【レッドトレイン】国鉄客車50系 [転載禁止]©2ch.net
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国鉄のレッドトレイン50系客車と関連の話題はこちらへ 推進運転は前頭以外に運転士が乗って運転操作を行うものですからから、その「きのくにシーサイド」とか?は
推進運転には該当しませんよ。推進運転は読んで字のごとく、動力や制動を司る運転士が推測して進めるものですから。
推進運転は動力車の位置ではなく、あくまでも運転士の位置なのです。
例えば先頭からTc-T-Mcの列車編成だとしたら、それは推進運転とは言わないことと同じです。 >>150
>>152
スハフ12ありの12系1000番台でなんでSG要るの? >>140-141 >>151です。
>>154さん、仰る通りです。まさにそれが、
鉄道運転規則(昭和六十二年三月二日運輸省令第十五号)
http://law.e-gov.go.jp/haishi/S62F03901000015.html
(列車の操縦位置)第六十四条
列車は、最前部の車両の前頭において操縦しなければならない。
ただし、次に掲げる場合は、この限りでない。
一 推進運転をするとき。
二 退行運転をするとき。
三 車両に故障があるとき。
この条文から、実在のきのくにシーサイド(1994年就役)、
及び架空としてのオフハ50/51に運転台を取り付け改造した制御客車(Tc)、
それらの制御客車に運転士を乗務させて、
列車編成の最前部の制御客車から後方の客車(T)何両かを介して編成の最後部の機関車(cMc)を
遠隔で直接操縦するのは、推進運転とは定義されない、と解釈出来ます。
よって、面倒なんで関わりたくないんですが、>>153に掲載されている各条文には
束縛されない、つまり規制対象とはならない、ということになります。特に、
第八十五条
列車は、第六十四条ただし書の規定により最前部の車両の前頭以外の場所において操縦する場合(退行運転をするときを除く。)は、
除雪列車を除き二十五キロメートル毎時を超えない速度で運転しなければならない。
ただし、最前部の車両の前頭において気笛合図及び貫通ブレーキの操作をする列車は、四十五キロメートル毎時を超えない速度で運転することができる。
2 前項ただし書の規定による気笛合図及び貫通ブレーキの操作は、動力車を操縦することができる者に行わせなければならない。
これには、第六十四条のただし書の二の推進運転に該当しなければ、対象にはなりません。
対象になるのは、例えば、尾久の車両基地から上野駅へ推進回送される寝台特急カシオベアです。
展望室個室にいる乗務員は、最後尾の機関車を遠隔で完全に直接操縦しておらず、合図と非常ブレーキだけです。 そもそも12系、SG引き通しだけで電気暖房だからな
1000番台が3両編成の時のDGの勿体ない感。山陰とかなら、SG積んでるのに >>158の続きです。
鉄道運転規則(昭和六十二年三月二日運輸省令第十五号) ですが、
国鉄が分割民営化されてJRが発足したのが、1987年(昭和62年)の4月1日です。
国鉄の分割民営化・JR発足に備えて制定施行された省令となります。
その前の省令、日本国有鉄道運転規則(昭和三十年運輸省令第五号)では、どうだったか?
鉄道運転規則第六十四条(列車の操縦位置)に該当する条文があったかどうか?
日本国有鉄道運転規則自体は、何度も改訂されております。
特に、1982年から86年に掛けて、いわゆる国鉄末期、当時の日本国有鉄道運転規則では、どうだったか?
82年(昭和57)の11月のダイヤ改正、84年(昭和59)の2月、85年(昭和60)の3月、
そして86年(昭和61)の11月の国鉄最後の全国的規模のダイヤ改正まで、
保有する車両数を抑制した上で列車の運行頻度を増やすことを目的に、編成の短縮が大々的に実行され、
通勤形や近郊形から特急形まで電車の中間電動車の先頭車改造、
及び、583系から715/419系へで代表される優等列車専用からローカル輸送用への用途変更の大改造などが
積極的に実施されました。
それにより旧型客車は一掃されましたが、50系客車は健在で各地で活躍していました。
地方都市圏の普通列車や都市間特急の列車の本数を増発した結果、利用客が増加しましたが、
短い編成だから混雑が悪化し座れないとの苦情も出始めました。
86年(昭和61)の11月のダイヤ改正で福知山線と山陰本線部分電化では、
2両編成の113系800番台が就役し、積み残しが発生する事態が起きてしまいました。
一方で、84年(昭和59)の2月のダイヤ改正による貨物輸送の大リストラで機関車が大量余剰と化しました。
その上で、当時、北米で自動連結器であっても列車編成最前部の制御客車が最後部の機関車を遠隔で操縦するという
客車の通勤列車が存在しているから、
「日本でも50客車で、そういうことができないのか?
キハ48みたいな両開き扉で、制御客車もありの、50系の新しい派生形式を新造して、余剰機関車と組み合わせて、
増車・増発はできないのか?」云々と思ってしまいます。
で、話を戻して、国鉄末期当時の日本国有鉄道運転規則では、どうだったか?
日本国有鉄道運転規則を踏襲している様だから、あるんじゃないですか、と思いますが。
例えば、鉄道運転規則の(列車の非常制動距離)第五十四条
非常制動による列車の制動距離は、六百メートル以下としなければならない。
日本国有鉄道運転規則にも、そういうのがあって、旧国鉄形特急電車で130km/h運転が出来なかったと。
鉄道運転規則よりも厳しい内容だったら、
じゃ、国鉄末期じゃなくっても、JR発足初から90年代末までなら、
旧国鉄からの承継車両を種車に積極的に改造とかやっているから、
キハ141系があるならば、機関車が後押しする制御客車としての改造とか、
電動車だけ新造して、その付随車両として再利用するとか、
色々、架空話とか、妄想とかのネタには尽きないものです。
そういうのは、様々な人達によって何度でも繰り返し語られるでしょう。
50系客車とは、そういう車両なのです。 だーかーらー、50系は>>103にもある通り、
>50系のコンセプトが「ローカル運用・日中昼寝前提・老朽手動扉旧客の置き換え」と短命前提で作られている
ただし、本当のローカルラッシュ用ではなく、旧客の置き換えであったことは、デッキ構造やドア配置からも読み取れる
「もったいない」でも、それでOK
JR貨物も各JR旅客に分けておけば、貨物列車を電車化するのは難しいため、機関車が多く在籍することになり、
それゆえ、その機関車を用いた朝夕の輸送力列車、旅客繁忙期の臨時列車にも充当されただろう
ただ、ペンデルツークが国鉄末期に可能かどうかは、法律を含めてわからん >>159
山陰末期に DD51-スハフ12-オハフ13 ってのがあったよw >>158にある通り140・141・151は同じ人ですか?
つうか、その割りにはご自身で>>140-141で推進運転と唱えているではないですか。 きのくにシーサイドの客車操縦席の速度計は 最大60km/hぐらいしか数字がなかった。
45km制限だったのかな? >>162
それなら奥羽本線の板谷峠であった
EF71+ED78+オハフ50+オハフ50
機関車2両で客車2両をけん引。 きのくにシーサイドの客車側先頭時のスタフ(運転士時刻表)のはっきりとしたやつ、どこかにネット掲載されていない?
それを見れば、運転最高速度が分かるけどな つべで前面展望動画があるからさぁ、運転時間で計算してみっか?
今、風呂んなかだから出たらやってみっか? 25mレール7本を8.7秒で走ってますので72.4km/hですかね?
別の動画では12系1車長分1.1秒かけて走ってますので69.6km/hってところ
ですね。
ちなみに別の動画で北斗星の推進運転では4車長分を7.5秒かけてますので
40.8km/hでした。
動画を見るとヤッパ違いますよ、きのくにシーサイドの方が速いゎw 推進運転は編成が長すぎると急勾配や急カーブで連結器が座屈する危険性があるな
碓氷峠でEF63の3重連で165系12連を押し上げたら連結器が座屈して脱線した
EF61の瀬野八対応改造工事が途中で中止されたのは出力が中途半端だったため
平坦路線なら後部の機関車だけで100キロ以上とか出来そうな気もするが 1200t押して突放とかしてたのにそんな簡単に座屈なんかしないから
電車は密連だし、碓氷の勾配で貨物550tは平地の5000tに相当するからな
瀬野八もそう。非常制動の時に61重連の出力が大きいから座屈した
客車の推進で座屈なんかしないよ。583と455が余ったのが50系の運のつき >>169
内容を理解せず聞きかじりの知識で適当な事書いてるのがモロバレだから
「失敗作だった鉄道技術やサービスなど」スレに連投してるのもお前だろ >>165
50系2両編成って四国だけかと思った。
情報ありがとう。 変な話
EF59重連=23700kgf
EF61単機=18000kgf
EF60単機=23400kgf(1次車以外)
EF60単機=19200kgf(1次車・クイル時)
EF67単機=21400kgf
EF61重連=36000kgfという事は、EF200仰天1800t列車(コキ36両)の後押しでもさせる気だったのか
普通、EF60の1次車以外(=EF67)を単機で運用するよう手配するだろ
EF61は電暖に交換して黒磯口、EF60の1次は中間から電動機を外し、ED63としてEF15の代替がよいかも
ペンデルツーク時での客車と機関車の連結器座屈
瞬間の圧縮力だから、編成重量と走行速度にもよる
座屈の可能性もあるし、過剰横圧による脱線の危険性もある
その点、瞬間の圧力を逃がしやすい隙間のある並型自連はそのような危険性が低いけど、
隙間のない密着自連や密着連結器はそれをモロに受けて危険性が高まる
JRになってから、DD51+オハフ50というものもあったし 確かロングシートだったよね
国鉄→JR凋落の象徴みたいな車輌であまり好きじゃなかった 一色塗り車体色の選定については適切な選定だったと思うが皆さまどお?
他の車体色を想定してみたが…、てんでダメだね、サマにならない。
許してブドウ2号だな。 客車50系を改造した「ノスタルジック ビュートレイン」の展望車2両を
連結して小海線に季節臨「高原のポッポ列車号」なら走ってる
ttp://sky.geocities.jp/y_nagaoka0924/JR441-1_KOUMI_01.html 他の単色塗りするとしても明るい色はあんま似合わなそうだね
青22やうぐいす、黄ではおもちゃの汽車っぽくなりそう
かといって、あずき色や抹茶のようなくすんだ色でも
新車のイメージとしては微妙…
ぶどう色・濃い青以外では、採用された赤が一番妥当だった
かもな。次善で常磐グリーン、ディーゼル朱か。
窓下帯を候補に入れるなら選択の幅は広がりそうだが
高校生にひっぺがされるのは必定w 塗色を決めるにあたって、以前俺が書いたなぁ。
前スレだったか、ココだったか…。
確か、 今、国鉄で使っている色で尚且つ一目で新車と分かる色
ってんで赤2号に決めたはず。 一応代替案で緑色案も提出したけど、赤に決まってホッとしたとか。 >>177
多度津〜川之江間、
平日運用3両・休日運用2両。 さすがに50系での客車1両での運転というのは、乗務員訓練とか回送などの非営業列車だけか。
まだ気動車が普及する前の在来型(旧型)客車の時代には客車1両での運転があったようだが。 山陰本線で、DD51+オハフ50(これ1両で基本編成)ってのがなかったかなぁ。 節子それ1年間だけあった久大線客車の間合い運用で4両編成や 営業列車でオハフ501両ってのは、考え方にもよるけど、団体専用で辛うじてだがあった。
四国でバンガロー列車と言って、昼間はオハフ50に乗って宿泊地まで往復し、宿泊地で一緒につないだヨ8000のバンガローに
泊まるというやつ。 宗谷線や石北線でDD51+オハフ51って無かったかな? マニ50かスユニ50が付いてたから2両か… 宗谷はマニ+スユニ+オハフ
日によっては見事に茶+青+赤! 仮に碓氷峠に1両で走ったら、機関車3両つけるのだろうか ある日、台風で抑止された駅で暇そうにしていた運転士と話した事があった。
その運転士は、その時乗ってたED75-700+50系客車をさして「自分はなんでも運転しているけど、これが一番おもしろい」と、
言ってた。 50系客車の急行は前例ある?
客車での遜色急行は殆ど聞かない
夜行列車は四国であったが 50系客車ってなんでテーブル無かったんだろう。
最後まで取り付けられなかったよね・・・。 >>199
もともと通勤通学用途だからな
普通客車で長距離なんて時代も終わりかけてた頃の登場だし 50系にテーブルつけなくて正解!
修学旅行に来て自由行動で山手線に乗って小さくなってるクセに、地元では通学定期で貸切宴会の如く車内で菓子を
食いまくる素養の欠落した田舎工房のゴミ置きスペースになるだけだw イタリアの客車の併結連結作業、日本と違ってヤワヤワせず
そのままガッチャン!
バッファー式だからなのかイタリア人気質の違いなのか・・・ バッファ&リンク(ねじ)だから、ある程度バッファを押しておかないとリンク(ネジ)が入らない
また、自動連結器のアメリカやタイは幌バッファなので、「ガッチャン」はもっと威力がある(と感じた) 南行橋、安部山公園、西小倉、小森江通過
ED76けん引 10両編成 日豊本線
朝夕2往復のみ 北斗星、はまなす廃止で定期客車列車全廃か
客車乗りたければSLのイベント列車などに乗るしかないな >>192
ED75と50系客車の組み合わせは乗っていても楽しかったよ。
一ノ関〜盛岡の話だけどね。 >>208
たしかにSL牽引の客車より面白いゎw
かっ飛びようがハンパない。 >>208
50系の運行密度としては、他の追随を許さなかった筈。 客レの常識を打ち破る1時間ヘッドのネットダイヤ
+高速走行だもんな。
上り盛岡発は毎時0分発。 >>212
701系は最高速度こそ110km/hながら、なかなかの俊足ランナーだからな。
ED75+50系客車の豪快な走りには及ばないながら、モーター音を高鳴らせて
110km/hで走行する701系もなかなかに楽しい。 >>208-211
ノッチを入れていく度に、ガクッ、ガクッ、と大きな衝撃に襲われるのが楽しかった。 >>214
最高110キロだろ
海峡線の下り勾配だけ >>199
近郊形は基本的にテーブルは付けないで作ったからね。
首都圏の近郊形はJR化後にテーブルが取り付けられたけど、新潟や長野の115系や金沢の413系なんか未だにテーブルが無いまま。
栓抜き付きテーブルと窓側の肘掛けは優等車両のステイタスシンボルだった。 701系は標準軌仕様以外は全て最高速100キロ以下運用だがな。 >>218
それは仙台地区での話では?
盛岡地区では701系が110km/h運転していたと思ったよ。 >>217 総武地下線用113系1000台で初めて普通車ボックス席の小テーブルが廃止されたんではなかったっけ?
111、113の初期型にはあったような。その後、撤去されたのか? 乗務員時刻表も確認したが、盛岡支社管内は最高速100キロだがな。
IGRも青い森になっても同様だしよ。 でも50系は最高速度95キロでしょ
海峡用5000番台は110キロだろうけど >>222
はぁ!?
ここでなんで、でもで「50系は95km/h」が出るんだよw
あなただったら、どうレスするね? 50系客車は旧型客車と比べると隔絶した印象を受けたよね。 50系(51系)かぁ〜、懐かしいなぁ
函館本線(小樽〜旭川)、東北本線、男鹿線、八戸線、奥羽線、羽越線、常磐線、
磐越東線、磐越西線、関西本線、紀勢線、山陰線、芸備線、福知山線、筑豊本線、
鹿児島本線、日豊本線、久大本線・・・他にもあったような?
仙山線が旧客時代に50系も間合いで入った噂もあるようです。
五能線ノスビューと快速海峡もあるけどレッドトレインではないので^^ 福知山線、草津線を走行していたということは東海道本線も 長崎本線に走っていたとか初耳
715系のイメージしかない 津軽線もだね
正確に書けば青森駅から青森運転所までの移動で奥羽線から津軽線を
少し走って盛アオ入庫/出庫するから一応、津軽線も走っている。 青森運転所、現センターまでの回送線、奥羽と津軽線の間にあるんだけど。 津軽線は青函トンネル開業の63-3まで蟹田行があった。
夕方蟹田に行って翌朝青森に戻る輸送力列車。電化で485に! 50系といえば唯一の定期快速夜行が四国にありましたね
高松0:46発の221列車で高地に到着したのが4:32
ttp://livedoor.blogimg.jp/railart/imgs/e/e/ee06a5d5.jpg レッドトレインじゃなけりゃ海峡があったが
14系より狭くて、優れてるのはトンネル通過位置表示器が客室扉上についてた位 >>241
高知についても寝ている客がいれば、おいこらと言わんばかりに作業員が窓をサボで叩いてたたき起こす。 50系レッドトレインは最後に乗ったのが磐越西線・会津若松→新津を
走った223レが最後になる。DD51に牽かれて阿賀野川沿いに走り、
車窓から飯豊連峰がよく見えた。日出谷駅で駅弁とりめしの立売も
あって一番心に残る50系の旅だった。冬はDD51が焚くSGのスチームが
DD51や50系から漏れて、これぞ冬の風物詩と思ったくらいだ。
1995年12月で廃止になったけど・・・ 701系になって駅弁が売れなくなった/食べづらくなった・・・と言うけれど、
ぶっちゃけ50系客車の頃から駅弁を食べるような雰囲気じゃなかったし、
テーブルも無かったから、難儀した・・・というのをふと思い出した。
東北本線の一ノ関〜盛岡の話。 話違うけど、115系も増備途中でテーブル廃止されている。 そういえば秋田の快速って名前ついてたね。
ゆうぞら 以外におものがわとあとなんだっけ?
羽越がおばこだった?青森口の岩木ってのもあった。
サボにも表記されてた。 1988年から1990年まで福島〜山形間で運行していた
臨時快速列車「かもしか」なんてもあった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています