【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
ピクトリアルの別冊軽量客車特集を衝動買いしてしまった
オハネ12トイレ窓の謎と番号が特定できたけど
ナハ10試作車が近代化工事を受けた後のトイレ窓の形態までは分からなかった オロ11、オロネ10と同じ床下クーラーだったらよかったのに >>146
オロ11のデザインは時代先取りで良かったのにな。アレでステンだったら、今でも通用する。 >>147
それ、サロ211だろ。でたとき一番に思ったわ オールステンレス試験車があったらよかったのに
スキンステンレスは骨組みが腐食するので耐久性に欠ける >>148
サロ211の車体が残ってたら、オロ11っぽく改造して連結してほしいな サロ211集めて機関車でひけばいいのに、
と思ったことはある 機関車の連結器にアダプター付けて電車を甲種輸送するんだから、可能。 ナハフ11が1両だけ牽引された普通列車ってあったのかな。
小海線とかでありそうな感じがするが。 鉄道ピクトリアル(電気車研究会)?@tetsupic 1月27日
皆さんこんにちは 昨日、2月号別冊「国鉄形車両の記録 10系軽量客車」が発売となりました 鉄道友の会客車
気動車研究会執筆の、10系客車の誕生の経緯から消滅までのあゆみ、各形解説などの記事を収録した一冊です
定価2000円、ぜひお買い求め下さい
鉄道ピクトリアル(電気車研究会)?@tetsupic 2月14日
また、2月号別冊「国鉄形車両の記録 10系軽量客車」ですが、こちらも大変ご好評を頂きまして、異例の増刷を
させて頂きました 週末以降出荷可能となりますので、もし書店で品切れですと言われたお客様、書店に入荷が
なかったお客様は改めてご注文ください
鉄道ピクトリアル(電気車研究会)?@tetsupic 2月16日
皆さんこんにちは 品切れとなっておりましてご迷惑をおかけしております弊誌2月号別冊「国鉄形車両の記録
10系軽量客車」、増刷が出来上がって参りました ただし、いつまた品切れになるかはわかりません ご希望の
方はお早めに書店にご注文ください 京都の博物館行ってびっくりした事
10系ハネの馬鹿デカいクーラーは、てっきり
10系ハネだけに使われたと思っていたが、キハ81の運転室にも使われていたのな
キハ81の運転室にデカく突き出していて笑ったよ
よく見たら
キハ81の運転室の屋根に10系ハネのクーラーが載ってたわ >>160
10系ハネと同じ頃(43・10前)にキハ81の運転室も冷房載せたからな 北陸トンネルの列車火災の約8ヶ月前の、47年3月15日の新幹線岡山開業が、この系列の終わりの始まりだと思った。 スハ43系やオハ35系中心で組成された鈍客にナハが連結されてると萌えた
でも運用末期だったから萎えてはいた 昔読んだ本に、「美しいヨーロピアンスタイル」とか書かれていて、
「きたぐに」の新潟編成で目撃したあと、実際に乗ったのはやっとこさ山陰本線での晩年の10系で、
ボロくて落胆したのを思い出す。
スタイルは良かったと思うけどな。オシ16とか見たかったよ。 >>166
急行瀬戸なら学生時代の夏休みに
普段貧乏旅行ながら
奮発してB寝台乗った時に
お酒飲んだな
ご飯は駅弁ですましたけど
もうちょっと上の世代なら彗星のオシ16
を体験出来たかも… 1960年代後半生まれだからブルーの10系しか知らないけれど写真画像で見る茶色の10系いいですよね、なんかピカピカだし 北海道住みだからオロハネ10など寝台車は見れた反面、座席車には最後までお目にかかれなかったのが残念。
晩年まで夏季増結用に内地から借入してたそうだが巡りあえなかった(´・ω・`) ナハフ11を1両だけの列車、或いは貨車を混合した普通列車は過去にあったのか? 品川客車区の職員輸送列車。
混合列車は知らん。たぶん、無いと思うが。 >>172
昭和40年代の尼崎港線でDD13+貨車+オハフ33+ナハフ11を見たよ。 尼港線って福フチもちだっけ? ならナハ・ナハフ遭遇も確率あるねぇ >>175
昭和40年代の福フチと云えば61系天国だよ。 >>174
貴重な情報ありがとうございました!
客車列車は必ずフが入ってないといけないのね。 >>178
そうでもないと思うぞ。
撮影で有名だった肥薩線矢岳越えの混合列車は、スハ32と貨物だったと思う。
引き通しができないので、ストーブの煙突が屋根から出てた。 >>179
お、となると車掌は客室にいたのかな?
何れにせよ情報ありがとうございます。 >>179>>180
肥薩線の混合列車はWルーフのスハフ32が有名、後にオハフ61、オハフ33になったけど何れにしても緩急車だ。 鈍行に乗るとスハ(スハフ)やオハ(オハフ)ばかりだったけど
たまにナハが挟まってると選んで乗っていた
ナハフは見かけなかったな たまたま乗ったナハ10
座席の向かいに「せんだみつお」似のおじさん 寒い時季は、ナハは何か隙間風が多かったので避けたような記憶がある
見た目は好きだったけど、旧客の最後のころは、他の形式の客車に較べて
外板が傷んでいるような気がした
根拠のない感想だけどね 国鉄の戦後は昭和31年から33年の間にはじまったんだろうか。
10系客車 101系電車 151系電車 20系客車
昭和20年までに戦死した兵隊さんたちに見せてやりたかった。 もうすぐ戦争が始まってリニアの営業運転を見ずに死ぬ若者が続出するからだよ >>186
それは実際にナハだけなの?
10系客車の普通座席車全部そう?
後者だとは思うけど >>187
というか、オハ35系の軽量型から進化していく日本オリジナルの軽量客車や20系相当の特急客車が見たかった。
仮想戦記的な妄想だが。 >>190
外板にも荷重をかける設計だったにも関わらず
強度がなさすぎてすぐ駄目になったって
鋼製客車の本にあったような… >>186
乗った感じよく覚えてる。隙間風よりとにかくガシャガシャ音が煩く
外板もさることながら、窓の立て付けでバタバタ、内装材なのか
あらゆる部材なのかがビビリ振動して台車の揺れも特に
どっしり安定した43系と比べるとひどかったね。
もう80年代入ってからの福フチのナハ・ナハフの話。 俺が乗った時は全然そんなことなかったけど
30年も経つと大袈裟になるよね。補正はいるし >>190
10系客車の普通車全部です。特にナハかナハフか、10か11か、ということはなかったです
それほど意識をしていたわけではないので「根拠はないけど」と書きましたが、ともかく
進入してくる列車を見て、ナハは避けていたのは事実。見た目は近代的にもかかわらずね 廃車回送される24系25型見てボロさに
昭和57年上野での10系寝台思い出した。24系は経年40年、10系は25年。とはいえ24系も
10数年前には外板剥がれてたりしてボロボロ
ではあった。当時10系は内装のデコラなど
まっ黄黄でこれに寝台料金払う客が気の毒
だった。10系を無理して走らせてても
40年経過する前に走行中分解してただろう。 だが根暗な俺は 古くて暗くてこわくて
貧しくてみすぼらしい物が好きだ。
急行越前とか日本海側の、冬とか鉛色の空に
カモメが一羽ちゅるりーららー飛んでる
陰鬱な海の景色の中で人生の苦難に喘ぎ
ながらの人生が想像される、外板がボコ
ボコに歪み、色褪せた照明の光が同じく
色褪せた内装の壁を物憂げに照らす10系
寝台が俺のそんな妄想を掻き立てる。 >>195
10系客車は数が少ないから末期は選んで乗ってたけど兎に角ボロかったな、雨の日にそこらじゅうから雨が入りこんで床がびちょびちょだったこともある。因みに福知山の箱、床も鉄板剥き出しになってた。 碓井で見た限りは内装は普通だったが
ドアが鉄板一枚でΩ形アングル裏打ちしてあったり努力の跡があった
ナハネのクーラーが屋根の出っ張り通りまん丸で当時にしちゃあ大した小型化だなぁと思った 乗車経験からすると、ナハネ20に比べて、オハネフ12は冷房の効きが悪かった印象がある。
クーラーが違うからかなのか?
全般に国鉄型車両は冷暖房は極端で、微調整が効かなかったけど。 >>202
開閉窓か固定窓かの違いじゃない?
20系は特に静かだったって聞く @FKI300
ttp://twitter.com/FKI300/status/956517622383763458
今夜は・・・
国鉄分割民営化を前に職を失い、各操車場や機関区の片隅で留置されていた車両達を紹介。
多くの車両は国鉄清算事業団に引き継がれたものの、解体されてしまいました。
先ずは、竜華操車場に留置された10系寝台(山陰運用車)や遠く離れた松本電車区の低屋根クモヤ90を・・・
ttp://pbs.twimg.com/media/DUY7h7JV4AIbHU9.jpg
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@SEI_YASUMA
ttp://twitter.com/SEI_YASUMA/status/956887434012184577
10系寝台車はこの時期だともう車体がボロボロで、工場で検査か何かの都合で箱をクレーン吊りしようとしたら、
吊ったところからグシャグシャに崩れかけて慌てて吊るの止めたと聞いたことがあるなぁ。
水抜き穴を十分設けずに安易に下降窓採用したツケをそんな形で支払わさせられたと。
@SEI_YASUMA
下降窓使ったらそんな風に腐るのかというと、そうでもないのは阪急その他の鋼製下降窓車が示す通り。
もっとも、正雀の裏で検査入りしている6000とかがどんな手間をかけて補修されているかを知っていたら、
あの当時の国鉄ではこれは水抜き穴あっても扱いきれなかっただろうなぁ、とは思うのだけども。
@SEI_YASUMA
何しろ、下降窓ではない普通の10系座席車でさえ、それら寝台車に負けず劣らずの酷い傷み具合だったのだから。
山陽線夜行急行に連結されていた最末期のオロ11なんか、設計時点で想定されていなかった重い冷房機を
屋根上に搭載したこともあって、歪んで本当にひどい状態だったのを思い出す。
@SEI_YASUMA
昔訊いた話ではあのオロ11、車体の歪みによる変形で最後は側窓が開かなくなっていた由であった。
張殻構造の軽量車体で想定外の重い冷房機を屋根に搭載したら箱が屋根の下がる方向で変形するのは
東武1700・1710でも起きた現象で、そちらはオロ11よりも更に早い時期に淘汰=車体新造代替されている。
@SEI_YASUMA
もちろん、阪神3011→3561・3061形のように3扉化と側窓ユニット窓化の後、徹底的な補強を施した上で冷房化された車輛では
そうした問題は起きていないのだが、この世代の張殻構造軽量車体を持つ車輛では最後までこの車体強度問題が付きまとった。
@SEI_YASUMA
もう少し後の世代でも例えば阪急2800系は冷房化の後に無理な3扉化を行ったために車体の疲弊が同世代の2300系を
上回る速度で進んだと伝わっているし、他の会社でも適切とされる補強を施し冷房機やその補機を搭載すると
台車心皿荷重上限を超過することなどから冷房化を断念したケースが少なくない。
@SEI_YASUMA
この世代の軽量構造車体を持つ車輛の場合、台車でも極限まで軽量化を図って心皿荷重上限に余裕を持たせなかったケースが
多々あったから、それが祟った訳である。
それどころか、この世代では非冷房のままでも設計経験の不足から過荷重による台車枠亀裂→補強を繰り返したケースも少なくない。
@SEI_YASUMA
そもそも、国鉄でも151系電車のDT23形台車で軽量化を極限まで追求した結果、過酷な運用に耐えかねて亀裂を頻発、
結局準急・急行用で相応の余裕を持たせてあった153・157系用DT24形並の厚さの板材による台車枠に新製交換せざるを
得なかったのであるから、このあたりの経験不足は深刻であった。
@SEI_YASUMA
設計荷重の過小評価に起因する台車枠亀裂はその後重装備の581・583系寝台電車でも再度繰り返され、
こちらは単純な板厚増大では済まず軸箱支持方式の変更さえ検討される有様であった。
その様な状況故に、これら軽量車では補強による自重増大も大きな問題で、おいそれと冷房化できなかった。
@SEI_YASUMA
むしろ、下手に補強する位なら最初から冷房を積んだ車体を新設計して交換した方がむしろ軽く作れる程で、
実際名鉄5000・5200などは車体新造で5300系となり、全電動車方式かつ元の台車・主要機器のままで冷房化されている。
もっとも、そのままでは120q/h運転対応できず後年台車は新製交換されたが。 @FKI300
さすがの軽量客車ですね。痛みが酷いとは、当時の竜華区で聞いた事はありましたが。そこまでひどかったとは驚きですね。
@SEI_YASUMA
軽量客車が牽引定数の制約の厳しい路線での輸送力増強に絶大な効果を発揮した一方でいろいろ「やり過ぎ」だったのは恐らく
国鉄自身、遅くとも1960年代後半には認識していたと思います。
その辺は12系客車以降で「オ」級が標準になって非冷房車も含め二度と「ナ」級が造られなかった事が示す通りで。
@SEI_YASUMA
それはそれとしても末期の10系はどれも悲壮な有様で、同じ頃に米原に留置されていた北陸本線用のものなど、
他の系列と比較しても一際ひどい状態だったのを思い出します。
鷹取だったかで解体中のものを見て、あまりの腐りっぷりに絶句したことも。
@senpakuunnei
御嶽山丸「スハネ16の流用した台枠・台車『だけ』はまだ余裕があったみたいだけどね(スユニ50に台車を供出した例があり、
10系を基とする流用新造車はこのスユニ50のみ)」
@SEI_YASUMA
スユニ50で流用したのはTR47台車位ですよ。オハネ17→スハネ16の台枠はUF21・30・37あたりが混在していて同様に種車となった
スハ43のそれとも当然異なる上、古いものだと1929年製の物も混じっていて既に老朽化していたので流用せず、
車体は台枠含め完全新規設計製作となっていた筈です。
@SEI_YASUMA
まぁ、流用されたのはほぼTR47台車だけですけど、そのTR47の大半が何度か行われた振替でスハ43などから
供出されたものですから、実質10系は経由しただけという状況ですね。
@Shi_gara_mi
特急の157系なんかも痛みやばかったらしいですよね
@SEI_YASUMA
157系はどこだったかの私鉄が譲渡を国鉄に打診して、下見にやってきてあまりの状態の悪さに絶句してその話が無しになったそうで、
まぁ満身創痍だったということなんでしょうね。聞いた話じゃ、最後の頃はあちこちガムテープ貼って応急措置してたとかで…。
@Shi_gara_mi
私鉄の初期高性能車も短命車多かったので、当時は車体の設計とかなかなか大変だったのかもしれませんね
長生きしたのは東急旧5000系と国鉄101系くらいかな、、、
@SEI_YASUMA
初期高性能車だから短命、という訳でもないのですけどね。例えば京阪1900なんかは格下げに伴う3扉化、
昇圧&冷房化と大改装を繰り返した結果とは言え車齢50年以上の長寿を全うしましたし。
@zweisser
阪急はご存知の通り、細かくメンテされていましたからね。高性能車が登場して近鉄・南海・東急は比較的早く一段窓を採用したが、
関西であっても阪神や京阪の一段下降窓はもっと後の採用になりますからね〜。
@SEI_YASUMA
人工透析に病院行って戻ってきたら10系客車や張殻構造車体についてのツイートにえらい数の反応があって驚く。 >>その辺は12系客車以降で「オ」級が標準になって非冷房車も含め二度と「ナ」級が造られなかった事が示す通りで。
12系急行形は初めから冷房がついていて、50系は冷房なしでオ級。
20系も更新等で実際にはオ級になっていたと聞く。
ナかオじゃなくて、ちゃんと自重で比べた方が良いと思うんだが。 >>204
写真のオハネフ12、妻面にリブが無いが、後天的なものだろうか?
ナハネ10→ナハネフ10→オハネフ12は全部リブ付きだと思っていた。
オロ11は相当酷かったんだな、晩年の写真でもそうは見えんかったが。
ナハ10系が淘汰されていた頃、某工場の人から
「ナハ10・11には車体が台枠ごとひねっていた車両があった」
と聞いたことがある。 20系の場合、年次改良や改造で重量が増えて、気付かぬうちにナ級突破してオ級になってた。
板谷峠で「あけぼの」が「津軽」より軽い筈なのに所定速度で登れない、
ということで問題になり、調べてみたら重量オーバー発覚。
しかし、400両以上いたナ級20系をぜんぶオに書き換えるのは大変な手間なので
運用でチェックしてそのままナ表記で済ませたとか。 >>208
20系の車体中央表記は「書き換える」じゃなくて「付け替える」かな。
車両だけじゃなくていろいろな書類全て書き換えることになるから面倒だな。
特例にしておけば、各車両2箇所、△のシール2枚貼ればいいのだから。 >>208
津軽 寝台10系 グリーン車62系 座席 10 43系ら 荷物郵便含
あけぼの 20系
EF71でダメ?と思ったら直流当時だとEF16→64の当時かあ。 オロハネ10が両側冷房化されてからも等級帯はあったのでしょうか? >>211
「あけぼの」の運転時期といいEF71になってからの話
昭和50年頃の「津軽」は401・404レが11両編成430tでEF71単機、402・403レは13両編成480tでEF71+ED78だったのに
表の上では20系13両が410t、EF71単機でも余裕のあるはずの「あけぼの」が板谷峠を通る他列車の3倍以上遅延を起こして問題になった
結局20系の重量超過が判明して「あけぼの」運用に補機連結することになったし後日24系化の時にはED78も追加製造したけど
それでも機関車運用に余裕なくて「津軽」も郵便車を荷レに移したり座席車を減車・12系化して2往復ともEF71単機(混雑時や冬期のみ補機)にした >>205
逆に80年代の車両はかなり丈夫にしている感がある >>214
鋼製車ながら201系185系は構造にも溶接工法にもきっちり凝りましたからねえ。
酷使された201系でも外板ベコベコってのは少なかったし、185系は今や35年経つのに外観がヤレてる感が低い。 201系は70年代の設計では?
まぁ外観がボロボロだった24系客車と比べてしっかりしていたな。 軽量化に力を注ぎすぎるとやはり長持ちしないものなのかなあ >>217
軽量化云々じゃなくて、昔の車両製造技術が未熟だっただけやぞ。 >>219
しかし、同じ下降窓は阪急など昔から私鉄でも採用していたが、
国鉄では腐食に悩まされた。
水抜きの問題がー、と上の方にあったけど。 うん、国鉄の古い車は薄い板(高耐候性じゃない)なうえ、水抜き穴や導水用の
形状になっていない車両は弱い。小田急8000が更新されてVVVFで現役なのも
水抜きありアルミユニット構造で阪急みたいなアルミ枠でしょ。
その上腰板がステンレスだから40年以上持つ車両になった。
近鉄はそこまでの構造ではなないのに頑張ってる方だな。
戦前旧型車の落とし窓車は単に板厚が厚くて頑丈なだけ(例、一畑デハニ、上田丸窓) そもそも私鉄と国鉄では走行距離が桁違いのような気がしますが。 距離関係するのは足回りのガタとか軽量客車の構体ゆがみ等。
むしろ海風浴びてる江ノ電旧型とかのほうがよっぽど条件は悪く、
ただ、運用本数-車庫内でメンテ出来る余裕が違うと思うね 伊豆急の塩害は100系は対策して設計していたようで、機器を2100に一部再利用できるほど。
車体も意外に強くて103号は56年めなのに動態保存中。
情けないのは中継ぎで入った200系(113−115)即ボロボロで車体も剥げたね。
伊豆急に入った車両で真っ先に壊滅したのが157系というのは有名な話ですな。 >情けないのは中継ぎで入った200系(113−115)即ボロボロで車体も剥げたね。
言っとくけどそれは塩害ではないからね ポポンデッタのバイトも、鉄ヲタは絶対採用しないしな アホな鉄ヲタを採用しないだけでしょ
>>232
10系スレいるなら星さん見ればわかるだろ。趣味を仕事にした方がいいに決まってる
言い訳してるだけ >ポポンデッタのバイトも、鉄ヲタは絶対採用しないしな
個人商店はともかく、チェーンはそれ鉄則だね。
昔よく行ってた模型店、鉄よりミリが多いとこだったけど
ヲタ店員が常連や自分が買うモノ優先で早めなのに
予約品が回って来ない事があった。
もっと入荷数少ないはずの他店に行ったら普通に買えてそれ以来行かなくなったね。 星さんが12系、14系の開発陣頭指揮してたら形式どうなってただろう?
一等寝台車や進駐軍車両の改番に相当なこだわりを見せてたみたいだけど、ハネとハザの違いはあるけど、方や新系列の固定編成、方や旧来の方式なのに両方とも12と13使用してるのを許せるだろうか? もしそうなってたら、12系→14系 14系→16系 15形→17形だったかもね。 あ、スハネ16やオシ16・17現役だったか。なら18以降まで持っていかねば 結果的には12系が18系、14系が19系でも何の問題も起きないと思うけど
当時どう考えるかだね 新系列の14系座席車と寝台車を別系列に区分しなかったのは、
10系でも同じ10台を使ったことは影響してるかな?
10系でも冷改前で寝台車の10代が形式消滅するまでは、同じ10代だったし。 >>240
>>241
当時の規定だと、1の位が8・9は3軸ボギー車だったはず。