【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
>>110
10系は車掌室やWCがデッキの外側にあるから、貫通路を締め切ることができる >>117
オハフ33までは折妻だったから難しかったのかもしれないけど、付けられないということもない
現に諸外国の客車は必ず閉め切れるようになっている
たぶん、日本ではオープンデッキの時代から、客車のドアは貫通路に付けずに客室との間に付けるものだという固定観念があるんだろ
だから電車や気動車の急行形も普通車は貫通路にドアがない。 トミックスのオハフ33旧製品には貫通扉が有ったなぁw >>118
オハ35系の荷物合造車にスハニ32って形式があってね、あれの荷物室側にはドアが
ついてたな。もちろん戦前製の折妻車。 最後尾の貫通扉をあけて走らすのは
通気の意図があったはず 大井川のオハ35の中に最後尾用で貫通扉部を塞いで出れないようにした上で
ヘッドマークが付いてる車が数両あるから通気ではなさそうだが。しかも丸妻車に。 訂正します
守門のSLホテルの10系客車、思ってたほど状態悪くなかった 最後尾や最前車両の貫通路だけ開放しても
車両全体の通気には役立たない気がする。
ちなみに北海道では貫通路蓋の運用が組まれていた。 サボは国鉄末期になると省力化のために、特に電車や気動車で、両矢印どころか枝分かれした矢印で、
三方向くらいに行き先が表示されてて、もはやどこを指しているのか分からなかった。
運用と言えば、昔は分割・併結が多かったので、貫通扉の幌なし・ありで、
運用を組まれてたな。 >>122
あの塞いだのは単に転落防止
通気の話とは全く無関係 >>115
鉄道ピクトリアルの1994年5月号の40ページの記事らしい
多賀SLパーク跡の10系寝台車 福知山線でナハフ1両が連結されてたのを覚えてるけど窓が大きくて目立ってたな。 >>127
ナハフ→オハネフ改造時になぜ貫通路にも扉を付けなかったんだろ
宮城道夫ではないが寝ぼけ半分でWCに行く乗客は一つ間違えば転落するわ JRに承継されたのが事業用の2両だけだったな
10系よりも遥か前に作られた旧客は今でも現役バリバリなのとは対照的 >>131
品川区に最後まで残った奴か。アレは座席外されてなきゃ車籍あったから、
編成に入れたら面白かったんだがな。 だよな。スハフ42やオハ47はあまり変わらん。オハニ36とか台枠以外は10系と同じ時期だしな。
台車もアレだし
>>132
座席あっただろ。小回の控車でよく見た。品川駅で乗りたい衝動にかられた回数は数知れず 行き過ぎた軽量化で劣化が早まったんだな
ジャッキアップしたら車体が崩壊したなんて話もあった
重量記号「ナ」級は当時としては画期的だったがその後の反省から12系客車から若干重くなり「オ」級になった
あの当時は耐候性高張力鋼板がなく(国鉄採用第1号が201系量産車)錆びやすかったのもある >>135
12系は車長が長く、ユニットクーラーや自動ドアなど周辺機器による重量増も大きいんじゃないのかな?
電暖搭載や台車変更くらいで容易にナ→オになることもあるから >>134
部分的に座席外して、中に配管通してたよ。なんの配管か分からんが、控車だしブレーキ関係かね。
とても営業には使えない仕様になってた。 >>136
20系があの設備でナは凄いよな。10系でも冷房化でオになったし。
ナロ10にクーラー搭載したら、重量の関係で寿命縮まって、冷房化されたにも
関わらず、スロ54や62より短命に終わった。
スハ43の冷房、自動ドア化は検討されてたけど、ナロ10の件もあってナハ10系は
考慮されなかったんだろうね。 >>139
20系は後に防音対策やらなにやらで
実際はオ級になってるが
重量記号を変えていないだけ ななつ星in九州はアルミボディのくせに重く「マ」である
内装材で重くなってるみたい >>141
一部屋が広いから間仕切りは
そんなに無いんじゃないかな?
>>七坪死
むしろ水とかの積載物が
重いんじゃないかな? >>138-139
あれ暖房じゃなかったっけ。小回、東機の58、PF共通運用でPFばっかりだったし、たとえ58でも機回し多くて
SGとか使ってられないから。それと20系は10系と違って自車発電じゃないからクーラーユニットだけで
済むのと、実は重かったんだよな。あけぼの、換算だけなら単機で牽けるはずなのに重連になったという ピクトリアルの別冊軽量客車特集を衝動買いしてしまった
オハネ12トイレ窓の謎と番号が特定できたけど
ナハ10試作車が近代化工事を受けた後のトイレ窓の形態までは分からなかった オロ11、オロネ10と同じ床下クーラーだったらよかったのに >>146
オロ11のデザインは時代先取りで良かったのにな。アレでステンだったら、今でも通用する。 >>147
それ、サロ211だろ。でたとき一番に思ったわ オールステンレス試験車があったらよかったのに
スキンステンレスは骨組みが腐食するので耐久性に欠ける >>148
サロ211の車体が残ってたら、オロ11っぽく改造して連結してほしいな サロ211集めて機関車でひけばいいのに、
と思ったことはある 機関車の連結器にアダプター付けて電車を甲種輸送するんだから、可能。 ナハフ11が1両だけ牽引された普通列車ってあったのかな。
小海線とかでありそうな感じがするが。 鉄道ピクトリアル(電気車研究会)?@tetsupic 1月27日
皆さんこんにちは 昨日、2月号別冊「国鉄形車両の記録 10系軽量客車」が発売となりました 鉄道友の会客車
気動車研究会執筆の、10系客車の誕生の経緯から消滅までのあゆみ、各形解説などの記事を収録した一冊です
定価2000円、ぜひお買い求め下さい
鉄道ピクトリアル(電気車研究会)?@tetsupic 2月14日
また、2月号別冊「国鉄形車両の記録 10系軽量客車」ですが、こちらも大変ご好評を頂きまして、異例の増刷を
させて頂きました 週末以降出荷可能となりますので、もし書店で品切れですと言われたお客様、書店に入荷が
なかったお客様は改めてご注文ください
鉄道ピクトリアル(電気車研究会)?@tetsupic 2月16日
皆さんこんにちは 品切れとなっておりましてご迷惑をおかけしております弊誌2月号別冊「国鉄形車両の記録
10系軽量客車」、増刷が出来上がって参りました ただし、いつまた品切れになるかはわかりません ご希望の
方はお早めに書店にご注文ください 京都の博物館行ってびっくりした事
10系ハネの馬鹿デカいクーラーは、てっきり
10系ハネだけに使われたと思っていたが、キハ81の運転室にも使われていたのな
キハ81の運転室にデカく突き出していて笑ったよ
よく見たら
キハ81の運転室の屋根に10系ハネのクーラーが載ってたわ >>160
10系ハネと同じ頃(43・10前)にキハ81の運転室も冷房載せたからな 北陸トンネルの列車火災の約8ヶ月前の、47年3月15日の新幹線岡山開業が、この系列の終わりの始まりだと思った。 スハ43系やオハ35系中心で組成された鈍客にナハが連結されてると萌えた
でも運用末期だったから萎えてはいた 昔読んだ本に、「美しいヨーロピアンスタイル」とか書かれていて、
「きたぐに」の新潟編成で目撃したあと、実際に乗ったのはやっとこさ山陰本線での晩年の10系で、
ボロくて落胆したのを思い出す。
スタイルは良かったと思うけどな。オシ16とか見たかったよ。 >>166
急行瀬戸なら学生時代の夏休みに
普段貧乏旅行ながら
奮発してB寝台乗った時に
お酒飲んだな
ご飯は駅弁ですましたけど
もうちょっと上の世代なら彗星のオシ16
を体験出来たかも… 1960年代後半生まれだからブルーの10系しか知らないけれど写真画像で見る茶色の10系いいですよね、なんかピカピカだし 北海道住みだからオロハネ10など寝台車は見れた反面、座席車には最後までお目にかかれなかったのが残念。
晩年まで夏季増結用に内地から借入してたそうだが巡りあえなかった(´・ω・`) ナハフ11を1両だけの列車、或いは貨車を混合した普通列車は過去にあったのか? 品川客車区の職員輸送列車。
混合列車は知らん。たぶん、無いと思うが。 >>172
昭和40年代の尼崎港線でDD13+貨車+オハフ33+ナハフ11を見たよ。 尼港線って福フチもちだっけ? ならナハ・ナハフ遭遇も確率あるねぇ >>175
昭和40年代の福フチと云えば61系天国だよ。 >>174
貴重な情報ありがとうございました!
客車列車は必ずフが入ってないといけないのね。 >>178
そうでもないと思うぞ。
撮影で有名だった肥薩線矢岳越えの混合列車は、スハ32と貨物だったと思う。
引き通しができないので、ストーブの煙突が屋根から出てた。 >>179
お、となると車掌は客室にいたのかな?
何れにせよ情報ありがとうございます。 >>179>>180
肥薩線の混合列車はWルーフのスハフ32が有名、後にオハフ61、オハフ33になったけど何れにしても緩急車だ。 鈍行に乗るとスハ(スハフ)やオハ(オハフ)ばかりだったけど
たまにナハが挟まってると選んで乗っていた
ナハフは見かけなかったな たまたま乗ったナハ10
座席の向かいに「せんだみつお」似のおじさん 寒い時季は、ナハは何か隙間風が多かったので避けたような記憶がある
見た目は好きだったけど、旧客の最後のころは、他の形式の客車に較べて
外板が傷んでいるような気がした
根拠のない感想だけどね 国鉄の戦後は昭和31年から33年の間にはじまったんだろうか。
10系客車 101系電車 151系電車 20系客車
昭和20年までに戦死した兵隊さんたちに見せてやりたかった。 もうすぐ戦争が始まってリニアの営業運転を見ずに死ぬ若者が続出するからだよ >>186
それは実際にナハだけなの?
10系客車の普通座席車全部そう?
後者だとは思うけど >>187
というか、オハ35系の軽量型から進化していく日本オリジナルの軽量客車や20系相当の特急客車が見たかった。
仮想戦記的な妄想だが。 >>190
外板にも荷重をかける設計だったにも関わらず
強度がなさすぎてすぐ駄目になったって
鋼製客車の本にあったような… >>186
乗った感じよく覚えてる。隙間風よりとにかくガシャガシャ音が煩く
外板もさることながら、窓の立て付けでバタバタ、内装材なのか
あらゆる部材なのかがビビリ振動して台車の揺れも特に
どっしり安定した43系と比べるとひどかったね。
もう80年代入ってからの福フチのナハ・ナハフの話。 俺が乗った時は全然そんなことなかったけど
30年も経つと大袈裟になるよね。補正はいるし >>190
10系客車の普通車全部です。特にナハかナハフか、10か11か、ということはなかったです
それほど意識をしていたわけではないので「根拠はないけど」と書きましたが、ともかく
進入してくる列車を見て、ナハは避けていたのは事実。見た目は近代的にもかかわらずね 廃車回送される24系25型見てボロさに
昭和57年上野での10系寝台思い出した。24系は経年40年、10系は25年。とはいえ24系も
10数年前には外板剥がれてたりしてボロボロ
ではあった。当時10系は内装のデコラなど
まっ黄黄でこれに寝台料金払う客が気の毒
だった。10系を無理して走らせてても
40年経過する前に走行中分解してただろう。 だが根暗な俺は 古くて暗くてこわくて
貧しくてみすぼらしい物が好きだ。
急行越前とか日本海側の、冬とか鉛色の空に
カモメが一羽ちゅるりーららー飛んでる
陰鬱な海の景色の中で人生の苦難に喘ぎ
ながらの人生が想像される、外板がボコ
ボコに歪み、色褪せた照明の光が同じく
色褪せた内装の壁を物憂げに照らす10系
寝台が俺のそんな妄想を掻き立てる。 >>195
10系客車は数が少ないから末期は選んで乗ってたけど兎に角ボロかったな、雨の日にそこらじゅうから雨が入りこんで床がびちょびちょだったこともある。因みに福知山の箱、床も鉄板剥き出しになってた。 碓井で見た限りは内装は普通だったが
ドアが鉄板一枚でΩ形アングル裏打ちしてあったり努力の跡があった
ナハネのクーラーが屋根の出っ張り通りまん丸で当時にしちゃあ大した小型化だなぁと思った 乗車経験からすると、ナハネ20に比べて、オハネフ12は冷房の効きが悪かった印象がある。
クーラーが違うからかなのか?
全般に国鉄型車両は冷暖房は極端で、微調整が効かなかったけど。 >>202
開閉窓か固定窓かの違いじゃない?
20系は特に静かだったって聞く @FKI300
ttp://twitter.com/FKI300/status/956517622383763458
今夜は・・・
国鉄分割民営化を前に職を失い、各操車場や機関区の片隅で留置されていた車両達を紹介。
多くの車両は国鉄清算事業団に引き継がれたものの、解体されてしまいました。
先ずは、竜華操車場に留置された10系寝台(山陰運用車)や遠く離れた松本電車区の低屋根クモヤ90を・・・
ttp://pbs.twimg.com/media/DUY7h7JV4AIbHU9.jpg
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@SEI_YASUMA
ttp://twitter.com/SEI_YASUMA/status/956887434012184577
10系寝台車はこの時期だともう車体がボロボロで、工場で検査か何かの都合で箱をクレーン吊りしようとしたら、
吊ったところからグシャグシャに崩れかけて慌てて吊るの止めたと聞いたことがあるなぁ。
水抜き穴を十分設けずに安易に下降窓採用したツケをそんな形で支払わさせられたと。
@SEI_YASUMA
下降窓使ったらそんな風に腐るのかというと、そうでもないのは阪急その他の鋼製下降窓車が示す通り。
もっとも、正雀の裏で検査入りしている6000とかがどんな手間をかけて補修されているかを知っていたら、
あの当時の国鉄ではこれは水抜き穴あっても扱いきれなかっただろうなぁ、とは思うのだけども。
@SEI_YASUMA
何しろ、下降窓ではない普通の10系座席車でさえ、それら寝台車に負けず劣らずの酷い傷み具合だったのだから。
山陽線夜行急行に連結されていた最末期のオロ11なんか、設計時点で想定されていなかった重い冷房機を
屋根上に搭載したこともあって、歪んで本当にひどい状態だったのを思い出す。
@SEI_YASUMA
昔訊いた話ではあのオロ11、車体の歪みによる変形で最後は側窓が開かなくなっていた由であった。
張殻構造の軽量車体で想定外の重い冷房機を屋根に搭載したら箱が屋根の下がる方向で変形するのは
東武1700・1710でも起きた現象で、そちらはオロ11よりも更に早い時期に淘汰=車体新造代替されている。
@SEI_YASUMA
もちろん、阪神3011→3561・3061形のように3扉化と側窓ユニット窓化の後、徹底的な補強を施した上で冷房化された車輛では
そうした問題は起きていないのだが、この世代の張殻構造軽量車体を持つ車輛では最後までこの車体強度問題が付きまとった。
@SEI_YASUMA
もう少し後の世代でも例えば阪急2800系は冷房化の後に無理な3扉化を行ったために車体の疲弊が同世代の2300系を
上回る速度で進んだと伝わっているし、他の会社でも適切とされる補強を施し冷房機やその補機を搭載すると
台車心皿荷重上限を超過することなどから冷房化を断念したケースが少なくない。
@SEI_YASUMA
この世代の軽量構造車体を持つ車輛の場合、台車でも極限まで軽量化を図って心皿荷重上限に余裕を持たせなかったケースが
多々あったから、それが祟った訳である。
それどころか、この世代では非冷房のままでも設計経験の不足から過荷重による台車枠亀裂→補強を繰り返したケースも少なくない。
@SEI_YASUMA
そもそも、国鉄でも151系電車のDT23形台車で軽量化を極限まで追求した結果、過酷な運用に耐えかねて亀裂を頻発、
結局準急・急行用で相応の余裕を持たせてあった153・157系用DT24形並の厚さの板材による台車枠に新製交換せざるを
得なかったのであるから、このあたりの経験不足は深刻であった。
@SEI_YASUMA
設計荷重の過小評価に起因する台車枠亀裂はその後重装備の581・583系寝台電車でも再度繰り返され、
こちらは単純な板厚増大では済まず軸箱支持方式の変更さえ検討される有様であった。
その様な状況故に、これら軽量車では補強による自重増大も大きな問題で、おいそれと冷房化できなかった。
@SEI_YASUMA
むしろ、下手に補強する位なら最初から冷房を積んだ車体を新設計して交換した方がむしろ軽く作れる程で、
実際名鉄5000・5200などは車体新造で5300系となり、全電動車方式かつ元の台車・主要機器のままで冷房化されている。
もっとも、そのままでは120q/h運転対応できず後年台車は新製交換されたが。 @FKI300
さすがの軽量客車ですね。痛みが酷いとは、当時の竜華区で聞いた事はありましたが。そこまでひどかったとは驚きですね。
@SEI_YASUMA
軽量客車が牽引定数の制約の厳しい路線での輸送力増強に絶大な効果を発揮した一方でいろいろ「やり過ぎ」だったのは恐らく
国鉄自身、遅くとも1960年代後半には認識していたと思います。
その辺は12系客車以降で「オ」級が標準になって非冷房車も含め二度と「ナ」級が造られなかった事が示す通りで。
@SEI_YASUMA
それはそれとしても末期の10系はどれも悲壮な有様で、同じ頃に米原に留置されていた北陸本線用のものなど、
他の系列と比較しても一際ひどい状態だったのを思い出します。
鷹取だったかで解体中のものを見て、あまりの腐りっぷりに絶句したことも。
@senpakuunnei
御嶽山丸「スハネ16の流用した台枠・台車『だけ』はまだ余裕があったみたいだけどね(スユニ50に台車を供出した例があり、
10系を基とする流用新造車はこのスユニ50のみ)」
@SEI_YASUMA
スユニ50で流用したのはTR47台車位ですよ。オハネ17→スハネ16の台枠はUF21・30・37あたりが混在していて同様に種車となった
スハ43のそれとも当然異なる上、古いものだと1929年製の物も混じっていて既に老朽化していたので流用せず、
車体は台枠含め完全新規設計製作となっていた筈です。
@SEI_YASUMA
まぁ、流用されたのはほぼTR47台車だけですけど、そのTR47の大半が何度か行われた振替でスハ43などから
供出されたものですから、実質10系は経由しただけという状況ですね。
@Shi_gara_mi
特急の157系なんかも痛みやばかったらしいですよね
@SEI_YASUMA
157系はどこだったかの私鉄が譲渡を国鉄に打診して、下見にやってきてあまりの状態の悪さに絶句してその話が無しになったそうで、
まぁ満身創痍だったということなんでしょうね。聞いた話じゃ、最後の頃はあちこちガムテープ貼って応急措置してたとかで…。
@Shi_gara_mi
私鉄の初期高性能車も短命車多かったので、当時は車体の設計とかなかなか大変だったのかもしれませんね
長生きしたのは東急旧5000系と国鉄101系くらいかな、、、
@SEI_YASUMA
初期高性能車だから短命、という訳でもないのですけどね。例えば京阪1900なんかは格下げに伴う3扉化、
昇圧&冷房化と大改装を繰り返した結果とは言え車齢50年以上の長寿を全うしましたし。
@zweisser
阪急はご存知の通り、細かくメンテされていましたからね。高性能車が登場して近鉄・南海・東急は比較的早く一段窓を採用したが、
関西であっても阪神や京阪の一段下降窓はもっと後の採用になりますからね〜。
@SEI_YASUMA
人工透析に病院行って戻ってきたら10系客車や張殻構造車体についてのツイートにえらい数の反応があって驚く。 >>その辺は12系客車以降で「オ」級が標準になって非冷房車も含め二度と「ナ」級が造られなかった事が示す通りで。
12系急行形は初めから冷房がついていて、50系は冷房なしでオ級。
20系も更新等で実際にはオ級になっていたと聞く。
ナかオじゃなくて、ちゃんと自重で比べた方が良いと思うんだが。 >>204
写真のオハネフ12、妻面にリブが無いが、後天的なものだろうか?
ナハネ10→ナハネフ10→オハネフ12は全部リブ付きだと思っていた。
オロ11は相当酷かったんだな、晩年の写真でもそうは見えんかったが。
ナハ10系が淘汰されていた頃、某工場の人から
「ナハ10・11には車体が台枠ごとひねっていた車両があった」
と聞いたことがある。 20系の場合、年次改良や改造で重量が増えて、気付かぬうちにナ級突破してオ級になってた。
板谷峠で「あけぼの」が「津軽」より軽い筈なのに所定速度で登れない、
ということで問題になり、調べてみたら重量オーバー発覚。
しかし、400両以上いたナ級20系をぜんぶオに書き換えるのは大変な手間なので
運用でチェックしてそのままナ表記で済ませたとか。 >>208
20系の車体中央表記は「書き換える」じゃなくて「付け替える」かな。
車両だけじゃなくていろいろな書類全て書き換えることになるから面倒だな。
特例にしておけば、各車両2箇所、△のシール2枚貼ればいいのだから。 >>208
津軽 寝台10系 グリーン車62系 座席 10 43系ら 荷物郵便含
あけぼの 20系
EF71でダメ?と思ったら直流当時だとEF16→64の当時かあ。 オロハネ10が両側冷房化されてからも等級帯はあったのでしょうか? >>211
「あけぼの」の運転時期といいEF71になってからの話
昭和50年頃の「津軽」は401・404レが11両編成430tでEF71単機、402・403レは13両編成480tでEF71+ED78だったのに
表の上では20系13両が410t、EF71単機でも余裕のあるはずの「あけぼの」が板谷峠を通る他列車の3倍以上遅延を起こして問題になった
結局20系の重量超過が判明して「あけぼの」運用に補機連結することになったし後日24系化の時にはED78も追加製造したけど
それでも機関車運用に余裕なくて「津軽」も郵便車を荷レに移したり座席車を減車・12系化して2往復ともEF71単機(混雑時や冬期のみ補機)にした >>205
逆に80年代の車両はかなり丈夫にしている感がある >>214
鋼製車ながら201系185系は構造にも溶接工法にもきっちり凝りましたからねえ。
酷使された201系でも外板ベコベコってのは少なかったし、185系は今や35年経つのに外観がヤレてる感が低い。