153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 11 [転載禁止]©2ch.net
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153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
スハ43系客車、10系寝台車、12系客車
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http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1404226494/ 153系は設計130キロだが急行型は速度計が120キロまでしかなく速度計が振り切れてしまう
130キロの実験やったっけ? >>756 最高速度の実験車両って、速度だけ測ればよいと思っているのかなあ?
運転席の速度計だけでなく、車内に色々な測定機器を積み込んで、架線電圧や車輪の状況、振動など色々なこと測定するんじゃない? >>755
脳内○○ってのはまあネットスラングではあるが、知らなくても、
他で買ったサンドイッチをビュッフェのつもりで(妄想して)食べたという意味だと推測つかんかな >>756-757
そもそも、設計速度は出力やギア比から算出されるもので
実際にその速度で走らせる予定とは全く関係ない数字らしいよ
485スレで聞いた >>759
新幹線だとE2系が設計速度315`で試験で362`出してるからな 子供の頃、国鉄電車の本で153系を初めて見た時は衝撃的だった、華やかな特急も急行形があればこそ!だなと10才児ながら思った
あと153系が基本で165系が標準ってのも痺れた
今では鉄道以外でも系譜が大好き >>754
最近まで「なにわ」の寿司コーナーで寿司を握ってた人がやってる寿司屋が静岡にあったんだけどなあ >>759
急行型は余裕持たせて速度計は140まで刻んでも良かったのに
雷鳥に併結されていたリゾート立山やゆぅとぴあ和倉のキハ65のメーターが120キロ一杯指していたっけ
ぶら下がりとはいえキハ58系の足回りがよくついて行けたな >>765
183系ATC車やキハ181系も速度計をフルに使ってた
国鉄バスは100キロで針が真上を向く特殊な速度計だった
稀に意味もなく1500kPaスケールの圧力計を使ってる車両があるのは元空気ダメ圧力が車種にもよるが700〜800kPaの範囲内にあり真上を向くようにして視認性を向上させるため
針が真上を向いたほうが見やすいようでボイラー技士の試験問題にも出るはず >>765
ゆぅトピアやアストルとかの485系併結車は台車の軸箱支持をリンク式からペデスタル式に変更にしてたし、ブレーキも併結時は応荷重装置付電磁直通ブレーキを使って120km/hに対応してみたいだね >>753
佐久間にあったクヤ165の車内見学の時に
機器類眺めながらここはビュッフェなんだと必死に妄想してた思い出 今や人口減少県では人口数万人規模の玄関駅ですらホーム売店が希少だし駅舎キオスクすら壊滅状態だしな
これ地元九州での話ね >>768
ゆぅトピアやエーデルは牽引では120キロ対応だが自走では95キロが限界
快速みえは最終減速比変更して110キロ対応にしてた サハシの座席部分って自由席になる率が高かったのでしょうか? 手元に'76-10の時刻表あるので調べたら
アルプス、信州、妙高いずれも自由席だった >>772
て言うかなにわとか全部自由席だったろ?
一等車も一両は自由席 おまえら、
ビデオテープって、ど〜してる?
DVD変換してる?
懐かしい映像とかもったいないじゃん???
で、こんなトコ見つけた!
★★http://pcassist-tachikawa.jp/dvddub.html
PCアシスト立川
古いビデオテープをさ、
持込でも郵送でも、DVDに焼きなおしてくれるw
デザイナーさんがいて、
『タイトル+タイトル画』も付けてくれるw
既成とオリジナルとあってさ、
1)絵心のあるヤツは自作の絵でもOK!
2)ガキんちょの絵だって、バッチリ
3)写真だって決まるぜ
おれ、近くだから、思い出のビデオテープと絵を持ち込んだ。
涙出るくらいカッチョええwww
PCアシスト立川〜〜〜〜〜〜おすすめだぜ!!
w JR西のキハ58は延命N工事やったのないな
延命N工事やってたら天井が塗り天井から化粧板に変わってるはずだし機関換装もやってるはず 雨樋の内蔵張り上げ化(見上げても雨樋があるのが見えない)とか準じた工事やってたのはあったよ
もともと一段上昇窓に張り上げ屋根なので、東京からちょっと来るだけの取材者は気付かないんだよね、これ
物凄い形態分類やったRM171/172号でも触れてなかったんじゃないか 気動車は延命Nどころか特別保全工事もやった車両ないはず
特別保全工事やってたらキハ22やキハ56で床が木張りからリノリウムに変わってるだろう >>773>>774
有難うございます
ビュッフェ営業休止後の晩年は車販基地に活用されてたと聞いたので 長ナノの169系は昭和53年8月下旬頃にサハシが外された後もサロは2両のままで
暫くの間、漫然と空気輸送を続けていたな。
軽井沢以東は知らんが、小諸〜上田辺りではサロは殆ど客居なかったぞw >>543 >>575
サロ153を準急から外した時期って、オロ35・36・40をオハ53・55に
キロ25をキハ26-400に格下げした時期辺りでしょうか? 全車自由席の急行で寿司を出していたのが信じられない
ソバならわかるが あの当時寿司ロボット無かったからな
職人不足で営業休止した列車が多かった?
安い回転寿司屋は寿司ロボット使ってるが
うどんやそばは冷凍食品使えば何とかなるが宇高連絡船はゆで上げたの積んでて伊勢うどんみたいにこしが無かった >>781
ほぼ同時期だが、
並ロ(オロ35他)の格下げがS39頃から、確かS42には完了していたと思う。
サロ153の準急追放はS40頃から本格化、S43改正時には完了、
キロ・キロハ25の格下げはS42年度からで、S43年度でほぼ完了、一部はS44年度まで残る。
少々曖昧、間違っていたらすまぬ。
>>782
日本生まれの究極のファストフードだからなあ>寿司 追記すまぬ
サロ153の近郊型への格下げは39.10改正でスタートしているが、サロ110への改造は40年度になってから。
これは「比叡」が急行編成になったことや、東海道本線の準急の一部削減による余剰車が出たことによる処理。
この際、調光式ではないサロ153から格下げされている。 >>778
急行型限定の話?
キハ58系列の特保車は東北とかにいたような JR西日本化直後に延命N・NA工事実施車があったぞ
NAってことは特別保全工事も実施済み
一時中断されたが、PDC化が北と違ってうまくいかなかったせいか継続 国鉄時代、児童けの鉄道車両図鑑とか見ると、扱いは
新幹線>ブルートレイン>特急型>通勤型>近郊型>急行型だったな
さらに急行型の中でも格があって、大抵は直流>ディーゼル>交直流
酷いのになると交直流は掲載さえない場合も多かった
(なお近郊型に関しては、交直流は大抵、鹿児島線のみ)
常磐線取手以北に住んでいた俺はそれが非常に悔しかったw
蛇足だが、特急列車図鑑だと常磐線系統は「ゆうづる」はおろか「みちのく」も載ってるのに
「ひたち」は省略っても多かったなw JR直後なんて講談社の本で
急行列車だけで1冊まとまるくらい多かった。
大雪、利尻などは載っているのに、日南とかかいもんとかハブられていたしw
ブルトレも然り・・・ >>788
当時は特に走行距離と乗車時間が短いのは趣味的にも?格下扱い?だったから仕方がなかったのかも>ひたち、ときわ
車両もお下がりが多かったしね(という自分も常磐線民なので気持ちは良く分かる)
年齢的に無理だったけど十和田のオシ16でビュッフェ体験したかったな >>779
補足
名古屋〜大阪(神戸)の伊吹号が
準急ながら
全車指定席です
近鉄に対抗してかな…
指定席料金払うと結局急行並みの料金ですが
混雑する時期はお得だったかも
神戸発着は急行編成でビュフェも営業してました >>771
キハ65の台車はもともとキハ181とほぼ同じだからね。ただ東海も110キロ化に際して台車枠を改造したはず。
キハ58に至ってはエンジンのカミンズ換装、変速機の換装と多段化、台車をキハ82発生品のエアサス化のうえ履き替え、内装も化粧板と床材の張替に、新幹線?発生品のリクライニングシートへと
もう趣味の領域に達する魔改造っぷり(笑)
ただパノラミックウィンドウの最終増備車を改造したキハ58-5101はある意味キハ58の最終進化系かとも思ったよ。 「冷房機故障の原因となりますので窓はお閉め願います」 >>778
函館のキハ22に床リノリューム張りがいたぞ。
デッキ仕切りの化粧板や座席モケットがオレンジになってた。
苫小牧時代に施工したと思う。
他にも縦樋の外付化や客室化粧板を茶色くしたり、保全工事を適宜行っていたはず。 >>798
冬季にスパイク靴で乗車する乗客が多くすぐ傷だらけになってしまい検査ごとに張り替える羽目になりそうだな
リノリウムは表面が剥離すると鋼板が露出し錆びる可能性が高い 101系は何を血迷ったのか知らんがコルクを床材に使ってたんだな
王寺駅の水害で床材が膨れ上がって54両廃車になった原因でもある
木材でも水没したら一巻の終わりで全とっかえになるはず 先日、関空から伊丹のバスに乗った時、南港付近?でキハ58系列が1両置いてある所があった。
東京民なんで大阪の地理に疎くて申し訳ないんだが、伊丹に向かって走って左側の、高速と海の間。敷地に置いてあるクレーンに大量の鯉のぼりが飾ってあった。
個人所有かなんか? >>801
その時代の車両は内装に木材系素材結構使ってるよね、内壁にもハードボードとか
151系も床の下地にベニヤ板使ってたし 防音という理由もあったとか
不燃化難燃化で使えなくなったけどね
今では我々は走行音とかあまり気にしてないが、客車列車が主体の時代の欧州人からすると、日本の電車は騒音が凄いと感じるとか
床にコルクやベニアを敷いてた時代は、日本人も少しは気にしてたのかも
101系電車の千番台は初期車からの改造が多かったが、当然床は張り替えていたのではないかと コルクは20系客車も使ってるし当時としては普通だな >>805-806
不燃化難燃化関係なければ、防音には良い素材なんだけどね>木質系素材
で、その代替の1つがアスベストという・・・・・(今はゴム系素材使ってるのかな?)
40年以上前に181系乗った時は結構静かだったイメージがあるよ(美化されているだけなのかも) >>807
481系が貫通型の途中まで浮床構造で静かだったが、
北陸トンネル事故以来の対策車は防音構造じゃ無くなって、
静粛性が低下したとのこと。
ゴムやら木材を結構使っていたんじゃなかったかな。
本当に静かだったと思う。 >>805>>806
コルクは奈良かどっかで留置中の101系が水没したときに水吸っちゃってとんでもないことになったと聞いた 883系とか885系などのミトーカ列車は木の床板だけど
静粛性はどうよ? アレは表面に薄い木のタイル貼ってるだけだから木材の防音効果なんてほとんど無い >>809
キハ80シリーズも途中で浮床構造をやめてたはず。
防音効果が思ったほどじゃなかったのが理由だったかと。
当然、北陸トンネル事故以前のことだから、浮床構造に懐疑的な雰囲気はあったんじゃないかと。
今は凹形の金属製キーストンプレートの隙間にゴムチップを敷き詰めてたような。 キハ58のATC仕様車があったら面白いのに
ただ自動空気ブレーキなのでパターン予告方式(パターンを当てると非常ブレーキ)にしないと込め不足の危険性があるか
ED79の青函ATCが予告方式だった
山手線や京浜東北線を走行可能になる 鉄道妄想はもっともらしい設定を思い付かないといけないよね
北陸トンネル事故が起きなかったら
もうちょっと長くサハシが活躍してたかも、とか >>816
サハシは北陸トンネルとは関係ないだろ
車自体は昭和56年ぐらいまで使われてるんだから
オシ17とかだったらわかるけど 急行の食堂車衰退の原因は要員不足と採算の悪化だからどうにもならなかっただろう。 >>818
出火原因は当初
石炭レンジとかタバコの火の不始末とか言われてたけど
電気暖房の不具合じゃなかったかな 静シスの165系
F編成ってのは富士川用だからFだったの?
東海用のK編成のKの意味は? 急行型電車ってトイレじゃない方の妻面には回想運転台でもないのに
ユニット窓みたいのがあったが、あれって何用だったんだ?
混雑時の換気用?
交直流急行型では、あの窓はモハにはなくてサハだけあったみたいだが・・・。 >>823
デッキ部分の換気用、急行用車両は本来非冷房車だった。
交直流用モハはモーター冷却用の風洞がついたから窓なしじゃなかったな、違ったらすまん。
ちなみにキハ58系も窓付き、デッキ部分の換気用。
冷房化の際配電盤がついたので、片側のみとなった。 急行型電車で120キロ対応化改造したのってパノラマエクスプレスアルプスだけ?
そもそも120キロ運転したかどうかも怪しい
183系と併結を考慮して対応にしたとか諸説ある
JR西日本で165系や475系に120キロ対応化改造車があったらどうなっていたか ゆぅトピアは実は一般の気動車とも連結が可能になったんだよな ゆぅとぴあは、485との併結運用が無くなってから連結器を交換して他の気動車と併結出来るようになった キハ58は小海線で標高が高いために気圧が低くDMH17Hだとパワーが落ちた?
F1メキシコGPは標高2300mの高地を走るためターボの方が有利だった上にダウンフォースが低下した キハ58系は、昭和36年生でシールドビーム採用なのが謎。
その当時の電車なんかみんな原型デカ目ライトが標準なのに。 >>832
言われてみれば謎だけど、気動車だと使用電力に限りがあるから二灯化するには消費電力の少ないシールドビームにしたのかな?
SLなんかはそんな理由でシールドビーム化してるし ありゃ理由が判らんもののひとつだな。
しかし当時の気動車でも一般車は白熱灯1灯、しかしキハ82はシールドビーム2灯。
国鉄で当時シールドビームだったのは電気機関車、EF61、ED72・73、EF80.
私鉄だと阪神や京成、近鉄あたりかな。 灯の少ない田舎をはしるぶんには小さい電球で充分じゃないか 田舎を走るから上部につけてるんだよな。長距離だから二灯にしたかったろうし、そういうところかね
>>834
EF61は違うんじゃね。電機だと最初はED46かな。シールドビーム自体はその頃からあったんだよな 大垣には初期の車が多かったからな、モハ165-1+モハ164-801なんてユニットがあったぐらいだし。 >>836
すまん、EF61は違ったな。
近鉄6800ラビットカーが昭和32年登場だからそこまではさかのぼれるんじゃないか。 あともう一つ、設計者が電車と気動車、更に機関車じゃ国鉄部内で全然別だったらしい
今でもメーカーが実質固定(トランシス最多)で設計自由度があまりない
気動車の設計部門でも10-20-55と81-82-58は別人じゃないかな 58系気動車が運転台付きばっかりになったのは設計者の個性か
そういえば近鉄特急も同じセンスだな 地方交通線の急行列車用だからねぇ
2両編成とかがデフォだし >>841
そういうのは設計者が勝手に決められないでしょw 165系はクハたくさん造ったのがローカル転用で役に立ったな >>841
運用上制約が大きくなるので中間車は全く造る気がなかったろう、
キハ18でこりたんじゃないか。
>>844
大垣の153系短編成化の余波だな。
宮原、田町の153は短編成化の必要はなかったが、大垣のみ43.10(42.10?)で短編成化する必要があった。
実際は4+4の8両で使用されていたんじゃなかったかな、ただ当時の写真は少ない。
この際サハではなくクハで増備されたのは慧眼か。
しかし後にこのクハの一部が交直流車になるとは、当時は思いもよらんかったろう。 >>834
分割併合の多い気動車でデカ目が腰の部分に鎮座していたら解結作
業の邪魔になるからでは? 念のため言えば、急行形キロは中間車(座敷改造などを除く) むしろキハ58系は誤って短編成を想定しすぎた
おかげで2010年代まで生存したわけだが… JTBのキハ58物語にはローカル線での分割併合を考え普通車全車片運転台として〜大成功とある 地方線区にとって急行の設定はちょっとしたステータスだった訳だしね
主要ター−ミナル行きの表示見るとワクワクしたし >>852
札幌からはるばる乗り通した「急行紋別」思い出す
ああいう、今は廃止された路線ですら一日一本急行があったのは
まさにそんな感じだね 「急行みまさか 月田行」
中国勝山ではなく月田なのがいい。 昨日、坂城の169系公開に行ったが、やっぱり湯田中や妙高高原行きのサボ付きは車両が生き生きするな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています