【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
>>707
いえ、下段でした
新宮→天王寺の方向だったためか、夏休みの時期だったのに車内はガラガラ
でも今考えるとクーラーが効いてたのは客がほとんど居なかったからだけの理由だったのかもと
あれ、一括で調節できないやつですもんね >>709
下段でしたか
上段はさぞ涼しかったでしょうね(^_^;
スイッチは一括で強・弱・切の3段切換でしたよね >>709
実際の理由はそうだと思われる
でも、今はとっくに忘れられてるが
まだまだ非冷房があたりまえだった時代、
「強冷房=ステータス」だった価値観も存在してたので
そのサービス意図でスイッチを強めてた可能性は
微レ存在してるとも思う 昭和57年能登か越前が早朝の上野駅に到着、オハネフ12のボロボロの
室内を見て、北陸での人生の厳しさを直感した。今年の正月の地震を見ても
当たらずも遠からず。ボロボロの10系客車、急行なのにグリーン車まで
旧型客車、ハザは言わずもがな、北陸急行は石川さゆりの演歌のような
陰気さが漂っていた。九州が田舎で新幹線やブルートレインなど颯爽とした
陽のあたる列車に見慣れた乗りなれたオレには何とも陰気に見えた。
だがそれが味があっていいのだがw 全角数字w
というか取り替え間際でしょ
仕方がないさ
九州人が北陸を馬鹿にするのもどうかと思うしな 昭和57年の九州って旧型客車の急行って全廃されてたっけ? とっくにされてた。というかそのころにあった九州の客車急行自体が少ないんでは
くにさき かいもんくらい?
くにさきは14系だし、かいもんも12系+20系
高千穂はS50に廃止。雲仙西海はそのころに14系化、55.10でなくなってる
ただ夜行の普通ながさきは旧客のままS59まであったね 715氏が貼ってくれた画像ではベッド側面や
裏面が元々この手の赤っぽいベージュなのか
それとも劣化して焼け黄ばんでるのか?
昭和30年代だと新素材への移行期で耐久性に
問題のあったのだと思う。冷房改造時に
ファン周りのデコラは改良品に交換されてるのか真っ白のままだね。但しファンスイッチ周り
が結露のためか真っ赤にサビサビ。
昭和57年の時点での北陸向け10系B寝台の
内装は通路側のデコラ板が同じように真黄黄で
外装のボロさに惨めさを増していた。
当時中学生のオレが本当はいけないんだろうが
上野到着後に車内に乗り込んでそんな観察をしていると、40か50くらいの乗客の旦那が、やれやれとばかりにフーとため息をついて、さて降りるかと面倒くさそうに荷物をまとめて通路を
歩いてくる。当時あさかぜだとまだオハネフ25の200番台が新製後4年で内外ともピカピカ、
まだ室内も新車の匂いが少し残っていた。
それと比べると寝台料金は1000円しか変わらず、内外ボロボロ寝台幅狭い52センチ、乗車時間10時間もなくて起こされるところなど、
この旦那が気の毒に見えた。これが北陸の
厳しさなのかと。 そもそも北陸ってそんなに厳しいか?
というか厳しいって何が? つーかあの当時は寝台使用時以外は喫煙可だからデコラは末期色だ罠 北陸の厳しさといえば水気を含んだずっしり重たい雪
北海道は粉雪が電気系に入って故障
北陸は雪抱き込みで走行不可のイメージ そんなことあったっけ?
北陸、入ってる車両も特に耐寒耐雪してないんだよね
敦賀のあたりや親不知なんかは新線前は苦労してるだろうけど
電化されてからは厳しいことはないんじゃないかな
10系ハザも北陸は最後まで残ってたし 粉雪云々とか走行不能は電車の話だからすれ違い
粉雪で客車トラブルなんてきいたことない 10系じゃなくてもいいんだったら雪で折扉閉まらなくなったことあるよ
日本海だったから24系だったかな? >>725
> 耐寒耐雪してない
この言い回しが凄い気になる
耐寒耐雪化してないとか耐寒耐雪工事してないなら分かるんだが
この感覚はもはやおかしいのかな?
話の流れと無関係なことですまん >>728
それって雪質あまり関係ないような
大量に吹き込めば雪が溜まって閉まらなくもなるわな >>732
大体も何もはっきり分かるけどさ
そういう問題じゃないよ
言葉としておかしいじゃんって話 5chだろうと他だろうとこういう人は同じだと思うけどね ふいんき(変換できない)
↑これみたいなやつじゃないの? 考えてみれば昭和57年当時でも寝台特急北陸は
あったから、寝台車使いたいなら何も陰気な急行越前とかに乗らなくてもいいはずだったが乗降車駅に乗り換えなしで直通で行けるとかの問題だったんだろうか? 寝台料金は三段で変わらず、片や綺麗な14系の広い70センチ寝台、片や
四半世紀ものの古い52センチ寝台。特急料金と急行料金の差も到達時間を考えれば誤差範囲だと思うが。。 下りは到着時間で選ぶ(早朝なら越前)
寝台よりグリーン車乗ったけど(普通座席車なら何回も乗った) 北陸と越前って金沢着そんなかわらなくね?能登だよね、遅かったの
スロ62、乗ってみたかったな。あれで深夜の横軽越えとかしてたんだよな 時刻表1981年10月号より
603 上野2053-金沢559-福井711
3001 上野2117-金沢606
3605 上野2149-金沢651
特急料金は2600円、急行料金は1000円
昭和53年10月の改正で北陸が14系化、昭和57年11月の改正で能登14系化、北陸のB寝台二段化完了が昭和60年9月 北陸ごときに寝台で行くのに特急は贅沢だと思っていました そうは言っても北陸と能登は最後まで残ったしニッチな需要はあったんだろうな
旧客の能登や越前も律儀にスロとオロネ繋いでたし。まぁガラガラだったけど 早朝から動きたいから夜行で行きたい人も座席で十分と思ってる人は多いわけで
夜行バスの発展を見るとな 富山から北アルプスの早朝登山バスは能登からだと間に合わないから越前乗ってた
寝台は2回だけで普段は座席だったけど 上野-富山は寝台使うにはちょっと時間が短い気がしたんだよな
だから急行で十分じゃんって感じだった
金沢まで乗る人はまた違うだろうけど 北陸地方の暗さ、辛気臭さを説明するに、
越前竹人形やはなれ瞽女おりんという文学
映画作品がある。公助扶助の意識が低くて3県の生活保護受給率は全国で最も低い。女性は出産育児をした上で正規職での労働を求められる。打ち捨てられた能登半島地震の被災地域の状況は最近の例。
夜間険しい碓氷峠を越える急行越前などは涙ぐましく、いよいよ辛気臭く陰気であった。
だがそれがいい。愛おしい。
いや、現在進行形の能登半島はホントなんとかしないとな。