その本は読んだ事無いが、戦前の段階で、輸送用として使用できるトンネル網が
造られていた、と想定するのは飛躍し過ぎ。
掘削技術的にも、残土輸送量の面からも無理がある。

ただ、交通網ではなく、個別に独立して都内各所の軍事拠点に地下空間が
掘削されていた可能性は否定できない。
それらの多くが、東京五輪前後の数年間で首都高速の建設に、転用されていたと
考えることが出来る。そうでなければ同時進行であんなに多くの道路が建設出来るものなのか?
(特に霞が関、青山、信濃町のトンネルは怪しい)
なお、首都高八重洲線のトンネルは、外濠を戦災瓦礫で埋立た跡を通っており、
掘削は容易。