通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
88年の冬、高校入試の帰りの相模線で光○相模原の生徒が後頭部で窓をガンガン叩いてて海老名駅に着いたと同時に割ってたな
生徒は車掌に連れて行かれた >>310
光○相模原←原当麻にあった漢字も書けないような連中が集まった鈴蘭みたいな高校だよな。
タイマ高って、いかにもそれっぽく呼ばれて神奈川県央部じゃ恐れられてったっけ。。。
まだキハ30と半分ぐらいはキハ10が残っていた頃の話じゃよ。。。。 昔の国鉄気動車はブレーキシリンダ圧力計付いてないのあったな
BP管圧でBC圧を把握するテクがあった >>312
自動空気ブレーキの吊掛電車なんかも国鉄・私鉄を問わずBC庄指針は
無かったね。ポツ8減圧、場内信号でポツ2追加なんて言ってた時代。 BP管圧より応答が先の釣合ダメ管圧でハンドルさばきすると楽。 >>211
新宮〜熊野市なら、荷阪峠通らないやん。 これ戸袋部分の窓から頭だしててドア開閉の際、首切断された人いないの? >>317
検索したら過去スレに当たった
大きくは開かなかったんですへ
キハ35は常総線でのみ乗りました 相模線でこれが来ると、
「わあ、自動ドアだ!」
ってウキウキドキドキだったんだぜい。 キハ38はコンピュータによる強度計算が出来るようになったので通常の戸袋構造になってる
新車開発のために国鉄でメインフレーム買ったとか? >>317
関西系のステッカーだと、「指をつめないように」。
これを見てビビった関東方面の人がいたらしいww。 戸袋部分は数センチだけしか開かないようにして安全を確保してるが小田急2400形・2600形みたいに通風グリルでも良かったのに
非冷房なのでラッシュ時に乗客が酸欠にならないように少しでも換気能力を上げるための苦肉の策か? そう。
開けられるようにしてたらどんなトラブルになるかわからないから
開けられないようにした やっぱりみんな戸袋部分の動作には興味あったのですね そういやドア開口部の上辺左右ってカクカクではなく、なぜか丸みを帯びてるんだよな。
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ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ 外吊り式の両開きドアは、冬場は寒気が流れ込むため、
特に氷点下15度になる寒冷の時期、雪の日などは暖房が効きにくい。
もし、只見線にキハ35系気動車を導入していたら、豪雪の時期では問題だな…。 >>330
只見線では問題だろうけど、新潟県内では使ってたんだよな
キハ35-500ってのがあったくらいだし。
越後線のあたりって八高線あたりと比べたら冬はやっぱり寒かったんだろ? 冬の朝は空っ風で氷点下の八高の方が、湿気があってあまり氷点下まで下がらない新潟より寒いと思うんだが。 八王子始発4時代の高崎行き、車内が暖まるのが東福生過ぎたあたりからだったな。 キハ35を関西線の奈良−亀山の山線で使用してた時は冬季の保温性で問題が多かったらしい。
1985年頃から関西線非電化区間がキハ58系に置き換えられていったのもそれが原因だったんだろうな。 昔の話ですが、関鉄常総線の第1回鉄道の日の水海道車両基地に行きました。
まだ当時は国鉄清算事業団から購入し、部品取り用で未改造のキハ35系が「肥前山口」の幕を出したまま、下妻駅に留置されていた時代でしたが、
基地の人に外した古い字幕はどうしちゃったの?って聞いたら、外に放ってあるから欲しけりゃあげるよ!って話になり、喜んで付いて行ったら現物が見当たらず、
案内してくれた基地の人もアレッ?ってなって、オ〜イ〇〇君!ココに積んどいた古い幕とか何処にやったの?って聞いたらば、こないだ全部焼却処分しました〜!って答えが返ってきて、ガックリしたのを思いだしました。嗚呼勿体ない… 水海道工場の相模線の路線図は当時の整備士さんの心意気だろうけど、そのうち剥がされてしまうんだろうな。 両運の30を造ったのは3連5連等の運用の為?
それとも超閑散区間での単行運用を想定? 30+35での2連が主目的のような?
実質36は少数で終わってるし、
36+35の組み合わせが多数あってもおかしくないのにガミや八高でのこのコンビの記憶ない。
3ドアロング車ってこの当時は非難もんだったと思うが、
ガミ線撤退後に113がグリーン除いてオールロングになったんだよな。 >>340
超閑散区間じゃなくてもキハ35が走ったようなところだと単行列車の実績がないところの方が少ないと思う
あと、両運車は便利だからね
向き気にしなくて良いんだから 木更津での入換を見たけどキハ37・38は誘導係が添乗しバック運転してた
本当は全車キハ30が良かったんだろうな 片町線でキハ30の単行に乗ったな。当時は当たり前だったけど車掌ものってたから車補買った。 >>341
無人駅では車掌が集札もするから、35+35の2連よりも、30+35の2連の方が、30の連結側の運転台でもドア扱いが出来るから、使い勝手が良かったのでは? 最初はキハ35なんだよね。で、36、30の順
片運転台でいこうとして様子みて、やっぱり36は使えないから30にした感じ。36は両数も少ない
通勤型とはいえ非電化路線だし、入換が多いから運転台ある方が便利だったんだろうね
まぁ電車でも地方はまだ40系や50系多くて運転台付きばっかりの時代だし 通勤型とはいえ、ステップ付きの四ドアは無理だったんだろうね。 山陰線京都口に入っていなかったのが意外なんだが。
何か裏でもある?って思ってしまう。 >>348
入ってたよ
ググれば丹波口駅に停車中のキハ35とか出てくるぞ ラッシュ時に乗客が重すぎてDMH17Hとも相まってなかなか起動しないとかあった?
下手したら変速機オイルが過熱してしまう >>350
なんて言うんだっけ、当時のDCで発進の時一回全開近くグオーって回転上げて、
動き出したらすぐドカンと回転落として一回静かになって、またすぐグオーって繋い
でグングン加速していく運転方法。
あの運転は見たことある。最初はエンストしたと思った。
が、後で高負荷の時の発進方法と聞いたよ。 新潟に居たキハ30 505・506は相模線に馴染んでたな
冬場は有り難かったのかも 和田岬線が一番過酷だっただろうな
気動車のくせに3M3Tとか
大昔の機械式気動車みたいである >>353
> 和田岬線が一番過酷だっただろうな
坊や、過酷じゃなかったからトレーラーを牽引出来たんだよ。
起動後は4ノッチや3ノッチの絞り力行でも余裕だったから。 >>354
和田岬線より運用終えて鷹取に引き上げるさいの本線に向かう勾配はキツかったんでないの
距離が短いからどうにか上れたけど 和田岬線はキハ35だけでは厳しかったのか、キハ58を連結した試運転したのがRMに載ってたな >>347
未だアルミ製気動車も無理だよね
排気管接合部に溶損の恐れが有るから… >>347
関東鉄道に4ドア車が1両だけあったけど、あれはステップ無しだったか。
同じようなドア配置は、ロンドン地下鉄の小断面車輌にもあるね。 広沢シティで元長崎のキハ30を見てきた。
ステップや足かけ等々オリジナルに戻してもらいたいなぁ。。。 キハ35-900番台は904だけ相模線色に変えられてたな
ただJRマークがコルゲートが邪魔で貼り付け出来なかった
前面部の車番はプレートだった とにかくトイレは汚くて臭かった記憶がある。
高校生の喫煙所にもなってたし。。。 >>351
3段6要素型の変速機ならではのストールトルク比を利用した運転方法だね。
BotWのリンクで再現するとこうなる。
DW14E液体変速機のトルクコンバータが3段6要素なので、この運転方法は使える。
一気に5ノッチに入れて加速させて、ゆっくり動き出したらノッチオフして、
勢いに任せながら動かす。その後、3ノッチや4ノッチで絞りながら力行する。
これは、勾配上で起動させる時や重いものをたくさん積んでいる時の起動方法。
速度が50km/h程度になったら、自動的にクラッチが切れて、直結1段に入る。
5ノッチに入れていると、50km/h付近でしゃくるようなエンジン音がするのは、
回転数を検知して自動的にクラッチを切るため。
3ノッチや4ノッチでの絞り力行では、それよりも低い速度で直結1段に変速する。
70km/h程度で直結2段に切り替わる。
直結状態で速度が大幅に落ちると、エンストを防ぐために自動的に変速段に落ちる。 詳しいし専門的だなぁ。。。
>>364さんは元ウテシか検修の方ですかね・・・? 水島の30もガタが来ているのか?
この連休中走らせてもらいたかった。
非冷だから夏場は走らせないし。 古いディーゼルカーだから、足回りはもうガタガタ。
キハE130系にバトンタッチする時代。
将来的には、非電化の幹線はハイブリッド気動車が主流で、
余った方の新型気動車は、過疎ローカル線を支える形になると…。 新津の鉄道資料館に行ったら「キハ35 507」の車体番号切り抜きと妻板の形式・自重・
換算・全建表記の鉄板が大事に展示されていた。
よくまぁこんなものも切り抜いて保存してくれたものだと嬉しかった。 >>367 エンジン換装、例えばキハ85のカミンズエンジン、無理か。
この形式、新型のエンジンに換装したものは無いんだよな。 長距離鈍行でキハ35に当たったら拷問だった?
広島の103系も車両と路線の特性がミスマッチで大不評だったし だった?君は、まずキハ35の長距離があるかどうか考えてみればいいのに
自分は八高くらいしかないわ 関西本線奈良電化までは湊町発名古屋行きなんて平気であったからね。 >>374 どういう編成かが問題なんだが。気動車か客車か、気動車だとしてもキハ30を全区間併結していたのか?
奈良辺りで増解結していたってことは? >>372
特性というか、便所なし・半自動対応なしだったからな。
あまり古いことは知らないが、35系の半自動押しボタンは後付けだろうか。 当時の近鉄の宇治急は2200系の2ドア転クロが当たり前だったから、
湊町−亀山・名古屋といったロングランでのキハ35は明らかに不評だったのは言える。 >>377
当時は真冬の列車交換時でも扉全開、半自動扱いになるのは後天的改造だから。
でも天王寺・柏原間昼間帯のDC普通列車10分ヘッド運転は楽しかったね。 >>371
末期の東日本のキハ35系は全車エンジン換装されているはず。
DMH17Hが使用禁止になってるわけだから。
あと、関鉄でも半数以上がエンジン換装してパワーアップしている。
当然水島に行ったキハ30もエンジン換装済み。
まぁ、エンジン以外がヤバいのかもな。 >>382
>DMH17Hが使用禁止になってるわけだから
kwsk 1995の初冬だったか、久々に八高線乗ったらエンジン換装車でそれはもうやたら速かった。
1985年春先まで川越線の鈍足さを味わった者としては、あまりの疾走ぶりにおぃおぃ停まれるのかよ!とビビったものです。
パワフルな走りが楽しくてそれから1年あまりの間に何度も乗りに行ったな。 亀山や名古屋〜港町の運転(奈良から西は通過駅あり)でもキハ35だったのですか。 トイレ前のクロスシートで窓全開にしたら八高路面悪いんで
窓がおちてくるんだ。構造上首チョンパや指切断は無いが >>388
そらぁもう変わりますよ。
回転が抑えられてるとはいえ直結でのグイグイ感は比べ物にならないね。
余談だけどその後に花輪線のキハ3連(58+58+52)に乗ったら、28‰以上の登坂でも直結50キロ台で走ってたんですね。
技術進歩はスゴいなあとつくづく。 >>389
キハ35で通しというのもあった
しかし、キハ17 だと前に足が伸ばせるだけ35のほうがマシ(冬は除く)だった気がする 戦前に設計されたエンジンを比較対象に進歩とか言われても困るわあ ところでキハ35系のエンジン換装って何時頃何両くらい行われたんだ?
エンジンは何? JR東日本の場合はアルカディア号火災事故がキッカケではないかと たまにはキハ30 51のことを思い出してやってください。 >>393
それほど国鉄の頑なさ、モデルライフの長さはが世間から取り残されてたと言いたいのですよ。
大量生産に走ったから変えるに変えられなくなったし。
>>394
いかにオール2エンジンでも昔なら直結なんざ無理な勾配という例え。 昔はキハ35の中でも普通に喫煙できたんだから昭和ってすごいよね。。。。 >>401
いや、JR世代の211系ロング車や415系1500番台にも灰皿があって喫煙できたんだぞ。
床が焦げているだろう?
八高線のキハ35はなぜかJRマークが貼られなかった。
30には貼られたのに。 >>401
平成初期でも、小湊のロングシート気動車は喫煙可だった。
ちなみに灰皿は無し。
足で踏んで床に捨てる。 >>401
ドア横のポールに小さな直方体の灰皿が付いてたな。便所クロスには付いて無かった。 >>403
確かに床には火種を踏み消した▲の焦げ跡が沢山付いていた。
クロスシートだと灰皿に近い窓側の席の下にはあまり焦げ跡は無かったが
通路側には座席の角の下辺りは▲焦げ跡が多かった。
灰皿から遠いからと言う事は灰もポンポン床に落としていたんだろうな。
令和の今じゃ全く考えられない光景だwww 昭和60年だから、国鉄末期だし、同線内のローカル区間ではあったけど、
この形式がソコ対象への新規導入線区である本来の関西本線(奈良-亀山間)で乗ることが出来たのは
幸運といえるのかな。もちろん乗った当時はそんなこと知らなかった。 1両営業用1両部品取り
ただし冷房がないから涼しい季節にしか動かない