10系と20系は軽量客車初期ということもあり、窓構造が12系以後(以降じゃないよ)と異なる
この辺りは高砂工場に勤務していた人のブログを見ればよい

さらに10系は暖房装置の配線ミスと構造的欠陥で2度も車両火災を引き起こしている
しかも昭和46年〜昭和47年に集中して
1度目 急行雲仙のナハ10 昭和46年10月
2度目 急行きたぐに(北陸トンネル火災事件)のオシ17 昭和47年11月
なお、急行阿蘇の郵便車が昭和47年4月だけどこれはスユ43

これで抜本的な防火工事に多額の費用が必要な10系客車は可能な限り速やかに廃車することが求められ、
スハ32系やオハ35系(の1945年以前製)客車もほぼ寿命(40年程度)、
さらに赤字が多くなり、
スト権ストでの責任相殺が必要となったことから、
必要最小限度の要求を満たした迷車50系客車で置き換えられた