なつかしの駅前のなんでも屋
入りたくなるような店もないので、パンを買ってもそもそとかじったことである。 >>171
そんなものないだろ
写ルンですくらいならあるかもしれないけど 駅前に限らないが何でも屋、パパママストアには大手コンビニにはないビニ本が並んでいる事があった 水木さん目当てで境港に行ったとき、駅前を少し外れるが、なんでも扱う店があった。
時期は8月初頭で店の真ん中に盆提灯が並んでおり、タキイの種のパッケージに農具や食品があり、まさしく正しい万屋だと思った。 コンビニの方がよろづ屋よりはるかに
なんでもサービスがあるわ
公共料金を扱わせるのはさすがにやり過ぎと思わないでもない
払った料金が本当に役所や電力会社に辿り着いてるのか確かめようがない >>177
払った料金が届いてなかったら支払遅延のお知らせくるでしょ。 昔、おばあちゃんの家の近くの駄菓子屋兼雑貨屋に、トクホンが売っていた。
もちろん、医薬品販売免許はない店だ(規制緩和された今でも、トクホンは薬屋以外では売れない)。 伊勢奥津駅前にあった店は百貨店と称していた
25年くらい前だが >>177
>>178
それ、もしかして店員がナカヌキしてるってこと?? 音威子府駅から国道に出た所に有る
千見寺商店は何でもあって便利だわ〜
結構長くやってるがまだまだ続けてもらいたい 昔の邦画でよく見る。
印象に残っているのは健さん主演の「駅」。
留萌本線の終点、増毛駅前にある風待食堂 昔の邦画でいうと岩下志麻の出てた風の視線という作品に大分交通宇佐参宮線豊後高田駅前の商店が映ってる 駅前のなんでも屋が観光スポットに昇格したのが南海(現・和歌山電鉄)貴志駅の小山商店 >>187
撮影で何度か利用した身としては、
なんか嬉しい コンビニは撤退も早いぞ
脱け殻には店はなかなか来ない 昨日常総線駅めぐりしてたら稲戸井駅前でよろずやのひと回り大きい感じ、昭和50年代オーラを醸し出してる個人経営のスーパー発見。
店頭に陳列された色あせてるタネの袋、
賞味期限切れ近い商品の数々。
こんな店を発見すると
何故か吸い込まれるように入って何かしら買ってしまう。 >>198
googleストリートビューで見たところ「中村ストアー」という店ですね
駅舎も昭和な感じで、散髪屋も駅前にあっていい感じですね。
郵便局の建物が新しいのが残念 >>198
昔の守谷も旧態依然としていて良かったんだが、つくばエキスプレスの開業と共に区画整理され
味気ない町に生まれ変わってしまった。 10年近く前の秋、新見駅前のなんでも屋でカルビー春ポテトが売っていたので「季節外れだな」と思っていたら完全な賞味期限切れだった
その店もgoogleストリートビューで見るとなくなっているみたいだ。 >>92
>>155の仁宇布駅前のなんでも屋もご主人が町議会議員かなにかだったはず よろずや、と表現しなさい。
ナンデモヤなんて語は正当な表現ではない >>200
そうです、ストリートビューでわかるって便利ですよね。 >>202
ボクが30数年前に北日本食品の「キュービーロップ」を買うた店かな?w 東武野田線六実駅の近くには現在も盛業中のよろず屋さんがある いま、よろづ屋の看板出してる店は元来のよろづ屋とはちょっと違わなくね?? もし今でも元来のよろづ屋があったらつい財布の紐を弛めてしまいそうな気がする
それがローカル駅の真ん前なら一層だよ よろずや(万屋)、または英語でゼネラル・ストア(英語: General Store)とは、多様な商品を扱っている
商店の総称。「なんでも屋」とも言う。
「よろず」とは万と書き、「あらゆるもの」という意味を持つ[1]。規模はごく小さく、駅前や街角にあっ
て様々な食料品や日用雑貨が売られている形態の店である。沖縄ではマチヤーと呼ばれる。今日のコンビ
ニエンスストアの前身とも言える。
「よろずや」と呼ばれる店は、主に田舎(地方)に多い。人口の少ない地域では、需要がないため専門店
(食料品、日用雑貨)が成立しづらい状況にある。そのためよろずやが重宝されたのである。ごく小さな
スーパーマーケットのような作りの場合もあるが、酒屋や駄菓子屋が他の商品も扱う場合などもあった。
田舎の場合、生鮮食料品から文房具まで、という文字通りの「何でも屋」があることもあるが、小都市で
は日用雑貨のみ取扱う幅の狭い万屋の例が多かった。
地方都市の近郊では、よろずやはコンビニエンスストアなどにとって代わられつつある。また、よろずや
自身がコンビニエンスストアに衣替えすることも多い。僻地においては営業を続けているものもあるが、
過疎のために店が成立しなくなった例もある。
wiki ローカルなよろずやは買いたいものより仕方なく妥協して買う感じ 東武の佐野市によろづ屋ほど豊富ではないが衣料品日用品文具と生鮮食料品以外の食料品を売ってるお店がありましたな1980年頃まで 以前の勤務地の最寄駅前で営業していたなんでも屋は品揃えは良くなく値段も安くないが店主のオバアチャンが面白い人でたまに寄っていた
多分、月の売り上げの大半を俺が占めていたと思う
「もうトシだから」と店を閉めてから
三ヶ月もしないうちに亡くなられたと言う話を聞いた
店は生き甲斐だったのだろう 趣味もなく仕事だけやってきた会社員が定年退職後悠々自適の生活を送ることもなくすぐにポックリ逝ってしまうのと似てるな よろづやさんもインボイスやらなきゃならないから大変だね >>225
もう店ないわけだし、貴方も特定不可能だから
せめて駅名おしえて >>225
>>店の売上の半分が俺
何を買ってんねんw まて、「俺」は売り物の方かもしれないぞ!
いかがなものかと僕は思うけれどw さすがに生鮮食料品は取り扱わなかったが
肌着類・調理器具・調味料・レトルト食品が渾然一体で陳列されている光景は印象に強く残る 特定されたところで閉店ずみ
つまり誰にも迷惑掛からないことを
伏せる必要ないのになあ ホーム上の売店の詰め込み陳列はもはや芸術の域に達している 店員さんの客さばきが特化していてプロなのも。
それの特集映像を見たことある