地方私鉄の自社発注車、自社製造車を語るスレ
>>49
気動車は多かったのがまずかった
富士重工とダンピング合戦になったからな 有田に移ってからのキハ58のメンテは国鉄高砂工場が受け持っていた。
今も残るキハ58003の「高砂工」表記は残り少ないのでは? >>72 2社が得意にしていた?(それとも電車のほうが儲けや旨みがあるが生産能力や業界のパワーバランスで気動車に製作に
両社は、追いやられてしまったのだろうか?)
事実 川崎、日車、東急は>>昭和30年代は結構気動車も作っていたのだが・・・・。
>>73 有田車の高砂メンテって回送経費とか考えると高額そうだな。
末期は地元の自動車民間車検工場が請け負っていたっていうけどソレはレールバスに限って?
キハ58導入以前のキハ07 更にはお隣の紀州はどうしているのだろう?
自社工?・・・まあ 回送費用を差し引いて(整備要員、設備管理費、材料費、運休期間)も得策だから、そうしいていたのだろうが・・・。 そもそも富士急行は自社で全般検査してたの?
片上のDD13に多度津工の文字を見たが、
あそこはそのつど委託先を変えてたらしい
(今でも一部の臨海鉄道に例がある)。 日車は最近地方向けのNDCタイプ作っているな。
松浦、真岡、由利高原。 >>76
始めはNDCじゃなくて富士重工がデザインしたLE-DC2扱いだったんだが、新潟トランシスが
NDCとLE-DC2の混血児みたいな車両作り出した時から状況はややこしくなり、最近は外観が
LE-DC2ベースのいすみの車両もNDCって言ってるから、もはやNDCの呼応でいいんだろうな。 岩手開発のキハ202は自社発注だったかな?
廃止前に見に行った トキめきはキハ187と同じ値段のキハ122を作るのか…
標準NDCでも機能は同じでお値段2/3なんだからそっちでいいだろうに 地方私鉄じゃないけど、新京成の8000形。
京成の呪縛を解いて京成と似ている点を徹底的に排除したとしか思えない。 >>81 親会社の最新車600が代わり映えしないでデザイン、機能のとき導入された 8000,8800を導入していた時代は神経性が親会社を凌いで輝いていた時代じゃね。
暫定で乗り入れ来ていた 北総のゲンコツに社内の人たちがコンプレックスや刺激を強く受けたのじゃないかと思う。 しかしその新京成もN800で京成コピペに戻ってしまった… 【Jリーグ無観客試合】
女性専用車両も浦和レッズサポーター横断幕と同じONLY表示⇒男性差別/人権侵害
みんなで女性専用車両を批判しよう!
http://www.youtube.com/watch?v=Ei3ZuHjNMjE >>85 お前方々の会社に苦情入れてる基地外ダロッ。 基地外なんて言葉を平気で使うお前こそ社会では通用しない人間だよ
マルチポスト野郎と一緒にされる知的障害者の方々に謝れ >>79
キハ122の値段は姫新線高速化の際に実物が出来る前に発表された数字から逆算した
話で、実際一両1億8000万かかったのかは疑わしい(車両代は沿線からの貸付対象外
なので正確な価格が出ることもないと思われ)。
ただNDCにしなかった理由は確かに不明。ごめんなはり線のNDCのようにステンレス
20.8m級、110km/h対応車両も作れるんだしね。 >>89
車両費19両35億は貸付対象
ttps://web.pref.hyogo.lg.jp/governor/documents/000076605.pdf
既に車両を作り終わって貸付額が決定している開業時の発表でも変わっていなかったはずだ
いや開業時の発表で安くなっていた、というなら引き下がるが
路車板で出ている「トキめき鉄道はキハ122系を6億で導入する」という言説の方がデマなんだ
JR西日本がディーゼルカー導入費として6億手切れ金を渡すことと、
近年3セクが支払っている額が1両1億3000万程度であることを勘案して、
「6億円で5両導入する」というデマが出来上がってしまったものにすぎない
実際は8両導入するし、どう見ても総額6億ではない >>63
わが社の車にこれまでトイレは無いので、申し訳ないが国鉄さんのを使わせて貰いたいって書いてたな >>90
見たけど確かに変だね。
姫新線の時の値段からすると、トキめき鉄道のは異様に安すぎる。 ひたちなかの那珂湊にある銀色のディーゼルカーは随分時代を先取りしてたと思う 新潟鉄工に「おたくは海岸に近い路線だしテストとして引き取ってくれ」
と頼まれてスキンステンレス試作車買ったようなもので、
液体式なのに総括制御ができない仕様というのが画竜点睛を欠く代物だったな。 静鉄の自家製車両は見映えは良かったが
すぐに傷んだという噂だが
福井鉄道に行った300系でそのような… わずか数年でスクラップにされちまった薄命の機関車だけどネ あの時既にニブロクナローは絶滅状態で、
引き取り手が現れなかったのは仕方ない。 自前でディーゼルカーをたくさん作ったのにさらに機関車を作るとは? 駿遠線の通勤通学用に輸送力列車を運転したいが、ディーゼルカーは総括制御できないし
客車は手持ちのがけっこうあったから使えないことはなかったにしても、
既存ディーゼル機関車の「蒙古の戦車」グループでは長編成にはパワー不足だったから、
190馬力クラスのDD501を作って充当した、と
>>95
カルダンの300系よりももっとひどかったのが、同じスタイルで日立や熊本に行った吊り掛けグループで
ドアの立てつけが悪くなったりと散々だったらしい。 しかし長電OSは、東京の通勤車に劣らぬスタイルの
車両をよく作ったもんだと思う 有田のキハ58って富士急からどうやって持ってきたんだろう?
まさか自力回送? 有田のキハ58、メンテは高砂工で行っていたけど富士急時代はどうだろう。
自社、もしくは長野工か? >>65
お召し列車で戦後復興の金と資材手に入れたほどの剛腕だからな >>94 当時湊線にはトルコン車はマダ ケハ402(コレも総括制御不可)しか居なかった。
この世界(非電化で比較的規模の大きい私鉄)の大手でも 江若も協調運転していたし、
早くにトルコン車を導入した常総筑波も40801?導入時総括制御を付けるか否かで会社と組合がもめた。
つまり地方私鉄気動車の総括制御実用化ついては、コスト・労務対策・特定少数車種導入による煩雑化する仕業内容変更とかデメリットも大きかったのでは?
無論メーカー的にはオーダーで作成した訳でないクルマに1つの新技術導入(ステンレス車体)PRした訳でこれ以上
宣伝開発費を掛ける必要もないし、売却時ユーザー希望があれば変更すればよい訳で・・・
新潟鉄工が、茨城交通に流したのは、使用環境以外に常連顧客に対する感謝謝礼もあったのでは?
津軽は国鉄型一辺倒傾斜だし・・・ >>94 当時湊線にはトルコン車はマダ ケハ402(コレも総括制御不可)しか居なかった。
この世界(非電化で比較的規模の大きい私鉄)の大手でも 江若も協調運転していたし、
早くにトルコン車を導入した常総筑波も40801?導入時総括制御を付けるか否かで会社と組合がもめた。
つまり地方私鉄気動車の総括制御実用化ついては、コスト・労務対策・特定少数車種導入による煩雑化する仕業内容変更とかデメリットも大きかったのでは?
無論メーカー的にはオーダーで作成した訳でないクルマに1つの新技術導入(ステンレス車体)PRした訳でこれ以上
宣伝開発費を掛ける必要もないし、売却時ユーザー希望があれば変更すればよい訳で・・・
新潟鉄工が、茨城交通に流したのは、使用環境以外に常連顧客に対する感謝謝礼もあったのでは?
津軽は国鉄型一辺倒傾斜だし・・・ 今年は路面電車、第三セクター意外の地方私鉄で上信電鉄が入れたクルマが唯一かな。
来年は一畑電鉄の単コロ車が唯一か?(大穴だな!単コロの新造車自体レアだな。)
今後は江ノ電と遠州意外期待できないか?
三セク以外の非電化私鉄は次は何時入るコトやら・・・。 そもそも国鉄〜JR転換・建設路線引き継ぎ以外で非電化の地方旅客鉄道が津軽、ひたちなか、関鉄、小湊、大井川、紀鉄、水島、島原位しか無いからなぁ。 >>111
北近畿タンゴ鉄道改めウィラー急行が宮福線普通を電車化予定
来年度、には来るんじゃないか
つーても、元々KTR時代に中古2両新造2両で気動車6両を置き換える予定だったのが
宮津線非電化区間との直通増加で「宮福線普通」という運用上の制約が辛いとか、
4両だけ電車にするなんて管理上の非効率を招くということで頓挫したんだが…
非電化はどこが入れてもトランシスNDCかNDCコピペの日車製でつまらんな
平成30年〜33年にタンゴディスカバリーを毎年1本ずつ置換って話も
ウィラー急行が対京阪神をバス化する様子では消えてなくなるかねぇ ついに静岡鉄道の世代交代が実現するのか
静鉄オリジナル設計なのかな(東急7000ベースなのかもしれないけど) 自社工場製でさえ東急ベースの設計だからな…
つか、そもそも懐かし板で新車年鑑やるのって板違いじゃねえのか 五日市の顔がキハ07で体が04は誰が発案したんだろう。 普通に考えて製造元の新潟鉄鋼工の社内のヒトじゃね?
当時 五日市は一小私鉄に過ぎない筈だから社内に設計する人なんて居ないだろうし・・・
精々「省線キハ41000と同じ車体のクルマで、顔だけ今度省線に入った流線型の新型ガソリンカーの顔にできない?」くらいのやり取りでは? 新潟鉄工がわざわざ提案する理由があんまり思いつかないな
新潟ではまだキハ42000を作ってなかったから省からの受注に先立って先行試作的に作ってみたぐらいか?
後者の方がありそうかな 島原の2500A一次車は20年目か
同期の兄弟車が水島やJRでがんばってるが、いつまで持つだろうな
三陸の36ー500はとっくの昔に無くなったが 買収気動車は哀れやね。
同じ買収車でも機関車や電車より明らかに買収後処遇が悲惨。
燃料難の戦時買収で新形式車番命名されないコトは、ゆうに及ばず(蒸機は編入があったような。) 省形式とほぼ同一の車体、機能でも
雑形扱い 戦時買収以前のクルマも省形式より優れた機能のクルマでも面倒なキワモノ扱いで短命。
結局戦後安定期まで省線→国鉄線内で生き延びたモノは、ほぼ皆無。
記録の残らない戦時買収貨車に到ってはもっとスゴイ事になっていたのだろうか? >>122 でもね?戦時中や戦後混乱期は、たとえ雑形の買収車でも鉄道車両は貴重な資源だった筈なんだけどなっ。
(無論地方私鉄に譲渡され再起したものもあるが・・・)買収後殆ど使われず廃棄されたモノなんかを診ると、
やはり親方日の丸というか、鉄道省の横着で放漫な組織体質を感じるわ・・・。 ただでさえさえ物資不足なのにガソリンだからね。客車代用にするしかないしそれならわざわざ気動車として番号を振る必要は無い
そもそも気動車で済む程度の輸送量となるとまとまった数が無いから、改番する位なら捨てた方が楽
ただでさえ仕様が国鉄と違うから制式車の整備を優先した方が効率がいいし、すると買収車の整備は輸送力の回復後になって意味が無い
戦後の旅客急増で3両編成も難しい機械式気動車の使い勝手の悪さも一因だろう
電車だと優秀かつ大所帯の阪和車は編入されてるから、結局イレギュラーな少数派だったのが運の尽きなのかなあ そこで返せよと半世紀言い続けて返ってきたのが富山港線である 買収気動車だと同形式で数が揃ってたのは5両ぐらいがせいぜいだったからな。
中国鉄道の買収ガソリンカーが10両以上、
全部ウォーケシャ製100馬力6気筒に、ロング34Aクラッチ、コッターFA型変速機で揃っていたが
あいにく車体仕様と台車はメーカーと製造年度でバラバラだったから、
燃料不足の時世も相まって統一した扱いはしてもらえなかったな。 あと戦前製気動車の大半が出力不足を補うために軽量化しまくってたのも早々に淘汰された原因だろうな
台枠や連結器の強度が足りなくて列車の最後尾にしか連結できないから戦時中といえど不便だったらしい
元々連結運転なんて想定してないのも多かったろうし、 客車にもならないと成ればポイーするしかないね 戦前製気動車って、同時期の電車に比べ技術の試行錯誤段階にあった時期でしょ。
アメリカやドイツなど、各国製のエンジンを輸入したり、小型エンジン2基を結合させて使ったり・・
と、レス126のいうとおり、まるでバラバラだった。
戦中、戦後には燃料不足に加え、交換・予備用の部品確保が難しくなる。車体が小型だと、十分な出力を持つエンジンへの換装も難しい。
結局、客車代用とするか、それにも使えなければ捨ててしまうしかない。
この経験の反動で、戦後は私鉄も含めDMH17系列エンジンによる標準化に固執したのかなあ。 静鉄1000は譲渡しないのかなぁ?
2両3ドアで使いやすいけど電圧関係で厳しいか >>129
1067o、600Vの鉄道線というと、熊本電鉄、一畑電鉄、えちぜん鉄道、福井鉄道、銚子電鉄といったものがあるけど、福井鉄道はもうLRV型の車両しか導入しないだろ。
一畑やえちぜんはまず無理。熊本の青ガエルの後継か、銚子くらいか。受入れ側に予算があるかどうかだな。 一畑は1500V線。
しかも、もっと程度の良いのを東急から買ったばかりだしな。 そういえば熊本は静岡の中古を買った事あったな。さすがに今回は無いだろうけど。 >>134 静岡鉄道が自社の工場で製造した100系車両だな。福井鉄道に譲渡された300系も、同じ工場で造られたし。 熊電は銀座線の魔改造よりこっちの方がよかったんじゃね。 長沼でむかし取った杵柄という奴で、VVVF化魔改造をしてくれれば面白かったんだけどなあ。
さすがに狂ったような自作車両に手を染めていたのは40年以上前だし、無理か 暴論 大井川が買って 北鉄河南線からきた くたに みたいにトレーラー扱いで
いぶき や 西武から来たED31に牽かせればよい WWW 静鉄の蒙古の戦車って似たような戦車がモンゴル軍が持ってたのか?T34,T54にあまり似てないと思うが。 >>143 ソ連の装軌式農業用トラクター改造装甲車が、イメージ的に近いような。
独ソ戦始まってから数合わせのために急造したもの。戦争末期、関東軍の前面にこれが現れたかはわからない。
ノモンハンで、物資輸送にあたっている装軌式農業用トラクターを見て、「戦車」と思ってた鉄道マニアがいたのかもしれない・・
軍オタ以外にとっては、T-72も装輪装甲車のBTR-80も、みな「戦車」だから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/KhTZ-16 上信の200(所沢工製の後期車)って性能的にも西武101と酷似なの?
ダトしたら西武が下取りして西武で車両搬入車にしたほうが、両運だし新101より使い勝手よさそうなのに・・・
でも車齢古いし引取が面度だから昔と違いもうやらんだろうな。 上信200は冷房不需要期に活躍してんじゃないのか?
冷房付き車両を冷房不需要期に検査入場させてる間とか? >>144
昔は鉄オタと軍オタは被ってなかったのかな。 >>143-144
お前らはチャリオットも知らんのか?
ドヤ顔でぼくのミリオタ知識の方が昔の鉄道マニアより偉いんだ、って鼻息荒いくせに
近代化前の軍事史には何の知識もないんだな 以前、路車板の富士急スレで見たけど
今の車両の発注は仕様と要望を出すだけで
JRや大手は細かいとこまで要望出してくるけど
中小私鉄はあまり要望は言えない。
そんな感じで富士急行5000も日車標準車体いや国鉄115系をベースにしたもんに
なったんだろうけど。
どこでも同じなんかと思った。
叡電や神鉄、遠州や江ノ電、箱根登山は大手並みに細かいかも知れんが
最近の上信電鉄のやつでもメーカー標準仕様なのかなと思う。
バブル期の伊豆箱根や伊豆急は勢いがあって斬新だったけど伊豆箱根は親会社や国鉄の影響が所々見える。
静鉄も親会社基準で伊予鉄610は丁度、同時期に生産されていた東武20000系列の図面を用いたんだろう。
メーカー標準にせよいいものを造れる証なんじゃないか。 論旨が迷走してるというか、思いついたことを全部書き並べていって論旨がないな 昔も日車標準車体とか名鉄5000系ベースの地方私鉄向け優等車両とかあったし、予算の厳しい地方私鉄がなるべく安く新車をとなると設計や部品を既存の車両から使い回しになるだろうから、当然そうなるわな。 上信電鉄のは運転台と台車がNDCと同じってくらいだね。
椅子も窓も車体もラインデリアもNDCの部品は使っていない。電装系はE233地下鉄車に
近いような感じも受けるけど。 長電のOS11復帰するとかいう話はどうなった?
2年前須坂でお色直ししてるのは見たけど。 蒲原が湘南ブームに乗って車体新製したモハ31、41。
社内に何があって湘南顔にしたんだろ
まあ新潟交通もやや遅れて日車標準の全金車を正面二枚窓で登場させてるが アレは無名メーカー(東京何とかだっけ?)の出張工作。
豪雪地帯だし視界を良くする為少し流行を取り入れてくれ!
くらいじゃない。(新興メーカーだし実績造りに頑張ったんでしょ。)
新潟は日車の標準品だけど、福井と同様寒いから貫通止めてくれ 程度の希望では? 福島交通が当時にしてはなかなかハイカラなスタイルの連接車を買い、
後継も同様のボギー車、さらには貫通タイプへと昇華させた
新車に積極的に投資できるくらいに財力があったのかな 同じ京成系列の非電化私鉄でも、スローペースながらキハ200新車導入で一貫してきた小湊と
常総線の水海道以南のラッシュ混雑故 廃止私鉄からの中古爆買いで来た
関東鉄道の対処の違いが興味深い(無論 カンテツの台所事情故仕方ない施策だったのだが・・・)
小湊が早くから自社発注に切り替えたのは、旅客需要もあるけど、コネが弱かったり 運炭鉄道をはじめとする優良中古買い付け競争が苦手だったのか? >>162
小湊はメンテ面倒だったんだろう。かなり後まで5800予備車で置いてあったけど。
更新するなら一気に入れ替えそう。 あの里山トロッコも、考えてみたら当然「自社発注」になるんだよな…
皮肉にも、今となっては純正レトロ車両が小湊の「売り」になっちゃてるだけに、
冗談抜きで将来どうするんだろうね(キハ200も、最初期車は製造から55年…) >>164
新潟トランシスが好きに作ってくれるだろ。
数年前だったら笑い話か妄想乙でしかなかったが、いすみ350型の登場でNDCの外観に
限界はないことが分かった。 小湊、まさかのデザインそのままでキハ200でキハ200置き換え? >>166 機関や内装、操作設備くらいは、変わるでしょ。
お隣のキハ20103?の小湊版(前照灯は旧京成タイプとかw)でイイでしょ。
偉大なる平凡な地方私鉄 失われつつある昭和40-50年代の国鉄非電化ローカル
線の雰囲気を残して欲しい。 関鉄の2000系列みたいなのになりそうな予感。
鹿島臨海にも入った位なんだから、あれが新潟トランシス標準の通勤型DCなんでしょ? 特に電車は伊予鉄600の後、静鉄3000までの間は独自設計の暗黒時代かもね。 小湊はむしろボンバルディアか中車あたりのテンプレ車両でいい気もする。 >>167
いすみのあれが昭和の雰囲気だと思っているのは平成生まれくらいでしょ
横から見たら何の変哲もない軽快気動車でがっかり
いすみの社長さんは嫌いじゃないけどな 社長公募とは随分思い切った事をしたよな
それだけ状況は煮詰まってたんだろうな… >>171
一般のNDCは雨樋なんかない張り上げ屋根なのでフォルムは結構違うよ。 >>173
両端引き戸の間にサッシ窓が並んでいるところとかはモロ軽快気動車(NDCというかLE-DC)なわけで
ダメ押しが屋根上のクーラー。西のキハ52もあれのせいで萎えた
スタイルは嫌いじゃないし、他所の特徴がないのが特徴な顔の連中に比べれば好きだけどね いすみはすごいよ。
ただ、それ目当てで行くかと言われれば無理w いすみのアレは、アレで十分イイよ。
中途ハンパな顔が、何処か 昔の電気式気動車の中間車を改造して頭を付けたヤツみたいで味がある。
俺は往年の昭和の鉄道車両みたいな 屋根上前照灯&丸形埋め込み尾灯ならイイよ。(欲を言えば円盤も付けて欲しい)。
角型前照灯と尾灯アッセンブリの窓下スタイルとか、スイスの鉄道みたいな窓下出目金前照灯は嫌。 円盤っている? 今時昼でも後尾灯や前照灯つけるのが一般的だから、円盤がなくて
進行方向がどっちなのか分からんってないと思うけど。 小湊・いすみは直通急行やろうなんて
ハナシも出てるみたいだから、キハ58
もどきあたりが来るんじゃないか? 遠鉄・福島交通は70年代になっても吊り掛けの新車を入れたけど、
当時の地方私鉄はカルダンに及び腰だったの? >>180 既存車両との部品互換性(油脂等消耗品を揃える経費も含む)及び製造コストでしょ。
流石に80年代に入ると廃れゆく技術に固執すると製造経費の面で高く付くから止めた。 >>179
そこで京成の夢、スカイライナーもどきを。 >>181
特に保守面での互換性を考えて延々直角カルダンに固執していた相鉄が
10000入れたら劇的に車両新製コストが下がったとか。
走るんですの量産効果だけじゃ説明が付かないレベルで。 >>183 某車両メーカーのヒトに訊いたら 相鉄の車両の決定権限を持つある人
(・・・当然 今は過去のヒト) が直角や外ディスクに固執したらしい。 >>184
日立の工場?がかしわ台の近くにあるんだけど、
かしわ台近くにあるのも相鉄と関係があるのかな >>185
かしわ台(小園)に在る日立製作所、あれは元トキコ、自動車のショックやブレーキ部品を製造していた会社で、
しかも戦前は戦闘機のキャブレターを製造してたから日立の航空機と関係が出来て、
戦後は一環して自動車のショックとブレーキ、産業用エアコンプレッサーを製造しているだけで、
鉄道関係の部品は元から一切製造して無いよ。ちなみにトキコは「東京機器工業」の略語。
ちなみに小園に在る工場自体は戦後に出来ている。 >>186
なるほどね
鉄道とは関係なくても、相鉄のかしわ台に非常に近いだけに、
笠戸への連絡拠点としては活用されていたのかな、と思っただけだったもんで
(例えば、8000系の頃までの新車搬入の後で、日立関係者が立ち寄るとか) 日立が押し付けた訳ではない!
日立は、後年止めたくてもやらされていただけ! 事業者のこだわり(というかオナニー?)なんて
趣味人にとっては格好の研究題材になり得るので大歓迎だなぁw
軌道事業者における乗降扉形式の好み(引き戸or折戸)とか 何十年も経って当事者がいなくなってからの謎は、困るんですけどね。
どうでもいい事への拘りの理由付け。 >>189
用途から言ったら、京急の800と2000の扉は本来逆だろ、みたいな。 静鉄と遠鉄、小湊は、自社発注に拘り(中古車導入で貯蔵部品を増やしたり取り扱いの煩雑化によるロスが嫌い?)几帳面と云うか細かいイメージ。
上信や富士急、伊予鉄は、解っちゃいるけど背に腹は・・・のイメージ。
岳南や流山、上毛は、中古は仕方ないが、なるべく揃えて手堅くのイメージ。
長野や富山、秩父は、中古でもお得な車種をのイメージ。
弘南や以前の琴電、関鉄は、なりふり構わず使えるもので安けりゃのイメージ。
・・・・もちろん後者になるほど俺は好きだけど・・・。 >>191
でも東武とか富士急とか両開き2扉クロスシートって案外有るよね 東武6050は 最後の良心 になりつつある
今やJRで同様の 汽車旅 が出来る路線&車両って… >>194
東武6050の快速は国鉄急行を彷彿させるよね。
特に冬場の会津発は暖房が効いてて最高。 クフィルみたいなスパイが設計図奪って作った、なんで話はないのかな? >>194 西武の4000は? こちらも両開き二ドアでボックスシート、小テーブル付なんだが。
池袋まで来る本数は少ないけど。 十和田観光に3400と4400がありましたな
これといって特徴ないがまとまってる好ましい外観 >>200 弘前→弘南大鰐の105と共に 日車鋼体化標準車体を模造した様な・・・
岳南や京福の日車標準タイプは、汽車やナ二ワも手掛けているよな。
こういうのは、ユーザーの意向なんだろうけど、戦前ならともかくオリジナルの図面を引いた日車的にはどうなのかな?(真似されて著作権侵害みたいな・・・不満はないのかね?
パテント料を支払っているとしたら、然程 日車以外のメーカーにやらせて安くならないと思う。)
それとも狭い業界(鉄道車両メーカー界)だから仕事シェアとか含めて或る意味ナアナア?で緩いの?
自動車メーカーとかだとお互い煩い気もするのだが・・・ >>201
西武鉄道スレの書き込みでもそうだが、括弧の多い読みにくいレスなんとかならんの?
コピーでガタガタいうなら戦後の路面電車なんてコピー車だらけなんだが、生憎問題になったという話は聞かないな。 著作権…工業製品は著作物ではないので著作権の対象外
パテント…先進的な発明がなければパテントにはならない
意匠権…独創性のある意匠なら登録できるが、そもそも申請していなければ話にならない >>201
鉄道車両は輸送機械だから見た目が似てようと権利主張するほどでもない
用途と規格が同じならある程度は収斂進化で似てくるものだしな
機械的な機構についてはパテントの関係で一社しか優れた機構を採用できないってのは戦前からあるよ
湯口氏が再三言及してる 技術的革新を遂げるために機構面の先駆者を保護するのは必要でしょうね
デザイン面は、別にいいよね 独創的とか先進的とかの有無を判断するのも人間だね
難しいもんだ 官鉄国鉄の資料に画期的な新機構を導入したと書いてあったら間違いない
それ以前に試用して文献ではなかったことにされているメーカーや民鉄が先進的だったのだ 国鉄のキハ10よりも先に登場した液体式両運
南薩鉄道300形 官主導で業界全体を育成するためにパテントとか権利の侵害が時折発生した。
官が強すぎて企業は従うしかなかった。
日車標準車体も事実上国レベルで地方私鉄標準車両にされている。
そもそも日車標準車体という名前の方が日車の儚い抵抗ではないか? メーカーが売り込んだというより、良いものなので皆で作ろうとジャイアンに取り上げられた、かなw
明治時代とかは官が民を一生懸命になって技術指導している様な状態で、今と真逆。
ある時を境目に反転したのではなく、少しづつ立場がお互いに変わっていった。
そういう中で起きた出来事なので、一概に良いとか悪いとか言えない。 >>211
日車オリジナルの気動車用機構を国鉄がキハ04・07用に独自開発したような格好つけて取り上げた頃から
205系のためにステンテス車体の製造技術無償開示させて民営化後のJRが工場乗っ取るまで
常にジャイアンが取り上げとるがな その東急車両は、パイオニア台車(見た目はともかく整備性を考えるとお世辞にも電車向
きとは云えない) と抱き合わせ?で苦労の末バッドより入手した オールステンレス製造技
術を国鉄に召し上げられただけでなく 愚かな不動産経営陣の判断でその後継組織のJR東
日本に身売りする羽目になった 切ないなあ〜 栗原電鉄M15
十和田観光3400
福島交通5000
引退するまでに乗れてよかった >>214
近車が独力でオールステンレス作ったときビビッたらしいが、あのとき川重あたりと組んでいれば東急も海外展開本格化させて残れたろうに 強盗慶太の東急が国鉄の公務員風情に技術供与なんてのがだらしなさ過ぎたよ。
戦時中ならビルマとかガ島に島流しだろ そんなに駄目なことなの?
発展に繋がるならどんな形でも技術が伝播できたらいいのに‥ >>60
諫早で出島の後に連結したあと、肥前山口で弓張だか西九州だかをその後ろに連結して、
13両くらいの長大編成のど真ん中に挟まる運用もあったね。 嵐電500
入り口の位置に難あり
当時は路線バスも入り口は最後尾だった 前中ドアが主流で前後ドアが嫌われたところもあるのにね
要は少数派は嫌われるということか 前中方式にすると側面が非対称になるから島式ホームが使えない 路面区間で島型ホームってあるの?
(起点終点を除く) 何か山奥?に真っ白になって保存されてた気が>富士急3100 2本のうち1本は踏切衝突事故で廃車、のこりは廃車後白塗りされて山奥に幽閉
華々しい出生とは裏腹の不幸な最期 モハ3100は“社運を懸けた”新車だったらしい
(創設50周年誌より) 昭和31年製造だからって話だけど。
同じ法則で昭和50年にモハ5000。 熊本や札幌など交通局にも見られたね。
一時は流行した付番方法だけど廃れるのも早かった。なぜ流行ってなぜ廃れた。 札幌は330が昭和33年製で8500が1985年製だったっけ 当時の富士急では元号と西暦を使い分けてた?
1970年譲受の国鉄クモハ14が7000型、昭和52年の小田急1900が5200型 >>246
旧国17メートル車だけ西暦だから、まったくの憶測だが
昭和4×年の4が入るのを避けたのか? 続いてる
取るに足らない迷信とは簡単に切り捨てられない 琴電なんかこんぴら号以後新車を発注せず中古を買ったり弄くったりしてるが
少しはできるぐらいの財力はあっただろうに >>248
愛知電鉄では末尾5も忌み番だったらしい 北陸鉄道の6000系、6010系を語らずにはおれん。
前者は「くたに」の名で、吊り掛け式が当たり前の地方私鉄の中にカルダンドライブの新性能。わずか9年で大井川鉄道に譲渡され、「あかいし」と名が変わったが、元々600Vでの新性能車だったのが災いして昇圧ができず、旧型車に牽引される始末…
後者は「しらさぎ」、こちらはアルミ車体だけど、軽量化のための苦肉の策で、下回りは旧型車の流用。なんともアンバランス。
そもそも国道8号線の延伸に伴って、北鉄加南線の一部を廃止せざるを得なくなったため、建設省(当時)の補償金で造られた。
特に「あかいし」の方が大井川鐵道では不遇だったけど、「しらさぎ」は旧型車なのが幸いし、昇圧されて結構使われ、今は「里帰り」して山中温泉の道の駅に保存されている。
地方私鉄の良き時代に生まれ、その後数奇な運命を辿ったロマンスカーとして語ってみた。 社員旅行全盛時代ね。北陸道が伸びてくると同時に観光バスに奪われた。 >>251
箱根登山はモハ105を永久欠番にした
2回も事故ったからだが 叡電の300は当時の社長の、大手に負けん新車を作れ!と号令して出来上がった代物だが
随所に京阪スタイルが散りばめられ大津線260の亜流と見られてしまう羽目に… 亜流ねw
ドア枚数を除けば同型といっても過言ではない 福井鉄道南越線モハ130も自家製だよね
小ぶりだけどよくまとまってスタイルが良い
ただ保守ができてなくてすごく車体が汚れていた記憶
ネットで検索しても正面が黒ずんでいた晩年のカラー写真しか出てこないのが寂しい >>257
本当は全線を一気に廃止してしまうつもりだったが粟田部付近の貨物輸送の需要が残ったので細々と営業を続けた
貨物頼みだから旅客は片手間であり電車の手入れが悪くなっていたのも道理かと。 こんぴらUが造って走りはじめるまで5年もほったらかし、しかも最後の新造車で以後は中古ベース
いったい何があったんだ
>>250 >>257
直接制御が素敵、のちに変更したかもしれないが こんぴら三号の計画もあったのかな
琴電の車両政策は本当に興味深い