通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
亀山や名古屋〜港町の運転(奈良から西は通過駅あり)でもキハ35だったのですか。 トイレ前のクロスシートで窓全開にしたら八高路面悪いんで
窓がおちてくるんだ。構造上首チョンパや指切断は無いが >>388
そらぁもう変わりますよ。
回転が抑えられてるとはいえ直結でのグイグイ感は比べ物にならないね。
余談だけどその後に花輪線のキハ3連(58+58+52)に乗ったら、28‰以上の登坂でも直結50キロ台で走ってたんですね。
技術進歩はスゴいなあとつくづく。 >>389
キハ35で通しというのもあった
しかし、キハ17 だと前に足が伸ばせるだけ35のほうがマシ(冬は除く)だった気がする 戦前に設計されたエンジンを比較対象に進歩とか言われても困るわあ ところでキハ35系のエンジン換装って何時頃何両くらい行われたんだ?
エンジンは何? JR東日本の場合はアルカディア号火災事故がキッカケではないかと たまにはキハ30 51のことを思い出してやってください。 >>393
それほど国鉄の頑なさ、モデルライフの長さはが世間から取り残されてたと言いたいのですよ。
大量生産に走ったから変えるに変えられなくなったし。
>>394
いかにオール2エンジンでも昔なら直結なんざ無理な勾配という例え。 昔はキハ35の中でも普通に喫煙できたんだから昭和ってすごいよね。。。。 >>401
いや、JR世代の211系ロング車や415系1500番台にも灰皿があって喫煙できたんだぞ。
床が焦げているだろう?
八高線のキハ35はなぜかJRマークが貼られなかった。
30には貼られたのに。 >>401
平成初期でも、小湊のロングシート気動車は喫煙可だった。
ちなみに灰皿は無し。
足で踏んで床に捨てる。 >>401
ドア横のポールに小さな直方体の灰皿が付いてたな。便所クロスには付いて無かった。 >>403
確かに床には火種を踏み消した▲の焦げ跡が沢山付いていた。
クロスシートだと灰皿に近い窓側の席の下にはあまり焦げ跡は無かったが
通路側には座席の角の下辺りは▲焦げ跡が多かった。
灰皿から遠いからと言う事は灰もポンポン床に落としていたんだろうな。
令和の今じゃ全く考えられない光景だwww 昭和60年だから、国鉄末期だし、同線内のローカル区間ではあったけど、
この形式がソコ対象への新規導入線区である本来の関西本線(奈良-亀山間)で乗ることが出来たのは
幸運といえるのかな。もちろん乗った当時はそんなこと知らなかった。 1両営業用1両部品取り
ただし冷房がないから涼しい季節にしか動かない ディーゼル車を3ドアにするために大変な苦労があったことをこのグループの逸話で知った >>414 関東鉄道は元南海のキハ5000改造して、中間に外吊りでない両開きドア2つ増設し4ドア車にしているんだが。 >>418 元小田急キハ5001か。あれは車体幅がキハ17並みだから増設ドアを外吊りにしたのでは。 今日関東鉄道のイベントに参加したが、プログラムに.水海道の車両基地見学と撮影会もあった。
そうしたら基地の奥の方にキハ301、元高崎のキハ30-16が物置に使われていたのを見た。
保存じゃないから塗装とか外観はボロボロ。
痛ましい姿だった。。。 キハ35系列は結構あちこちに個体が残ってる。
一方、キハ45、キハ55系列は1両も残ってない。
残念だなぁ。。。 >>422 過疎地のローカル線でキハ20、そこまで過疎地でなく割と温暖な地域でキハ35、それに急行用としてキハ58が長期に渡って運用されていたのに対し、キハ45や55はこれらに押されて引退が比較的早かったからかな。 もうNゲージで情景再現してるよ
今度キハ38八高線色再発されるから楽しみ
キハ45の首都圏色だけ欲しいな かつて、八高線のキハ35系、同じ編成の中にドアが自動・半自動(ボタンで開閉)・手動(走行中はロック)
の車両が連結されていた事があった。
さすがに晩年は手動の車両は無かったと思うけど… キハ35は半自動ドアスイッチ設置が1973年と早かったな
手動で開けるタイプの半自動扱いがドア構造的に難しかったとか?
新造車は1985年の211系1000番台が最初 八高線35の手動開扉は新潟からの転属車だったような キハ35の手動ドアなんて物凄く開閉が重そうな感じだな。。。
2枚分となると、115系なんかでも重いのは酷かった。
キハ35でも大の大人でも一苦労とかしそうなイメージ。。。。 >>429 そんなに重くないけど。115と同様。
キハ35、手動ドアの車両でも乗降客の多い駅では乗務員の操作で自動で開けられるようにしていたんだっけ? >>428
基本的には500番代が手動式だったけど、僅かながらドアボタンありの500番代もあった S36年の鉄ピクに掲載されていた記事「関西線天王寺口に通勤緩和のカンフル剤
としてキハ35投入」とあった。大分長期にわたり活躍していた感があったが、S48年
10月までの僅か12年の命だった。高2生だった俺は10月から一斉に113系に置き
換えとばかり思っていたが、9月下旬よりキハ35と113系・101系の混用が始まって
いた。天王寺で撮り鉄をしていたら『15番のりば、次の奈良行きは電車6両で入りま
す』との案内に涙が溢れた。もうその113系が221系に置き換わって32年も経つ。
あのキハ35の時代の方が長いように思える・・・・ その1週間も経つか経たないか
の内に、平野駅進入手前の小Sカーブで113系快速の脱線横転事故が起こった。
キハ35の重たい車両のままで置いといたら、当時の女子高生2人も死なずに済んだ。 このスレの各所に「快速113系に負けないスピードで奈良〜天王寺を走行した」と
あるが、しかもキハ35やキハ17系のDMH17エンジンでありながら、1軸駆動だった
ことを考慮すると、凄く頑張っていたんだな。と褒め讃えてあげたい。 先ほどのカキコ訂正。正しくは下記のとおり
昭和48年(1973)12月26日 午前8時12分ごろ、関西本線(現:大和路線)平野駅構内において、湊町発(現:JR難波)奈良行きの、普通電車 第722列車(113系 6両編成)が、制限速度35kmの分岐器に対し、70km以上の速度で進入し、非常ブレーキを作動させるも、脱線し、先頭車両は、進行方向右側に、90度近く横転転覆、2両目も、同45度程に横転転覆、残る4両も全軸脱線してしまう、事故がありました 関西本線の湊町・奈良間で使われていた頃、ラッシュアワー時もドアは半自動扱いだったのか?
乗降者が多い時間帯に手動でドアを開けろというわけにはいかないと思うんだが。
当時の写真見ると、湊町駅も嵩上げされてない列車ホームだな。 >>437
実際によく乗っていたが、環状線の101系と同じく全て車掌扱いだった。
S47年10月電化まで、ホームは低かった。、 半自動化改造はS50年代では。
川越・八高線あたり。 1969年暮に乗った播但線のキハ35、列車交換時は側扉全開で室温氷点下4度
4両編成中2両のキハ35の車内はがらがら、殆ど乗客はキハ17とキハユニ26へ待避 防寒対策でドア1ヶ所だけを車掌がドアコックで開ける扱いがあってもおかしくなかったはず
名鉄が実践してる方法
回路的にNFBを使ってドア1個単位でドアカットは不可能で車両単位でしか出来ないので田浦スイッチは回路を改造してる >>440 山陰本線京都口で冬はすきま風が多く寒いと不人気で、キハ40系に代えられたとか 86年ごろのピク誌で、篠栗線に原形ライトのキハ30?が活躍中という記事が忘れられない
何番が原形ライトだったの? 高砂線で乗車あり
ロングシート3ドアはやはり乗り降りスムーズ キハ35は寒いというイメージばかり
3月の北九州で、キハ58/28+キハ35、などに多数乗車の機会があったが、
キハ35はとにかく寒い、外が雪でもドア開けっ放し
みんなキハ58/28に避難、乗客ゼロとか結構ありました
440と全く同じ状態です
ただし、時にキハ35+キハ35など、逃げる車両がないときは、寒さに耐えるしかない
どうしようもなかったです 実際に冬の温度低下対策では
・半自動(あまり記憶にない)
・乗客用のドア操作ボタン追加(八高線など)
・中央ドア閉鎖(岩徳線で乗車)
ちなみに、下関の111系も冬は中央ドア閉鎖がありました 電化直前の相模線は、ドアボタンがある車両は冬季期間は半自動(車内外のドアボタンで開閉)、
ドアボタンのない車両は、500番台も含めて開けっ放しとなっていた
一時的な組み換えなどで500番台だけの3両編成になっても(ドア開閉用の取っ手は車内外にあった)、
半自動機能は相模線では封じられていたので、車内は実に寒かったことw
ただ、その500番台も、八高線に転属した一部の車両では手動で開閉させてたみたいだね 真ん中のドアだけ忍び錠でロックして運用したことある?
広島の115系でやってた手法 >>450
転売された忍び錠で悪戯でロックされた事例があったのでJR西日本では鍵穴を「整備済」シールで封印してる
使ったら痕跡がわかるようになってる キハ35のトイレはどれも死ぬほど臭かった。
あれは走行中の揺れがヒドイからみんな致している間に便器周りにふりまいちまうんだな。
だからクサイ。。。 >>449
手法はわかりませんが、キハ35系の中央ドア締め切りは岩徳線で乗車しました
ちなみに、自分が行ったときは、同じ三ドアでも、
115は3ドアのまま
111は中央ドア締め切りでした >>452
あとタバコ臭な
八高線は不良の溜まり場だったわ 八高線だったら禁煙区間は外れてたから車内で堂々吸えた
けど、高校生が吸ってたら怖い車掌に怒鳴りつけられたはずだ 八高線の35系は全車禁煙だったと記憶してるが
喫煙者の為にキハ20やキハ47を混結していた >>460
キハ47なんて在籍なし
30系統以降は 20 30 35 36 38 40 45 キハ35系の急行は、存在しました?
あったとしたら、
臨時でどうしても車両不足でやむを得ずか、
連結されたキユニの代用くらいしか思いつかないです >>465
Wikipedia
>1967年(昭和42年)10月に当時米子に配属されていたキハ30 75とキハ35 156の2両のロングシートを撤去し、畳を20枚設置した。
>同年11月に運行された急行『やえがき』に使用されたが、それ以降の運用実績は不明。
>夏期臨時ダイヤ(「房総地区夏ダイヤ」)では、車両需給の関係から房総東・西線の臨時準急・急行(いわゆる遜色急行)に組み込まれることもあったが、 やむなく組み込んだらそれはまずいだろうと上司に怒られたが実際には床にレジャーシート敷いたりして客には好評だったというやつか いすみ鉄道の遊んでるキハ30とか
その手で急行に使えるな 急行がデッキまで超満員になってる
って話が入って、木更津の機関区が気を利かせてキハ35を増結して
デッキで立ってる人をそっちに誘導した
その列車が両国に着いたときに、裏の事情をわかっていない
朝日新聞記者に見つかり記事にされて叩かれた。 中央ドアを潰した車両が出現してもおかしくなかったはず
ローカル転用だと3ドアはいくら何でも過剰で座席数が減ってしまう
片一方の側面の両端ドア潰しは和田岬線にあった >>470 ローカル線といっても、越後線のような通勤通学客が比較的多い路線で運用されてたわけだし。それが時折、米坂線にまで入ったりする。
関西本線なんぞ亀山以西から名古屋方面への直通を廃止し、亀山・奈良間区間運用でキハ20系使えば閑散区間にキハ35走らせる必要なかったわけだが、車両運用柔軟化した方が合理的というわけでそうしなかった。 碓氷鉄道文化むらのキハ35901のトイレは汚物処理タンク付いてる? 和田岬のキハ+キクハ
過去どこかのスレで走るのがやっと程度の性能みたいなこと見たけどそうだったの? 殆ど客車と同じ位だっただろうな
機械式気動車も付随車ぶら下げてて異様に加速が悪かったのあった
氷見線のキサハ34もキハ58・28でサンドイッチしてて4両編成でエンジン3基だった >>477
キサハにもエンジンなかったっけ、キハフ? >>478
キサハは12系客車を改造して作った。
キサハにぶら下がっていたエンジンは、スハフ12の発電用エンジン。
それで編成全体のクーラーに給電して・・・たんだっけ? ミャンマーだともっと凄くて気動車なのに2M4Tとかある
しかし20キロ程度しか出ない 和田岬線のやつは速度種別どれ位だった?
恐らく10‰均衡30キロ程度? 関東鉄道にはもう元キハ30・35・36はないんでしたっけ? >>482
乗車記憶では、とにかく加速が遅い、です
ただ、もともと高速での走行など期待していない線区のため問題なし、らしい
その時代でも、他に比べて超低出力編成
よく問題なく運用していた、と思っていました 質より量感半端なかった
西武にも昔釣り掛けで2M4Tがあって加速が悪かった >>487
あれはナローゲージで車体が軽量なために出来た荒業
ナローゲージ以外だとJR四国で6000系+7100形の1M3Tがあるが加速度が1.6km/h/sとか旧型国電並みの性能 加速度が低くてもローカル区間なら支障ないという判断かな 質問なんですけどキハ30や35の白熱灯(原型)ライトで前面補強板ありっていましたか?
地域は問いません。 1灯シールドビームの車両があったな
京浜急行とかでよく見られた形態だが国鉄では非常に希少
しかし球切れしたら交換しなければならず大変だった?
2灯ならば片方切れてももう片方でカバーできた ステンレス車両は一度塗装すると剥離が困難とか話があるが実際どうなんだ?
キハ35 901は塗装された状態で碓氷峠鉄道文化むらに保存されてる
アルミ車体だと剥離した事例があって山陽の3500・3501が一時期塗装されてた >>492
台湾のDR2700形に正面警戒色を剥がした事例がある
https://railf.jp/news/2017/08/15/201000.html
ただ高解像度の画像を見るといかにも頑張って剥がしたんだろうなぁという感は否めない >>493
これは周辺の枠がオレンジなので白熱灯
1灯シールドビームはライトケースがすり鉢型で枠も含めて全体が銀色 EF81 300番台でも301と302は関門トンネル復帰後も剥がしてない
302は片側の側面が衝突事故で平板に変わったが普通鋼で剥がせないとかデマがあった >>495
あんたじゃなくて490にレスした
アンカー間違えた SUS無塗装は現場が塗装の仕事無くなるとかで露骨に嫌がってたな
サロ153-900番台(あれは骨組みが普通鋼のスキンステンレス)も結局塗装されてる
汚れが落ちにくいとか特許絡みであの当時東急車輌でしか作れなかったのもあった
本格的に導入したのは205系からだが東急が握ってた特許を無理矢理公開させた 旧鍛冶屋線の市原駅に保存のキハ30 2連を見てきたが、清楚な加古川色がとんでもない
カラーになっていて泣けた。
もちろんオリジナルの表記など何も残ってない。
忘れ去られ、放置され、痛むだけ傷んで不気味なものとして潰されるより、市民相手
にこうなった方が長生き出来てキハ30も幸せなのかもしれないが。。。 床面積が広いのを活かして荷物輸送出来そうだな
但しカゴ台車に載せる場合ステップが邪魔 キハ35といえば、俺的には八高線のイメージが強い。
昔子供の頃、東京の西部に住んでいたが、高崎線経由より安いという理由で
親は信州への帰省ルートに八高線を選んでいた。 >>500
実際にデッキ無しロングシートはたいていは代用されてるよ。
カゴ台車(=パレット台車)はむしろ珍しくて人海戦術で積み下ろしだったからね。
アコーディオンカーテンがついてたりロープと看板だったり、なにかしら乗客と仕切っていた。 ひまわり号で使った事例ある?
車椅子を大量に乗せる場合床面積が大きい車両が有利で近郊型が良く使われる >>498
複数のメーカーに発注させるのを大前提にしてる国鉄としては、
東急1社でしか造れないような特殊な車両は嫌がるというのはあった。
205系が製造された頃はもう既に国鉄分割民営化が不可避の情勢だったこともあって、
東急が握ってた特許を無理やり公開させることができた。 近車式オールステンレス工法の試験車があっても良かったのに
バッド社や東急車輌の特許に抵触しないようにしたが結局東急車輌にライセンス料払った方が安上がりで近鉄3000系のみの採用だった >>491
相模線のは新塗装化と前後して消滅してたけど、八高線の35-527.530とか久留里線の30-501とかは民営化後も一灯シールドビームでしたね 900番台が首都圏色でJRに承継されてたらJRマークが貼れない問題が出てくる
EF81-300番台はプレートを溶接してた
904が相模色でJR東に承継されたが前面の車番がプレートだった >>501
自分は近畿のオマケ県出身だが、当時子供の頃は紀勢線の和歌山口、和歌山線が非電化で普通列車は
ほぼキハ35・36の食パン祭りだったな。73年関西線電化で流れ着いた(置き換え)ものが殆どで、
それ以前の自分にとってリアルな記憶がない時代は一般形のキハ17系、20系、45系
さらにキロ格下げのキハ26の400番とかも走っていたがほぼ一掃されてしまった。。
首を後ろに回して景色を眺めるのがキツかった思い出よ。 キハ35系統は保存車の数が異常?だよな。
@会津鉄道
A足尾駅 2両
Bいすみ鉄道
C碓氷鉄道文化村
D関東鉄道・・・倉庫
E鉄道総研
F美濃太田
G鍛冶屋線市原駅 2両
H鍛冶屋線鍛冶屋駅
I水島臨海鉄道
Jヒロサワシティ 2両
と14両?も残ってる。
486両製造されたキハ55系系統や179両製造されたキハ45系統が1両も保存
されていないのに、キハ35系統は製造台数413両の約3%が残ってる。
そんなにエポックメーキングな車両とも思えないんだけどね。。。 旧国の72系がほとんど残ってないのと対照的ですね… キハ35系がその能力を存分に発揮した路線はほぼ全部電化されてるからな。
電化されなかったのは関鉄常総線くらいだ。
でも、保存されているところでキハ35が大活躍したところが少ない不思議 まあ大活躍とは言わないまでも碓氷と総研以外は入線実績あるところばかりだから 現状で適してるのは芸備線くらいか
非電化で通勤通学が旺盛な路線が少ない
札沼線は冬季使用不可 >>512
大活躍っていうと千葉局とか天鉄局とかがまず思い浮かびますね。
が、キハ35がこの世を去る頃には千葉にも天王寺にも現役を知る頃の人がもういなくて
誰も保存しようという発想に結びつかなかった、とかでしょうか。。。
末期は相模線とか八高線とかですし、キハ30は大宮新製配置もあった訳で大宮には
1両位保存されても良かったですよね。
特に新製配置は近畿でも最後は茅ヶ崎や高崎で廃車になったキハ30・キハ35のトップ
ナンバーのどちらかオリジナル塗装に戻して大宮に残してもらえばよかったなぁと思います。 大宮駅↔鉄博のシャトル列車とか
ニューシャトルはいかにもメンドクサイもん >>518
大宮機関区のキハ35系配属は8年位と短かったからなあ
>>519
ニューシャトルの客減らしちゃいかんでしょ そーいや一時期水戸(水郡線)にも35系いたな。
そう考えると関東で35系居なかったのって群馬栃木だけ? >>518
大活躍と言うか蠢(うごめ)いてたという感じだなw
ドン臭いディーゼルのそのまた通勤タイプなんて誰も歓迎ムードじゃなかったんじゃない?
単に人を運ぶハコと言う感じ。都市近郊なんて早期に電化スピードアップが求められてたんだから。 ”蠢いていた”・・・、見事な表現ですね〜w
確かにホームへの進入速度も遅いし、発進の時もゴロゴロガラガラとウルサイ割には
全然速くも力強くも無い。
それでいて大きな駅だと動いているのも止まっているのもなんだかあちこちいて、
あっちで出て行ったり、そっちで入線してきたリしているような感じで、まさに
”蠢ている”様な感じだった。
一方でキハ58の長編成急行なんかだと、キロも居るし発車の時の物凄いエンジン音と
垂直に噴き上げる排ガスが各車凄くて、そこそこ加速力もあって4連程度のキハ35とは
迫力が全然違った。
キハ35は溌剌・快活・躍動・強力という類の単語とは無関係の車両だったかと。 >>507
キハ35-904がJR化後に相模線に転属して、翌年に相模線カラーになるまでは
確かJRマーク自体貼られてなかったぞ >>522 八高線はともかく、足尾線にキハ35って米坂線同様、場違いのように思える。
キハ17が老朽化し新型回せる余裕がないので、これを当てたのだろうが。東北、上越新幹線開業後はキハ58を回せるようになったのだろうが、少し早かった。 それでもキハ35の関西線快速は阪奈間で準急かすが並みの高速運転をやってたし、
阪奈間では東京直通の客車急行大和よりも速かったぐらいだったけどな。 80年代半ばまで雑草のような103系だったが、
そのディーゼル版のキハ35系になると色々
味わいがあるのは何故だろう?
んでも昔九州の田舎でキハ20とかキハ58のチャンポン編成にロングシートのキハ30?キハ35?が混ざってると自分も周りの人も避けてたなあ 笑 後々の転用で使い道に困ったよな
ラッシュ時以外持て余す
真ん中の扉を塞いでロングシート延長工事やってもおかしくなかったはず そう考えるとロンシーよりも三扉のほうがネックだったのかな 外つり扉なので寒いとこへは持って行けない(後にキハ47が配置されたところ) >>532
それなのに、キハ35には500番台がある 乗ってる分には全く関係なかったが
押込み型ベンチレーターには高級感画像をあった 500番台は隙間風が多くて悪評付けられた?
ベンチレーターが押込み型なので天井から雪が入ってくることは無いがドアの隙間から雪が入ってきそう >>530
> 真ん中以外の扉を塞いでロングシート削減工事
なら、実際にされたというのがなぁ 関東育ちの俺には103系の気動車版通勤仕様というのが想定外なんだ。通勤仕様ってのは、
2分に1本で駅で前の電車が駅に使えていて
先頭車だとATCがちんこんちんこん言うのを
手で止めて徐行して進むそんな殺伐とした
ところがいいんじゃねぇかって車両を言うんだぜ。通勤用って言いたいだけなんじゃないか?
オレの感覚では、郊外ローカル線用。これだね。 とは言ったものの、首都圏以外の通勤路線は
朝のラッシュ時間帯4両5両編成で、30分くらいのピークでギッシリすしずめ状態で
それ過ぎたら1車両5、6人の閑散とした
すごく極端な利用状況なのかね?
呉線広駅のC62C59後にEF58が数分置きに発車
していくなんてすごいシーンが有名だが、
しかし極端なピーク時に合わせて車両をやりくりするのは大変だよなあ 転用先に困ったってのが思い込みだからな。散々増備して房総や関西線が電化しても転用先はあった
製造が昭和38から41年で初廃車が昭和59年。十分使っただろ。キハ38になったのもいるし >>537
それどころかエンジン下ろして制御車化したのあってもう滅茶苦茶
速度種別H0程度(=10‰均衡30km/h)だったとか? あの当時のJR西は何か狂ってたな
氷見線に12系改造のキサハ34を投入して加速力度外視で輸送力増強してた
キハ58・28でサンドイッチするので4両編成でエンジン3基になって加速が悪化した >>541
和田岬線は勾配もないしスピードを出す必要もないから、
詰め込みさえ利けばいいという考え方だったんだろうと思う。 和田岬線は客車時代とダイヤ変わってなかったな
客車やキハ35の頃は30キロ程度しか出せてなかったが103系になって85キロまで出せるようになり時短になった >>529
気動車が走る沿線というか地域って、都会よりは田舎のイメージ。
その中でキハ35が似合う風景だと都市近郊だが適度に自然があり、また生活感もあるが
決して洗練はされていない、昭和的な地域。何というか「地元感」「実家感」漂うまったりイメージ。
都市近郊と言っても東名阪じゃなく、その衛星都市(千葉、神奈川、兵庫とか)や地方の中核都市。 まあ旅情や郷愁というより、あまり写真映えしないもっとリアルな風景、日々の営みが見える風景に
キハ35はよく似合う。そのリアルさもまた味わいになってしまうものかも。
連投すまぬ。 >>546
わかります。
でも、首都圏色+前面強化+シールドビーム+外嵌テールでは台無しですね。 >>547
その感じのルックスってどうしても末期国鉄の悲惨な時代がオーバーラップして、
味わいと言ったものは程遠い、ただ現実だけが晒された印象になるねw
やはり70年代までのオリジナルスタイルがいい感じで「かつての昭和の国鉄」的なモノが伝わる 八高線スレにキハ35の走行映像がいっぱい上がってた。 >>545
その点関西本線の奈良県内はドンピシャでそんな感じだったな! "東名阪” ひがしめいはん=亀山〜名古屋の高速道路。松原〜天理が”西名阪”(にしめいはん)
"東名阪” とうめいはん=東京・名古屋・大阪の三都市を指す
>>545は後者の意と思われる
なお、関西本線が一番"沿って"走ってるのは旧中在家信号場付近の”名阪国道"かな D51とキハ35が交換する中在家信号場の風景は昭和40年代国鉄の懐かしい瞬間 足尾に保存されてるキハ35 70って日車製造なのはわかるんですけど名古屋なんですかね?わかる方いませんか? >>554
地元のクルマだよ
1964年11月10日製造 日車 千葉 1974年11月11日高崎 1996年9月10日廃車 >>555
>>554は多分名古屋の日車で製造されたの?ってことじゃないかな。
オレは知らんけど。 >>556
ああなるほど
俺も知らんけど
当時の日車って蕨の東京工場以外で旅客車両作ってたっけ? 日車のHP見ると1972年/昭和47年に名古屋製作所閉鎖と記載があって14系客車が
最終出場セレモニで写ってるのが載ってる。
ここでキハ35も造っていたんでしょうね。 関東鉄道が独自に作ったキハ35もどきってなんか不気味だよね。。。 >>545
私は元福生市民で八高線沿線民だったが、
キハ35のいる風景、まさに「地元感」「実家感」ドンピシャだった。
唯一、場違い感があったのは、東福生ー箱根ヶ崎間の、米軍横田基地の敷地内を走る区間だった。
(もちろん線路はJRのものなのでそこは横田基地じゃないんだが)
なつかしい思い出だ・・・ >>563
×:キハ35は永久に不滅です!
〇:キハ30・35・36は永久に不滅です!
書くんだったら、こう書かないとダメじゃん。アンタ、もぐりだろ >>564
両運とトイレ無し車は嫌いなのかもしれない。。。 和歌山線 キハ35 で画像検索すると出てくる あと奈良線 和歌山線も70年代(昭和50年代前半)まではキハ10や45とかクロス車が連結されてたが
80年代から電化までの末期はキハ35、36だけになってたかな。が電化されてもお古改造の105系・・w
何本かは天ナラの113系(春日)が入ってたが、それでもあの頃の和歌山地区の車両はお粗末な時代だった
まあゴハチがいつでも見れたのは今にしてみればいい思い出か。 ちょっとスレチな昔話ですまん 夏は涼しかったが冬寒い
風通しがいいから車内なのに排煙くさい
↑のイメージしかない
ちなオリジナル線区の国鉄関西本線(昭和60年以降)が原体験 当初の都市近郊の通勤用としてデビウしたけど、千葉や関西線以外は普通にローカル色豊かな地方線区にも
ぴったり雰囲気的にも収まってたな。やっぱ非電化(ディーゼル)ってローカルなイメージ。 >>570
ゴハチのクロスシートはゆったりしていて快適だった >>573
電化直前の八高線はすごかった。旅行中に朝ラッシュに遭遇したけど
「満員気動車」で編成も長く、まさにこの系列の面目躍如だった。 >>564
指導するんだったら「キハ35系は、と書きなさい」だと思うが
どーでもいいけど 通勤型DC走らせるぐらい需要があるなら電化しろや、という考え? 和田岬線のやつは所属車両基地が鷹取工場で「工場」に車両配置してた希少事例だな
他に変わった事例は左沢線のキハ101が「電車区に配置されてた気動車」だった >>578
岡山も一時期「岡山電車区気動車センター」だった
あと、気動車じゃなくて電車だけど、西日本207系が一時期、「吹田工場高槻支所(京スタ)」に配属されてた >>579
前者って単に区所の体系区分が一時期そうだっただけで、
区所の実際の現場は本格的(国鉄岡山気動車区〜)だからな。 キハ35のドアエンジンはドアの中にアームを通したとか凄すぎ
ドアの内部が空洞になってる 水海道に放置された関東鉄道のキハ301はまだあるのかな? >>582
元筑波鉄道 キハ301>元々国鉄キハ30 16 高タカ一 の事ですね。
二年前2月20日のイベントで基地に入った時は有りましたよ。
古い情報でスミマセン。。。 小田急の昔の車両みたく通風グリルにすればよかったのに わざと指や腕出したりしない限り平気なくらいしか開かないよ 別にストッパーなくても「わざと指や腕出したりしない限り平気」だけどな 開くには開くが、開口面積がかなり少なかった気がする それにしても側面の窓部分が多くて見通しのよい車両だと思う
水島臨海で戸袋窓のないキハ37と連結されているのを見てより一層実感した キハ35 217の便所窓
或る意味キハユニ25 7と同類 この系列は当初、気動車標準色で登場したわけだけど、
正面貫通扉部分の塗り分けと、幕板部分の朱がない変則塗り分けだったけど、
キハ10系や20系と同じように塗った場合を、絵ヅラ的に見てみたいんだけど
そういう、「別の世界線でありえた系のウソ電」を
作ってる人とかサイトとか、どっかにあります? >>593 キニ19やキニ16の前面がそれに近いのでは。改造型気動車だけど、キハ35同様の切妻型前面にしたもの。 >>595
どちらかといえば腰回りの段差ないだけ
キニ16が近いかな?
でも16でも前照灯がちがうよね 外吊りドアが出っ張ってる分車体幅がキハ20より広かったな
キハ58とほぼ同じくらい 先頭が車体断面の小さい10系気動車で2両目が切妻のキハ35だと、後ろから10系気動車ギリギリまで顔近づけてキハ35が「威圧している
ように見えてキハ17やキユニが可哀想に見えた >>560関鉄のは国鉄、JR-Q、JR-Eからの中古車でトイレを撤去して窓を取り付けた車両、後にエンジン交換と冷房取り付けが行なわれている。 >>567久留里線の復刻車と関鉄の塗り分け位置が少し高い353と354 関鉄と言えば、水色の「スト権スト」車の他数量が関鉄引退後フィリピンに渡ったんだよね。
なんかすごいカラーになってたけど。。。。 >>603
回答的にはおかしくないけど
その人は標準色現役時代(国鉄当時)に居たか?って質問だと思う 常磐各停に乗り入れた小田急4000系から関鉄の気動車に乗り換えた。
平日一日一回のみ可能。 高校生のときに八高線のキハ35に乗っていたが・・・
満員状態でもすいてる時でも、あんまし加速感はちがわなかったような気がするな
いつでも加速悪い。 加速というより発進までのタイムラグは満員時のほうがあったように感じる 国電101系やその他のスレで加速について書いている人と同一の人? 今日碓氷峠鉄道文化村に行ったが、キハ35901には鍛冶屋鉄道跡地にある3両のキハ30では撤去(盗難?)されているタイフォン
が付いていて模型作成に当たっての参考になった。
あと35901の台車部先頭部には鍛冶屋のキハ30にはいずれも付いていない緑色のタンクの様なものが左右両側についていたのだが
あのタンクの機能は何なのかどなたか判る方いらっしゃいませんでしょうか・・・? 久留里線で走ってたキハ30をさいたまの鉄道博物館に保存して欲しかった 国鉄の頃の気動車の加速は概して悪め
平地なら、満員でもそんなに加速がさらに悪化という印象は無かったです(もともと悪かったから)
むしろ勾配区間では厳しい速度の方が印象的 真ん中ドア閉鎖改造を行った車両が出てもおかしくなかったはず
田舎で3ドアは明らか過剰だし冬に隙間風で寒くなる
和田岬線は片一方の側面の2か所を閉鎖してた 田舎でも昔は通学の高校生が多かったから詰め込み要員のキハ35系は重宝してたんだよ >>615
岩徳線で、中ドア冬季締め切りのキハ35に乗ったことがある
ただし冬季だけの暫定みたい
効果はありましたね 首都圏色+補強板付き+前照灯1灯(シールドビームではなく電球の大目玉)の資料や画像ってありませんか?
奈良と千葉(木更津)にはいたらしいんですけど番号も何も分からず…
他区所にもいたら知りたいです >>618
「キハ35 画像」でgoogle検索してみりゃいいじゃん
まさかそんな簡単なこともやってないわけじゃあるまいな?
そういう、まず自分でできることやってからだぞ。ここでそういうことを聞くのは。 >>603
関鉄353,354は自社カラーに合せているので色合いも少し明るい色になっている。 >>619
調べ方が悪かったようです
質問してしまい申し訳ありませんでした 基礎知識級の質問で恐縮ですが、キハ20あたりも含めて
電車用のコルゲートのないシールドビーム2灯カバーを取り付けていたのはどこの工場でしょうか? 大宮ですか? キハ28やキハ55は言うに及ばすキハ20でも編成内に居たら絶対乗らないキハ35だったが、今思えば懐かしい。。。
キハ17しか選択肢が無くても17の方に乗ったよ。 隙間風凄そうだよな
寒冷地型はあったが寒冷地での使用に適さない フィリピンに行った元関東鉄道のキハ35系6両はまだ現役ですか?
ネットでググったけど、現役かどうかわからなかったので。。。。 103系みたくラッシュ時の乗客の重みで台枠が歪んだ個体あったとか? >>629
Googleで出ないならXで試してみる
もちろんどちらも検索語句はあれこれ試す
(XアカないならYahooのリアルタイム検索で) 加古川線沿線にはキハ30が3両も保存されている!! >>627
>>628
冬季の寒さは別格、他の選択があるなら絶対に避けるべき車両
まさに同じ感覚です
特にダメなのが耐寒をあまり考えていない冬の九州で雪が降った時
ドア開けっぱなし、隙間風、運が悪いと九州でも雪、で極寒状態
キハ58やキハ55が天国に思えるほど暖かかった
同じロングシートのキハ26 600でも、デッキがあるこちらの方が良い
1両でもそれがあると、人がその車両に集中して、キハ35は乗客ゼロを複数回経験 和田岬線か美祢線で乗ったのが最後だが
どっちが先でどっちが後だったか思い出せない 南大嶺/大嶺間を乗った時に乗車が、キハ30であった記憶
激熱の真夏、暑い記憶だけしかない 日本海から吹く冷たい風が外吊り扉の隙間から入ってきた
氷見線キハ35の記憶 >>637
南大嶺 大嶺間
行きも帰りも乗客は自分を含めて2名だった 自分の時は、下りは結構乗っていた
上りはごく少数だったね