横浜市電 2両目©2ch.net
横浜市電気局報を探してるんですが、市立図書館にもないし、空襲で萌え萌えですか? リニューアル後はじめて市電保存館に行ってきました。
きれいになっていてびっくり。
室内灯がLEDになっていたのと、
シートのモケットが全車とも張り替えられていたのが残念。 保存車・放置車スレより
305(1): (オッペケ Srf3-dmnQ [126.212.169.1]) 11/14(月)08:50 ID:7gKB+cGsr(1) AAS
>>303
長津田のビバホームの近くの公園になぜか「市電記念碑」と車輪がある。 それ相鉄バス旭営業所洗車係のニシヤンが言ってたな。 >>127
何で市電の走ってなかった長津田にあるんだ?
玉電ならまだわかるが 市電前廃当初、横浜市の各区に1台ずつ保存市電を設置するという方針がとられたのだそうだ
老朽化で徐々に撤去が進み、今も丸ごと残ってるのは久良岐公園だけになってしまったが
長津田のもその名残だったと思う >>130
そうなんですか。
南区とかどこに保存してあったんでしょうか… どこかに一覧があったのを見た記憶がある
多分↓これの巻末
http://books.neko.co.jp/?p=5518
旭区はひかりが丘団地だったと思うが、どこの公園にあったのだろう 久良岐の保存車はどっちの扱いなんだろ?
磯子は市電保存館があるから港南区か? >>130
ほか、野毛山と戸塚区(旧制)のも現存。六角橋はどうかな。
ひかりが丘は覚えてない。旭台のバス図書館は記憶にあるが。
保土ヶ谷旧制だからその手前でどうだろうか。
かつては竹山団地?の集会所、本牧市民公園、あと、こどもの国にも市電はあった。
市外周辺だと、渕野辺の公園、長後の医者にもあった。
新潟の湯沢にも500が居た話を聞いたが、スキー場とバス待合室は同一個体の変化かな。 >>135
新潟のバス停になった車体なら丸田氏の「廃電車レクイエム」に写真が掲載されていましたな
今手元にないので今度車番確認してみる 静岡県の丸子町(?)に保存車があるという話を聞き、見に行ったことがあるが、既になかった。昭和五十年代の話。 市電保存先一覧がみつかった
>>132のじゃなくて、こっち↓のキャンブックスの方だった
http://amzn.asia/iuY6iD4
最終的に37両と車輪2件が個人や施設に譲渡されたとのこと
>>131の南区は下永谷のひばり丘学園が該当するようだ
>>135-136の新潟県湯沢町の500形は529号となっている。平成10年時点で窓はほぼ塞がれ、中は「粗末な椅子があるだけ」だったそうだ
湯沢町は越後湯沢スキー場に529のほかに518が、越後石打スキー場に521がわたっているとある
久良岐公園は「港南区上大岡町」となっている
この本の時点で6件しか残ってなかったそうだが、ほとんどが「状態が悪い」とされている
中田小学校に至っては「状態は全く悪い。近いうちに解体か」とまで書かれていて、よくぞ蘇ったと思う
逆に唯一「状態は良い」とされていた六角橋の交通安全センターの1505が今や荒廃気味なのは皮肉なものを感じる >>138
下永谷は港南区だったような
弘明寺公園とか児童公園とかにあっても良かった気がする 保存館、またリニューアルしたのかよ。
金あるなあ・・・w 保存体制では六大市電中最高位でしょうね
市電ファンにはたまらんです トンネルいいですよね、やはり首都圏路線電車の最高峰 大阪も結構保存してるけど、常時公開じゃないんだよな。 それも最近は申し込み制と一般公開制が混乱してわけがわからないんだよな
やはり保存館があるのはいい >>153
運転者が死亡するくらいの事故だったのに車は現存してるんだ?
どこにあるんだろう? 昔の車は独自の安全基準だから
外見たいしたことなくても中の人はいっちゃうよ。
俺も十代の頃、安いカマロZ28に乗ってて
オカマ掘ってボンネットが喉元に食い込んだよ
もっと飛ばしてたらクビチョンパになってたw >>155
そうなんだ?
昔、首都高の交通事故で死んだボクサーの車の写真見たことあるけど、グシャグシャだったからそんな感じだと思った >>156
大場さんのはコルベットC3ってやつで
ボディが強化プラスチックだからね
シートベルトも只の布バンドで
30マイル位でぶつかってもグシャグシャになりますよ。
https://youtu.be/496iG7wHroc >>157
ボクサーとしか書かれてないのに大場さんとわかったあなたはすごい >>147-152
保存館みたいなところがある市
札幌市電…札幌市交通資料館(真駒内)開館日に注意。つか、札幌市電ってまだ現役
仙台市電…仙台市電保存館(富沢)
名古屋市電…レトロでんしゃ館(赤池)
京都市電…梅小路公園市電ひろば(梅小路)N電動態保存あり(ただしバッテリー)
大阪市電…市電保存館(緑木検車場内)年一回「おおさか市営交通フェスティバル」開催時のみ(ただし事前応募制)
森之宮検車場(森ノ宮)非公開
神戸市電…名谷車両基地(名谷)年一回鉄道の日イベントのみ公開
大阪はかつて常時公開していた施設が朝潮橋にあり、神戸も長田に資料室があった様子。
(ただし、神戸は常時公開していたかどうかは不明)
横浜市電保存館はそこへいくとかなり頑張っている。
都電ですら、公式にはようやく荒川車庫前の一角に申し訳程度の保存施設ができた程度なのだから。 >>159
川崎市のシェルターの中にある市電の保存施設はまたちょっと違うかな? 横浜市電は1950年代後半でも新しい路線が開業したり、新車が入ったりしてたから、この時点ではまだまだ交通局はやる気だったのかな? そりゃあ1950年代後半ならやる気じゃないか?
運輸省が合理化またはバス化・警察がバス化を求めたのは、1960年代半ば以降
この時点では生麦線など整理したものの、ワンマン化で幹線は生かしていく想定だったし
オイルショックがあと5年早ければ運輸省の方針転換がなく一部は残ったのでは >>162
保土ヶ谷〜通町の路線はたった12年で廃止ですからね
国鉄白糠線に匹敵する短命さ
せめて専用軌道の路線があれば都電荒川線みたいに残せたかもしれませんね 数年〜十数年で撤退する路線は他都市でもあったね
需要予測が急速な社会の変容に追随できない時代であった 都電のPCCカーが12年くらいしか使っていないね。
なんだかね。 >>165
都電の5500が短命だったのは保守に手間がかかる上、図体がでかくて入れる路線が限られたからであって、路面電車の衰退とはまた別の事情でしょ
中途半端な数しか製造されなかったし
横浜のPCCもどきと比べるまでもない 東急200
都電6500
横浜市電1600
みんな短命
性能は良かったはずだが 1600は何故か旧塗装の写真が使われることが多いけど何でだろ こども横浜百科に載っていた市電の写真も1600形でいきなり旧塗装に戻ってるし 60年代はマイカーの普及とともに、誰しもが路面電車なんか時代遅れと思っていたから。
日本全国でそういう流れ。 >>167 原因の一つ、標準軌でなかったから。
西日本の路面電車の多くは標準軌。馬車軌間や狭軌の車両持ってきて台車交換する位なら、大阪市電等の標準軌の車両を譲渡してもらった方が便利。
馬車軌間だと函館位しかないだろ。 >>167
1600はモーターが使い回しで非力だったのが全廃まで生き残れなかった一因らしい >>167>>172
それ以前に前中扉がどちらも4枚折り戸という代物だしな 前中扉の車両で乗客が中扉から転落した場合
後ろの車輪で轢いちゃう可能性が高いと判断された
車掌がいないと中扉の監視が行き届かないからワンマン化対象から外れたのさ 弘明寺から滝頭まで、今の市営バス9系統のコースで運行できていたら便利だったのに >>174
その理屈なら日本中のワンマンカーは全て前後扉になっているはずだがなぁ まぁ実際1600を見てみるとドアが幅広のせいかドアの直後に台車が位置しているので理解できなくもない
とにかく、それが正しいかどうかは別としても「当時の市交通局はそのように判断した」というだけのこと 元交通局のY田氏が本に書いてるし
実際横浜のワンマンカーは前後扉だからそうなんでしょう >>176
弘明寺〜滝頭はありそうでなかった路線だな
この区間を市電で行こうとすると、吉野町まで迂回しないと行けなかった >>184
廃止時の花電車とは似てるようで違うんだよね? 昨日、初めて市電保存館に行ってみたが、花電車の復元が間違ってるとか、保存されている電車の窓に学生による変な飾りつけをするな!と喚いている鉄オタはいなかった。 >>185
地下鉄が最新型だったり
文字が区制90周年だったりするくらいで
ほぼ完コピで完成度高いよ
今月いっぱいだからぜひ 今みたいに展示向けに建て替える前の市電保存館へ行ったことのある人いる?
いかにも市電時代の車庫を流用したような感じで、土曜の午後しか開いてなかった頃
バス停もまだ滝頭車庫前だった >>189
初代横浜市電保存館だね
行ったことないです
この当時の写真、どっかにないかな? 映像なら館内の記録映画で流してたかも
あるいは都市発展記念館のDVDに入ってたような
(映像でたどる昭和の横浜 第2巻 都市の交通)
昭和48年につくられた「市電の余生あれこれ」というのがそれっぽいが、
手元のDVDに不具合があるのか再生できず確認できなかった 確認してみたら>>191のタイトルで間違いなかった
同じ話で中田小学校や鶴見のわかめ文庫も扱ってた
>>189の通り土曜のお昼〜4時までの開館だったとのこと
幕回してる子供が羨ましかった
このDVDには野毛山動物園の先代の電車のことも出てるし
横浜市電・地下鉄好きなら持っていて損はない
(最後は地下鉄新横浜延伸・シーサイドラインの開通で終わってる)
なぜか地下鉄開業の話題は充実してるのに市電全廃が入ってないが まだどっかに線路が埋まったままの区間はないかな?
弘明寺とか六角橋とか あんだけしょっちゅう道路工事やら水道管工事やらでひっぺ返されててまだ残ってるとは考えにくいな 川崎の市電通りは道路工事のときに線路が見えたと家族が言っていたが、横浜はどうかな? >>194
線路が埋まってても支障のない区間はそのままじゃね? 地下に埋めてる水路管が劣化して破断した時に噴水になったり陥没したりするが
その時に線路が埋まってたらどうなるんだろうな 水道管の上にそれに沿って市電の軌道作らないだろ?
横断する部分くらいは撤去するだろうし 何かの本で読んだが、廃止日の最終電車が走ったそのすぐ後ろをアスファルトを積んだトラックが追尾していて
二度と電車が走らないレールの上にアスファルトを被せる工事を始めていた
翌朝には軌道敷上もクルマが普通に走れるようになってた、という話。
工事する時間も惜しいくらいにクルマの洪水に市内の交通事情が逼迫してたみたい 続き
電車は車庫に入ればそれで最後の片道切符。
運転士サンの心境は如何ばかりであったことか ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>193
何年か前、実際に走ることはなかった橋に線路があるのが見つかったという話なかった? >>199
京都市電も最終便のあと、電停の看板の電線を切断する作業を始めてたという
翌朝からでも良かったのにな 現役を知る世代がだんだん減って、市電てなに?と思われる時代がやがて来てしまう 市電が公共交通になくてはならないものかというとそうでもないよね
道路のど真ん中からでないと乗れないとか、バリアフリーでないとか、
昔は顧みられなかったことでも今の基準だとスルーできない課題が多すぎて
良い乗り物とは言えなくなってる >>189
1981年夏、父さんと行きました。
当時3才。
あと滝頭バス車庫も見学。
当時は車庫をそのまま使ってて、線路もそのまま延びてた。
線路が道路に面するところでプチっと切れていた。
今にも走り出しそうな雰囲気。
あの頃は「市電保存館」の意味も解らなかったから、本当に車庫かなんかだと思っていた。
「ねえ、おじさんこの電車いつ動き出すの?いつ動き出すの?」
と何にも知らずにはしゃぎ回っていたら係のおじさんが少し寂しそうな目をしていたの覚えている。
父さんも少し寂しそうだった。
俺が生まれた時点で市電廃止から5年
あと以前親戚が本牧に住んでいたんだよね。
その頃は本牧の公園に放置…ではなく保存してあった市電でよく遊んでいた。
C58にも跨がって砂をまいた記憶が。
でもチンチンと鳴らす紐に手が届かなかった。
当時身長1メートルなかったから、父さんや母さんに抱えられて紐をつかませてもらった。
俺の生まれた時点でまだ京都には市電があり、福岡市も西鉄市内線があった。
岐阜には母方の親戚が住んでいたから岐阜市内線や谷汲線はよく乗ったな。 >>189
小学生の時に何回か行ったよ
'70年代
210さんの書いている感じでした
ちなみに本牧市民公園にあったSLはD51だよ ごめん、最近本牧行ってないから間違えた。
アルバム見返したらやっぱりD51だった。
市電はご多分に漏れず撤去。
自分が遊んでいた時期でさえ結構ボロボロだった。
久良岐公園のあれはよく地獄から甦ったなあ。こちらはだいぶ経って小学生時代に朽ち果てていた姿しか知らない。
D51のその後もどうなったか考えたら怖かったが、こちらは立ち入り禁止から無事修復完了みたいだね。 でんきちおじさんの絵本でボロボロになっていた公園の市電のモデルはやっぱ本牧かな?
あの辺は海風も強いから早く錆びてしまいそう。
絵本では、その後柵が儲けられたことになっていたからまた別の公園がモデルかな?
本牧市民公園は時々臨海鉄道の汽笛が聞こえるのも好きだった。
床屋や図書館になった車両はその後どうしたのだろうか?
父さんから今、産業道路がある辺りは海水浴場で、横浜市電は夏場の京急みたいなリゾート鉄道でもあったんだぞと聞いて信じられなかった。
本牧も変わったよね。
いつまで経っても地下鉄もみなとみらい線も来ない。
本当はマイカル本牧の地下にも準備スペースあるらしいし。
ゴーストタウン化が止まらない。
「フェンスの向こうのアメリカ」の憧憬も消えた。
昔のままの店ってゴールデンカップぐらいか?
リキシャはまだあるか?
柳ジョージもデイブ平尾も死んだ。
デイブと関わりある人物含めればショーケンも清志郎も死んだ。
本牧は市電廃止後の一番の負け組だな。
みなとみらい線で元町は人気復活したし。
日本大通など県庁やシルクセンターががある辺りは30年鉄道空白地帯だった。
横浜市も神奈川県もここが鉄道空白地帯なのは痛かったがやっぱり効果大きい。
バスは安いけど遅くてめんどくさい。都内からも直通は大きい 本牧のおじさんは結局、81年の冬前に根岸線沿線に引っ越した。
本牧の思い出はその年の夏くらいまで。
なので継ぎはぎで貧乏臭かった頃の横浜線の記憶もある。
今度は駅近物件で良かった。今はシーサイドラインもあるしね。
ちょっと歩けば京急も。
本牧はめんどくさい場所だったな。
マイカル本牧もバブル時代にちょっと物珍しさから買い物に行っただけ。
後は何回か映画を観に行ったくらい。
言っちゃ悪いけど横浜市営地下鉄って言うほど市電の代替って感じじゃない。
ただ横浜市中心部と周囲の新興住宅地結んでいるだけ。
本当の意味でポスト横浜市電は根岸線とみなとみらい線と京急の12両化。