153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 11 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
スハ43系客車、10系寝台車、12系客車
などの急行形車両について、楽しく語りましょう♪
ベルが鳴り終わりますと、ドアが閉まります。
閉まるドアにご注意下さい。
前スレ
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 10
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1404226494/ >>48
>165系の試作冷房改造車か169系900番台
屋上の機器配置は同じだから
判別方法はスカート部のジャンパ栓になるのかね
ヘッドマークステーは全てじゃないけど両車付いてるからな 以前ここか他で聞いたか忘れたが、169の900台って、ずっと新前橋区配置で長野の量産車とは運用組んでなかったんだっけか 佐渡とか東海って車内放送で鉄道唱歌のオルゴール鳴らしていた? >>52
ttps://www.youtube.com/watch?v=rJ_OLghUxEE
個人のHPでもけっこう公開してるから探してみるといいよ 急行東海は鳴らしていたよ。但し初期の165系は例の弁当箱スピーカーだから旅情感ゼロ >>53
ワム八にカートレインワキ10000にコキ10000、
品川客車区のブルトレ群に国鉄色のEF66とEF65、100系新幹線とか時代を感じさせる・・・ 今現役なのって、
165(169)系→フジサン特急1編成
キハ58(28)系 →Kenji、いすみ各1編成
のみだっけ?
12系客車もだいぶ減ったね 金サワ413系に紛れ込んだ
クハ455-701(B04)・702(B11)もお忘れなく 長野県北安曇郡白馬村ペンション跡で施設の一部として使用されていた
サロ165-33は2015年7月に解体されてしまったそうです キハ28+キハ65の編成での運用って実在しましたか? >>60
私が知ってる四国総局の頃は急行などで見られましたよ 82/8/15軽井沢
EF63 10
EF63 8
クモハ169-16
モハ168-16
サロ169-14
サロ169-10
クハ169-7
クモハ169-25
モハ168-25
クハ169-9
クモハ169-21
モハ168-21
クハ169-21 1991-12-7?
横浜F1336?
クモハ169-25+モハ168-25+クモハ169-3+モハ168-3+クハ169-6+クモハ169-4+モハ168-4+クハ169-10 153系は尾灯周りに反射板付けなくて大丈夫だったのだろうか?
1965年までATS未整備路線があって列車の存在が目立つよう尾灯反射板が使用されてて20系客車でも見られた
151系は最後尾に前照灯に赤色フィルターを被せていた >>66
153系のような外嵌め式の尾灯は円盤が取り付けられないんじゃないかな
また東海道線ならATSの導入も早かっただろうし >>66
房総地区で運転されていた 『 汐風 』 号には反射板が付いてましたよ
DD13+クハ16+153系 151系のやつは発案と言うかアイデアのレベルですよね。 >>66
電車と客車・気動車・機関車では扱いが違ったんじゃないかな。
昭和40年頃に機関車・気動車の尾灯の仕様が変わり、円盤取り付けが考慮されなくなっている。
テキトーですまん。 つーか、あの折りたたむ円盤付いてる電車ってあったのか?旧国でも付いてないよな 電車の場合、後部標識は省略出来るんだっけか。
ELなんかは円盤取り付け可能の内嵌めテール→取り付け不可の内嵌めテール→取り付け不可の外嵌めテールって具合に変化している 円盤取り付け仕様内バメテールライト、なんか気持ち悪いんだよな。 >>68
鉄ピクの153系特集か房総の鉄道特集に写真あったな >>74
1993年8月号 No.579 『 房総の鉄道 』 には無かった 末期の国鉄では合理化の名のもとに、急行のヘッドマークはどんどん廃止していったのに
何故に反体制組合 動労千葉のお膝元の房総急行は、最後までヘッドマークが残ったの?
就業が怠慢な 反体制組合が「合理化反対!」を掲げる事に対する当てつけ? ヘッドマークの取り扱いに動労の職員は関係無かったからじゃね?
電車区は知らんが、両国では駅員がやってた記憶がある。 両国は知らんが
ボンネット特急があった頃はヘッドマークの運用表や
近郊型や急行型のサボ運用表があったな >>78
上りも下りも同じ駅から同じ行き先の同じ車両が全然違う方向に向かう列車があるので、誤乗防止の為に付け続けた。
気動車時代のサボから113系、211系の方向幕まで路線ごとに色分けして表示するほど、千葉は誤乗防止には熱心な地域。 >>81
旅客の事は一切考えてなさそうな組合が盛んなので旅客のためになるような案内をするとは何か意外ですね 85/8/22
四日市
キハ58 46
キハ65 512↓
キハ58 136↓
急行かすが?
クハ165-178
モハ164-808
クモハ165-60
クハ165-205
モハ164-68
クモハ165-104
クハ165-116
モハ164-510
クモハ165-51
クハ165-132
モハ164-512
クモハ165-53
以上関西線 >>83 野暮なコトを 一応 国鉄動力車労働組合 の略
でも動労組合員に就労が酷すぎて下車勤食らった奴だって居るだろうし(マア 職場での組織力や発言力は?だが)
トップ組織力の国労だって 動労に負けず劣らずで先鋭化していたワケだし。
民鉄でも組合が強いチバラギと云う地域性なら尚更疑問な訳で・・・ 急行型電車で120キロ対応化改造したのってパノラマエクスプレスアルプスだけだな
JR西日本で165系や475系に120キロ対応化改造していたらよかったのに 雷鳥にぶらさがったキハ65って、何キロ対応?
特急向け改造だとヤボ言わんでね >>87
牽引では120キロで走行できるが自走では95キロしか出ない
快速みえのやつは変速比変えて110キロ可能だった スレチだが、動労(国鉄動力車労働組合)と千葉動労とは、分化した完全に別の組合。
源流は同じとはいえ、千葉動労は成田闘争支援の立場を明確化して、活動団体(中核派を含む)とも密接に結びつき、異端分子化した。 >>88
無火状態のぶら下がりなら何キロでも制限ないのでは?
話変わるけど、西日本の115系110キロ対応改造で、
制動距離をクリアするだけなら特急形式の増圧ブレーキ機構を採用しても良かったはず。
221系を活かす為に在来形式が軽視されたようで後味が良くない改造。
ブレーキだけの理由で115系は最高速度100キロに抑えていたから勿体ない。
と言うようなことが、鉄道ファンの連載に書いてあった。 >>90
>無火状態のぶら下がりなら何キロでも制限ないのでは?
2軸貨車大勝利! >>89 元は一緒でしょ国鉄分割民営化の過程で成田闘争で先鋭化した千葉地本が独立したのであって・・・
国鉄末期とか書いたが(国鉄末期・・・時系列的には、前後する表現的には不適切yなのは認める でも動労から千葉地本が独立する前から
他の地域では、急行のヘッドマークは廃止は既に相当進んでいたワケで・・・)
動労も国労も一緒になって(思想や動労固有の機関士特権意識で連携していたかどうか?は微妙だが)怠慢な就労をしていたワケだし。 >>90
ブレーキてこ比変えたり高摩擦制輪子採用したりで110キロ達成できたがブレーキに変な癖があって運転しにくく不評で広島に行ったのは110キロ対応解除されたな
コイルばねで乗り心地が劣悪だったのもあった >>93
宇田氏は、山陽本線での乗り心地は変わらず快適であったと書いているよ。
コイル発条でも山陽本線は線路規格が良いからだろか。 急行立山とか急行佐渡のメニューってどんなのあったの? 鉄に興味持つ頃にはビュッフェ営業急行は既に無く
アルプスに非営業で組み込まれてるの見かけただけで乗車体験も無し
ビュッフェ体験は35型くらいだ クモハ165-103(東トタ)
*9372Mの11号車に使用(沼津停車にて撮影) >>101
該当車番の新製or廃車時配置や四方山話を入れてくれ
単なる保守だけじゃツマラン 直流急行形のビュッフェ車は、サハシ153はもちろんのこと、サハシ165や169でも、
座席部の座席のつかみ手(グリップ)が後期型の日の字型になっているものや、
ビュッフェ部に回転椅子がついたものは造られなかったんだよね? 81/2/15
クハ165-182
モハ152-51
モハ153-51
サロ165-126
サロ163-2
モハ152-156
モハ153-156
サハ153-5
サハ153-116
モハ152-65
モハ153-65
クハ153-553
急行東海 Tc165-182は、巡り巡ってK4-1からT13へ…凄いな。 そう言えば、夜間の掛〜菊とか、変な運用が有ったな。 >>109
窓枠の黒Hゴム化も受け付けないと申すのだな? >>100
ビュッフェ初体験は、東北の455系急行だったなあ
座席の後のドアを開けたら、いきなり初めて見るビュッフェで驚いた。
サハシに乗っていたのか、あるいは隣のモハだったか今となっては記憶がないけど。
もう営業していなかったようだけど、車販のお姉さんから冷凍ミカン買った思い出。 サハシを最後まで連結してたのは松本の165系だったような?ギリギリ見ている MG積んで電源車扱いで抜くに抜けなかったんじゃなかったっけ
サハ164と混用してたと(廃車も同時期) 185系200番台の配置で余剰となった新前橋のクハ165を
サハシとサハの置き換えに使ったんだよな
相方のクモハ165とモハ164は豊橋へ行ったり
丹荘送りになった車もいたっけ >>119
上武鉄道が国鉄車両の解体を請け負っていた ついでに言えば解体待ちの疎開留置なんて今でも別に珍しくないだろう ここ数年かな上武大学という名前を見聞きすることが多くなったけど
その度に丹荘駅の構内で解体された165系を思い出すよ
廃車回送は途中までEF12やEF15で非電化区間はDD51だったかな >>124
解体作業は丹荘駅じゃなく西武化学前(というか西武化学工業そのもの)じゃないか? サロ165-5を含んだ編成は丹荘の駅構内で解体されたよ
他の編成は見てません 153系のオデコの種別標示器は最後まで板式だったのか? ドラマ鉄道公安官のEDに
S時カーブを行く153系東海が映っていた >>129
OPでしょ
それに東海じゃなくて田町の6M4T基本編成だ キハ27、56、57の最初期車はライトがやや中寄りなのは分かるけど、
車体の裾の絞りが違うらしいのはよく分からん… >>134
すそ絞りがなだらかなRではなく直線的なのですぐ判るよ。 「絞り」 より、「折り」 に近いかな。
「折り」 の キハ56 に 「絞り」の運転台を溶接した異形のキハ53がいたそうな。
見てないけど(^^;; 昨日のブラタモリで横軽をEF63に後押しされるPEAが映ってたぞ >>136
キハ53-502のことね。
深名線廃止まで旭川にいたね 昭和58年11月24日 302M
クハ165-172
モハ164-833
モハ165-11
サロ165-106
サロ165-126
モハ164-802
モハ165-2
クハ165-180
クハ165-181
モハ164-832
モハ165-10
クハ165-175 >>139
あちこちの懐かしスレに意味もなく人名を書き連ねたり、○○年前スレに現在
の事を書きまわっている荒らし。 82/2/27
白糠駅
キハ56 32↑帯広
キハ56 27↑
キロ26 12
キハ27 5↓
キハ56 136↓釧路
急行狩勝 サハシ165の向きで気になることがあるんだけど、クハ・サロ・サハシって元々両渡りだったけど冷改時に片渡りになってるよね?
松本のはビュッフェが奇数方で、新潟のは逆向きだけど、これってそれぞれの向きで引通し改造したってこと?
でも鉄ピクの車歴表見てると新潟時代に冷改受けてから松本に異動したのもあるんだけど…
詳しい人教えて >>140
深名線の最後は基本的に キハ56 210・211+何か で動いてたね
1995年9月4日に札幌着の「利尻」は、旭川から先頭に立ったのがキハ56 210・211(自由席)だった。
減光された車内の温もりが心にしみた… 1986年に中央線でさよなら165系運転したね
その時サロ165に帯を復活させたけどそれが
ガムテだったという噂だが本当かな >>147
そうです
確かサロは松本で他は千葉か新前橋から持ってきた車両だったかな
今思えばちゃんと番号控えておくべきだった >>146
カッティングシート(PVCシート)では?
貼り物って点では同じ様なモノだけど
119系のデビュー当初に剥がされまくる事件があったっけな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています