【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
>>497
10系に乗ったことが無い身としては、一度は乗りたかった編成ですね… >>499
いやあ、貴重な写真ですな。
車体が反ったりしているのがよくわかる点でも貴重かも。 >>491
S30年代後半からの「観光団体専用列車」
ナハネフ11・オハネ17 600番台のみの列車
その流れを汲む季節「十和田」
オール10系寝台車による12両編成
偶然そうなった例としては
名古屋−紀勢本線−天王寺の夜行普通
名古屋駅での実見になるが、4両全てナハ10・ナハフ10だったことがあった
>>495
47.3〜50.3の銀河・紀伊併結列車はオール10系だった記憶 >>497
オシをオロの隣に持ってくる理由は分かるとしても
高千穂の乗客がオシに行くのが大変ね(^_^;
>>499
すごいです
The 寝台急行 塩害ってすごいんだね
海底駅があったころ見学したけど湿気もすごかったし
地上区間も延々海沿いだもんね
それに酷寒が加わったらそりゃもうね >>503
それからすると、青15号は、汚れが目立たない優れた色であったと・・・ なるほど、逆に捉えたらたしかにそうだ
目から鱗だわ。
青15号登場時は蒸機も現役だったし、従来のぶどう色より明るい色、かつ汚れの目立たぬ色
さすが先人方、よく考えられてたんだな。 >>497
当時の客車編成で両端に緩急車って珍しいなと思ったが、
途中駅で付属編成を切り落としではなく分割・併合だから両端に緩急車が必要ってことか
どちらも基本的な編成内容は全く同じにしておいて、
「高千穂」か「霧島」か使う目的によって片方だけに食堂車を入れれば良い様にしているんだな >>507
しかし終点西鹿児島では編成がお互い向きが逆という、
鹿児島持ちだったから、区では両方が逆向きで並んでいたんだろうな
グリーン車のデッキの向きはどうだったんだろ?
(基本的に東海道ではグリーン車のデッキは下り方) 耐候性高張力鋼板が実用化されてればもうちょい長持ちしたのに
採用第1号が新幹線0系だったっけ? >>503 同じ事考えたね。
北斗星も2003年頃既に同じような状態だった。
いや、もうちょっとましだったかな。
で何だかデジャブ感があったので考えて見たら
その上野駅で昭和57年に見た末期の
10系寝台車が同じような感じだった。 ここまでひどくなかったよ、上野口の10系。外板はベコベコで雨だれで汚れてたけど
ちゃんと洗ってた。錆も浮いてたけど、こんな大きく剥がれたのは見た覚えがない
富士はやぶさはこんな車両あってビックリした覚えがある。北斗星はそんなことなかったような
はまなすのは洗ってないでしょ。ディーゼルの油煙と青函トンネルていう条件もあるし
なにより古い >>511
上野口は見ていないので分からないが、「はやたま」「山陰」「ながさき」オハネフ、福知山区ナハの外販は荒れていなかった。
温暖地と寒冷地との違いがあるかもしれない。
しかし、温暖な、末期の九州ブルトレや「銀河」も外販が錆びて剥離していた覚えがある。
「はまなす」だけでなく、北海道全般の車両が窓の汚れが目立ち、茶色っぽくなっていて、
自動洗浄装置がないのか、洗浄する期間が開いていたのかと思った。
14・24系の外販の腐食は、車掌室横など目立った気がする。 1 1982 10系 越前? 車齢 22
2 2003 24系 北斗星 車齢 28
3 2015 14系 はまなす 24系 北斗星 車齢 40
番外 テヘッ
4 1984年 東武鉄道 ボロ電 7860系 車齢 23
5 1982年 常磐線 オハ35 車齢 32
6 2021年 185系 車齢 40 >>513
5 1982年 常磐線 オハ35 車齢 32
これは、更新したのが1950年?
オハ46? >>514
オハ35戦後型は1948年までだな。スハ42は1950年まで作られてる。
>>513の計算合わないと思わしきところがあるが
越前がオハネフ12だとしたらナハネ10としての製造は1956年
オロネ10なら1959年。 513 ごめん、プラマイ3年位の平均でこんな感じかなって感じで正確さに欠けたは。
常磐線旧客は顔がスハフ42で結構作りが良くて
乗り心地も良かったイメージ。全体に新しめだけど中には内装木目ニス塗りのが探すと混じってた。多くは座席はグレー?で塗りつぶされてて外観からすると明るい室内。初めて見て強烈に印象が残ってるのは昭和51年上野20番線、
583系みちのくのあとの平行きだったかな。
スハフ42最終が昭和29年みたいだから、
まだ車齢20年ちょっと。そんなに古くはない、
401系115系など近代化後の車両が普通だったから、造りは古かったんだね。
件の10系ハザは常磐線旧客には入った事なかったんじゃないかね? 多分北千住柏間の爆走に
耐えられず空中分解するからだと思われる。 常磐の水ミトや北オクにはナハ・ナハフって配置されてないんじゃない?
実際乗ったことあって記録したのは福フチと鹿ヤコだったが。
ギリギリ小学生で間に合ったオロ11の高千穂は鹿カコだったのかな。
当時車番メモまで気が回らなかった。 >>520
1967年当時東オクにはナハ10が4両、ナハ11が22両、ナハフ11が6両が在籍 >>521
ありがとう、その時代なら配置あったんだね。特急大増発43-10前なんだな・・
昭和50年代には残ってたのかなぁ。 急行運用が減ったローカル時代には
北陸以西に集中しているように思う。 >>512
横川にある、ながさきに使ってたオハネ1229は綺麗だったな。いまはどうなってるか知らないけど
山陰や北陸のナハナハフ11もいうほどボロくなかった。ボロいボロいって聞いてたから乗りにいったけど
10系のあとに近代化やったスハフ42やオハ46なんかの方が長持ちしたって話だと思うけど
大袈裟なお話があるから、まぁそれまでと比べたらダメではあったんだろう
いまでいう209みたいなもんだな >>491
東京広島間の急行安芸は?
オロネ10が2両連結されてて何気に豪華 碓氷峠なんか補機で押し過ぎたら潰れるし、
押す力が足らなかったら二つに裂けるしで
すごく神経使ったろう。ボディの脆さは
同年代のボーイング707に通じるものがある。
モノコックボディが完成するのは20系まで待たなければならなかった。
車齢10年過ぎたらいよいよやばくなって来て長編性中心碓氷峠越えありの尾久客車区からは転属させたんだろうね。
しかし近代化途上の10系客車とか、電車で全金属のクハ79とか独特の味わいがあるよね。 また適当なことを。車体の強度は12系と変わらないし、20系も10系もセミモノコックで
構造は変わらん
脆いとかいいたいならコメットとかだせばいいのに 妙高9,10号に連結されてた寝台車や郵便車の10系は最後まで北オクだったはずだけど コメット、コメット、、大場久美子の
コメットさんって知ってる?
客室与圧の先駆者デ・ハビランドコメットの
悲劇。機体見ると丸っこくて美しい、
神経質までに外力を吸収するべく出来た
張殻ボディ。しかし胴体内部からの断続的な
与圧圧力の対策は不十分だったんだね。
あの事故がなければ多分ボーイングの方が空中分解事故をしょっちゅう起こして今日のような
旅客機メーカーとして市場制圧する事は出来なかっただろう。 ボーイングは元々機体の構造の弱さを体質
的に持っていて、1966年のBOACの富士山上空での空中分解はダグラスのDC-8だったら大丈夫
だったのでは? と思われる。一番酷いのは
中華航空が日本にいつも飛ばしていたジャンボ機の3機のうちの一機で、引退まじかで離陸後
空中分解して旅客が皆海に放り出された。
機体のボロさは国鉄10系客車かボーイング
かってね。
因みにデ・ハビランドの血統のエアバスも主翼を左右一体で作るとか、今もボーイングとは
違う設計思想。 軽量化で耐久性が足りなかったと思うが、空中分解とか裂けるとかか強度が足りないことはないはずだぞ。 検査通すより早期廃車って言われたのはオロ11くらいでしょ
スロ54・62の方がS57まで長く使われた。
ナハ(フ)は末期に窓が硬く開きにくくなったりHゴム劣化で雨が染み出すとか
もともとの剛性から地方路線でギシギシ乗り心地がイマイチだったくらい。 10系客車の難点は剛性じゃなくて車体の耐候性と無駄に大きいばね定数故の乗り心地なんじゃね? >>528
内容までは覚えてないけど
コメットさんと大場久美子の名前は
記憶にある… 丁度あと3ヶ月で引退ってときか
なら仕方ないんでないかな。 どうしても劣化を認めたくない人がいるみたいだね。
末期でも劣化してたのならそれは劣化 末期のあけぼのや北斗星もぼろぼろに腐った車体を塗装で誤魔化している有様だったな。 >>534
オロネ10、ナロネ21より新しいか同時期なのにな。天の川や新星の20系は綺麗だったのに オロ11が早く消えたのはSG車ばっかりだったせいじゃなかったかなぁ、
スロ54だの62だのは電暖の2000番台が多かったからでは? 最末期59-2とか60-3前はもうメンテして無くて
福フチのナハ、ナハフで洗面所水でないとか
窓が固着して開かないとか酷かったが
53年・54年くらいまではそうでもなかったかな 洗面所の水が出なかったり、プシュプシュと出たり、窓が斜めになって、ちゃんと開かないとか、
10系に限らず末期旧客も同じ。 82.8.15 何してたかなあ?
中三で塾の夏期講習に行ってたか。
受験でオヤジが五月蝿いからこっそり写真
撮りに行ったり、現像したりしてたか。
成績が良ければ親の俺を見る目ももっと
暖かかっただろうし小遣いも多かっただろう。
そうしたら撮影機会ももっと多かったか?
しかしこっそりでも撮影に行って良かった
と思う。もし行ってなかったら10系寝台の
印象が俺の中に刻み込まれてはいない。
やりたい時にやっとくものだ。
11月14日写真撮りに行って帰って来る途中の
バスで国語の教師と乗り合わせて、余裕だなあ
と嫌味言われた。
結局3年の夏近くに勉強始めたし、試験勉強に
全身全霊打ち込んだわけでもなくて都立では
内申点が足りず偏差値60チョボチョボの私立高校
に入る事になったw 改行位置考えような
82.8.15 何してたかなあ?
中三で塾の夏期講習に行ってたか
受験でオヤジが五月蝿いからこっそり写真撮りに行ったり現像したりしてたか
成績が良ければ親の俺を見る目ももっと暖かかっただろうし小遣いも多かっただろう
そうしたら撮影機会ももっと多かったか?
しかしこっそりでも撮影に行って良かったと思う
もし行ってなかったら10系寝台の印象が俺の中に刻み込まれてはいない
やりたい時にやっとくものだ
11月14日写真撮りに行って帰って来る途中のバスで国語の教師と乗り合わせて余裕だなあと嫌味言われた
結局3年の夏近くに勉強始めたし
試験勉強に全身全霊打ち込んだわけでもなくて都立では内申点が足りず偏差値60チョボチョボの私立高校に入る事になったw >>539
博多開業で行き場なくなったからね。北海道くらいか。北海道は二重窓いるし
電暖改造するにも東北上越は新幹線がもっと早いうちに開業予定だったし
開業が伸びるのわかってたならやってたかもしれんけど、スロ62とナロ10、スロ62の方が
新しいんだよな、車体以外 82年の夏は自分は中1だったが、女子中学生誘拐殺人事件があったせいで色々な遊びの約束をキャンセルさせられたつまらない夏。
唯一小学校の頃の友人と船の科学館のプールに行っただけ。
あとはきっつい塾の夏期講習に行かされた。 日本の気象条件もあるわな、高温多湿から雪まで
スイスのEWI-IIが元になってる10系より長生きがまだ居る 高温多湿な日本の気候に合わなかったかもな
砂漠地帯だったら長持ちしたはず どうだろ?
一日での寒暖の差が激しくて、
熱疲労で壊れてたりしてな。 特に1980年代に入ると国鉄は激動の
時代になるから生まれの1年2年の差が大きい。
545氏のように1982年中一ではまだ思うように
動けなかったろう。都心部の私立中にでも
通ってれば別だけど。
模型ネタにはなるが、グリーンマックスの
プラスチックのNゲージの板キットの10系客車
とか他旧型客車とか中村精密のスハフ32リベット付きとかよく作ってた。当時は完成品はまだなくて(多分)、模型で走らせたかったら自分で作るしかなかった。値段は550円だったかで手頃で、プラモデル同様に精密に再現された側板妻板がランナーについていて作る前からワクワクしたものだった。友達といかに上手く作れるか競うようにして作るのが楽しかった。もちろん所詮素人でサッシの銀入れとかそう上手くは
いかないしそもそもキットの寸法が大雑把で太いと言うのもあって後に出た完成品にはとても及ばない仕上がりだったが、家では作って楽しみ、休みの日はなんとかして実物の写真を撮りに行くということが出来る幸せな時代だった。 昔は板キットを組むしかなかったのに今や旧客夜行列車の編成が完成品のセットで揃う時代
しかも最近の製品はドア上の等級表示やサボまでもが正確に印刷されてる始末 急行日南の10系入ってるセットはフルで買ったよ。
C57 四次型に牽かせるとめちゃ美しい。 >>550
グリーンマックスのキット、つくったなあ。
塗分けが難しいから、どうしても客車になっちゃう。
旧国なら大糸線に居た形式。
老眼真っ盛りとなった今じゃとてもできない。 老眼になったら16番ゲージおすすめ。
今はプラ製で割と安いのもある。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org1740.jpg
このトラムウェイのオハ35戦後型とTOMIXナハ10を繋げて
KATOのDD51に牽かせると福知山線末期の特定ナンバー車が出来るんで
と思いながらまだインレタ貼ってない。機関車のウェザリングはしたけれど。 Nサイズの10系ならKATOが現状最高傑作だな
茶色がラインナップされてるマイクロエースも捨てがたいが 回客用だね。品川ー尾久間と大宮工場への回送車両の控車 あのナハフ11品川駅で見ると東京方に正面の妻?、が向いていたな、と思い出した。オハネフ25 0や100番台と同じ向き。すると帰りはどうなるのかなと思って寝られなくなっちゃった
と思ったら、裏面の妻にもテールライト付いてるのね。だからシナオクでは尻は窓付き、
オクシナでは尻は窓なし。 文化むらの車内に自由に入れた頃すら懐かしくなった
オハネ12に寝っ転がったり、ナハフ11も座ったもんだが
常時公開中止して10年位なるんだっけ 軽量客車は車体と台車こそ近代的な外観だが、AV式自動空気ブレーキや並型自動連結器、
車軸駆動式の発電機などは従来のものを踏襲したからな。それで運用上は旧型客車の一員として扱われた。 客車で110km/hを出すのは20系から
しかも、20系が110km/hでの営業運転を始めたのは1968年から
そもそも機関車が
100km/hに達したのがED72/EF70(1961)から
110km/hはEF65 500番台から 100q/hに達したのはC62
と言うのは屁理屈? 実際問題旧客と組成して走る列車は東北本線で90くらい
亜幹線じゃ80-85も出せば上等だったからね。DL牽引じゃ
ちょっと勾配あったら65キロくらいザラ。 >>564
EF65の0番台と500番台ってブレーキ管以外に何か違いある?
0番台は12系以降のCLブレーキ車を牽引しての110km/h走行は可能なのだろうか? 157 回想774列車 sage 2019/01/18(金) 18:30:45.83 ID:XHzoK1di
EF65一般型の85号機以降は確か110キロ運転可能で
一般型かぶった特急型なんだな。
20系でなく14系や24系けん引での条件だろうけど。
EF65は0番台から許容115km/h。4次車の85からは110km/h運転可能
EF66が故障したため、ブルトレをEF65ユーロ機が引っ張った事はある
EF65 113が臨時客車金星(14系座席)を110km/hで引っ張ったことはある 110キロ運転したら車軸発電機が高回転に耐えられず焼損しそうだな 訂正>>568
EF65 11「0」が臨時客車金星
4次車から
MT52→MT52A
CS26→CS26B
CS29→CS29A EF65、500番台が0番台の2、3次車相当なんだけど
一般形かぶった〜とかヲタらしい
>>569
EH1015のとき10系で120km/hやってるから。12系は車軸発電機で110km/h対応だしな 全くケツの青いバカが何かほざいているな
EF65 500番台が20系牽引時に110km/h運転を始めたのは1968.10から
それまでは20系牽引運転時でも95km/h運転
12系は1969年から
1968.10からの110km/h運転に備えて、P型の1次・2次車とも編成増圧装置と電磁自動空気ブレーキ用指令回路などを追加している
※F型は登場時から編成増圧装置(532〜534の3機を除く)と電磁自動空気ブレーキ用指令回路などを搭載している このボケ老人はWikiのコピペしてなにが言いたいのか >>572
細かく言うと、Fは高速貨車牽引時は単機増圧
47.3改正時に、518〜534を編成増圧に改造して20系牽引に対応
513〜517は単機増圧のまま
スレ違いなのでそろそろ、、、
もうすぐ10月6日
1971年(昭和46年)10月6日に、急行雲仙3号が火災事故を起こしている
燃えたのはナハ10ほか3両
犠牲者1名、合掌 >>572
> 全くケツの青いバカが何かほざいているな
何でこういう余計なこと書くんだろうな
喧嘩したいのか
マウント取りたいのか >>575
うそーん
513〜517は当初10000系貨車を110km/h運転する試験のため、編成増圧などの20系牽引機能で作られている
20系高速化試験も編成増圧の付いているこれで行われた
でも、10000系貨車の110km/h運転はいろいろ問題があって100km/h運転へ下げられたため、単機増圧でよくなった
しかし、昭和40年度第2次民有分518〜526(1966.2〜3新製配置)はもう作られていたため編成増圧などの20系牽引機能が付いたままで新製配置
昭和40年度第2次債務分532〜534(1966.8新製配置)は単機増圧だけの変更が製造中で間に合い、編成増圧などの20系牽引機能なしで新製配置
1966.10から貨物牽引専用となったため、編成増圧などの20系牽引機能は整備されなくなった
1968.10から東北上越へ回された時、ロット間の重連運転をするため、513〜517はCS25が改造されたものの重連運転は無理とされた
また、暖地仕様であったため故障多発
このためPF型が作られ、1969.11にそれで置換されて広島・下関へ移籍
1972.3の関西ブルトレ牽引機不足のためF型で牽引することになり、518〜526は20系牽引機能を再整備・532〜534は20系牽引機能を増設し、F型は編成増圧が全て付いた
ただ、山陽本線の線路容量不足と貨物牽引機不足により、95km/h化により関西ブルトレ牽引機はEF58P型で充分となったため、1972.10でF型のブルトレ定期牽引は終了 >>562
車内に入れた頃があったんですね
オハネ12の背もたれ兼用の中段を間近で見てみたかった 文化むら収蔵車の状態がここ3-4年かなり悪化してる。
こちら今月、左下はオハネの床下・・・
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3862.jpg
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3863.jpg
2006年、入り放題で寝台で寝れた頃
EF59-1などは2006年よりむしろ厚化粧とは言えピカピカなのだが
機関車は修繕予算も付いたりボランティア枠での保守もあるが
客車とキハ20はこのままだとあと数年で崩壊するなぁ。 初期は車内はもちろん便所も使い放題。
便所周囲の外側展示スペースがえらい事になったとか。 トイレ使えたのかw
という事はこれが
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3865.jpg
関東に越して初めて行った2003年にはもう使えなかったな。
あと雨の日は腐食対策で車内公開無しになってた。 >>579
近くに住んでたらボランティアでいくらでも修繕してあげるのになぁ >>579
11月のキハ359000のボランティア募集してたな >>581
垂れ流し管を撮影するとはなかなかのマニアだな。
自分が行った時は負圧発生装置が無かったから、軽量化の為の仕様かと思ってた。
あれじゃ逆流したんじゃないかと気になったが、既に朽ち落ちた後だったんだな… >>579
今日行ったらキハ35は補修されてるのか車両の周りに足組がされてた
機関車以外の客車やキハも補修してほしいね 一番原型を保って状態がいいのは津別のキャンプ場のやつかな?
以前は泊まれたけど今は閉鎖。撤去計画もあるらしい…
相生のスハフ42-500の利用料が無料でそちらばかり行っていたのが悔まれる。 10系に入り放題、間に合わなかった。残念。
関のナハネ20に何度も宿泊してたんじゃなかった ナハフ11なら、文化むらスタッフにイベント提案して 碓氷のクルマは頃合いを見てバッサリとトリアージされそう
10系はだめかもわからんね 機会見て交流財団の理事に進言してみるよ
見積もりは出してくれるからクラファン立ち上げもやぶさかじゃない