南部縦貫鉄道について語るスレ
レールバスというくらいだからさぞかし運転台もバス然としてるかなと思ったら
シフトレバーが本当に付いていて驚いた 2軸車でレールの保守が行き届いてなかったはずだから揺れがすごかっただろうな バスですら部品が枯渇してたから、調達は大変だったろうな…。
キハ103は欠番かと思ったら、短命ながら居たんだな。 末期はレールの上に肉盛りしてたよな
摩耗の激しい踏切付近が中心だけと
地下鉄乗ってるようなゴーって音がしてた >>57
というよりも導通悪くて踏切の軌道回路が反応しなくなるからではなかったか
踏面に針金を溶接したような感じだったね 三陸鉄道が2軸車の採用を見送ったのは、スプリングポイントを背向で通ると
速度制限を受けるからだと聞いたが、真偽は定かではない。
南部縦貫にはスプリングポイントはあったかな? 保線も手が回ってない様子だったな
地方私鉄ならどことも大差ないのかな >>59
休止時には無かったと思う。既に全線一閉塞だったし。
天間林で交換していた頃は分からん。 >>39
このスレでキハ10がーキハ10ガーって言ってる人は同じ人でしょ。 >>52
保育社のカラーブックスの「日本の私鉄・東北北海道編」で南部縦貫キハ10の紹介に
「外観も内装もバス然としている」との記述があったよ。 所属車両の物珍しさだけで経営を維持しようと思えばあまりにもキャパが小さすぎる 最初からレールバスで客集めしようとは考えてなかったよ。
開業時は最小の経費で最大の効果を挙げるにはキハ01タイプのDCが
最適と判断されただけであって。 >>69
そうだね
元々むつ製鉄の原料運搬目当てで、旅客はおまけだったからな
当時の同和鉱業キハ2100相当を導入したら、会社更正出来ずに廃線になっていたかもしれん 年代的になさげ。
運転操作をよく見てたわけじゃないけど。ダブルクラッチで合ってる? かぶりつきで見てたことが一度あるけどよくわからなかったな
シンクロ付いてないとガーって音がするときあるけどそれは一度もなかった むつ製鉄事業がもし実行されていたら
また違った展開になってたかな 事業化されたとしてもそんなに恩恵なかったんじゃないの? 貨物列車主体の味気ない路線になっていたかも。
レールバスだってどうなってたかわからんよ。 本社社屋が倉庫みたいで驚いたが、振り返れば岳南や関鉄も看板がなければ
鉄道事業者のそれとはなかなか判別できない 廃止直前にレールバスの撮影に行ったついでに本社にも寄った
本当に倉庫みたいだったw >>39
分かる
目当ての車両を確保できなかった時のガッカリ感。
少ない小遣いでは最小の経費で最大の成果を挙げなければという
妙な“ノルマ感”に縛られて、楽しいはずの撮影旅行が
ただただ辛いだけの苦行になってしまってたw 資金を気にせず旅行ができるようになるには、やはり会社勤めしないと厳しいかな
バイト程度では追い付かない ここは最終日に野上のような悲惨なことにはならなかったのね 昭和59年訪問時、偶然にも地元特産のリンゴの箱詰めが積み込まれて振動で揺れていた
長閑だった・・・・ 道床が貧弱な上に2軸だからさぞかしよく揺れたであろう
そんな状況でリンゴなんか運んで傷まなかったのか >>74
輸送力が無さすぎてここの会社の手に負えない もし本決まりになったなら設備投資はやったでしょう。
約5年で回収できるくらいの利益が見込めたはず 設備投資か
車両増備か電化か複線化か重軌条化か…
どれも非現実的だなあ 確か三陸が富士重セールスのレールバスを導入しなかったのは、
スプリングポイントの背向にレールバスだと軽くて負けてしまうからだと記述があった。
処で 湯口徹様が鉄道ファン誌で連載したレールバスものがたりを や 南部縦貫鉄道
のクルマを参考に 当時設計製造に携わったヒトが居ない?中 再興して製造した
Le car (富士重第二世代?レールバスの最初に造られたサンプルカー)は、その後ど
うなったの?
南部縦貫に参考調査 謝礼に格安で提供かと思ったのだが・・・ 井上広和氏の著書にもりんごの箱詰めのエピソードが載っていたね
恒常的に運んでいたのだろうか りんご農家からガチで出荷するならそんな少量輸送では到底賄えないから
小包的なものだったのかな
まあ画的にはローカル風情溢れているので良いとは思う 他スレで見かけたが車内に灰皿があったとか…
喫煙可能だったのね >>108
乗車体験初日も最後に庫から出して並べてたよ
撮影日は車内に入ってアルプスの牧場を聴けた https://www.youtube.com/watch?v=FVtvB4yR214
これな。
一度だけ乗ったが満席で運転士の右後ろに立ちっぱなしだった
運転士は帽子が吹っ飛ぶからと言って無帽で運転、終点間際にかぶり直したのを覚えてるな〜 軽くするために外板は極限まで薄くしたが為に車令20年になるまでに傷みが深刻になった
もちろん、手入れを怠ってたわけではないだろうが、
この車は長生きできない宿命をはじめから背負って生まれてきたような気がする どこかの鉄道ブログで勾配を登れずバックして助走をつけて登ったというのを読んだことがあるけど
俺が乗ったときもそうだった
終点七戸駅舎内は駄菓子屋の土間みたいなな感じだったような 国鉄でも、坂を上り切れないときは一旦戻って貨車数両を切り離し、再チャレンジすることが内規にあった
切り離された貨車がその後どうなったかは知らない >>120
切り離した貨車は、次の貨物列車に繋ぐんだ。
で、だるま落とし式にどんどん貨車の到着が遅れ…トラックに顧客をもっていかれたんだ(´;ω;`) >>126
地形的に線路を南北方向に敷くしかないケースが多いためじゃないかな 南部鉄道と名前が似てる
向こうから文句言われなかったのかな? 造語なら言われるかもしれないが 青森の南部地方なんだから言われないと思う 南部鉄道は八戸と五戸を東西に結んでたから南部横断鉄道に改名しても良かった 短すぎて横断になってないw
単純に五戸鉄道でいいさ
>>119
貨物の話題
昔のサンデー毎日の旅紀行みたいなコラムにここの記事があって、
地元の古老から聞いた話としてそういうのがあったとか GWの運行のときに乗った縦貫タクシーの運ちゃんが小学生の時開業日に学校みんなで駅まで旗振りに行ったと話してた
地元の人たちからすれば悲願で忘れられない思い出だったんだろう いい話だね
小学生や幼稚園児が開業日に日の丸や社旗の小旗を振って駅で列車を出迎える光景は1960年代から各地であったらしい
拡充期の都営地下鉄は小刻みに開業するたびに催してきた 地元の写真屋さんが開業日の様子を8ミリで撮ってるね >>140
それは別の狙いがあったんじゃないの?
もちろん幼児に選挙権はないけどさぁ… ズームイン朝で中継されたことがあった
レポーターの人が鉄チャンらしくレールバスを熱く語るのだが
東京のスタジオの徳さんは興味がなさげに淡々と相槌うつばかりw レポーターが冷めててどうするんだ
次の仕事回ってこないぞ
おそらく鉄ちゃんじゃ無いに一票 >>145
毒光には電車の話よりボートの話やろ?
で、その話にしたレースぼろ負けして更にイラつくかは知らんけどw >>144-146
国鉄最終日の生中継で
「機関区」のことを「キセンクであります!」ってやってたからな。 キリスト教 本家 情報 ふぇあり
命はどうでもよいらしい 練馬区 >>85
ノルマがブルマに見えた
疲れてるのかな?