通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
奈良電化まで、きれいな背中合わせ2連が多かったね。和歌山の45も。 奈良持ち「きのくに」の差し替えで、湊町〜奈良を走る58系6連快速は、ベンツみたいだったw 四国地区のキハ35系は高徳線、徳島線で活躍していた >>72
俺が許すから語ってくれ。
一枚引き戸だったが開口部の有効幅はキハ35系と同じ
だったっけ? 常総筑波で思ったのだが
関鉄移籍車は取手事故まで貫通路通行禁止だったよね? 301とか貫通扉の両脇に手摺り増設してあって、幌外してたような気がしなくもない 本家と分家の並び
ttp://i.imgur.com/WmNzmmP.jpg
ttp://i.imgur.com/nA6bguU.jpg 常総線内での元キハ35系とキハ900との並び
っか、35系知ってるならすぐ分っとーと 確か分家の方がエアサスでグレードが高かったんだっけ? >>78
ああ、なるほど!
サンクスです。
どちらももう引退しているのですか? 在来車新塗装でこんなきれいな900の写真は初めて見た。 キハ35の運転台助士席側は113系初期車みたいに折り畳み可能なんだな
113系は冷房化で制御スイッチ盤が増設されて折り畳みが出来なくなったのが多いはず 仕切り板、貫通路側は運転席の保護、半固定側は乗務員扉の保護。
しっかり詰め込める高度経済成長時代向けによく考えられたギミック。 外貫通ドアを運転席保護にするのがある。
あれは風が通り抜けて、寒いぞ。 寒いといえば、関西線も加太辺りは内陸の山の中なんで冬場は結構寒いんだよなあ。 そこを外釣り3ドアロングシート車で越えるマゾヒズム 関東鉄道の元キハ30、正面に補強がないから何か違った感じなんだよな 乗車率300%だとDMH17Hが1基であるために物凄く加速悪かったのでは?
気動車は応荷重制御が難しく初搭載がキハ201だとか 運転曲線は全部コミコミで引いてあるから、心配するな。
起動抵抗さえクリアしたらなんとかなる。
問題は止まる時。雨で満員だとズルズルいくだろうし、最大圧で締めたら緩解不能なんてあるそうだよ。
旧国でも。 >>87
地元の桜井線が、電化された後に前面強化が始まったのか、ない方がしっくりくる。 >>89
最近の電車と比較すれば低加速度。
でも、新製当時に走り回っていたSL列車と比較すれば、はるかに高加速性能。 >>89
川越線のラッシュで乗った時には特に加速悪い感じじゃなかったぞ >>93
だいたいどの駅も平坦だけど、指扇だけは東西とも駅出てすぐ登り坂なんだよね。
スプリングポイントだったけど、構わず加速かける人と最後尾が出るまで我慢する人と様々だったな。
後者の上りだと今の西大宮辺りまで変速で引っ張り、直結にしたら新大宮BPくぐるまで力行とか。
あれから30年…。 和田岬線が極端だったな
気動車で3M3Tって割り切りすぎたな
30キロしか出なかった
ミャンマーでは現在でも気動車で2M4Tとかやってて20キロ位しか出ないらしい >>95
回送時は結構飛ばしてたぞ
知らないなら書き込まなきゃいいのに >>87
キハ100は補強なしより、標識板掛ヶ、手すりやステップを撤去して、外はめテールだけ目立ってるから違和感があるね。
国鉄時代のキハ30だと、マフラー筒横の席から前見るのが楽しみだったけど、たまに座席の下からプスーッて音がしたから、おならも隠せた。
あと、ミャンマーに行ったキハ38の動画が上がってるけど、扇風機のキューッって音もそのままで懐かしい。 東日本のエンジン換装車は、使ったのは施工から正味5年くらい?
解体時にスペアに回されたろうけど、足尾の保存車は搭載されたままなのかな。 相模線には35-100と30-100の100番コンビがいたんだな 関東鉄道の元キハ30の乗車体験に電話で申し込もうとしたら、速攻で定員に達してしまったようで申し込めなかった
他の形式の時はそうでもなかったのだが、元国鉄車は人気あるんだね 水海道の元キハ30、だいぶ錆付いているね
このまま解体? >>98
足尾のやつは自力であそこまで来たからエンジンあるぞ。
7年前だかに保存会によって車体は綺麗に整備、再塗装もされたが足回りはまだ整備されてない。
一応は動態保存も視野に入れているらしいが、わ鐵も保存会も資金的に厳しそうだ。 八高線での97キロ激走が忘れられない。
初めて乗った気動車だった。
加速中のエンジンの唸り、中立になった後の静かさ、動台車の固い乗り心地、押しボタンで開くドア、畳める車掌室。
どれも新鮮だった。 >>105
キハ35の関西本線快速に乗ってみたかった
電化後の103系快速の爆走ぶりを見ると、すごいことになってそう
キハ58の伊賀忍者号には乗ったことあるけど、臨時だったせいか大した走りじゃなかった この時期になると思い出す…
「暑くて窓を開けたら、熱風が外から吹き込んできたw」
キハ30系時代の相模線の想い出 夏暑く、冬寒い車だったな
碓氷に通ってた頃、東上民だったからよく乗った。
冬は38が入ってたらそれに乗ったけど
夏の38はあまりクーラー効かなかったから30/35で窓全開。 >>105
やろうと思えば、キハ40系でも時速100キロ近くは出せる。
エンジンの負荷はものすごく大きく、マーチで言えば、180キロを出すような状態に等しい。
※烏山線のキハ40に乗った時、宇都宮線に入った時には、エンジン全開で95キロ以上まで出していた。
宇都宮線は比較的平坦で駅間距離が長いので、キハ35系でも100キロは出せるぞ。 >>104
東の除籍前に持ち込まれたの?
西桐生で破壊される記事しか知らないので、足尾へ自走は初知りです、ありがとう。
もしレストアするなら、資金はともかく大間々でないとやりきれないよね。
ここまで時間が経つと、エンジン本体はもちろん電装やエア系もガチガチだろうし。 >>106
小学生の頃、奈良区のSL撮影に行くときに乗ったが
爆走していた記憶はない。 113系も35も最高速95km
加減速と勾配均衡でおとるから速度定数は落ちるけど、大和小泉あたりは爆走してた。 加古川線で外吊り扉を目の当たりにしたときは衝撃だった
加古川駅で扉の開閉を飽きもせず眺めてた >>113
加古川線ならキハ35眺めて
衝撃受けてる場合じゃないだろ!
伝説の珍車キハユニ15は見なかったのか?
特に小窓に改造された3を ああそう言われてみれば加古川線にそんなのがいたっけなあ 奈良線で通学に利用したよ、小さい灰皿が懐かいわ、大回りで乗り鉄した時、木津ー奈良間の爆走が忘れられない。 >>117
確かにいてたw
しかし小窓&スカート付きは加古川線だけ! >>117
和歌山線・桜井線は2ドア車のキハユ二16な。加古川のよりスタイルがいいよ。
一時期、キハ35みたいな切妻のキユニ19もいた。 >>121
切妻といえば、キハユ15だな。
幼少の頃一度見ただけで強烈な印象とともに記憶に焼き付いたわ。 相模線に居た、強烈な印象の車って、何だろう?
リアル世代じゃ無いもので… >>123
電化直前(1990年頃)なら、やっぱりステンレスのキハ35-904が筆頭だったでしょ
その次が更新車のキハ30-62・100あたりか?
その当時の相模線キハ30系は、後天的な改造(ヘッドライト・補強・更新など)で
各車がそれぞれの個性を出していたように思うけど 晩年の白に青帯でも充分インパクトあったわ。
八高線転籍後のタラコ色との混結も。 八高線転属後のドアだけタラコのほうがインパクトあった >>126
ドアって貫通路のでしょ?
あれは何でも有りだったね >>123
タイフォンが幕部にあった30-26とかなんかも印象的だった 90/2/18
キハ30 34↑八王子
キハ40 2087
キハ30 503↓高崎
DD51 887
ホキ55719
ホキ45727
ホキ5732
ホキ45702
小宮だったかな? タラコ色のは田圃の中では良く目立ったな
晩年に緑色に塗られたのが現れたがあれは保護色になって保安上はイマイチと言われた >>132
川越線民だが電化して緑色の電車になったが特に問題なかったぞ トラムウェイの相模線キハ30模型だと、前面の青帯は補強板付きの位置。補強板なしはもう少し低い、ただし例外あり。 >>138
キハ30-46(元久留里・木原線)あたりがその例外だったっけ? 前面補強板着く前に電化されて、見なくなったなあ。
なので、補強板ある方が違和感あるわ。 補強板ていわばアングル材だな。
貫通路有りの前面、横はすぐ乗務員扉でどれほどの防護性だったのか今見ると疑問だわ。
あの分厚い鉄板はそのままに、運転室内側に食い込みそうだもん。 >>140で思い出した
相模線電化後に久留里線に転属したキハ30-62・100は、
転属後に前面補強板を付けてたんだよね
相模線時代には、車体更新はされたけど補強板までは付けてなかった 相模線だが、35 156はプロテクター無し、35 165はプロテクター有りだったな。
あと、押し込み通風器の30 505、30 506が目立ってた。
日中の2連は30 41、30 42の出番が多かった印象。 相模線は前面強化車少ない
八高線は前面強化車多い
ってイメージ
特に八高線の30で相模線からの転入車じゃないのだと30-19と503くらいしか強化無しのはいなかったかと思う >>144-145
35-156は相模線にはいなかった(158だったら補強付→関東鉄道で部品取り)
相模線色時代のキハ35で補強がなかったのは、81,97,101,103,170,212,524,531,904
逆に相模線色時代のキハ30で補強付だったのは、14,80,505の3両のみ
非電化時代の頃に既にデジカメがあって、詳細な写真でも激写できてたらなぁ… 応荷重装置が無かったためにラッシュ時の運転が大変だったのでは?
ただでさえエンジンがDMH17Hの1基だけでラッシュ時に乗客の重みで加速が滅茶苦茶悪かったはず 満載の通勤客を降ろしたら、ブレーキテコの位置が変わって緩解できなくなった、という話は読んだことある。 >>152
関西線朝ラッシュの湊町行きが超満員で天王寺駅に到着し、乗客が大半下車したのちに
緩解不良発生の流れな。 >>155
この時に対処法ミスってブレーキコックを閉めたまま発車させブレーキが効かず駅ビルに突入してしまった
油圧式車止めを装備していれば壁を突き破るなんて事は無かったのに
最近は線路の摩擦を利用して衝撃を吸収するタイプもある
https://www.youtube.com/watch?v=49LLkbLU2lY ほんの短い間、酒田〜新潟でも走ってた覚えがあるよ、6両編成中2両ぐらいがキハ35の時期があったか、
新潟駅到着は昼前で、鶴岡までは良くても新潟駅の通学時間帯は電車じゃないと無理、今のキハ40より出足は軽快だった印象だ。 避けられる環境の人はいいよなあ
オールキハ35だったんだぜ
もっとも電化して103系になったらドアの数増加&ドア開閉ボタン無しで開けっ放し
と余計寒い仕様になったわけだが >>156
近鉄の青山峠事故も類似しててブレーキ不緩解の対応処置をミスってコックを閉めたまま発車させてしまった
しかも安全側線に100キロ近いスピードで突っ込んで正常に機能しなかったとか >>160 先日、近鉄スレで話題になったけど、青山峠の場合はコックが閉まった状態で車止めを外してしまったのが原因だよ。
コックを閉めて空気ブレーキのタンクにエアーが入っていなければ、モータは作動しないというフェイルセーフになっていた。
しかし、下り坂になっている所で、モータに電気ブレーキ、そして空気ブレーキも作動しない状態で車止めを外したから、電車が暴走し始めたというわけで。
キハ35の場合、空気ブレーキが機能しなければエンジンがかからない、といったフェイルセーフになっているのかな? >>159
ドア開閉ボタン付きの人はいいよなあ。
ドア開閉ボタン無しのオールキハ35だったんだぜ。
もっとも電化して101系になってもドアの数増加&ドア開閉ボタン無しの開けっ放し
と、あんまり変化なかったんだが。 >>159
電化して半自動ドア対応車が入った相模線は、まだ天国だったんだw
#初年度の夏は、冷房ガンガンでドア開けっ放しだったけどなw 確か35の半自動ドアは、ものすごく軽かった覚えがある、
東京か近辺から旅行に来た女子グループは、半自動を知らないで立ち往生だった、一人が「あ、確か八高線もこうだったと手で開けた」 半自動ポジションだと、解錠時3センチぐらい開くよね >>162
片町線か
長尾-木津電化の時まだギリで101系いたんだな
>>163
ガミ線は新車投入だから恵まれてたな >>167
川越線な
それも川越以東
大宮-高麗川間の電車は半自動だったけど
それもじき無くなった