通勤型気動車のキハ35系 を語る 2両目©2ch.net
この時期になると思い出す…
「暑くて窓を開けたら、熱風が外から吹き込んできたw」
キハ30系時代の相模線の想い出 夏暑く、冬寒い車だったな
碓氷に通ってた頃、東上民だったからよく乗った。
冬は38が入ってたらそれに乗ったけど
夏の38はあまりクーラー効かなかったから30/35で窓全開。 >>105
やろうと思えば、キハ40系でも時速100キロ近くは出せる。
エンジンの負荷はものすごく大きく、マーチで言えば、180キロを出すような状態に等しい。
※烏山線のキハ40に乗った時、宇都宮線に入った時には、エンジン全開で95キロ以上まで出していた。
宇都宮線は比較的平坦で駅間距離が長いので、キハ35系でも100キロは出せるぞ。 >>104
東の除籍前に持ち込まれたの?
西桐生で破壊される記事しか知らないので、足尾へ自走は初知りです、ありがとう。
もしレストアするなら、資金はともかく大間々でないとやりきれないよね。
ここまで時間が経つと、エンジン本体はもちろん電装やエア系もガチガチだろうし。 >>106
小学生の頃、奈良区のSL撮影に行くときに乗ったが
爆走していた記憶はない。 113系も35も最高速95km
加減速と勾配均衡でおとるから速度定数は落ちるけど、大和小泉あたりは爆走してた。 加古川線で外吊り扉を目の当たりにしたときは衝撃だった
加古川駅で扉の開閉を飽きもせず眺めてた >>113
加古川線ならキハ35眺めて
衝撃受けてる場合じゃないだろ!
伝説の珍車キハユニ15は見なかったのか?
特に小窓に改造された3を ああそう言われてみれば加古川線にそんなのがいたっけなあ 奈良線で通学に利用したよ、小さい灰皿が懐かいわ、大回りで乗り鉄した時、木津ー奈良間の爆走が忘れられない。 >>117
確かにいてたw
しかし小窓&スカート付きは加古川線だけ! >>117
和歌山線・桜井線は2ドア車のキハユ二16な。加古川のよりスタイルがいいよ。
一時期、キハ35みたいな切妻のキユニ19もいた。 >>121
切妻といえば、キハユ15だな。
幼少の頃一度見ただけで強烈な印象とともに記憶に焼き付いたわ。 相模線に居た、強烈な印象の車って、何だろう?
リアル世代じゃ無いもので… >>123
電化直前(1990年頃)なら、やっぱりステンレスのキハ35-904が筆頭だったでしょ
その次が更新車のキハ30-62・100あたりか?
その当時の相模線キハ30系は、後天的な改造(ヘッドライト・補強・更新など)で
各車がそれぞれの個性を出していたように思うけど 晩年の白に青帯でも充分インパクトあったわ。
八高線転籍後のタラコ色との混結も。 八高線転属後のドアだけタラコのほうがインパクトあった >>126
ドアって貫通路のでしょ?
あれは何でも有りだったね >>123
タイフォンが幕部にあった30-26とかなんかも印象的だった 90/2/18
キハ30 34↑八王子
キハ40 2087
キハ30 503↓高崎
DD51 887
ホキ55719
ホキ45727
ホキ5732
ホキ45702
小宮だったかな? タラコ色のは田圃の中では良く目立ったな
晩年に緑色に塗られたのが現れたがあれは保護色になって保安上はイマイチと言われた >>132
川越線民だが電化して緑色の電車になったが特に問題なかったぞ トラムウェイの相模線キハ30模型だと、前面の青帯は補強板付きの位置。補強板なしはもう少し低い、ただし例外あり。 >>138
キハ30-46(元久留里・木原線)あたりがその例外だったっけ? 前面補強板着く前に電化されて、見なくなったなあ。
なので、補強板ある方が違和感あるわ。 補強板ていわばアングル材だな。
貫通路有りの前面、横はすぐ乗務員扉でどれほどの防護性だったのか今見ると疑問だわ。
あの分厚い鉄板はそのままに、運転室内側に食い込みそうだもん。 >>140で思い出した
相模線電化後に久留里線に転属したキハ30-62・100は、
転属後に前面補強板を付けてたんだよね
相模線時代には、車体更新はされたけど補強板までは付けてなかった 相模線だが、35 156はプロテクター無し、35 165はプロテクター有りだったな。
あと、押し込み通風器の30 505、30 506が目立ってた。
日中の2連は30 41、30 42の出番が多かった印象。 相模線は前面強化車少ない
八高線は前面強化車多い
ってイメージ
特に八高線の30で相模線からの転入車じゃないのだと30-19と503くらいしか強化無しのはいなかったかと思う >>144-145
35-156は相模線にはいなかった(158だったら補強付→関東鉄道で部品取り)
相模線色時代のキハ35で補強がなかったのは、81,97,101,103,170,212,524,531,904
逆に相模線色時代のキハ30で補強付だったのは、14,80,505の3両のみ
非電化時代の頃に既にデジカメがあって、詳細な写真でも激写できてたらなぁ… 応荷重装置が無かったためにラッシュ時の運転が大変だったのでは?
ただでさえエンジンがDMH17Hの1基だけでラッシュ時に乗客の重みで加速が滅茶苦茶悪かったはず 満載の通勤客を降ろしたら、ブレーキテコの位置が変わって緩解できなくなった、という話は読んだことある。 >>152
関西線朝ラッシュの湊町行きが超満員で天王寺駅に到着し、乗客が大半下車したのちに
緩解不良発生の流れな。 >>155
この時に対処法ミスってブレーキコックを閉めたまま発車させブレーキが効かず駅ビルに突入してしまった
油圧式車止めを装備していれば壁を突き破るなんて事は無かったのに
最近は線路の摩擦を利用して衝撃を吸収するタイプもある
https://www.youtube.com/watch?v=49LLkbLU2lY ほんの短い間、酒田〜新潟でも走ってた覚えがあるよ、6両編成中2両ぐらいがキハ35の時期があったか、
新潟駅到着は昼前で、鶴岡までは良くても新潟駅の通学時間帯は電車じゃないと無理、今のキハ40より出足は軽快だった印象だ。 避けられる環境の人はいいよなあ
オールキハ35だったんだぜ
もっとも電化して103系になったらドアの数増加&ドア開閉ボタン無しで開けっ放し
と余計寒い仕様になったわけだが >>156
近鉄の青山峠事故も類似しててブレーキ不緩解の対応処置をミスってコックを閉めたまま発車させてしまった
しかも安全側線に100キロ近いスピードで突っ込んで正常に機能しなかったとか >>160 先日、近鉄スレで話題になったけど、青山峠の場合はコックが閉まった状態で車止めを外してしまったのが原因だよ。
コックを閉めて空気ブレーキのタンクにエアーが入っていなければ、モータは作動しないというフェイルセーフになっていた。
しかし、下り坂になっている所で、モータに電気ブレーキ、そして空気ブレーキも作動しない状態で車止めを外したから、電車が暴走し始めたというわけで。
キハ35の場合、空気ブレーキが機能しなければエンジンがかからない、といったフェイルセーフになっているのかな? >>159
ドア開閉ボタン付きの人はいいよなあ。
ドア開閉ボタン無しのオールキハ35だったんだぜ。
もっとも電化して101系になってもドアの数増加&ドア開閉ボタン無しの開けっ放し
と、あんまり変化なかったんだが。 >>159
電化して半自動ドア対応車が入った相模線は、まだ天国だったんだw
#初年度の夏は、冷房ガンガンでドア開けっ放しだったけどなw 確か35の半自動ドアは、ものすごく軽かった覚えがある、
東京か近辺から旅行に来た女子グループは、半自動を知らないで立ち往生だった、一人が「あ、確か八高線もこうだったと手で開けた」 半自動ポジションだと、解錠時3センチぐらい開くよね >>162
片町線か
長尾-木津電化の時まだギリで101系いたんだな
>>163
ガミ線は新車投入だから恵まれてたな >>167
川越線な
それも川越以東
大宮-高麗川間の電車は半自動だったけど
それもじき無くなった >>169
関西線って電化直前までキハ35以外もいたろ? 民営化跨りの木更津にキハ28も配置されてたけど、何に使ったんだろ? キハ35は寒い思いが強い
特に九州
キハ35以外があれば、100%そちらに移動していました >>170
きちがい相手にマトモにレスする必要なし 1988年の3月に柘植から亀山行きに乗ったら、キハ35がキハ58系に
サンドイッチされる形だった
まだ残ってたのかと思い、嬉しくなって乗車したが、ドアの半自動扱いを
していないので、加太と関で停車する度に開いたドアから寒い風が
入ってきて閉口したw
キハ35に乗車し続けたのは俺だけだったw >>175
そのむかし
奈良線を走った臨時快速あすか
前後がキハ58系で中間35系の4連だったよ
こっちの理由は当時自動化されてなかった奈良線を通過するのに、タブレットキャッチャーが必要だっだから。
関西線の35+58の組み合わせは、馬力アップのためでしょうね。 キハ35 217出生の秘密って、オハネフ25 47やキハユニ25 7みたいなもん? >>179
んだ
一両だけ予算がついた
で、びみょーに設計変更
その後増備なし
216を岡山で実見して、217の特殊さに気づいた昭和晩年…… 何で通勤型(101,103電車の気動車版)なのに、4扉じゃないんだよ。 四扉必要な程混むなら電化するだろうね
扉は側面強度下げるから気動車は特に増やしたくないだろうとマジレス >>183
関東鉄道キハ755(元南海キハ5500)「…」 そんな田舎私鉄の所詮改造車を引き合いに出されてもな 手は出せないほど、数センチしか開かない
でも出すやつはいるだろう >>185
キハ755の増設扉ってステップないんじゃないの? 紀勢本線キハ25系が顰蹙を買ってるが、キハ35系を知る世代なら何を今更だなw 満員の乗客が重すぎ坂を登れなかったとかあった?
通勤型で180PSはいささか無謀ともいえる 関西線の平野で超満員(ステップにまで詰め込むくらい)になるけど
天王寺へ向かう高架を登れないという事はなかった
すごいエンジン音の割りに、加速しないけどね 和田岬線の3M3Tも無謀だった
急勾配は無かったが如何せんパワーウェイトレシオが日本一悪く?最高30キロ位と客車に毛が生えた位の性能しか出なかった
103系になってから時短した SLブーム末期の頃
休日の関西線キハ35は
撮影に行くファンで満員だったが
途中で登れないなんて事はなかったな。 定員の2倍押し込んで約250人 max300人?
50kg/人が当時の基準だったと思うから、15t
積車46tぐらいか マイテ49並だね 北海道は寒冷地装備に金が出て行く為か、多少の勾配路線でも1エンジン車2両が相場だったな。
本州とは逆にキハ56よりキハ27が多かった(お座敷改造も) >>198
やっぱり新規投資するだけの需要が見込めなかったんだろう
キハ285系がキャンセルされたのも、そういう背景があったのではないか
俺が思うには、北海道は本州同様に気動車化を進めるよりも、客車列車を主体にした方がコスパが良かったと思う 厳寒地単行となるとキハ53.54に頼らないとヤバいことに いつでも乗れると思っていたが、
最後に乗ったのは、八高南線電化前の最終日だったな。 >>200
だから末端線区でガラガラなのにキハ22やキハ24の2連が多かった
(単行禁止の規定が有ったのかも…) 一時的にでも、レギュラー運用でキハ30単行だった線区は全国でどこがありましたか? >>203
川越線
昭和40年代前半くらい
あと画像探したら
木原線とか美祢線、山口線もあったよ