通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
碓氷鉄道文化むらのキハ35901のトイレは汚物処理タンク付いてる? 和田岬のキハ+キクハ
過去どこかのスレで走るのがやっと程度の性能みたいなこと見たけどそうだったの? 殆ど客車と同じ位だっただろうな
機械式気動車も付随車ぶら下げてて異様に加速が悪かったのあった
氷見線のキサハ34もキハ58・28でサンドイッチしてて4両編成でエンジン3基だった >>477
キサハにもエンジンなかったっけ、キハフ? >>478
キサハは12系客車を改造して作った。
キサハにぶら下がっていたエンジンは、スハフ12の発電用エンジン。
それで編成全体のクーラーに給電して・・・たんだっけ? ミャンマーだともっと凄くて気動車なのに2M4Tとかある
しかし20キロ程度しか出ない 和田岬線のやつは速度種別どれ位だった?
恐らく10‰均衡30キロ程度? 関東鉄道にはもう元キハ30・35・36はないんでしたっけ? >>482
乗車記憶では、とにかく加速が遅い、です
ただ、もともと高速での走行など期待していない線区のため問題なし、らしい
その時代でも、他に比べて超低出力編成
よく問題なく運用していた、と思っていました 質より量感半端なかった
西武にも昔釣り掛けで2M4Tがあって加速が悪かった >>487
あれはナローゲージで車体が軽量なために出来た荒業
ナローゲージ以外だとJR四国で6000系+7100形の1M3Tがあるが加速度が1.6km/h/sとか旧型国電並みの性能 加速度が低くてもローカル区間なら支障ないという判断かな 質問なんですけどキハ30や35の白熱灯(原型)ライトで前面補強板ありっていましたか?
地域は問いません。 1灯シールドビームの車両があったな
京浜急行とかでよく見られた形態だが国鉄では非常に希少
しかし球切れしたら交換しなければならず大変だった?
2灯ならば片方切れてももう片方でカバーできた ステンレス車両は一度塗装すると剥離が困難とか話があるが実際どうなんだ?
キハ35 901は塗装された状態で碓氷峠鉄道文化むらに保存されてる
アルミ車体だと剥離した事例があって山陽の3500・3501が一時期塗装されてた >>492
台湾のDR2700形に正面警戒色を剥がした事例がある
https://railf.jp/news/2017/08/15/201000.html
ただ高解像度の画像を見るといかにも頑張って剥がしたんだろうなぁという感は否めない >>493
これは周辺の枠がオレンジなので白熱灯
1灯シールドビームはライトケースがすり鉢型で枠も含めて全体が銀色 EF81 300番台でも301と302は関門トンネル復帰後も剥がしてない
302は片側の側面が衝突事故で平板に変わったが普通鋼で剥がせないとかデマがあった >>495
あんたじゃなくて490にレスした
アンカー間違えた SUS無塗装は現場が塗装の仕事無くなるとかで露骨に嫌がってたな
サロ153-900番台(あれは骨組みが普通鋼のスキンステンレス)も結局塗装されてる
汚れが落ちにくいとか特許絡みであの当時東急車輌でしか作れなかったのもあった
本格的に導入したのは205系からだが東急が握ってた特許を無理矢理公開させた 旧鍛冶屋線の市原駅に保存のキハ30 2連を見てきたが、清楚な加古川色がとんでもない
カラーになっていて泣けた。
もちろんオリジナルの表記など何も残ってない。
忘れ去られ、放置され、痛むだけ傷んで不気味なものとして潰されるより、市民相手
にこうなった方が長生き出来てキハ30も幸せなのかもしれないが。。。 床面積が広いのを活かして荷物輸送出来そうだな
但しカゴ台車に載せる場合ステップが邪魔 キハ35といえば、俺的には八高線のイメージが強い。
昔子供の頃、東京の西部に住んでいたが、高崎線経由より安いという理由で
親は信州への帰省ルートに八高線を選んでいた。 >>500
実際にデッキ無しロングシートはたいていは代用されてるよ。
カゴ台車(=パレット台車)はむしろ珍しくて人海戦術で積み下ろしだったからね。
アコーディオンカーテンがついてたりロープと看板だったり、なにかしら乗客と仕切っていた。 ひまわり号で使った事例ある?
車椅子を大量に乗せる場合床面積が大きい車両が有利で近郊型が良く使われる >>498
複数のメーカーに発注させるのを大前提にしてる国鉄としては、
東急1社でしか造れないような特殊な車両は嫌がるというのはあった。
205系が製造された頃はもう既に国鉄分割民営化が不可避の情勢だったこともあって、
東急が握ってた特許を無理やり公開させることができた。 近車式オールステンレス工法の試験車があっても良かったのに
バッド社や東急車輌の特許に抵触しないようにしたが結局東急車輌にライセンス料払った方が安上がりで近鉄3000系のみの採用だった >>491
相模線のは新塗装化と前後して消滅してたけど、八高線の35-527.530とか久留里線の30-501とかは民営化後も一灯シールドビームでしたね 900番台が首都圏色でJRに承継されてたらJRマークが貼れない問題が出てくる
EF81-300番台はプレートを溶接してた
904が相模色でJR東に承継されたが前面の車番がプレートだった >>501
自分は近畿のオマケ県出身だが、当時子供の頃は紀勢線の和歌山口、和歌山線が非電化で普通列車は
ほぼキハ35・36の食パン祭りだったな。73年関西線電化で流れ着いた(置き換え)ものが殆どで、
それ以前の自分にとってリアルな記憶がない時代は一般形のキハ17系、20系、45系
さらにキロ格下げのキハ26の400番とかも走っていたがほぼ一掃されてしまった。。
首を後ろに回して景色を眺めるのがキツかった思い出よ。 キハ35系統は保存車の数が異常?だよな。
@会津鉄道
A足尾駅 2両
Bいすみ鉄道
C碓氷鉄道文化村
D関東鉄道・・・倉庫
E鉄道総研
F美濃太田
G鍛冶屋線市原駅 2両
H鍛冶屋線鍛冶屋駅
I水島臨海鉄道
Jヒロサワシティ 2両
と14両?も残ってる。
486両製造されたキハ55系系統や179両製造されたキハ45系統が1両も保存
されていないのに、キハ35系統は製造台数413両の約3%が残ってる。
そんなにエポックメーキングな車両とも思えないんだけどね。。。 旧国の72系がほとんど残ってないのと対照的ですね… キハ35系がその能力を存分に発揮した路線はほぼ全部電化されてるからな。
電化されなかったのは関鉄常総線くらいだ。
でも、保存されているところでキハ35が大活躍したところが少ない不思議 まあ大活躍とは言わないまでも碓氷と総研以外は入線実績あるところばかりだから 現状で適してるのは芸備線くらいか
非電化で通勤通学が旺盛な路線が少ない
札沼線は冬季使用不可 >>512
大活躍っていうと千葉局とか天鉄局とかがまず思い浮かびますね。
が、キハ35がこの世を去る頃には千葉にも天王寺にも現役を知る頃の人がもういなくて
誰も保存しようという発想に結びつかなかった、とかでしょうか。。。
末期は相模線とか八高線とかですし、キハ30は大宮新製配置もあった訳で大宮には
1両位保存されても良かったですよね。
特に新製配置は近畿でも最後は茅ヶ崎や高崎で廃車になったキハ30・キハ35のトップ
ナンバーのどちらかオリジナル塗装に戻して大宮に残してもらえばよかったなぁと思います。 大宮駅↔鉄博のシャトル列車とか
ニューシャトルはいかにもメンドクサイもん >>518
大宮機関区のキハ35系配属は8年位と短かったからなあ
>>519
ニューシャトルの客減らしちゃいかんでしょ そーいや一時期水戸(水郡線)にも35系いたな。
そう考えると関東で35系居なかったのって群馬栃木だけ? >>518
大活躍と言うか蠢(うごめ)いてたという感じだなw
ドン臭いディーゼルのそのまた通勤タイプなんて誰も歓迎ムードじゃなかったんじゃない?
単に人を運ぶハコと言う感じ。都市近郊なんて早期に電化スピードアップが求められてたんだから。 ”蠢いていた”・・・、見事な表現ですね〜w
確かにホームへの進入速度も遅いし、発進の時もゴロゴロガラガラとウルサイ割には
全然速くも力強くも無い。
それでいて大きな駅だと動いているのも止まっているのもなんだかあちこちいて、
あっちで出て行ったり、そっちで入線してきたリしているような感じで、まさに
”蠢ている”様な感じだった。
一方でキハ58の長編成急行なんかだと、キロも居るし発車の時の物凄いエンジン音と
垂直に噴き上げる排ガスが各車凄くて、そこそこ加速力もあって4連程度のキハ35とは
迫力が全然違った。
キハ35は溌剌・快活・躍動・強力という類の単語とは無関係の車両だったかと。 >>507
キハ35-904がJR化後に相模線に転属して、翌年に相模線カラーになるまでは
確かJRマーク自体貼られてなかったぞ >>522 八高線はともかく、足尾線にキハ35って米坂線同様、場違いのように思える。
キハ17が老朽化し新型回せる余裕がないので、これを当てたのだろうが。東北、上越新幹線開業後はキハ58を回せるようになったのだろうが、少し早かった。 それでもキハ35の関西線快速は阪奈間で準急かすが並みの高速運転をやってたし、
阪奈間では東京直通の客車急行大和よりも速かったぐらいだったけどな。 80年代半ばまで雑草のような103系だったが、
そのディーゼル版のキハ35系になると色々
味わいがあるのは何故だろう?
んでも昔九州の田舎でキハ20とかキハ58のチャンポン編成にロングシートのキハ30?キハ35?が混ざってると自分も周りの人も避けてたなあ 笑 後々の転用で使い道に困ったよな
ラッシュ時以外持て余す
真ん中の扉を塞いでロングシート延長工事やってもおかしくなかったはず そう考えるとロンシーよりも三扉のほうがネックだったのかな 外つり扉なので寒いとこへは持って行けない(後にキハ47が配置されたところ) >>532
それなのに、キハ35には500番台がある 乗ってる分には全く関係なかったが
押込み型ベンチレーターには高級感画像をあった 500番台は隙間風が多くて悪評付けられた?
ベンチレーターが押込み型なので天井から雪が入ってくることは無いがドアの隙間から雪が入ってきそう >>530
> 真ん中以外の扉を塞いでロングシート削減工事
なら、実際にされたというのがなぁ 関東育ちの俺には103系の気動車版通勤仕様というのが想定外なんだ。通勤仕様ってのは、
2分に1本で駅で前の電車が駅に使えていて
先頭車だとATCがちんこんちんこん言うのを
手で止めて徐行して進むそんな殺伐とした
ところがいいんじゃねぇかって車両を言うんだぜ。通勤用って言いたいだけなんじゃないか?
オレの感覚では、郊外ローカル線用。これだね。 とは言ったものの、首都圏以外の通勤路線は
朝のラッシュ時間帯4両5両編成で、30分くらいのピークでギッシリすしずめ状態で
それ過ぎたら1車両5、6人の閑散とした
すごく極端な利用状況なのかね?
呉線広駅のC62C59後にEF58が数分置きに発車
していくなんてすごいシーンが有名だが、
しかし極端なピーク時に合わせて車両をやりくりするのは大変だよなあ 転用先に困ったってのが思い込みだからな。散々増備して房総や関西線が電化しても転用先はあった
製造が昭和38から41年で初廃車が昭和59年。十分使っただろ。キハ38になったのもいるし >>537
それどころかエンジン下ろして制御車化したのあってもう滅茶苦茶
速度種別H0程度(=10‰均衡30km/h)だったとか? あの当時のJR西は何か狂ってたな
氷見線に12系改造のキサハ34を投入して加速力度外視で輸送力増強してた
キハ58・28でサンドイッチするので4両編成でエンジン3基になって加速が悪化した >>541
和田岬線は勾配もないしスピードを出す必要もないから、
詰め込みさえ利けばいいという考え方だったんだろうと思う。 和田岬線は客車時代とダイヤ変わってなかったな
客車やキハ35の頃は30キロ程度しか出せてなかったが103系になって85キロまで出せるようになり時短になった >>529
気動車が走る沿線というか地域って、都会よりは田舎のイメージ。
その中でキハ35が似合う風景だと都市近郊だが適度に自然があり、また生活感もあるが
決して洗練はされていない、昭和的な地域。何というか「地元感」「実家感」漂うまったりイメージ。
都市近郊と言っても東名阪じゃなく、その衛星都市(千葉、神奈川、兵庫とか)や地方の中核都市。 まあ旅情や郷愁というより、あまり写真映えしないもっとリアルな風景、日々の営みが見える風景に
キハ35はよく似合う。そのリアルさもまた味わいになってしまうものかも。
連投すまぬ。 >>546
わかります。
でも、首都圏色+前面強化+シールドビーム+外嵌テールでは台無しですね。 >>547
その感じのルックスってどうしても末期国鉄の悲惨な時代がオーバーラップして、
味わいと言ったものは程遠い、ただ現実だけが晒された印象になるねw
やはり70年代までのオリジナルスタイルがいい感じで「かつての昭和の国鉄」的なモノが伝わる 八高線スレにキハ35の走行映像がいっぱい上がってた。 >>545
その点関西本線の奈良県内はドンピシャでそんな感じだったな! "東名阪” ひがしめいはん=亀山〜名古屋の高速道路。松原〜天理が”西名阪”(にしめいはん)
"東名阪” とうめいはん=東京・名古屋・大阪の三都市を指す
>>545は後者の意と思われる
なお、関西本線が一番"沿って"走ってるのは旧中在家信号場付近の”名阪国道"かな D51とキハ35が交換する中在家信号場の風景は昭和40年代国鉄の懐かしい瞬間 足尾に保存されてるキハ35 70って日車製造なのはわかるんですけど名古屋なんですかね?わかる方いませんか? >>554
地元のクルマだよ
1964年11月10日製造 日車 千葉 1974年11月11日高崎 1996年9月10日廃車 >>555
>>554は多分名古屋の日車で製造されたの?ってことじゃないかな。
オレは知らんけど。 >>556
ああなるほど
俺も知らんけど
当時の日車って蕨の東京工場以外で旅客車両作ってたっけ? 日車のHP見ると1972年/昭和47年に名古屋製作所閉鎖と記載があって14系客車が
最終出場セレモニで写ってるのが載ってる。
ここでキハ35も造っていたんでしょうね。 関東鉄道が独自に作ったキハ35もどきってなんか不気味だよね。。。 >>545
私は元福生市民で八高線沿線民だったが、
キハ35のいる風景、まさに「地元感」「実家感」ドンピシャだった。
唯一、場違い感があったのは、東福生ー箱根ヶ崎間の、米軍横田基地の敷地内を走る区間だった。
(もちろん線路はJRのものなのでそこは横田基地じゃないんだが)
なつかしい思い出だ・・・ >>563
×:キハ35は永久に不滅です!
〇:キハ30・35・36は永久に不滅です!
書くんだったら、こう書かないとダメじゃん。アンタ、もぐりだろ >>564
両運とトイレ無し車は嫌いなのかもしれない。。。 和歌山線 キハ35 で画像検索すると出てくる あと奈良線 和歌山線も70年代(昭和50年代前半)まではキハ10や45とかクロス車が連結されてたが
80年代から電化までの末期はキハ35、36だけになってたかな。が電化されてもお古改造の105系・・w
何本かは天ナラの113系(春日)が入ってたが、それでもあの頃の和歌山地区の車両はお粗末な時代だった
まあゴハチがいつでも見れたのは今にしてみればいい思い出か。 ちょっとスレチな昔話ですまん 夏は涼しかったが冬寒い
風通しがいいから車内なのに排煙くさい
↑のイメージしかない
ちなオリジナル線区の国鉄関西本線(昭和60年以降)が原体験 当初の都市近郊の通勤用としてデビウしたけど、千葉や関西線以外は普通にローカル色豊かな地方線区にも
ぴったり雰囲気的にも収まってたな。やっぱ非電化(ディーゼル)ってローカルなイメージ。 >>570
ゴハチのクロスシートはゆったりしていて快適だった >>573
電化直前の八高線はすごかった。旅行中に朝ラッシュに遭遇したけど
「満員気動車」で編成も長く、まさにこの系列の面目躍如だった。 >>564
指導するんだったら「キハ35系は、と書きなさい」だと思うが
どーでもいいけど 通勤型DC走らせるぐらい需要があるなら電化しろや、という考え? 和田岬線のやつは所属車両基地が鷹取工場で「工場」に車両配置してた希少事例だな
他に変わった事例は左沢線のキハ101が「電車区に配置されてた気動車」だった >>578
岡山も一時期「岡山電車区気動車センター」だった
あと、気動車じゃなくて電車だけど、西日本207系が一時期、「吹田工場高槻支所(京スタ)」に配属されてた >>579
前者って単に区所の体系区分が一時期そうだっただけで、
区所の実際の現場は本格的(国鉄岡山気動車区〜)だからな。 キハ35のドアエンジンはドアの中にアームを通したとか凄すぎ
ドアの内部が空洞になってる 水海道に放置された関東鉄道のキハ301はまだあるのかな? >>582
元筑波鉄道 キハ301>元々国鉄キハ30 16 高タカ一 の事ですね。
二年前2月20日のイベントで基地に入った時は有りましたよ。
古い情報でスミマセン。。。 小田急の昔の車両みたく通風グリルにすればよかったのに わざと指や腕出したりしない限り平気なくらいしか開かないよ 別にストッパーなくても「わざと指や腕出したりしない限り平気」だけどな 開くには開くが、開口面積がかなり少なかった気がする それにしても側面の窓部分が多くて見通しのよい車両だと思う
水島臨海で戸袋窓のないキハ37と連結されているのを見てより一層実感した キハ35 217の便所窓
或る意味キハユニ25 7と同類 この系列は当初、気動車標準色で登場したわけだけど、
正面貫通扉部分の塗り分けと、幕板部分の朱がない変則塗り分けだったけど、
キハ10系や20系と同じように塗った場合を、絵ヅラ的に見てみたいんだけど
そういう、「別の世界線でありえた系のウソ電」を
作ってる人とかサイトとか、どっかにあります? >>593 キニ19やキニ16の前面がそれに近いのでは。改造型気動車だけど、キハ35同様の切妻型前面にしたもの。 >>595
どちらかといえば腰回りの段差ないだけ
キニ16が近いかな?
でも16でも前照灯がちがうよね 外吊りドアが出っ張ってる分車体幅がキハ20より広かったな
キハ58とほぼ同じくらい 先頭が車体断面の小さい10系気動車で2両目が切妻のキハ35だと、後ろから10系気動車ギリギリまで顔近づけてキハ35が「威圧している
ように見えてキハ17やキユニが可哀想に見えた >>560関鉄のは国鉄、JR-Q、JR-Eからの中古車でトイレを撤去して窓を取り付けた車両、後にエンジン交換と冷房取り付けが行なわれている。 >>567久留里線の復刻車と関鉄の塗り分け位置が少し高い353と354 関鉄と言えば、水色の「スト権スト」車の他数量が関鉄引退後フィリピンに渡ったんだよね。
なんかすごいカラーになってたけど。。。。 >>603
回答的にはおかしくないけど
その人は標準色現役時代(国鉄当時)に居たか?って質問だと思う 常磐各停に乗り入れた小田急4000系から関鉄の気動車に乗り換えた。
平日一日一回のみ可能。 高校生のときに八高線のキハ35に乗っていたが・・・
満員状態でもすいてる時でも、あんまし加速感はちがわなかったような気がするな
いつでも加速悪い。 加速というより発進までのタイムラグは満員時のほうがあったように感じる 国電101系やその他のスレで加速について書いている人と同一の人? 今日碓氷峠鉄道文化村に行ったが、キハ35901には鍛冶屋鉄道跡地にある3両のキハ30では撤去(盗難?)されているタイフォン
が付いていて模型作成に当たっての参考になった。
あと35901の台車部先頭部には鍛冶屋のキハ30にはいずれも付いていない緑色のタンクの様なものが左右両側についていたのだが
あのタンクの機能は何なのかどなたか判る方いらっしゃいませんでしょうか・・・? 久留里線で走ってたキハ30をさいたまの鉄道博物館に保存して欲しかった 国鉄の頃の気動車の加速は概して悪め
平地なら、満員でもそんなに加速がさらに悪化という印象は無かったです(もともと悪かったから)
むしろ勾配区間では厳しい速度の方が印象的 真ん中ドア閉鎖改造を行った車両が出てもおかしくなかったはず
田舎で3ドアは明らか過剰だし冬に隙間風で寒くなる
和田岬線は片一方の側面の2か所を閉鎖してた 田舎でも昔は通学の高校生が多かったから詰め込み要員のキハ35系は重宝してたんだよ >>615
岩徳線で、中ドア冬季締め切りのキハ35に乗ったことがある
ただし冬季だけの暫定みたい
効果はありましたね 首都圏色+補強板付き+前照灯1灯(シールドビームではなく電球の大目玉)の資料や画像ってありませんか?
奈良と千葉(木更津)にはいたらしいんですけど番号も何も分からず…
他区所にもいたら知りたいです >>618
「キハ35 画像」でgoogle検索してみりゃいいじゃん
まさかそんな簡単なこともやってないわけじゃあるまいな?
そういう、まず自分でできることやってからだぞ。ここでそういうことを聞くのは。 >>603
関鉄353,354は自社カラーに合せているので色合いも少し明るい色になっている。 >>619
調べ方が悪かったようです
質問してしまい申し訳ありませんでした 基礎知識級の質問で恐縮ですが、キハ20あたりも含めて
電車用のコルゲートのないシールドビーム2灯カバーを取り付けていたのはどこの工場でしょうか? 大宮ですか? キハ28やキハ55は言うに及ばすキハ20でも編成内に居たら絶対乗らないキハ35だったが、今思えば懐かしい。。。
キハ17しか選択肢が無くても17の方に乗ったよ。 隙間風凄そうだよな
寒冷地型はあったが寒冷地での使用に適さない フィリピンに行った元関東鉄道のキハ35系6両はまだ現役ですか?
ネットでググったけど、現役かどうかわからなかったので。。。。 103系みたくラッシュ時の乗客の重みで台枠が歪んだ個体あったとか? >>629
Googleで出ないならXで試してみる
もちろんどちらも検索語句はあれこれ試す
(XアカないならYahooのリアルタイム検索で) 加古川線沿線にはキハ30が3両も保存されている!! >>627
>>628
冬季の寒さは別格、他の選択があるなら絶対に避けるべき車両
まさに同じ感覚です
特にダメなのが耐寒をあまり考えていない冬の九州で雪が降った時
ドア開けっぱなし、隙間風、運が悪いと九州でも雪、で極寒状態
キハ58やキハ55が天国に思えるほど暖かかった
同じロングシートのキハ26 600でも、デッキがあるこちらの方が良い
1両でもそれがあると、人がその車両に集中して、キハ35は乗客ゼロを複数回経験 和田岬線か美祢線で乗ったのが最後だが
どっちが先でどっちが後だったか思い出せない 南大嶺/大嶺間を乗った時に乗車が、キハ30であった記憶
激熱の真夏、暑い記憶だけしかない 日本海から吹く冷たい風が外吊り扉の隙間から入ってきた
氷見線キハ35の記憶 >>637
南大嶺 大嶺間
行きも帰りも乗客は自分を含めて2名だった 自分の時は、下りは結構乗っていた
上りはごく少数だったね