【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
長崎は長崎だろ。門サキ。末期は10系ハザ3両配置あるな 気動車客車編成表83によると、
4/1、1420レ、佐世保/長崎(大村線経由)→門司港行
ED+スハフ42*+スハ43*+ナハフ10+オハ46+オハ47+ナハフ11+オハネフ12+オユ10*+マニ35*
客車は*が門モシ、他が門サキ、ですね
ただし、同日下りは10系のハザなし、のようです
どちらかといえば、佐世保編成の方がすいていました
早岐で、佐世保編成は乗車のまま入れ換えのようなことをしていましたが、半分寝ていてはっきりと覚えていないです ハザって言葉勘違いしてない?
ハザはハの”座席指定車”って意味の部内用語
普通座席車って意味じゃないよ >>450
申し訳ございません
訂正いたします:10系の座席車なし、のようです 用語的にどっちも有りなんだよね。
特急や急行運用してる部署では自由がハザ、指定がハザシと分けて呼んでいた所もある。
ただし乗客案内もやる部署じゃハザ統一。理由は単純でマルスに表示する文字は指定車がハザ 寝台車で乗り心地がよかったのはやっぱりスハネ16だったの? 確かにTR47は軟かい揺れ、と言いたいんだけど
車体のきしみは同じだよ。両側にオハネやオハネフ付いたら
連結器緩衝器のガタは所詮10系だしな。 台車がしめる割合より車体剛性なんだよな・・・
TR23でスロ54がロを名乗れるのも車体が決め手で
定員乗車以上ならないからバネを普通車より柔らかいのに替えてる
オハニ36が10系の台車並なのにさほどガシャつかないのも車体の重さ そしたらクソ重い客車にTR47を履かせたNIOEは最強最良の乗り心地だったのかな? >>465
乗った人の話だと欧州で使われてる台車よりいいっていう意見もあったが
線路状態からトータルな揺れは西欧先進国のほうが良いわな。
あっちはコイルばねの客車が70年代で160-200キロ普通だから。
東欧に臨時乗り入れの時は酷い乗り心地という話も結構本で読んだ。
NIOEのTR47は重すぎる車体用にバネ強化だったな。
スロ53・54の反対のやり方。 車体重量だけ見たら209系とほぼ同じくらいの軽さだったとか凄すぎ
結局209系もそうだが短命に終わったな >>465
あれは車体も長いからな。機関車と控車以外はバッファだし。良かったんだろうね
でも欧州で客車に乗ると標準軌だからもっといいんだけど
あとTR47は軸距も長いんだよな。TR50から短くしたからそれもあるけど、10系ハザはやっぱり
軽すぎなんだよね。積車にバネを合わせると空車で酷いことになる。20系はエアサスだから
それを吸収できるんだけど。軽バンみたいなもんだな
10系ハネやスロ62でTR50系列が問題ないのはそういうこと 子供の頃の本じゃ、
欧州風新型客車、軽量、スマート、カッコいい
って存在だったのに、実態はこうとはなあ。 宇奈月のトロッコ列車?が連環連結&バッファだったな。 >軽バンみたいなもんだな
もの凄くわかりやすい例えでスッと腑に落ちた
ありがとう 欧州の軽量客車初期のスイスEHWのI/IIも
他国の客車より乗り心地は劣ってたよ。
線路状態が良いからマトモだっただけ。 ナハネ11は重量厳しくて電暖つけられなかったって話だが
同じ理由で電暖付けるとヤバいと言われたオハネ17が
冷房化でスハネ16になった後はTR47のまま電暖化になった。
(つまり冷房+電暖で2ランクも重くならない)
ということはオハネ12なら電暖付ける余裕あったんじゃ? それの長編成で牽引出来る機関車が有るかと言う問題は オハネ12に電暖非装備って単に牽引定数問題だけでしょ。
実重量より計算上の数値で先に編成決めなきゃいけない。
輸送力逼迫時代は見かけの数字だけでも少なく見積もって
編成長くする必要があったからね。 オハネ17 冷房なし
ノーマル 電暖なし・だいたいTR23→TR47 自重33.7t
電暖付き 電暖あり・TR23 自重32.2t
スハネ16 冷房あり
電暖なし 電暖なし・TR47 自重35.85t
電暖付き 電暖あり・TR47 自重37.9t オハネフ12と勘違いじゃね
ややこしすぎなんだよね
オハネ12の電暖無しが車重って始めて聞いた。ウィキか
ナハネフ10とナハネ11に車重の差ある?
ナハネフ10にしたときに同時に電暖も付けたりしてるから、わざわざナハネ11を電暖つけるためだけに捻出せずにオハネ17の新製時に電暖載っけたのかと
足りない分は台車が面倒だけど等級かわらないオハネ17の方を改造した方が良かっただろうし >>480
俺もそうだと思う。ナハネフ10は定員揃えで、冷房載せてオハネフ12になるなら
電暖載ってても良いって事でしょう。 オハネ17も台車換えて換算変わるなら
載せてしまえもわかる。
換算3.5〜4.5の差はでかいからね。編成組めるかどうかの騒ぎになる。 そういえば、オハ46が電暖でスハ43に戻った話は聞かないな。 ギリギリ収まってたのかな、オ級で。
スハ42→軽量化オハ36→電暖付けたらスハ40と
オーバーしたやつはちゃんと申告してるようだし 新潟の守門村の山奥にいまだに10系寝台車があるんだね
泊まれるのかな? >>487
マジで?
管理者いないんだ?
朽ち果てていくだけ? オハネフ12は緩急車だからか
最初期の軽量車体だったのに最末期まで持った(持たせた?)よね
妻面にシルがあったし車体だけならスハネ16の方がしっかりしていたろうに 車体補強工事は特にやらなかったな
重くなって折角の軽量構造がスポイルされてしまいそうだが 全てが10系客車という編成の列車ってあったのかなかったのか
意図してそう編成は列車はなさそうだが、車両のやり繰りの都合で偶然そうなったってのはありそう 北斗、北星、新星はそうだよな
銀河とか彗星もありそうだけど んーでも
寝台車、グリーン車、食堂車、普通車が全て10系で揃った列車ないだろw 荷物車以外なら高千穂&霧島が10系ばっかりかつオシ17連結
1968.10〜1972.3
1971.10〜1972.3は全て10系
オユ11 (下りは東京→熊本。上りは鳥栖→東京) 南東郵2 ↓
ナハフ11
オロ11
オシ17
ナハ11 「霧島」
ナハ11
ナハ11
ナハフ11 ↑
ナハフ11 ↓
オロ11
ナハ11 「高千穂」
ナハ11
ナハ11
ナハフ11 ↑
オシは繋がっていないけど、10系寝台車がつながっているマニ以外全て10系は日南下り3号・上り1号(1972.3〜1974.4) >>497
10系に乗ったことが無い身としては、一度は乗りたかった編成ですね… >>499
いやあ、貴重な写真ですな。
車体が反ったりしているのがよくわかる点でも貴重かも。 >>491
S30年代後半からの「観光団体専用列車」
ナハネフ11・オハネ17 600番台のみの列車
その流れを汲む季節「十和田」
オール10系寝台車による12両編成
偶然そうなった例としては
名古屋−紀勢本線−天王寺の夜行普通
名古屋駅での実見になるが、4両全てナハ10・ナハフ10だったことがあった
>>495
47.3〜50.3の銀河・紀伊併結列車はオール10系だった記憶 >>497
オシをオロの隣に持ってくる理由は分かるとしても
高千穂の乗客がオシに行くのが大変ね(^_^;
>>499
すごいです
The 寝台急行 塩害ってすごいんだね
海底駅があったころ見学したけど湿気もすごかったし
地上区間も延々海沿いだもんね
それに酷寒が加わったらそりゃもうね >>503
それからすると、青15号は、汚れが目立たない優れた色であったと・・・ なるほど、逆に捉えたらたしかにそうだ
目から鱗だわ。
青15号登場時は蒸機も現役だったし、従来のぶどう色より明るい色、かつ汚れの目立たぬ色
さすが先人方、よく考えられてたんだな。 >>497
当時の客車編成で両端に緩急車って珍しいなと思ったが、
途中駅で付属編成を切り落としではなく分割・併合だから両端に緩急車が必要ってことか
どちらも基本的な編成内容は全く同じにしておいて、
「高千穂」か「霧島」か使う目的によって片方だけに食堂車を入れれば良い様にしているんだな >>507
しかし終点西鹿児島では編成がお互い向きが逆という、
鹿児島持ちだったから、区では両方が逆向きで並んでいたんだろうな
グリーン車のデッキの向きはどうだったんだろ?
(基本的に東海道ではグリーン車のデッキは下り方) 耐候性高張力鋼板が実用化されてればもうちょい長持ちしたのに
採用第1号が新幹線0系だったっけ? >>503 同じ事考えたね。
北斗星も2003年頃既に同じような状態だった。
いや、もうちょっとましだったかな。
で何だかデジャブ感があったので考えて見たら
その上野駅で昭和57年に見た末期の
10系寝台車が同じような感じだった。 ここまでひどくなかったよ、上野口の10系。外板はベコベコで雨だれで汚れてたけど
ちゃんと洗ってた。錆も浮いてたけど、こんな大きく剥がれたのは見た覚えがない
富士はやぶさはこんな車両あってビックリした覚えがある。北斗星はそんなことなかったような
はまなすのは洗ってないでしょ。ディーゼルの油煙と青函トンネルていう条件もあるし
なにより古い >>511
上野口は見ていないので分からないが、「はやたま」「山陰」「ながさき」オハネフ、福知山区ナハの外販は荒れていなかった。
温暖地と寒冷地との違いがあるかもしれない。
しかし、温暖な、末期の九州ブルトレや「銀河」も外販が錆びて剥離していた覚えがある。
「はまなす」だけでなく、北海道全般の車両が窓の汚れが目立ち、茶色っぽくなっていて、
自動洗浄装置がないのか、洗浄する期間が開いていたのかと思った。
14・24系の外販の腐食は、車掌室横など目立った気がする。 1 1982 10系 越前? 車齢 22
2 2003 24系 北斗星 車齢 28
3 2015 14系 はまなす 24系 北斗星 車齢 40
番外 テヘッ
4 1984年 東武鉄道 ボロ電 7860系 車齢 23
5 1982年 常磐線 オハ35 車齢 32
6 2021年 185系 車齢 40 >>513
5 1982年 常磐線 オハ35 車齢 32
これは、更新したのが1950年?
オハ46? >>514
オハ35戦後型は1948年までだな。スハ42は1950年まで作られてる。
>>513の計算合わないと思わしきところがあるが
越前がオハネフ12だとしたらナハネ10としての製造は1956年
オロネ10なら1959年。 513 ごめん、プラマイ3年位の平均でこんな感じかなって感じで正確さに欠けたは。
常磐線旧客は顔がスハフ42で結構作りが良くて
乗り心地も良かったイメージ。全体に新しめだけど中には内装木目ニス塗りのが探すと混じってた。多くは座席はグレー?で塗りつぶされてて外観からすると明るい室内。初めて見て強烈に印象が残ってるのは昭和51年上野20番線、
583系みちのくのあとの平行きだったかな。
スハフ42最終が昭和29年みたいだから、
まだ車齢20年ちょっと。そんなに古くはない、
401系115系など近代化後の車両が普通だったから、造りは古かったんだね。
件の10系ハザは常磐線旧客には入った事なかったんじゃないかね? 多分北千住柏間の爆走に
耐えられず空中分解するからだと思われる。 常磐の水ミトや北オクにはナハ・ナハフって配置されてないんじゃない?
実際乗ったことあって記録したのは福フチと鹿ヤコだったが。
ギリギリ小学生で間に合ったオロ11の高千穂は鹿カコだったのかな。
当時車番メモまで気が回らなかった。 >>520
1967年当時東オクにはナハ10が4両、ナハ11が22両、ナハフ11が6両が在籍 >>521
ありがとう、その時代なら配置あったんだね。特急大増発43-10前なんだな・・
昭和50年代には残ってたのかなぁ。 急行運用が減ったローカル時代には
北陸以西に集中しているように思う。 >>512
横川にある、ながさきに使ってたオハネ1229は綺麗だったな。いまはどうなってるか知らないけど
山陰や北陸のナハナハフ11もいうほどボロくなかった。ボロいボロいって聞いてたから乗りにいったけど
10系のあとに近代化やったスハフ42やオハ46なんかの方が長持ちしたって話だと思うけど
大袈裟なお話があるから、まぁそれまでと比べたらダメではあったんだろう
いまでいう209みたいなもんだな >>491
東京広島間の急行安芸は?
オロネ10が2両連結されてて何気に豪華 碓氷峠なんか補機で押し過ぎたら潰れるし、
押す力が足らなかったら二つに裂けるしで
すごく神経使ったろう。ボディの脆さは
同年代のボーイング707に通じるものがある。
モノコックボディが完成するのは20系まで待たなければならなかった。
車齢10年過ぎたらいよいよやばくなって来て長編性中心碓氷峠越えありの尾久客車区からは転属させたんだろうね。
しかし近代化途上の10系客車とか、電車で全金属のクハ79とか独特の味わいがあるよね。 また適当なことを。車体の強度は12系と変わらないし、20系も10系もセミモノコックで
構造は変わらん
脆いとかいいたいならコメットとかだせばいいのに 妙高9,10号に連結されてた寝台車や郵便車の10系は最後まで北オクだったはずだけど コメット、コメット、、大場久美子の
コメットさんって知ってる?
客室与圧の先駆者デ・ハビランドコメットの
悲劇。機体見ると丸っこくて美しい、
神経質までに外力を吸収するべく出来た
張殻ボディ。しかし胴体内部からの断続的な
与圧圧力の対策は不十分だったんだね。
あの事故がなければ多分ボーイングの方が空中分解事故をしょっちゅう起こして今日のような
旅客機メーカーとして市場制圧する事は出来なかっただろう。 ボーイングは元々機体の構造の弱さを体質
的に持っていて、1966年のBOACの富士山上空での空中分解はダグラスのDC-8だったら大丈夫
だったのでは? と思われる。一番酷いのは
中華航空が日本にいつも飛ばしていたジャンボ機の3機のうちの一機で、引退まじかで離陸後
空中分解して旅客が皆海に放り出された。
機体のボロさは国鉄10系客車かボーイング
かってね。
因みにデ・ハビランドの血統のエアバスも主翼を左右一体で作るとか、今もボーイングとは
違う設計思想。 軽量化で耐久性が足りなかったと思うが、空中分解とか裂けるとかか強度が足りないことはないはずだぞ。 検査通すより早期廃車って言われたのはオロ11くらいでしょ
スロ54・62の方がS57まで長く使われた。
ナハ(フ)は末期に窓が硬く開きにくくなったりHゴム劣化で雨が染み出すとか
もともとの剛性から地方路線でギシギシ乗り心地がイマイチだったくらい。 10系客車の難点は剛性じゃなくて車体の耐候性と無駄に大きいばね定数故の乗り心地なんじゃね? >>528
内容までは覚えてないけど
コメットさんと大場久美子の名前は
記憶にある… 丁度あと3ヶ月で引退ってときか
なら仕方ないんでないかな。 どうしても劣化を認めたくない人がいるみたいだね。
末期でも劣化してたのならそれは劣化 末期のあけぼのや北斗星もぼろぼろに腐った車体を塗装で誤魔化している有様だったな。 >>534
オロネ10、ナロネ21より新しいか同時期なのにな。天の川や新星の20系は綺麗だったのに オロ11が早く消えたのはSG車ばっかりだったせいじゃなかったかなぁ、
スロ54だの62だのは電暖の2000番台が多かったからでは? 最末期59-2とか60-3前はもうメンテして無くて
福フチのナハ、ナハフで洗面所水でないとか
窓が固着して開かないとか酷かったが
53年・54年くらいまではそうでもなかったかな 洗面所の水が出なかったり、プシュプシュと出たり、窓が斜めになって、ちゃんと開かないとか、
10系に限らず末期旧客も同じ。 82.8.15 何してたかなあ?
中三で塾の夏期講習に行ってたか。
受験でオヤジが五月蝿いからこっそり写真
撮りに行ったり、現像したりしてたか。
成績が良ければ親の俺を見る目ももっと
暖かかっただろうし小遣いも多かっただろう。
そうしたら撮影機会ももっと多かったか?
しかしこっそりでも撮影に行って良かった
と思う。もし行ってなかったら10系寝台の
印象が俺の中に刻み込まれてはいない。
やりたい時にやっとくものだ。
11月14日写真撮りに行って帰って来る途中の
バスで国語の教師と乗り合わせて、余裕だなあ
と嫌味言われた。
結局3年の夏近くに勉強始めたし、試験勉強に
全身全霊打ち込んだわけでもなくて都立では
内申点が足りず偏差値60チョボチョボの私立高校
に入る事になったw 改行位置考えような
82.8.15 何してたかなあ?
中三で塾の夏期講習に行ってたか
受験でオヤジが五月蝿いからこっそり写真撮りに行ったり現像したりしてたか
成績が良ければ親の俺を見る目ももっと暖かかっただろうし小遣いも多かっただろう
そうしたら撮影機会ももっと多かったか?
しかしこっそりでも撮影に行って良かったと思う
もし行ってなかったら10系寝台の印象が俺の中に刻み込まれてはいない
やりたい時にやっとくものだ
11月14日写真撮りに行って帰って来る途中のバスで国語の教師と乗り合わせて余裕だなあと嫌味言われた
結局3年の夏近くに勉強始めたし
試験勉強に全身全霊打ち込んだわけでもなくて都立では内申点が足りず偏差値60チョボチョボの私立高校に入る事になったw >>539
博多開業で行き場なくなったからね。北海道くらいか。北海道は二重窓いるし
電暖改造するにも東北上越は新幹線がもっと早いうちに開業予定だったし
開業が伸びるのわかってたならやってたかもしれんけど、スロ62とナロ10、スロ62の方が
新しいんだよな、車体以外 82年の夏は自分は中1だったが、女子中学生誘拐殺人事件があったせいで色々な遊びの約束をキャンセルさせられたつまらない夏。
唯一小学校の頃の友人と船の科学館のプールに行っただけ。
あとはきっつい塾の夏期講習に行かされた。