遜色急行
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近郊型を使った急行列車について語ろう
大昔は115系を使った急行とか平気で走ってた
流石に苦情多発するので近年は運転されないが
最後の遜色急行は2009年に廃止された「つやま」である >>410-412
111系の週末準急日本平が廃止直前に急行に格上げされている。
準急時代は1等車付だったので、急行になってもサロ111が運用されたと思われる。
昭和41年3〜9月の時刻表を持っている人がいたら確認希望。
列車自体が153系か165系に置き換えられていたらアウトだがな。
昭和48年の房総夏ダイヤで臨時のなぎさとみさきに総武快速の113系が運用されたが、
特ロ仕様のサロ113なので遜色ではない。 サッと調べてみたけど並ロと特ロの料金差が無くなってからは
並ロ車は自由席、特ロ車は指定席として指定席料金の有無で
車両格差を埋めていたらしいから急行の自由席グリーン車が
遜色グリーン車でも国鉄としては問題無しだったのかもね 新幹線のグリーン車に比べたらかなり劣るディーゼル急行のグリーン車が同料金だったからなあ 急行の自由席グリーン券ってあったの?
料金表を見た事がないんだが。 >>417
指定席グリーンと料金一緒
最後の急行自由席グリーンは急行東海だったと思う いや1等〜グリーン車に移行直後は急行グリーン指定は指定席券必要だった、一等乗車券の性格が色濃く残っており小児半額乗り継ぎ可途中下車可だった ヤフー知恵袋で自由席グリーン車のグリーン料金と指定席料金についての回答がありました。
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1090020070
特急のグリーン車に乗ると指定席料金分を割引くとかいつ頃から始まったのだっけか >>421
急行普通車指定席からグリーン車に変更も指定席料金分は差し引か
れる。70年代後半頃の鉄道ジャーナル誌のその記述が有った。 判断基準としてはデッキの有無より基本車両からの座席、空調などの優劣の方が上だろうな。近鉄小田急名鉄など特急でもデッキ無し多い時代が長かった。 >>414
房総夏ダイヤでは青い海 白い砂でも総武快速車の11両編成が遠征していたね。
運用がマリ車だけだったからサロ113とかも使われていただろうけど、大船車使われたら
特急改造車やサロ124なんてあるわけないし、サロ153改造の
サロ110-1000や下手したらサロ96発祥のサロ110-901まであったし、サロ152改造の
サロ112までもあった可能性がある。
運が悪ければ回転するがリクライニングしないサロ111-1000にまで当てられただろうから、
あんなの来られたら超遜色だっただろうな。 遜色急行って飛行機だとA380のファーストクラスの切符買って乗ったらDC3のエコノミーだったくらいの状態だよな 夜行バスで3列トイレ付を予約したのに4列トイレなしが来た感じ。
で、差額の払い戻しはないみたいな。 >>427
さらに座席は真ん中にある補助席ならとどめだよ。
深夜バスで補助席までぎっしり込んでたことまであったね。 221系や811系は実際に急行料金取ってたことあるけどな >>424
近郊型が急行じゃなく快速をやるわけだから、フツーじゃん。
サロ113なら運が良かったと思うし、非リクのサロ110や111でもあたりまえ。
東京から沼津、静岡までフツーに非リクの近郊型のサロが走ってし、
区間利用もしたけど、一度も遜色なんて思ったことないぞ。 >>424
横総直通前の総武快速11連はモノクラスだった。
幕張のサロ113は導入初年度の夏ダイヤだけの運用で、後に転属させられた。
なのでS55以前の青い海や白い砂は原則としてグリーン車なしだったはず。
直通後の青い海や白い砂は横須賀線と共通なので並ロも使われていたが、
それは431が言うとおり遜色ではなく当然の運用。 何でサロ113-1007だけ大船だったんだろ?
(他の19両は幕張) それを言ったら183系 485(489)系サロ改造のサロ110-1300・1350も1両も幕張に配置されず
全部大船だった。(回転だけでリクライニングしないサロ111やボロサロ110取り替えで)
中でも1305は東海道線に放り出された時期まであった。 あとサロ110-1273と1237を取り替えたのが謎だったよな
111-1505は綺麗な編成だったのに >>428
221系で急行料金取った例もあるしな。
これも遜色急行。 715系はスペースがゆったりしていて良かったが、デッキなし吊革吊広告ありの221系急行はいくら2人掛とはいえ酷いタバコも吸えないし 223系は通勤型だから快速で問題ないやん
特急の指定が取れず、そんな長距離を乗らざるを得ない人は気の毒だが 電化したは良いけど、転線するのが酷く面倒だった記憶が…。 >>95
その2形式なら、むしろ引退寸前の153系の方に乗りたいと思う >>444
下田編成153+修善寺編成185で下田編成乗った俺涙目だったよ >>444
引退寸前の153系、エア漏れが酷く三ノ宮から大阪までコンプレッサーがずっと
回り放しで怖かったぞ。 153系って25年くらいしか活躍しなかったよね
185系の方がもうずっと長く走ってる 小田急の2400系箱根湯本急行は遜色急行だったと思う
当時は5000系冷房車の急行有ったけど箱根登山乗り入れは2400系に限られてたから箱根湯本・片瀬江ノ島行きは大抵2400系+20m級冷房車6連だったから格差は相当なものだったと思う元秦野市民
ごくまれに2200系シリーズ6連の江ノ島線急行も有ったけどさ
当然相模大野以東は4+2+2+2のちびっ子軍団w 鳥取駅1番線で米子発大阪行の急行伯耆を
ワクワクしながら待っていると、なんと
鈍行色の気動車がつながれててがっくり、
ところがこの車両はここで切り離されて
結局キハ28に無事乗り込めた。
今思うと切り離されたのは急行石見 JR東日本でセミクロスシート化改造済みのキハ58をリバイバル急行に充当した事があった
全席指定だったが号車のみ指定だったとか
ご丁寧にロングシートまで指定席にしてたら非難轟々だっただろう >>451
キハ58、キハ28をワクワクしながら待ってたなんて
時代を感じますねw >>452
リバイバルくずりゅうの際はロングも座席指定でしたよ キハ56・キロ26の北斗
替だま
12系座席車の特急
あたりか >>458
特急料金100円引き(替え玉は半額払い戻し)だったそうだが今のJRだと専用車両を用いていないため特急列車として成立せず特急料金全額払い戻しになる >>459
当時の100円引きは1976年の大幅値上げ以降?は500円引きになったな。 >>458-459
同じ替えだまでも157系の新替えだまの場合は正規料金だったぞ。 キハ22で急行券ぼったくった道南〜道央一周ルーレット急行「いぶり」や
キハ52で急行券ぼったくった急行「なつどまり」「いなわしろ」は典型的だな。
改造してたがキハ40で急行券ぼったくった「つやま」も。
究極の遜色ぼったくり急行は房総がまだ非電化だった当時の臨時急行。
キハ17とかならまだしもロングのキハ30でも情け容赦なく料金をぼったくった。
客車急行で板座席のオハ61に乗せられた程の屈辱感だろうな。 >>463
座席は151系と同じでも冷房が無かったとか中途半端だったな
急行型と特急型の折衷型だった >>464
いなわしろのキハ52は急行用に新製された車両なんだがな。 民営化後の西日本にあった「つやま」と能登路5号の方がよっぽど遜色急行だったず >>465
157系ひびき、冷房が無い時代は夏場はいくらか特急料金を引いていたんじゃないかな。 157系1次車は非冷房で落成でも仕方がないけど
2次車は最初から冷房付けとけば良かったのにな
でひびきに優先使用
冬期閑散期に1次車も改造すれば非冷房ひびきは防げた筈
ところで非冷房ひびきが走ったのは1961年と1962年の2シーズン
1962年は非冷房車使った特急はひびきとみずほのみで両方特急料金の割引があったから問題ないとして
1961年はかもめがまだ客車編成で編成の大半は非冷房だった訳だが割引なんてなかったと思うんだ
なのでひびきも割引無しだったと思うんだけど実際のところどうだったんだろ? >>471
東阪間の特急料金が確か800円の時代だから100円でも結構大きい
急行券+指定券で600円だったと思うからこれ以上は引けませんし 今の束だとE231・531・233のグリーン車付きの急行も遜色急行になるのか せいぜい215系を湘南ライナーに使っているのが遜色ライナーと言えるぐらいかね >>475
215系は湘南ライナー用として投入された形式なのだが いなわしろならキハ45の時だとかなり遜色っぷりが。 >>471
差額で駅弁が買えたから現在の感覚だと700円〜800円くらいになる。 いさぶろう、しんぺい
来年春から熊本〜人吉間特急化
つまり、キハ47ほぼそのままのセミクロスシートの遜色特急が誕生する ニュー速にも出ていたが、車両トラブルでロマンスカーに代わって1000形が
特急で走らせた話が出ている。 こないだは山陰の方で一般車代走があった
払い戻しの場合は遜色にはならないでしょ いさぶろう・しんぺいが普通から遜色特急になるとはな いさぶろうしんぺいが普通列車だったのは、はやとの風と乗り継ぐビジターから
2回も特急料金を徴収するのは忍びない、というJR九州の奥ゆかしさかと思っていたが、
特急化するとは、もはや情け容赦無い増収策に見えるな。 いさぶろう、しんぺいは全区間特急にすれば?
ごくごく少数の地元の人だけ特急料金不要にすればいい >>463
「特別急行」に権威のあった昭和30年代、天下の東京大阪特急に食堂車無しは問題だろ。
客席自体は特急とはいえ、旅の楽しみが減って損した気分の乗客は多いだろう。
食堂車無しといえば、12系「つばさ」は14系になっても遜色特急だと思う。
所要時間など総合的なサービスが定期列車と格差ありすぎ。
客車列車の性能が電車急行以下であることを考えると、最初から12系急行にするべきだった。 >>428
元セントラルライナーと全ての座席が転換する5000番台は急行料金取ってもかまわないと思うぞ。
221系は向かい合わせになった時のガッカリ感が・・・ 14系臨時踊り子は逆に得した感があったな。比較対照が当時の185系というのもあるし
(鉄ヲタ目線で考えてもたまにロクイチが牽引したり) キハ400の急行の増結車にキハ54の通常車やキハ40 300が入っていたこと もうすぐいさぶろう・しんぺいという遜色特急が誕生である 普通列車に急行用車両を使ってしまったばかりに、
それも一因となって暴動になったことは間違いなくある。 西武のSトレインの車端部のクロスシートにならないところも指定券
発売するのかな?だとしたら遜色っぽい。願わくば京急Wing号の補助席
部分のように定員外としてしてほしいが。 名鉄のPは、最後にロング部分を売っていた
売切寸前にギリギリ買えて良かった!という感じ
奥行きが深く座り心地もまぁまぁ
場所によっては3人掛に指定券2枚の割当だったし 急行型のロングシート設置化後に運用されていた急行は遜色急行になるのだろうか
(ほぼ急行型の711系のロングシート拡大後も含めて) >>500
武庫川線と昔の西大阪線の各停ね。
まあ、見た目だけのお得感だなw 急行料金のボッタクリ感というのは、実は時代にもよるんだよね。
昭和41年の料金で実は急行も準急も料金は同じ。
100キロまで100円、200キロまで200円、400キロまで300円、
1000キロまで400円、1000キロ超500円。
昭和44年の改訂で
100キロまで100円、200キロまで200円、201キロ超300円
つまり事実上の「値下げ」。このあたりでは、遜色急行に短区間の乗車なら
まあいっか・・・程度。国鉄運賃料金は諸物価からみて安いほうだった。
昭和49年の改訂
100キロまで200円、200キロまで300円、201キロ超400円
この頃あたりで100キロくらいだと急行利用を控える人が多少でてきた。
昭和51年の改訂
100キロまで300円、200キロまで400円、201キロ超500円
この頃になると地方の都市間輸送では、並行路線バスの利用が増えてくる。
普通列車は客レばかりで少ないわ。急行利用よりはバスのほうが安いわ・・となる。
昭和53年の改訂
100キロまで400円、200キロまで500円、201キロ700円。
急行「いなわしろ」の只見編成や会津田島編成クラスに乗務する車掌が、
乗務1回につき平均1人くらいは客からクレームをもらうようになる。
こんな列車で400円もとるのか!!と。
これ以降は「お察し」。 >>506
ところが昭和41年ごろの「急行」は、元からの急行と準急あがりの急行では車両面等で差があった。
気動車が一番大きかったんじゃないかな、特に1等車。
準急あがりの急行だと、結構な確率でキロ25やキロハ25、回転クロスの非冷房車、
元からの急行の多くはキロ28、暖地は大抵冷房車。
全部ではないが、「1等車の指定席」の無い急行は高確率でこれだったとのではないか。
中部地区だと「かすが」「うしお」「ひだ」、関西地区だと「丹波」「丹後」あたり、四国の一部(徳島関係は全部)これだと思う。
元準急の気動車急行の2等車も、多くはキハ55・26だった。 >>503
711系は455系を交流専用にしたような車両だったからな 国鉄末期以降、ボックスシートは別料金取れる設備ではなかった
SLやトロッコなどの観光列車はともかく いさぶろう・しんぺいは特急指定席料金取ってええんやろか >>508
電車急行でもビュフェの有無などで元からの急行か準急上がりの急行かの区別が付いてた。
準急上がりの場合はビュフェがなく、1等車もリクライニングになったとはいえまだ非冷房だった。
因みに急行1等車が全て冷房付きになるのはヨンサントオ改正の頃だからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています