【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
南シナにいた、オハネシユニ17 2901〜2919が、あまり有効に使われなかったのは残念だなあ。
観光団体専用列車でデビューしたけど、ビュフェが狭かったのが災いして、
隣の荷物室を解放したこともあった。
その煽りで、郵袋を途中で仕立てた臨時列車に積み替えて、郵便室に荷物を積んで、荷物室でビュフェ営業だなんてこともあったなあ。
後に3両が北海道用に、オロハネシユニ10 500番台に改造されて、名寄本線や標津線などの夜行で走って、
昭和53,10で引退するかと思いきや、SLやまぐち号の展望車に抜擢され改造。
スイシユニテ11として、現在も活躍しているのは、皆さんもご存知の通りである。 オハネシユニ
オロハネシユニ
スイシユニテ
なんです?それ。 「やまぐち号」で活躍したスイシユニテ11だが、寄る年波には勝てず、
謝礼も63年。下降窓からの雨水の浸水がひどく、側板の腐食がひどく、
経年劣化でとうとう3月改正で引退となる曹達。
しかし、新山口での事業用車に転用されると、関係筋から聞いている。
スヤ12と大人しい車番になるかと思いきや、なんと、カヤテ13になるらしい。 軽量化や構造の簡素化が仇になって老朽化が予想外の速さで進行したと、いかにも構造的欠陥が原因のように言われるが
そもそも劣化の要因は、保守をしっかりやってこなかった現場の問題じゃねえのか >>432
10系の場合はアルミサッシとサッシ取り付け部のノウハウが蓄積していない時の設計・製造ゆえに、
そのツケが経年劣化で明白に出てしまった
あと、10系ハネの通路側窓をサービス優先のために落とし窓を採用
しかし、巻き上げられた粉塵砂草落ち葉が入り込むのは想定しておらず、それらで水抜き穴・管が詰まって本来はそこまで達しないところまで水が溜まって他へ漏れ大腐食 阪急の下降窓は支障なかったところをみると、保守力の差ではないのか? 阪急なんか重戦車並みの重量だからできること
極度に軽量化した10系客車とは全く違う
53.10
向日町581・583系 九州3運用・北陸3運用→九州3運用・北陸1運用
うち必要なのは秋田20系4運用を置き換える分
↓
向日町24(25) 明星4運用
↓
青森24(24) 日本海2運用
尾久14(14) 北陸2運用(青森へ移管)
↓
尾久14(14)のゆうづる2運用を青森へ移管し、
尾久14(14) 合計4運用を秋田へ移動
↓
秋田20 あけぼの4運用減
津軽・おがの寝台を20系に集約移転し、2運用
鳥海(天の川へ寝台客集約)
能登 20系化2運用
10系は北海道と普通併結のみに
>>435
> 阪急なんか重戦車並みの重量だからできること
阪急1010系はもちろん2000系以降は超軽量級鋼製車体でっせ ナハネ10 自重27.7〜28.2t
阪急1010系のT車自重は? 阪急5000系附随車の自重が32t。クーラーの重量も入れてだろうが。なお電動車は37.2t。1010系附随車もこれ位か? 最近の軽量ステンレス車並みの重量だな
蒸気機関車牽引列車が多くあって牽引定数を少しでも減らした結果ともいえる >>438
阪急形式図集より引用 要目は新製時の非冷房時代
2000系トレーラー
片連結電気制御客車
形式称号2050 車番2050、2052、2054、2056、2058、2060 自重26.1トン
両連結電気付随客車
形式称号2050 車番2051、2057 自重25.9トン
1010系トレーラーで最も軽いのは汽車エコノミカル台車を履いた
両連結電気付随客車 車番1056 自重23.5トン 試作ナハ10が23.01t
10系は高砂やらの中の人のお話が先行してるからな。下降窓も157や急行サロで大袈裟に
伝わってる。157も10系ハネもカネかけて保守しても使い道ないから早期廃車になっただけで
最後まで残った10系ハネは1956年製を1986年まで使ってるし、ハザは控車とはいえ
1958年製を1995年まで使ってる。42系の方が長生き〜ってのは体質改善入ってるしな
まぁ腐って保守が面倒だったってのは事実で、開放ドアの客車は減少傾向だったから
カネかけられずに廃車が進んだのも事実だろうけど
保守の差というより使い道とカネのかけ方なんだろ 夜行長崎に蒸気暖房の時期に乗るときは(というか行ったのは冬か春先ばかり)
・なるべく機関車に近い前寄り
・10系は避ける(隙間風で寒い)、結構当たっていた記憶
・車両中央寄りが良い
・ただし効きが悪い車両もあるから注意
こんな感じでした Youtubeにて10年くらい前のインドの寝台車
の動画見て、最近のロシアのピカピカ綺麗な
寝台車と比較して、レール方向と枕木方向に
寝台が配置、3段寝台でお客がぎっしり、
動画では古くて汚い客車というニュアンスで
紹介。コロナの今って事もありこれはイヤだな
と感じる。そこでふと、これって昔の10系寝台
だよな、オレらは昭和57年上野でのこういうのを懐かしがって、模型も手に入れようとするのかな、と考え、気づかぬうちに自分はカタギの感覚になってたんだなと思った。 インドの寝台車は連結器を含まない車体サイズがL21337×W3250×H4250(mm) 客室床高さ1313mm
ナハネ10がL20000×W2950×H4090(mm) 客室床高さ1198mm
通路側寝台付全3段(インド)が 1810*635(mm) 8区画(通路側も含めた1区画9寝台)、乗降口2、トイレ4、トイレとは別の洗面台2、車掌補の寝台はあるけど乗降口上部(車掌補室なし)
ナハネ10の寝台が 1900*520(mm) 9区画(通路側も含めた1区画6寝台)、乗降口1、トイレ2、トイレとは別の洗面台2、車掌補室あり >>442
昭和53〜58年頃よく「ながさき」に乗っていたが、ナハ10系には当たらかった。
スハ43系ばかりだった。
ながさきはどこの配置だったか。門モコ?付属は門ハイ? 長崎は長崎だろ。門サキ。末期は10系ハザ3両配置あるな 気動車客車編成表83によると、
4/1、1420レ、佐世保/長崎(大村線経由)→門司港行
ED+スハフ42*+スハ43*+ナハフ10+オハ46+オハ47+ナハフ11+オハネフ12+オユ10*+マニ35*
客車は*が門モシ、他が門サキ、ですね
ただし、同日下りは10系のハザなし、のようです
どちらかといえば、佐世保編成の方がすいていました
早岐で、佐世保編成は乗車のまま入れ換えのようなことをしていましたが、半分寝ていてはっきりと覚えていないです ハザって言葉勘違いしてない?
ハザはハの”座席指定車”って意味の部内用語
普通座席車って意味じゃないよ >>450
申し訳ございません
訂正いたします:10系の座席車なし、のようです 用語的にどっちも有りなんだよね。
特急や急行運用してる部署では自由がハザ、指定がハザシと分けて呼んでいた所もある。
ただし乗客案内もやる部署じゃハザ統一。理由は単純でマルスに表示する文字は指定車がハザ 寝台車で乗り心地がよかったのはやっぱりスハネ16だったの? 確かにTR47は軟かい揺れ、と言いたいんだけど
車体のきしみは同じだよ。両側にオハネやオハネフ付いたら
連結器緩衝器のガタは所詮10系だしな。 台車がしめる割合より車体剛性なんだよな・・・
TR23でスロ54がロを名乗れるのも車体が決め手で
定員乗車以上ならないからバネを普通車より柔らかいのに替えてる
オハニ36が10系の台車並なのにさほどガシャつかないのも車体の重さ そしたらクソ重い客車にTR47を履かせたNIOEは最強最良の乗り心地だったのかな? >>465
乗った人の話だと欧州で使われてる台車よりいいっていう意見もあったが
線路状態からトータルな揺れは西欧先進国のほうが良いわな。
あっちはコイルばねの客車が70年代で160-200キロ普通だから。
東欧に臨時乗り入れの時は酷い乗り心地という話も結構本で読んだ。
NIOEのTR47は重すぎる車体用にバネ強化だったな。
スロ53・54の反対のやり方。 車体重量だけ見たら209系とほぼ同じくらいの軽さだったとか凄すぎ
結局209系もそうだが短命に終わったな >>465
あれは車体も長いからな。機関車と控車以外はバッファだし。良かったんだろうね
でも欧州で客車に乗ると標準軌だからもっといいんだけど
あとTR47は軸距も長いんだよな。TR50から短くしたからそれもあるけど、10系ハザはやっぱり
軽すぎなんだよね。積車にバネを合わせると空車で酷いことになる。20系はエアサスだから
それを吸収できるんだけど。軽バンみたいなもんだな
10系ハネやスロ62でTR50系列が問題ないのはそういうこと 子供の頃の本じゃ、
欧州風新型客車、軽量、スマート、カッコいい
って存在だったのに、実態はこうとはなあ。 宇奈月のトロッコ列車?が連環連結&バッファだったな。 >軽バンみたいなもんだな
もの凄くわかりやすい例えでスッと腑に落ちた
ありがとう 欧州の軽量客車初期のスイスEHWのI/IIも
他国の客車より乗り心地は劣ってたよ。
線路状態が良いからマトモだっただけ。 ナハネ11は重量厳しくて電暖つけられなかったって話だが
同じ理由で電暖付けるとヤバいと言われたオハネ17が
冷房化でスハネ16になった後はTR47のまま電暖化になった。
(つまり冷房+電暖で2ランクも重くならない)
ということはオハネ12なら電暖付ける余裕あったんじゃ? それの長編成で牽引出来る機関車が有るかと言う問題は オハネ12に電暖非装備って単に牽引定数問題だけでしょ。
実重量より計算上の数値で先に編成決めなきゃいけない。
輸送力逼迫時代は見かけの数字だけでも少なく見積もって
編成長くする必要があったからね。 オハネ17 冷房なし
ノーマル 電暖なし・だいたいTR23→TR47 自重33.7t
電暖付き 電暖あり・TR23 自重32.2t
スハネ16 冷房あり
電暖なし 電暖なし・TR47 自重35.85t
電暖付き 電暖あり・TR47 自重37.9t オハネフ12と勘違いじゃね
ややこしすぎなんだよね
オハネ12の電暖無しが車重って始めて聞いた。ウィキか
ナハネフ10とナハネ11に車重の差ある?
ナハネフ10にしたときに同時に電暖も付けたりしてるから、わざわざナハネ11を電暖つけるためだけに捻出せずにオハネ17の新製時に電暖載っけたのかと
足りない分は台車が面倒だけど等級かわらないオハネ17の方を改造した方が良かっただろうし >>480
俺もそうだと思う。ナハネフ10は定員揃えで、冷房載せてオハネフ12になるなら
電暖載ってても良いって事でしょう。 オハネ17も台車換えて換算変わるなら
載せてしまえもわかる。
換算3.5〜4.5の差はでかいからね。編成組めるかどうかの騒ぎになる。 そういえば、オハ46が電暖でスハ43に戻った話は聞かないな。 ギリギリ収まってたのかな、オ級で。
スハ42→軽量化オハ36→電暖付けたらスハ40と
オーバーしたやつはちゃんと申告してるようだし 新潟の守門村の山奥にいまだに10系寝台車があるんだね
泊まれるのかな? >>487
マジで?
管理者いないんだ?
朽ち果てていくだけ? オハネフ12は緩急車だからか
最初期の軽量車体だったのに最末期まで持った(持たせた?)よね
妻面にシルがあったし車体だけならスハネ16の方がしっかりしていたろうに 車体補強工事は特にやらなかったな
重くなって折角の軽量構造がスポイルされてしまいそうだが 全てが10系客車という編成の列車ってあったのかなかったのか
意図してそう編成は列車はなさそうだが、車両のやり繰りの都合で偶然そうなったってのはありそう 北斗、北星、新星はそうだよな
銀河とか彗星もありそうだけど んーでも
寝台車、グリーン車、食堂車、普通車が全て10系で揃った列車ないだろw 荷物車以外なら高千穂&霧島が10系ばっかりかつオシ17連結
1968.10〜1972.3
1971.10〜1972.3は全て10系
オユ11 (下りは東京→熊本。上りは鳥栖→東京) 南東郵2 ↓
ナハフ11
オロ11
オシ17
ナハ11 「霧島」
ナハ11
ナハ11
ナハフ11 ↑
ナハフ11 ↓
オロ11
ナハ11 「高千穂」
ナハ11
ナハ11
ナハフ11 ↑
オシは繋がっていないけど、10系寝台車がつながっているマニ以外全て10系は日南下り3号・上り1号(1972.3〜1974.4) >>497
10系に乗ったことが無い身としては、一度は乗りたかった編成ですね… >>499
いやあ、貴重な写真ですな。
車体が反ったりしているのがよくわかる点でも貴重かも。 >>491
S30年代後半からの「観光団体専用列車」
ナハネフ11・オハネ17 600番台のみの列車
その流れを汲む季節「十和田」
オール10系寝台車による12両編成
偶然そうなった例としては
名古屋−紀勢本線−天王寺の夜行普通
名古屋駅での実見になるが、4両全てナハ10・ナハフ10だったことがあった
>>495
47.3〜50.3の銀河・紀伊併結列車はオール10系だった記憶 >>497
オシをオロの隣に持ってくる理由は分かるとしても
高千穂の乗客がオシに行くのが大変ね(^_^;
>>499
すごいです
The 寝台急行 塩害ってすごいんだね
海底駅があったころ見学したけど湿気もすごかったし
地上区間も延々海沿いだもんね
それに酷寒が加わったらそりゃもうね >>503
それからすると、青15号は、汚れが目立たない優れた色であったと・・・ なるほど、逆に捉えたらたしかにそうだ
目から鱗だわ。
青15号登場時は蒸機も現役だったし、従来のぶどう色より明るい色、かつ汚れの目立たぬ色
さすが先人方、よく考えられてたんだな。 >>497
当時の客車編成で両端に緩急車って珍しいなと思ったが、
途中駅で付属編成を切り落としではなく分割・併合だから両端に緩急車が必要ってことか
どちらも基本的な編成内容は全く同じにしておいて、
「高千穂」か「霧島」か使う目的によって片方だけに食堂車を入れれば良い様にしているんだな >>507
しかし終点西鹿児島では編成がお互い向きが逆という、
鹿児島持ちだったから、区では両方が逆向きで並んでいたんだろうな
グリーン車のデッキの向きはどうだったんだろ?
(基本的に東海道ではグリーン車のデッキは下り方) 耐候性高張力鋼板が実用化されてればもうちょい長持ちしたのに
採用第1号が新幹線0系だったっけ? >>503 同じ事考えたね。
北斗星も2003年頃既に同じような状態だった。
いや、もうちょっとましだったかな。
で何だかデジャブ感があったので考えて見たら
その上野駅で昭和57年に見た末期の
10系寝台車が同じような感じだった。 ここまでひどくなかったよ、上野口の10系。外板はベコベコで雨だれで汚れてたけど
ちゃんと洗ってた。錆も浮いてたけど、こんな大きく剥がれたのは見た覚えがない
富士はやぶさはこんな車両あってビックリした覚えがある。北斗星はそんなことなかったような
はまなすのは洗ってないでしょ。ディーゼルの油煙と青函トンネルていう条件もあるし
なにより古い >>511
上野口は見ていないので分からないが、「はやたま」「山陰」「ながさき」オハネフ、福知山区ナハの外販は荒れていなかった。
温暖地と寒冷地との違いがあるかもしれない。
しかし、温暖な、末期の九州ブルトレや「銀河」も外販が錆びて剥離していた覚えがある。
「はまなす」だけでなく、北海道全般の車両が窓の汚れが目立ち、茶色っぽくなっていて、
自動洗浄装置がないのか、洗浄する期間が開いていたのかと思った。
14・24系の外販の腐食は、車掌室横など目立った気がする。 1 1982 10系 越前? 車齢 22
2 2003 24系 北斗星 車齢 28
3 2015 14系 はまなす 24系 北斗星 車齢 40
番外 テヘッ
4 1984年 東武鉄道 ボロ電 7860系 車齢 23
5 1982年 常磐線 オハ35 車齢 32
6 2021年 185系 車齢 40 >>513
5 1982年 常磐線 オハ35 車齢 32
これは、更新したのが1950年?
オハ46? >>514
オハ35戦後型は1948年までだな。スハ42は1950年まで作られてる。
>>513の計算合わないと思わしきところがあるが
越前がオハネフ12だとしたらナハネ10としての製造は1956年
オロネ10なら1959年。 513 ごめん、プラマイ3年位の平均でこんな感じかなって感じで正確さに欠けたは。
常磐線旧客は顔がスハフ42で結構作りが良くて
乗り心地も良かったイメージ。全体に新しめだけど中には内装木目ニス塗りのが探すと混じってた。多くは座席はグレー?で塗りつぶされてて外観からすると明るい室内。初めて見て強烈に印象が残ってるのは昭和51年上野20番線、
583系みちのくのあとの平行きだったかな。
スハフ42最終が昭和29年みたいだから、
まだ車齢20年ちょっと。そんなに古くはない、
401系115系など近代化後の車両が普通だったから、造りは古かったんだね。
件の10系ハザは常磐線旧客には入った事なかったんじゃないかね? 多分北千住柏間の爆走に
耐えられず空中分解するからだと思われる。 常磐の水ミトや北オクにはナハ・ナハフって配置されてないんじゃない?
実際乗ったことあって記録したのは福フチと鹿ヤコだったが。
ギリギリ小学生で間に合ったオロ11の高千穂は鹿カコだったのかな。
当時車番メモまで気が回らなかった。 >>520
1967年当時東オクにはナハ10が4両、ナハ11が22両、ナハフ11が6両が在籍 >>521
ありがとう、その時代なら配置あったんだね。特急大増発43-10前なんだな・・
昭和50年代には残ってたのかなぁ。 急行運用が減ったローカル時代には
北陸以西に集中しているように思う。 >>512
横川にある、ながさきに使ってたオハネ1229は綺麗だったな。いまはどうなってるか知らないけど
山陰や北陸のナハナハフ11もいうほどボロくなかった。ボロいボロいって聞いてたから乗りにいったけど
10系のあとに近代化やったスハフ42やオハ46なんかの方が長持ちしたって話だと思うけど
大袈裟なお話があるから、まぁそれまでと比べたらダメではあったんだろう
いまでいう209みたいなもんだな >>491
東京広島間の急行安芸は?
オロネ10が2両連結されてて何気に豪華