@FKI300
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今夜は・・・
国鉄分割民営化を前に職を失い、各操車場や機関区の片隅で留置されていた車両達を紹介。
多くの車両は国鉄清算事業団に引き継がれたものの、解体されてしまいました。
先ずは、竜華操車場に留置された10系寝台(山陰運用車)や遠く離れた松本電車区の低屋根クモヤ90を・・・
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@SEI_YASUMA
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10系寝台車はこの時期だともう車体がボロボロで、工場で検査か何かの都合で箱をクレーン吊りしようとしたら、
吊ったところからグシャグシャに崩れかけて慌てて吊るの止めたと聞いたことがあるなぁ。
水抜き穴を十分設けずに安易に下降窓採用したツケをそんな形で支払わさせられたと。

@SEI_YASUMA
下降窓使ったらそんな風に腐るのかというと、そうでもないのは阪急その他の鋼製下降窓車が示す通り。
もっとも、正雀の裏で検査入りしている6000とかがどんな手間をかけて補修されているかを知っていたら、
あの当時の国鉄ではこれは水抜き穴あっても扱いきれなかっただろうなぁ、とは思うのだけども。

@SEI_YASUMA
何しろ、下降窓ではない普通の10系座席車でさえ、それら寝台車に負けず劣らずの酷い傷み具合だったのだから。
山陽線夜行急行に連結されていた最末期のオロ11なんか、設計時点で想定されていなかった重い冷房機を
屋根上に搭載したこともあって、歪んで本当にひどい状態だったのを思い出す。

@SEI_YASUMA
昔訊いた話ではあのオロ11、車体の歪みによる変形で最後は側窓が開かなくなっていた由であった。
張殻構造の軽量車体で想定外の重い冷房機を屋根に搭載したら箱が屋根の下がる方向で変形するのは
東武1700・1710でも起きた現象で、そちらはオロ11よりも更に早い時期に淘汰=車体新造代替されている。

@SEI_YASUMA
もちろん、阪神3011→3561・3061形のように3扉化と側窓ユニット窓化の後、徹底的な補強を施した上で冷房化された車輛では
そうした問題は起きていないのだが、この世代の張殻構造軽量車体を持つ車輛では最後までこの車体強度問題が付きまとった。

@SEI_YASUMA
もう少し後の世代でも例えば阪急2800系は冷房化の後に無理な3扉化を行ったために車体の疲弊が同世代の2300系を
上回る速度で進んだと伝わっているし、他の会社でも適切とされる補強を施し冷房機やその補機を搭載すると
台車心皿荷重上限を超過することなどから冷房化を断念したケースが少なくない。

@SEI_YASUMA
この世代の軽量構造車体を持つ車輛の場合、台車でも極限まで軽量化を図って心皿荷重上限に余裕を持たせなかったケースが
多々あったから、それが祟った訳である。
それどころか、この世代では非冷房のままでも設計経験の不足から過荷重による台車枠亀裂→補強を繰り返したケースも少なくない。

@SEI_YASUMA
そもそも、国鉄でも151系電車のDT23形台車で軽量化を極限まで追求した結果、過酷な運用に耐えかねて亀裂を頻発、
結局準急・急行用で相応の余裕を持たせてあった153・157系用DT24形並の厚さの板材による台車枠に新製交換せざるを
得なかったのであるから、このあたりの経験不足は深刻であった。

@SEI_YASUMA
設計荷重の過小評価に起因する台車枠亀裂はその後重装備の581・583系寝台電車でも再度繰り返され、
こちらは単純な板厚増大では済まず軸箱支持方式の変更さえ検討される有様であった。
その様な状況故に、これら軽量車では補強による自重増大も大きな問題で、おいそれと冷房化できなかった。

@SEI_YASUMA
むしろ、下手に補強する位なら最初から冷房を積んだ車体を新設計して交換した方がむしろ軽く作れる程で、
実際名鉄5000・5200などは車体新造で5300系となり、全電動車方式かつ元の台車・主要機器のままで冷房化されている。
もっとも、そのままでは120q/h運転対応できず後年台車は新製交換されたが。