通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
相模線だと有馬の学生がステップに捨てた、乾電池が詰まるのよねぇ あとオロナミンCの瓶 オロナミンCとワンカップは貫通幌の定番でしょ!
(各地の4ドア通勤車)
※あと常磐赤電→酒 あのサキイカとワンカップの人たちはもしかして原発労働者?それとも彼らには特急ひたちの指定席が用意されてた? ドアと開口部のフチはどういう合わせ目になってたのかな。
ドア外側にはゴム板があるが車体側も少し出っ張らしてあったのか? キハ35系 VS キハE130系
満員に近い状態でもスムーズな加速はキハE130系の勝ちだ。
紅の豚で言うと、サボイアとカーチスを零戦とYS-11で比べているみたいで全然面白くない。 キハ38はコンピュータによる構造解析ができるようになったから普通の戸袋構造を採用できた?
丁度NECのPC-9801が出来た頃だったのでパソコンで構造計算できたはず
キハ35の頃は大型コンピュータしかなかったためにマルス中央装置位しか使われてなかった >>222 外吊り扉に混雑路線ながら微妙な地方路線的泥臭さを感じる
(別に揶揄とか嫌いとかじゃなくて)。 幼児のころ、天王寺駅で関西本線のキハ35を環状線電車の車窓から見た時、
まさかディーゼルの通勤列車とは思えず、市営地下鉄が地上区間に出てきてるのだと思い込んだ。
ツートンの塗装が似てたし、パンタグラフは無いしで。
何より子供心に、DCというのは田舎に走ってるものだという先入観があったから。 >>228
俺は大阪人だが、幼稚園児の頃はディーゼルは基本的に田舎を走るもので、関西線は例外と思い込んでた。
小学校に入学した頃になると、山陰線や奈良線、和歌山線、桜井線、片町線、加古川線など関西地区でもディーゼルが走る路線が幾らでもあると解った。
こういうのも「灯台もと暗し」と言うのかな?
今では殆どの路線が電化されてしまったな。 連投失礼
環状線の101系または103系と、関西線のキハ35系のバトルは環状線の全勝だったな。
俺が小1の秋に漸く関西線が電化されて101系になって、バトルは拮抗するようになった。 餓鬼の頃はディーゼルカーといえば相模線のキハ35系しか知らなかったなぁ 3両編成の真ん中の車両はクロスシートだったからキハ10か? >>228
相鉄バス洗車係のニシヤンが言ってた。
大阪の50系保存車は関東鉄道のキハ310の旧塗装車に似ているってね。 関東鉄道にはもう元キハ30・35・36はないんでしたっけ? 外釣ドアが締まりにくかったなぁ。
乗務員室は冬は暖房効かずに震えてたわ。 急行「うおの」の長岡増結車にキハ35系が入るのは、
実に凄い事だと子供心に感じたものです
佐渡やとがくしは冷房付きエアサス車
それとキハ35で同じ急行料金を徴収するのですから 101系と共通のTK6形ドアエンジンを使用していた最後の形式でもあるな
ドアエンジンが床下にあり床に点検蓋があるのが特徴
ただサプライ部品枯渇に悩まされてたみたいである >>241
回送扱いではなく、料金を取って乗せていたとはすごいですな。 >>243
そう言えば、基本的に500番台だけが配属されていた新潟エリアに
1両だけ0番台がいて、その車両は荷物車代用として
使用されてたんだっけ…? >>244
海水浴臨でキハ35を増結したら新聞記者に写真撮られて新聞沙汰になったとかあった だが実際には乗客は床にレジャーシート広げて寛いでたり案外好評だったとか >>246
急行が超満員で上って来ると聞いて、急遽木更津にいた予備車のキハ35を増結したと読んだ。 水島の30は今がおすすめ。
冷房シーズンになると運用から外れる。 和田岬線のやつは片方のドアを2か所塞いでたな
部品確保のため?それとも隙間風対策?
関東鉄道竜ヶ崎線の気動車は片側にしかホームが無いのに左右対称でホームが無い側のドアは滅多に開けることはない >>250
どうせ開けることはないんで、ステップ対策も兼ねて思い切って撤去したってことでしょ ステップは大きそうだね
関東鉄道はステップ埋めちゃってるからそこのスペースにも人が立てるし 和田岬線のやつはドア撤去跡に座席増設してなかったんだな
客車時代も短距離乗車と割り切って座席が少しだけしかなかった 和田岬の混雑と時間を考えれば、いすなしでよいぐらい その和田岬が、今ではリニア地下鉄で三宮と直結なんだよなあ。 客車時代も座席削減の上にホーム側だけ3扉にしてたからな<和田岬線 >>231
同じくガキの頃は相模線、八高線、久留里線、木原線しか知らなかったから気動車=キハ30・35だった。 >>258
東京・神奈川・千葉だとそうなるのかもね
JR初期だと、キハ40・45・20も八高線で使われ、
キハ37・38は久留里線・八高線で活躍してたから、
必ずしも等号にはならなかったけど
ただ、相模線ユーザとしては、気動車=キハ30系ってのは否定しないw>自分 >>259
八高線ユーザーだからキハ20とキハ40乗ったよ。
キハ30・35が大多数の中で目立ってた。
キハ38もデビュー間もない頃から何度も乗ってたな。
電化前日の最終も自宅のベランダから見送った。都立八王子東高校の鉄研部特製ヘッドマークが掲出されてたな。 >>260
スレ違いになってしまうけど、一時的にではあれ、東京都内でも
キハ40が半定期的に活躍してたと言うのは、別の意味で衝撃だw
キハ20なら、相模線でも使われてたから、特に驚きではないけど
八高線のキハ30系…最後はトイレ前の2人席で座って、
例の揺れを堪能した記憶がw 八高線といえばキハ30・35のイメージが大きすぎてキハ20がが走ってたのは見た事が無かったな
国鉄末期の頃はまだ半自動ドアのキハ30もいた
多分相模線電化でやってきたキハ30・35で置き換えられたのかみなくなってた
相模線塗装のもそのままでしばらく走っていたような
キハ38は八高線では電化までそのまま使われたけど、久留里線にいってからだいぶリフレッシュされたみたいね
キハ40は一度だけ遭遇したことがあって、八高線しからぬクロスシートにびっくりしたもんだ 製造コストケチるためなのか角ばった車体なんだな
キハ23は角が丸いが 昔水郡線でキハ30を見かけた事が有るんだが
郡山まで行けば最北のキハ30だったのかな? 酒田行きとか鼠ヶ関行きとか吹浦行きとかに普通に運用入っていたからな 新潟を走行した事があったが隙間風凄くて大不評買ったのでは?
暖房も座席下の面積が少なく他形式と比べ弱いだろうし 新潟地区のキハ30が定期運用で磐越西線に入ったことはないみたいだな。
米坂線ならあるが。さすがに只見線はないだろう。 地元の方には申し訳ないが、わざわざ寒地仕様車を新製投入するほど、当時の新潟地区はラッシュが激しかったんですかねえ。 1990年代に入ってから興味を持ったから
美祢線の大嶺支線と和田岬線でしか乗ったことがない。 俺の場合、国鉄〜JR初期は小学生で遠出できなかったし、乗れたのは和田岬と関鉄だけだ 東京地元なのでキハ35系は相模、八高、川越、久留里で体験。よく
旅先のローカル線でこの系列に当たってガッカリという話を聞くけど
幸い自分はそのような災難には遭わないで済んだ。 紀勢線のキハ35 新宮-和歌山 6時間以上
これでも?、 >>276
6時間以上県境を越えないのもすごい。
ただし新宮→亀山方面だとすぐに県境だが。 >>276
大概、キハ22や55あたりの他形式が編成中にいそうなもんだが?
キハ35だけなら平成の701に匹敵する、地獄の我慢耐久編成だなw ガラガラに空いてればキハ10系や45系の狭いボックスよりロングの方が快適だったと思うがな >>281
君、変わってんな
競争率低くて良さげだけど、変態プレイとか好きそうw 確かにロングの方が良いなんて不可解な人だね
僅少な意見だろうど、だからってそういう言い方は嫌味だな>282 >>276
非電化の時ってディーゼルカーの直通列車があったの?
電化後の1980年12月の時刻表しか持ってないんだけど
この時点だと直通はPCだけなんだけど 最近のガキはクロスよりロングが好きだな
他人と近くで向き合うのに耐えられないらしい >>286
究極形は叡電「きらら」や東武「スカイツリートレイン」みたいな、
外を向いて座るって形か
もしくは個室? >>254
捉え方の方向が真逆
鉄道車両ってのは規定文で表向きは座席をしつらえないといけないことになってたからね。 >>281本人じゃないが、俺もすいてたら転換クロスよりロング席がいいわ。
要するに脚のばしたいんだよね。
転換クロスで足下があいてるタイプだとしても不十分で、しんどい。
すいてるときに限ってだがそういう点でロングはラク ↑前提やらをきちんと読まずちょっと書いただけでこういう思考飛躍する奴が一番不快 >>292
こういう馬鹿が、足蹴られたと因縁つけて絡んでくるんだよなあ どうせ空いてる車内で不快感晒すなら
転クロ向かい合わせにするかボックスで足伸ばしたほうが楽だろ
マイノリティーを正当化させるのは無理があるわ
老害爺かゆとりだろう?見苦しいぞ >>291は>>290に向かっていったわけじゃないよ
ただ足伸ばしてるのってヤンキーやヲタ臭いの問わずいるからやだなーって愚痴っただけ ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 非電化時代の相模線にいた車番が斜めに書かれてた車
なぜか萌えたw でもすぐに消されてしまった
電化されてお払い箱になったせいもあるが キハ35-900番台はJRに一応は承継されたもののコルゲートがあるために鋼製車とは違い窓下にJRマークを貼り付ける事が出来なかったな
EF81-300番台はJRマークのステンレスの板を溶接しているがキハ35-900番台は廃車が近かったためか取り付けられず >>298
キハ35-904だけコルゲートがあるためプレートだった
唯一相模線色となった900番台である >>301-302
904(相模色)はJRマーク付けてたっけ?
当時日常的に見てたはずなのに、記憶がないw >>278
キハ35は混雑の激しかった関西線大阪府内区間のラッシュ対策用として登場した車両。
東北ローカル区間の合理化を目的とした701とは全然コンセプトが違う。 >>306
外吊りドア自体はないとしても、戸袋がなくてドアがスライドする車両ならあるよ
東武100系とか キハE+35系気動車
エンジンはDMF15HSA-Pエンジン(265馬力)、変速機はDW10を使用。
外吊りドアを採用している。ドアチャイムはE231系と同じ。
走行機器はキハ40と同じなので、加速は非常に重めとなる。 88年の冬、高校入試の帰りの相模線で光○相模原の生徒が後頭部で窓をガンガン叩いてて海老名駅に着いたと同時に割ってたな
生徒は車掌に連れて行かれた >>310
光○相模原←原当麻にあった漢字も書けないような連中が集まった鈴蘭みたいな高校だよな。
タイマ高って、いかにもそれっぽく呼ばれて神奈川県央部じゃ恐れられてったっけ。。。
まだキハ30と半分ぐらいはキハ10が残っていた頃の話じゃよ。。。。 昔の国鉄気動車はブレーキシリンダ圧力計付いてないのあったな
BP管圧でBC圧を把握するテクがあった >>312
自動空気ブレーキの吊掛電車なんかも国鉄・私鉄を問わずBC庄指針は
無かったね。ポツ8減圧、場内信号でポツ2追加なんて言ってた時代。 BP管圧より応答が先の釣合ダメ管圧でハンドルさばきすると楽。 >>211
新宮〜熊野市なら、荷阪峠通らないやん。 これ戸袋部分の窓から頭だしててドア開閉の際、首切断された人いないの?