地方私鉄の自社発注車、自社製造車を語るスレ
今やあまり見られなくなった地方私鉄の自社発注車と自社製造車について語るスレです 60〜70年代、国鉄キハ20系の亜流以外には、岩手開発鉄道のキハ201形位しか、自社発注オリジナルの私鉄気動車が現れなかった。
関東鉄道を初め、廃止された私鉄からの譲渡車や、既存品の改造(準新製車とする見方もあるが)で間に合わせた・
70年代後半に、国鉄が14m〜17m位のサイズの軽量気動車をローカル線用に量産していたら、その亜流を地方私鉄が導入できたかもしれないが。
単なる妄想だけど。 小坂鉄道や関東鉄道にメーカー標準型がいたが、20m級だった。 >>13
伊予鉄610系だけど、あれは東武20000系の注文流れではなく一から構体を作っている。
雨樋の位置が全然違うのがその証拠。 >>19 その年代は、丁度地方鉄道の存亡(明暗)の峠だったでしょ。
・・・無論今のほうが経営状況はより厳しいのだが、公共性で社会問題やマニア対応で企業努力や
とにかく古臭いモノを完全に否定する風潮が支配的だったのだから・・・。
新車導入はまずしないでしょ。
小湊が昭和36年以降 同じ京成グループの関鉄が昭和40年代から一転して形振り構わず国鉄以外の廃止私鉄の比較的経年が浅いモノも
多いながら雑多な車種を茨交と(それでも茨交は車種に拘りを感じる)競うように買い漁ったを尻目に何故割高の新車導入一筋を貫いたのだろうか?
・・・千葉急行線構想とかで十分将来の見通しを楽観していたのだろうか?
それとも機関以外の主要機器も新規で統一されたモノのほうが絶対に長く維持できる(将来今より新車導入が困難になる 廃止になる同業他社の新車も無くなる)
そういう考えがあったのだろうか。
結果 マニア的には、つまらないが小湊の判断が正しかったワケだが。(長持ちさせる事が出来た。) 小湊のは1961〜1977製。
最後に購入した車両の竣工からでも36年以上経っている。
1976年には団地への足たるべく光風台駅を新設してるから
通勤圏として伸びる展望はあったのだろう。 >>17
新潟トランシスでNDCベースの電車もやってるでしょ(ほくほく線HK100)。
一から作るより東急や西武の中古の方が圧倒的に安いからニーズはそっちにあるから
ほくほく線のような高速対応車両とかいう理由でもない限りお呼びがかからないけど。
>>22
あれ(東武の流用)信用してる奴いるの?
20050系登場よりもさらに2年後の車両なのに。 懐かしくないけど上信の新車は新潟製だよね
(1000や6000もそうだった)。
伊豆箱根・駿豆線3000のステンレス車も
よく見ると側面各部の寸法はJRの211系とは違ってるな。 >>23 小湊鉄道がキハ200、14両でやっているのに対し、関東鉄道は常総線だけでも50両強が活動。車両数は前者の3倍の規模。
常総線は70年代後半から80年代にかけて一部複線化工事しているから、その工事費もかかる。
それに、70年代以降、常総線の性格が変わってきた。取手・下館間に優等列車走らせていた時代から、水海道以南が通勤路線に変化していき、必要とされる車両が変わってきた。
小湊鉄道には、そのような変化が訪れなかった。だから関東鉄道では常総線用に、既存車両の3ドア化や他の私鉄からの譲り受け車で通勤需要に対応したということなんでは? 28です。小湊鉄道は、キハ200導入以前は元買収国電の気動車改造型や元ガソリンカーばかりという陣容で、関東鉄道(当時は常総筑波鉄道に鹿島参宮鉄道か?)に比べ、相当、見劣りしていたのでは?
当時の関東鉄道は、常総線や筑波線に新型車を投入して、優等列車運転を行っていたからね。
常総線を特急が走っていた時代だからなあ・・ 同業で近隣の非電化私鉄同士でしょ まして同じ京成グループだし
大抵お互い影響しあうもんなんだけどね・・・・。
近隣非電化なら 東野、茨交、小名浜、関鉄(常総筑波・鹿島参宮)、小湊
同じ地域で路線廃止が続出したり 同一大手鉄道会社の中古車導入があるのが、証し グループって言えるほど京成の資本は入ってたのだろうか。
まぁ関鉄のキハ310などは大栄車両に車体つくらせてたけど。 自社発注車といえば富山地鉄…
あの時代に14760を大量に作ったのには驚いた…
あれだけ作っておいてワンマン化でドア配置が手戻り… >>32
当時、今の情勢を想像できたかと言えば、それは無理だべw 地方私鉄の自社発注車で最も大量に造られたのは、伊豆急100系の53両かな?
貨車や客車は除くとして・・ >>34 それは、系で、でしょ。(そもそも中小には車両に系の概念で区分けするほど車両数は多くない)
同一形式なら地鉄の5010(野上にも行ったヤツ)とか完全な路面電車も(無論都電とか大阪市電とか大都市を除外しても伊予鉄とか長崎とか・・・)加えてならもっと多いのあるんじゃね? >>34
伊豆急にしても小湊にしても大手の資本が入っている場合は、思い切った新車の大量導入が可能なんだろう
独立系はどうしても中古にならざるを得ないな >>34
伊豆急にしても小湊にしても大手の資本が入っている場合は、思い切った新車の大量導入が可能なんだろう
独立系はどうしても中古にならざるを得ないな >>37 伊豆箱根鉄道って、自社発注車の大量導入してたっけ?西武の系列会社なんだけど。 >>38
1000系オリジナル、3000系、5000系(大雄山)と結構いるだろ 近江は自社車両と元西武車のハイ&ローミックスが定番化していた時代があった
けど、自社車両が210形だけになって主力が西武401系シリーズ化してる昨今。
バスがライオンズカラーは伊豆箱根共通だが。
上信も自社と西武車だが遂に自社新型車両に新潟が参入してきた。 >>41
遂にって昭和51年から新潟のお世話になっておりますけど。 >>41 なんか、勘違いしてるね。
東洋工機が車体作らなくなって 上信の300系電車と三岐の電機は西武所沢が製造した。
岳南は唯一の自社発注電機(帝国車両製 恐らくメーカーの試作仕込み品)を余程デキ?が悪かったのか
戦前製の他社中古電機を残しているのに廃車(他社に譲渡するでもなく)にしている。 >>14
上信の新車は自治体からの補助金で作った。
あそこと同じ群馬の上毛は確か経営の赤字は面倒見ないけど設備投資は自治体が面倒見てくれるシステムだったはず。 上信の1000や6000のときは新潟から話を持ちかけられたのかな?
回送距離は短くて済むけど… Wikiではメーカーの売込みも云々てありますよね…。
メーカーもある意味、小ロットの地方私鉄で試作的要素を盛り込ませてもらったり、新機軸やデザインをPRできる商機
と考えてもいるところもありますよね。メーカーにとっても電鉄会社にとっても今で言うところのWin-Winてやつ?
鉄道唱歌の車内チャイムとか、昭和51年にしてJR東の特急と同じ旋律のMHとか、新潟鉄工もずいぶん張切ったと思う。
フロント1枚ガラスや斜め塗りも日本初だよね、確か。 新潟鉄工ってメーカーは、西武所沢工場みたいに中小私鉄には、かなり有利な条件で
仕事を引き受けてくれる会社なんだよ。
車両製造主体のメーカーとしては戦後地方私鉄の近代化に一番貢献してきたのでは?
だから 廃止になった山鹿温泉鉄道とか戦後一時 不祥事?(理由忘れた)津軽鉄道とか
が破格の支払い条件で仕事を受けてくれたとか恩義で極めてまれに車両を作るときは律儀に発注していたんだよ。
茨城交通も新潟鉄工信者。 鉄道車両部門のせいだけでつぶれたんじゃないだろうけど
客車はほとんど0、気動車も注文が少ない時代が続いたからな >>41
上信は昔から新潟。昔、正面衝突事故で大破したした経緯があって新造するときは大型バンパーを
つける内規があるため独特な顔になってる(だが250形のバンパーはなぜか撤去)。
>>48
直接の破たん原因は海外部門の受注激減(新潟鐵工所時代の本業は石油プラント業。エンジン部門も
気動車用というより石油プラントのパイプラインに送るでっかいタービンを回す用で気動車はその
おまけ程度)と東京本社の海外土地投機失敗。 叡山電鉄のデオ300型とか結構短命だった。
小回りが利かなかったとか。
三岐鉄道に120、130っていう京阪1900系そっくりで足回りが
南海ズームと同じやつあったよね。
琴電に早々と行ったやつ。
西武所沢で更新した150は前面が阪急5300に似ていたけど。
三重交通モ5400とか4400系とか垂直カルダンのやつも好きだな、
越後交通栃尾線にも垂直カルダンあったけど。 >>51
そしてその好きなすべてが自己動力で動いていた時代
に間にあわなかったんですねわかります >>52
三岐の130というと、最近では北勢線にあるじゃないかと言われてしまう品w >>51 似てるかよ? 三岐120,130=京阪1900 尾灯の形や側面配置 全長がまるで・・
三岐150=阪急5300・・・かろうじて妻の形状だけじゃん。 三岐の自社発注って、名鉄の2代目3700に似たやつ?
側窓の枚数が違ってたと記憶してるが >>55 そうだね。130は、3扉で両開きだから側面は別物だけど。
両車は琴電で出会っている。
俺は正面のノッペリした佇まいは、近鉄名古屋線に居た6441とかコレをパクって2200の事故復旧した奴
なんかの方が、より似ていたように思う。
両車は近鉄富田で出会ったコトが、もしかしてあったのだろうか? 三岐と言う会社は昔から二段窓にこだわり、ほぼ他社から購入した車両は二段窓化した訳だが、モハ130だけは一段上昇式と異色だったな。
東洋電機製で上信の車と似ているな。 >>57 車体を起こした150はともかく、他の譲受車で改造して入線したのってある。
昭和初期以外の半鋼製車で二段窓じゃないものの方が少なくない? 島原鉄道のキハ26.55も趣味的には面白かった
末期は酷使による酷使で悲惨だったし、
地元民の俺としてはキハ20共々NDCに置き換えてくれて嬉しかったな 私鉄DCが国鉄線内に併結で乗り入れた場合は貫通幌を使用していたのだろうか? >>62
島鉄の場合はトイレなかったので貫通扉開けてたんじゃないかな。
当時九州局だった齋藤雅男氏が後にRF誌の回顧録にそんな話を載せてた記憶がある。 島原は湯口さんも指摘しているけど、したたかで入札で競らせて 島原は湯口さんも指摘しているけど、したたかで発注を入札で競らせていたよな。
流石に経済力、政治力の低下・メーカー側の寡占・車種別専業化が、進み今では新潟オンリーだが・・・。 >>63
ものすごく無理矢理なレイアウトでトイレ自体はあったはず。おまけに冷房まで付けた豪華仕様。 >>66
55や26タイプが登場する前のキハ2001〜2003を直通させていた時のの話ですよ。 最後に残った自社発注車2003が6年前まで残っていたのに、
保存されなかったのは残念。 富士急は両運転台だがキハ58タイプをキハ5800形で持っていたから、島原も
58タイプは欲しかった所だったはずだよな。電車化の時に富士急は島原に流しとけばなあ・・。
キハ58タイプの両運転台車は後に改造タイプのキハ53で出て来るのは富士急からかなり後の話。
あれもトイレなしで両方幌がなかったからアルプスに連結してた時はどうだったんだろうな。 島原が2基エンジン車を入れたのは付随車を牽引するためだったから
必要数に達していたのでしょう。
冷房化も困難だったろうから手を出すとは考えにくい。 富士急の両運車は2両の片運車の内の1両が検査入場した場合、上り側下り側のどの側にも連結できるようにするため。
だから幌を付けるツラも一定していません。ローテーションで定期的な組替えをするでしょうから、幌も最低2つあれば
回転しますよね。 >>49
気動車は多かったのがまずかった
富士重工とダンピング合戦になったからな 有田に移ってからのキハ58のメンテは国鉄高砂工場が受け持っていた。
今も残るキハ58003の「高砂工」表記は残り少ないのでは? >>72 2社が得意にしていた?(それとも電車のほうが儲けや旨みがあるが生産能力や業界のパワーバランスで気動車に製作に
両社は、追いやられてしまったのだろうか?)
事実 川崎、日車、東急は>>昭和30年代は結構気動車も作っていたのだが・・・・。
>>73 有田車の高砂メンテって回送経費とか考えると高額そうだな。
末期は地元の自動車民間車検工場が請け負っていたっていうけどソレはレールバスに限って?
キハ58導入以前のキハ07 更にはお隣の紀州はどうしているのだろう?
自社工?・・・まあ 回送費用を差し引いて(整備要員、設備管理費、材料費、運休期間)も得策だから、そうしいていたのだろうが・・・。 そもそも富士急行は自社で全般検査してたの?
片上のDD13に多度津工の文字を見たが、
あそこはそのつど委託先を変えてたらしい
(今でも一部の臨海鉄道に例がある)。 日車は最近地方向けのNDCタイプ作っているな。
松浦、真岡、由利高原。 >>76
始めはNDCじゃなくて富士重工がデザインしたLE-DC2扱いだったんだが、新潟トランシスが
NDCとLE-DC2の混血児みたいな車両作り出した時から状況はややこしくなり、最近は外観が
LE-DC2ベースのいすみの車両もNDCって言ってるから、もはやNDCの呼応でいいんだろうな。 岩手開発のキハ202は自社発注だったかな?
廃止前に見に行った トキめきはキハ187と同じ値段のキハ122を作るのか…
標準NDCでも機能は同じでお値段2/3なんだからそっちでいいだろうに 地方私鉄じゃないけど、新京成の8000形。
京成の呪縛を解いて京成と似ている点を徹底的に排除したとしか思えない。 >>81 親会社の最新車600が代わり映えしないでデザイン、機能のとき導入された 8000,8800を導入していた時代は神経性が親会社を凌いで輝いていた時代じゃね。
暫定で乗り入れ来ていた 北総のゲンコツに社内の人たちがコンプレックスや刺激を強く受けたのじゃないかと思う。 しかしその新京成もN800で京成コピペに戻ってしまった… 【Jリーグ無観客試合】
女性専用車両も浦和レッズサポーター横断幕と同じONLY表示⇒男性差別/人権侵害
みんなで女性専用車両を批判しよう!
http://www.youtube.com/watch?v=Ei3ZuHjNMjE >>85 お前方々の会社に苦情入れてる基地外ダロッ。 基地外なんて言葉を平気で使うお前こそ社会では通用しない人間だよ
マルチポスト野郎と一緒にされる知的障害者の方々に謝れ >>79
キハ122の値段は姫新線高速化の際に実物が出来る前に発表された数字から逆算した
話で、実際一両1億8000万かかったのかは疑わしい(車両代は沿線からの貸付対象外
なので正確な価格が出ることもないと思われ)。
ただNDCにしなかった理由は確かに不明。ごめんなはり線のNDCのようにステンレス
20.8m級、110km/h対応車両も作れるんだしね。 >>89
車両費19両35億は貸付対象
ttps://web.pref.hyogo.lg.jp/governor/documents/000076605.pdf
既に車両を作り終わって貸付額が決定している開業時の発表でも変わっていなかったはずだ
いや開業時の発表で安くなっていた、というなら引き下がるが
路車板で出ている「トキめき鉄道はキハ122系を6億で導入する」という言説の方がデマなんだ
JR西日本がディーゼルカー導入費として6億手切れ金を渡すことと、
近年3セクが支払っている額が1両1億3000万程度であることを勘案して、
「6億円で5両導入する」というデマが出来上がってしまったものにすぎない
実際は8両導入するし、どう見ても総額6億ではない >>63
わが社の車にこれまでトイレは無いので、申し訳ないが国鉄さんのを使わせて貰いたいって書いてたな >>90
見たけど確かに変だね。
姫新線の時の値段からすると、トキめき鉄道のは異様に安すぎる。 ひたちなかの那珂湊にある銀色のディーゼルカーは随分時代を先取りしてたと思う 新潟鉄工に「おたくは海岸に近い路線だしテストとして引き取ってくれ」
と頼まれてスキンステンレス試作車買ったようなもので、
液体式なのに総括制御ができない仕様というのが画竜点睛を欠く代物だったな。 静鉄の自家製車両は見映えは良かったが
すぐに傷んだという噂だが
福井鉄道に行った300系でそのような… わずか数年でスクラップにされちまった薄命の機関車だけどネ あの時既にニブロクナローは絶滅状態で、
引き取り手が現れなかったのは仕方ない。 自前でディーゼルカーをたくさん作ったのにさらに機関車を作るとは? 駿遠線の通勤通学用に輸送力列車を運転したいが、ディーゼルカーは総括制御できないし
客車は手持ちのがけっこうあったから使えないことはなかったにしても、
既存ディーゼル機関車の「蒙古の戦車」グループでは長編成にはパワー不足だったから、
190馬力クラスのDD501を作って充当した、と
>>95
カルダンの300系よりももっとひどかったのが、同じスタイルで日立や熊本に行った吊り掛けグループで
ドアの立てつけが悪くなったりと散々だったらしい。 しかし長電OSは、東京の通勤車に劣らぬスタイルの
車両をよく作ったもんだと思う 有田のキハ58って富士急からどうやって持ってきたんだろう?
まさか自力回送? 有田のキハ58、メンテは高砂工で行っていたけど富士急時代はどうだろう。
自社、もしくは長野工か? >>65
お召し列車で戦後復興の金と資材手に入れたほどの剛腕だからな >>94 当時湊線にはトルコン車はマダ ケハ402(コレも総括制御不可)しか居なかった。
この世界(非電化で比較的規模の大きい私鉄)の大手でも 江若も協調運転していたし、
早くにトルコン車を導入した常総筑波も40801?導入時総括制御を付けるか否かで会社と組合がもめた。
つまり地方私鉄気動車の総括制御実用化ついては、コスト・労務対策・特定少数車種導入による煩雑化する仕業内容変更とかデメリットも大きかったのでは?
無論メーカー的にはオーダーで作成した訳でないクルマに1つの新技術導入(ステンレス車体)PRした訳でこれ以上
宣伝開発費を掛ける必要もないし、売却時ユーザー希望があれば変更すればよい訳で・・・
新潟鉄工が、茨城交通に流したのは、使用環境以外に常連顧客に対する感謝謝礼もあったのでは?
津軽は国鉄型一辺倒傾斜だし・・・ >>94 当時湊線にはトルコン車はマダ ケハ402(コレも総括制御不可)しか居なかった。
この世界(非電化で比較的規模の大きい私鉄)の大手でも 江若も協調運転していたし、
早くにトルコン車を導入した常総筑波も40801?導入時総括制御を付けるか否かで会社と組合がもめた。
つまり地方私鉄気動車の総括制御実用化ついては、コスト・労務対策・特定少数車種導入による煩雑化する仕業内容変更とかデメリットも大きかったのでは?
無論メーカー的にはオーダーで作成した訳でないクルマに1つの新技術導入(ステンレス車体)PRした訳でこれ以上
宣伝開発費を掛ける必要もないし、売却時ユーザー希望があれば変更すればよい訳で・・・
新潟鉄工が、茨城交通に流したのは、使用環境以外に常連顧客に対する感謝謝礼もあったのでは?
津軽は国鉄型一辺倒傾斜だし・・・ 今年は路面電車、第三セクター意外の地方私鉄で上信電鉄が入れたクルマが唯一かな。
来年は一畑電鉄の単コロ車が唯一か?(大穴だな!単コロの新造車自体レアだな。)
今後は江ノ電と遠州意外期待できないか?
三セク以外の非電化私鉄は次は何時入るコトやら・・・。 そもそも国鉄〜JR転換・建設路線引き継ぎ以外で非電化の地方旅客鉄道が津軽、ひたちなか、関鉄、小湊、大井川、紀鉄、水島、島原位しか無いからなぁ。 >>111
北近畿タンゴ鉄道改めウィラー急行が宮福線普通を電車化予定
来年度、には来るんじゃないか
つーても、元々KTR時代に中古2両新造2両で気動車6両を置き換える予定だったのが
宮津線非電化区間との直通増加で「宮福線普通」という運用上の制約が辛いとか、
4両だけ電車にするなんて管理上の非効率を招くということで頓挫したんだが…
非電化はどこが入れてもトランシスNDCかNDCコピペの日車製でつまらんな
平成30年〜33年にタンゴディスカバリーを毎年1本ずつ置換って話も
ウィラー急行が対京阪神をバス化する様子では消えてなくなるかねぇ ついに静岡鉄道の世代交代が実現するのか
静鉄オリジナル設計なのかな(東急7000ベースなのかもしれないけど) 自社工場製でさえ東急ベースの設計だからな…
つか、そもそも懐かし板で新車年鑑やるのって板違いじゃねえのか 五日市の顔がキハ07で体が04は誰が発案したんだろう。 普通に考えて製造元の新潟鉄鋼工の社内のヒトじゃね?
当時 五日市は一小私鉄に過ぎない筈だから社内に設計する人なんて居ないだろうし・・・
精々「省線キハ41000と同じ車体のクルマで、顔だけ今度省線に入った流線型の新型ガソリンカーの顔にできない?」くらいのやり取りでは? 新潟鉄工がわざわざ提案する理由があんまり思いつかないな
新潟ではまだキハ42000を作ってなかったから省からの受注に先立って先行試作的に作ってみたぐらいか?
後者の方がありそうかな