れ様でした 2号線のラインカラーはエメラルドが良いなぁ。
海を連想させるしな。 1・3号線はビビッドブルーだっけ。
ドアのところの塗り分けがE235のようで、まるでホームドア時代の到来を予見していたようである
わけがないか… >>32
どこにでも、いつの時代にもいるんだね
スタッフの労苦は大変なものだったろうが、一方でこんなアナログな調査方法など
止めてしまったらいいのになとも思ってました。 >>32
いやあ、真面目な話、間違える時は間違えるんだよ
見えているものがすべて真実ではない
色盲とかあるし、酒飲めば目の前は世界がグルグル回るし 懐かしくはないけど、新しい自動改札や、ICカード乗車券でOD統計なんか簡単に出せるんだろうな。
だからか知らないけど、最近紙による交通量調査をやってるのを見かけない。 >>32
自分は学生時代東海地方に住んでいたが、同じような調査があった記憶があるよ
全国的に行われていたのかな
最近では橋下徹が大阪府知事の時代にマークシート用紙を各戸に郵送して答えさせる
アンケート方式の調査をやってたね >>3
激似ではないが、正面をくの字に屈折させてるところは
共通してる。あくまでも「共通」だね。「近似」ではない。 昔の市営地下鉄はよかったな
そよそよそよと風が来るとしばらくすると「電車がきます」がついて、放送が鳴って、カラコンカラコンと線路のジョイント音がして、ベーッって警笛鳴らしてくる。
今の市営地下鉄はブレーキのキコキコキコがうるさい。ATOも下手だし。 >>41
>カラコンカラコン
第三軌条から出る音なんですかね
>ベーッ
懐かしい カランコロンの音が不規則だと、集電装置と第三軌条がちゃんと接触できてるのかなと
不安になってたことがある。名古屋に住んでる頃の東山線でね。
横浜はまだ静かな方。 旧式の警笛ねぇ…あれは静鉄や名鉄のスピーカーと同じなんだよね >>43
接触が上手くできてなかったらそもそも電車が力行できないのでは? 舞岡暫定開業時の上永谷〜舞岡の単線運転
3本に1本くらいしか舞岡に行かなかった記憶 >>48
暫定開業区間は毎時4本だったよ。
上永谷と舞岡の交互運転。
終車は23時過ぎと早かったような。
その当時の車両のドアに貼ってあった「あぶない!ドアーがひらくとき」
というステッカーが思い出深い。
東急のドアステッカーと似ていた気がする。
戸袋に手を引きこまれているリーゼント少年のイラストの下に
「アイリスメガネ」、「カメラのスズキ」の広告があったっけ。 戸塚は暫定開業の時はJRとの乗り換えが不便だった
今行っても、その時どういう構造だったのか思い出せない >>50
JRがまだ橋上駅しか無かったんじゃないかな >>49
そのステッカーの広告無しバージョンが昔、本牧海釣り施設のガラス戸に貼られていたような・・・。 >>49
リーゼント少年ってのがハマらしいですなw 長津田の東横車両にあった2000のモックアップ(等身大雁首)は、何処に行ったの? そうか、あの警笛の音は、ここでは、べーっで通用するのか。
ふふふふ、ちょっとだけほんわかしたわ。 >>55
笹下の刑務所の死刑場跡(隣の一中はそのお墓)
なんて怪談がまことしやかに流れていた… >>18
自動改札通すから、切符も茶色の磁気券だったが、茶色も今となっては懐かしいな >>57
あの警笛や、機関車の警笛音を聞くと、なぜか涙もろくなる…
歳とったもんだぜ >>63
仲町台民だが
開通当初は朝の8:30くらいでも座れたような気がする。(横浜方面) 都心にまだ達してなかったと言うのもあっただろうね。 京急ファミリーフェスタでピンバッジセット購入。お気に入りはやはり
1000形。年甲斐もなく帽子に着けたくなる衝動に駆られる。 >>10
「今度の電車は」は「電車がきます」の先代ですね。
新横浜開業に向けてかなりの設備を刷新したので、その前には無くなってたけど、いつまでかははっきりわかりませんね。
黄色の改札と一緒のタイミングで駆逐されてったと思います。84年くらいかなあ。 1000 2000がいた頃から快速運転やってほしかったな ほんとに、なんにもなかったセンター北とセンター南。
何年後かに自分が住むことになるとは。 上永谷の何もなかった頃
バスは上永谷駅を周回する一通を利用して折り返していた。
駅から今のバスターミナルに通じるちょうど真下くらいに45系統ののりばがあった。
45系統のルートは今の112系統と同じ。
当時は舞岡上郷線が全通してなくて
洋光台駅行き(と入庫の野庭車庫行き)しかなかった。
ほどなく港南台駅行きも出来たけど、
本数は毎時1本程度で今と勢力が真逆。 開発が計画通りに進まないとダイヤも見直さないといけなくなる 今でこそ地下鉄はいろんなメディアに露出してるけど、まだ上永谷ー横浜の頃はテレビでみたことなんかなかったよなあ。
学研の図鑑には欠かさず絵の1000が出てたけど。
だから風邪引いて学校休んだとき、TVKの神奈川県制作の教育番組(Eテレのローカル版か)で地下鉄が取り上げられたときは感動したね。
一生懸命再放送探して、学校でこっそり見て(*´Д`)ハァハァしてましたよ。 >>75
いかにも伸びきったテープのような音で朝日が出てくるOPナツカシス 小学生の頃、家族で車で上永谷駅の辺りを通った時、1000系を
見かけた。それまで国電や京急や相鉄の車両しか見たことが
無かったので、その斬新なデザインに驚き、親父にあれは何かと
聞いたら「リニアモーターカーだ」と嘘をつかれ、それを信じて
しまった初な俺。 確かに自動改札があるというだけでも近代鉄道の象徴だった
初めて営団に乗った時改札が手動なのを見て東京は遅れてると思った 上永谷になにもなかった時代。
仕事であの辺の模型をつくった。家がないので楽だったなあ。 >>78
全く同感
親の転勤の都合で横浜から東京、さらに九州、さらに関西とへ転居する中で
行く先々で改札口にズラリと自動改札機が並んでる光景を目にすることはなかった 戸塚から上大岡に移動するのに先発が普通、次発が快速だったので
先発は上永谷で待避するから1本見送った。だが一緒に待っていた爺婆
どもは我先に先発列車に乗って逝ってしまった。アナウンスが「快速
電車に接続します」では地下鉄沿線民には意味が理解できないだろうな。
次発の快速に乗ったら上永谷で先程見た顔ぶれが乗り込んできて座れずに
悔しそうにしていた。爺婆は暇なんだから普通に乗ってろってことだ。 無理無理
乗りなれてないとな
鉄ヲタだけど、みなとぶらりチケットで関内周辺回ったけど、あかいくつ号が分かりづらさという意味では難易度高かった あの手の観光地循環バスやコミュニティバスのルートの辿り難さは異常 日テレ刑事ドラマ「大追跡」のオープニングで地下鉄の中をカメラが駆け抜けるシーンがあるけど、あれは横浜市営地下鉄だな >>80
私も同感
最初は定期券や切符を投入するタイミングがわからずに間誤付く人が多かったらしいが
すぐに慣れて出改札で渋滞することは心配されたほどでもなかったとか
関西各社でも自動化に及び腰だったのは乗客の混乱を恐れていたからというし 定期券用の穿孔式(パンチカード)乗車券自動改札機を、立石電機(オムロン)が近鉄などと共同開発
しかし、国鉄からのクレーム(穴の開いた定期券では印字が読みずらい)や
これに対応する切符が技術的に困難ことでお蔵入り
このことから、磁気カードを利用した自動改札に開発をシフト
阪急が自動改札を採用した当時、定期券専用だったため
誤って切符を投入する利用者が多数いて、故障が続出したとか 横浜市は、長期間(未来)を見越した交通ビジョンとは思えない
路線計画や施設構造に車両計画どれをとっても?
10数年前に2000形廃車した後は、今度は3000形の廃車だし
新幹線より割高な車両よく買うよな、コスト意識の欠落そのもの
青線の快速追い抜き(接続)駅構造がそれ
ともに検車区出入庫線分岐駅であるが
上永谷の2面4線(当時としてはオーバースペック)
新羽の2面3線(出入庫のみ考えれば妥当)
と建設時期によって判断がちがうし
関内の3号線本牧方面発着線(1・3番線)跡だって
バリアフリー化改修時にあんなことしなけりゃ
今頃、退避駅として活用できたろうに… 自動改札スタート当初はゲートが進入可能と進入禁止で
それぞれ固定されてなかったっけ? >>5
車掌側の窓がかなり下まで伸びていたのが
アクセントになってたが、
無駄にガラス面積が広いだけで意味がないと子供心に感じていた。 その点究極に意味がなかったのが湘南モノレーノレ400形 >>97
横浜じゃないよ
せめて書くなら横浜に縁のある芸能人にしてくれ >>5
おれも知りたい
市の資料探しても出てこなかった ウィキペディアによると、サイン類がGKインダストリアルデザイン、ベンチ・水飲み場等の設備が柳宗理とある(但しソース無し) 幻の二号線が実現していたらルートはどうなっていたんだろうか気になる
特に吉野町〜屏風浦 八幡橋〜磯子車庫の辺りはやっぱり16号線の直下かな
JR磯子駅と少し離れちゃうけど
吉野町からはまっすぐ北上して藤棚のあたりに出る計画だったけど、前提として前里町〜久保山をショートカットする都市計画道路が計画されてた
つい最近正式に計画から消えた >>108
このルートでどこに車庫を造る予定だったんだろうな。かつて、滝頭が想定されていたと聞いたけど狭すぎるよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています