通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
ラッシュ時に乗客が重すぎてDMH17Hとも相まってなかなか起動しないとかあった?
下手したら変速機オイルが過熱してしまう >>350
なんて言うんだっけ、当時のDCで発進の時一回全開近くグオーって回転上げて、
動き出したらすぐドカンと回転落として一回静かになって、またすぐグオーって繋い
でグングン加速していく運転方法。
あの運転は見たことある。最初はエンストしたと思った。
が、後で高負荷の時の発進方法と聞いたよ。 新潟に居たキハ30 505・506は相模線に馴染んでたな
冬場は有り難かったのかも 和田岬線が一番過酷だっただろうな
気動車のくせに3M3Tとか
大昔の機械式気動車みたいである >>353
> 和田岬線が一番過酷だっただろうな
坊や、過酷じゃなかったからトレーラーを牽引出来たんだよ。
起動後は4ノッチや3ノッチの絞り力行でも余裕だったから。 >>354
和田岬線より運用終えて鷹取に引き上げるさいの本線に向かう勾配はキツかったんでないの
距離が短いからどうにか上れたけど 和田岬線はキハ35だけでは厳しかったのか、キハ58を連結した試運転したのがRMに載ってたな >>347
未だアルミ製気動車も無理だよね
排気管接合部に溶損の恐れが有るから… >>347
関東鉄道に4ドア車が1両だけあったけど、あれはステップ無しだったか。
同じようなドア配置は、ロンドン地下鉄の小断面車輌にもあるね。 広沢シティで元長崎のキハ30を見てきた。
ステップや足かけ等々オリジナルに戻してもらいたいなぁ。。。 キハ35-900番台は904だけ相模線色に変えられてたな
ただJRマークがコルゲートが邪魔で貼り付け出来なかった
前面部の車番はプレートだった とにかくトイレは汚くて臭かった記憶がある。
高校生の喫煙所にもなってたし。。。 >>351
3段6要素型の変速機ならではのストールトルク比を利用した運転方法だね。
BotWのリンクで再現するとこうなる。
DW14E液体変速機のトルクコンバータが3段6要素なので、この運転方法は使える。
一気に5ノッチに入れて加速させて、ゆっくり動き出したらノッチオフして、
勢いに任せながら動かす。その後、3ノッチや4ノッチで絞りながら力行する。
これは、勾配上で起動させる時や重いものをたくさん積んでいる時の起動方法。
速度が50km/h程度になったら、自動的にクラッチが切れて、直結1段に入る。
5ノッチに入れていると、50km/h付近でしゃくるようなエンジン音がするのは、
回転数を検知して自動的にクラッチを切るため。
3ノッチや4ノッチでの絞り力行では、それよりも低い速度で直結1段に変速する。
70km/h程度で直結2段に切り替わる。
直結状態で速度が大幅に落ちると、エンストを防ぐために自動的に変速段に落ちる。 詳しいし専門的だなぁ。。。
>>364さんは元ウテシか検修の方ですかね・・・? 水島の30もガタが来ているのか?
この連休中走らせてもらいたかった。
非冷だから夏場は走らせないし。 古いディーゼルカーだから、足回りはもうガタガタ。
キハE130系にバトンタッチする時代。
将来的には、非電化の幹線はハイブリッド気動車が主流で、
余った方の新型気動車は、過疎ローカル線を支える形になると…。 新津の鉄道資料館に行ったら「キハ35 507」の車体番号切り抜きと妻板の形式・自重・
換算・全建表記の鉄板が大事に展示されていた。
よくまぁこんなものも切り抜いて保存してくれたものだと嬉しかった。 >>367 エンジン換装、例えばキハ85のカミンズエンジン、無理か。
この形式、新型のエンジンに換装したものは無いんだよな。 長距離鈍行でキハ35に当たったら拷問だった?
広島の103系も車両と路線の特性がミスマッチで大不評だったし だった?君は、まずキハ35の長距離があるかどうか考えてみればいいのに
自分は八高くらいしかないわ 関西本線奈良電化までは湊町発名古屋行きなんて平気であったからね。 >>374 どういう編成かが問題なんだが。気動車か客車か、気動車だとしてもキハ30を全区間併結していたのか?
奈良辺りで増解結していたってことは? >>372
特性というか、便所なし・半自動対応なしだったからな。
あまり古いことは知らないが、35系の半自動押しボタンは後付けだろうか。 当時の近鉄の宇治急は2200系の2ドア転クロが当たり前だったから、
湊町−亀山・名古屋といったロングランでのキハ35は明らかに不評だったのは言える。 >>377
当時は真冬の列車交換時でも扉全開、半自動扱いになるのは後天的改造だから。
でも天王寺・柏原間昼間帯のDC普通列車10分ヘッド運転は楽しかったね。 >>371
末期の東日本のキハ35系は全車エンジン換装されているはず。
DMH17Hが使用禁止になってるわけだから。
あと、関鉄でも半数以上がエンジン換装してパワーアップしている。
当然水島に行ったキハ30もエンジン換装済み。
まぁ、エンジン以外がヤバいのかもな。 >>382
>DMH17Hが使用禁止になってるわけだから
kwsk 1995の初冬だったか、久々に八高線乗ったらエンジン換装車でそれはもうやたら速かった。
1985年春先まで川越線の鈍足さを味わった者としては、あまりの疾走ぶりにおぃおぃ停まれるのかよ!とビビったものです。
パワフルな走りが楽しくてそれから1年あまりの間に何度も乗りに行ったな。 亀山や名古屋〜港町の運転(奈良から西は通過駅あり)でもキハ35だったのですか。 トイレ前のクロスシートで窓全開にしたら八高路面悪いんで
窓がおちてくるんだ。構造上首チョンパや指切断は無いが >>388
そらぁもう変わりますよ。
回転が抑えられてるとはいえ直結でのグイグイ感は比べ物にならないね。
余談だけどその後に花輪線のキハ3連(58+58+52)に乗ったら、28‰以上の登坂でも直結50キロ台で走ってたんですね。
技術進歩はスゴいなあとつくづく。 >>389
キハ35で通しというのもあった
しかし、キハ17 だと前に足が伸ばせるだけ35のほうがマシ(冬は除く)だった気がする 戦前に設計されたエンジンを比較対象に進歩とか言われても困るわあ ところでキハ35系のエンジン換装って何時頃何両くらい行われたんだ?
エンジンは何? JR東日本の場合はアルカディア号火災事故がキッカケではないかと たまにはキハ30 51のことを思い出してやってください。 >>393
それほど国鉄の頑なさ、モデルライフの長さはが世間から取り残されてたと言いたいのですよ。
大量生産に走ったから変えるに変えられなくなったし。
>>394
いかにオール2エンジンでも昔なら直結なんざ無理な勾配という例え。 昔はキハ35の中でも普通に喫煙できたんだから昭和ってすごいよね。。。。 >>401
いや、JR世代の211系ロング車や415系1500番台にも灰皿があって喫煙できたんだぞ。
床が焦げているだろう?
八高線のキハ35はなぜかJRマークが貼られなかった。
30には貼られたのに。 >>401
平成初期でも、小湊のロングシート気動車は喫煙可だった。
ちなみに灰皿は無し。
足で踏んで床に捨てる。 >>401
ドア横のポールに小さな直方体の灰皿が付いてたな。便所クロスには付いて無かった。 >>403
確かに床には火種を踏み消した▲の焦げ跡が沢山付いていた。
クロスシートだと灰皿に近い窓側の席の下にはあまり焦げ跡は無かったが
通路側には座席の角の下辺りは▲焦げ跡が多かった。
灰皿から遠いからと言う事は灰もポンポン床に落としていたんだろうな。
令和の今じゃ全く考えられない光景だwww 昭和60年だから、国鉄末期だし、同線内のローカル区間ではあったけど、
この形式がソコ対象への新規導入線区である本来の関西本線(奈良-亀山間)で乗ることが出来たのは
幸運といえるのかな。もちろん乗った当時はそんなこと知らなかった。 1両営業用1両部品取り
ただし冷房がないから涼しい季節にしか動かない ディーゼル車を3ドアにするために大変な苦労があったことをこのグループの逸話で知った >>414 関東鉄道は元南海のキハ5000改造して、中間に外吊りでない両開きドア2つ増設し4ドア車にしているんだが。 >>418 元小田急キハ5001か。あれは車体幅がキハ17並みだから増設ドアを外吊りにしたのでは。 今日関東鉄道のイベントに参加したが、プログラムに.水海道の車両基地見学と撮影会もあった。
そうしたら基地の奥の方にキハ301、元高崎のキハ30-16が物置に使われていたのを見た。
保存じゃないから塗装とか外観はボロボロ。
痛ましい姿だった。。。 キハ35系列は結構あちこちに個体が残ってる。
一方、キハ45、キハ55系列は1両も残ってない。
残念だなぁ。。。 >>422 過疎地のローカル線でキハ20、そこまで過疎地でなく割と温暖な地域でキハ35、それに急行用としてキハ58が長期に渡って運用されていたのに対し、キハ45や55はこれらに押されて引退が比較的早かったからかな。 もうNゲージで情景再現してるよ
今度キハ38八高線色再発されるから楽しみ
キハ45の首都圏色だけ欲しいな かつて、八高線のキハ35系、同じ編成の中にドアが自動・半自動(ボタンで開閉)・手動(走行中はロック)
の車両が連結されていた事があった。
さすがに晩年は手動の車両は無かったと思うけど… キハ35は半自動ドアスイッチ設置が1973年と早かったな
手動で開けるタイプの半自動扱いがドア構造的に難しかったとか?
新造車は1985年の211系1000番台が最初 八高線35の手動開扉は新潟からの転属車だったような キハ35の手動ドアなんて物凄く開閉が重そうな感じだな。。。
2枚分となると、115系なんかでも重いのは酷かった。
キハ35でも大の大人でも一苦労とかしそうなイメージ。。。。 >>429 そんなに重くないけど。115と同様。
キハ35、手動ドアの車両でも乗降客の多い駅では乗務員の操作で自動で開けられるようにしていたんだっけ? >>428
基本的には500番代が手動式だったけど、僅かながらドアボタンありの500番代もあった S36年の鉄ピクに掲載されていた記事「関西線天王寺口に通勤緩和のカンフル剤
としてキハ35投入」とあった。大分長期にわたり活躍していた感があったが、S48年
10月までの僅か12年の命だった。高2生だった俺は10月から一斉に113系に置き
換えとばかり思っていたが、9月下旬よりキハ35と113系・101系の混用が始まって
いた。天王寺で撮り鉄をしていたら『15番のりば、次の奈良行きは電車6両で入りま
す』との案内に涙が溢れた。もうその113系が221系に置き換わって32年も経つ。
あのキハ35の時代の方が長いように思える・・・・ その1週間も経つか経たないか
の内に、平野駅進入手前の小Sカーブで113系快速の脱線横転事故が起こった。
キハ35の重たい車両のままで置いといたら、当時の女子高生2人も死なずに済んだ。 このスレの各所に「快速113系に負けないスピードで奈良〜天王寺を走行した」と
あるが、しかもキハ35やキハ17系のDMH17エンジンでありながら、1軸駆動だった
ことを考慮すると、凄く頑張っていたんだな。と褒め讃えてあげたい。 先ほどのカキコ訂正。正しくは下記のとおり
昭和48年(1973)12月26日 午前8時12分ごろ、関西本線(現:大和路線)平野駅構内において、湊町発(現:JR難波)奈良行きの、普通電車 第722列車(113系 6両編成)が、制限速度35kmの分岐器に対し、70km以上の速度で進入し、非常ブレーキを作動させるも、脱線し、先頭車両は、進行方向右側に、90度近く横転転覆、2両目も、同45度程に横転転覆、残る4両も全軸脱線してしまう、事故がありました 関西本線の湊町・奈良間で使われていた頃、ラッシュアワー時もドアは半自動扱いだったのか?
乗降者が多い時間帯に手動でドアを開けろというわけにはいかないと思うんだが。
当時の写真見ると、湊町駅も嵩上げされてない列車ホームだな。 >>437
実際によく乗っていたが、環状線の101系と同じく全て車掌扱いだった。
S47年10月電化まで、ホームは低かった。、 半自動化改造はS50年代では。
川越・八高線あたり。 1969年暮に乗った播但線のキハ35、列車交換時は側扉全開で室温氷点下4度
4両編成中2両のキハ35の車内はがらがら、殆ど乗客はキハ17とキハユニ26へ待避 防寒対策でドア1ヶ所だけを車掌がドアコックで開ける扱いがあってもおかしくなかったはず
名鉄が実践してる方法
回路的にNFBを使ってドア1個単位でドアカットは不可能で車両単位でしか出来ないので田浦スイッチは回路を改造してる >>440 山陰本線京都口で冬はすきま風が多く寒いと不人気で、キハ40系に代えられたとか 86年ごろのピク誌で、篠栗線に原形ライトのキハ30?が活躍中という記事が忘れられない
何番が原形ライトだったの? 高砂線で乗車あり
ロングシート3ドアはやはり乗り降りスムーズ キハ35は寒いというイメージばかり
3月の北九州で、キハ58/28+キハ35、などに多数乗車の機会があったが、
キハ35はとにかく寒い、外が雪でもドア開けっ放し
みんなキハ58/28に避難、乗客ゼロとか結構ありました
440と全く同じ状態です
ただし、時にキハ35+キハ35など、逃げる車両がないときは、寒さに耐えるしかない
どうしようもなかったです 実際に冬の温度低下対策では
・半自動(あまり記憶にない)
・乗客用のドア操作ボタン追加(八高線など)
・中央ドア閉鎖(岩徳線で乗車)
ちなみに、下関の111系も冬は中央ドア閉鎖がありました 電化直前の相模線は、ドアボタンがある車両は冬季期間は半自動(車内外のドアボタンで開閉)、
ドアボタンのない車両は、500番台も含めて開けっ放しとなっていた
一時的な組み換えなどで500番台だけの3両編成になっても(ドア開閉用の取っ手は車内外にあった)、
半自動機能は相模線では封じられていたので、車内は実に寒かったことw
ただ、その500番台も、八高線に転属した一部の車両では手動で開閉させてたみたいだね 真ん中のドアだけ忍び錠でロックして運用したことある?
広島の115系でやってた手法