地方私鉄の自社発注車、自社製造車を語るスレ
今やあまり見られなくなった地方私鉄の自社発注車と自社製造車について語るスレです 同じ京成系列の非電化私鉄でも、スローペースながらキハ200新車導入で一貫してきた小湊と
常総線の水海道以南のラッシュ混雑故 廃止私鉄からの中古爆買いで来た
関東鉄道の対処の違いが興味深い(無論 カンテツの台所事情故仕方ない施策だったのだが・・・)
小湊が早くから自社発注に切り替えたのは、旅客需要もあるけど、コネが弱かったり 運炭鉄道をはじめとする優良中古買い付け競争が苦手だったのか? >>162
小湊はメンテ面倒だったんだろう。かなり後まで5800予備車で置いてあったけど。
更新するなら一気に入れ替えそう。 あの里山トロッコも、考えてみたら当然「自社発注」になるんだよな…
皮肉にも、今となっては純正レトロ車両が小湊の「売り」になっちゃてるだけに、
冗談抜きで将来どうするんだろうね(キハ200も、最初期車は製造から55年…) >>164
新潟トランシスが好きに作ってくれるだろ。
数年前だったら笑い話か妄想乙でしかなかったが、いすみ350型の登場でNDCの外観に
限界はないことが分かった。 小湊、まさかのデザインそのままでキハ200でキハ200置き換え? >>166 機関や内装、操作設備くらいは、変わるでしょ。
お隣のキハ20103?の小湊版(前照灯は旧京成タイプとかw)でイイでしょ。
偉大なる平凡な地方私鉄 失われつつある昭和40-50年代の国鉄非電化ローカル
線の雰囲気を残して欲しい。 関鉄の2000系列みたいなのになりそうな予感。
鹿島臨海にも入った位なんだから、あれが新潟トランシス標準の通勤型DCなんでしょ? 特に電車は伊予鉄600の後、静鉄3000までの間は独自設計の暗黒時代かもね。 小湊はむしろボンバルディアか中車あたりのテンプレ車両でいい気もする。 >>167
いすみのあれが昭和の雰囲気だと思っているのは平成生まれくらいでしょ
横から見たら何の変哲もない軽快気動車でがっかり
いすみの社長さんは嫌いじゃないけどな 社長公募とは随分思い切った事をしたよな
それだけ状況は煮詰まってたんだろうな… >>171
一般のNDCは雨樋なんかない張り上げ屋根なのでフォルムは結構違うよ。 >>173
両端引き戸の間にサッシ窓が並んでいるところとかはモロ軽快気動車(NDCというかLE-DC)なわけで
ダメ押しが屋根上のクーラー。西のキハ52もあれのせいで萎えた
スタイルは嫌いじゃないし、他所の特徴がないのが特徴な顔の連中に比べれば好きだけどね いすみはすごいよ。
ただ、それ目当てで行くかと言われれば無理w いすみのアレは、アレで十分イイよ。
中途ハンパな顔が、何処か 昔の電気式気動車の中間車を改造して頭を付けたヤツみたいで味がある。
俺は往年の昭和の鉄道車両みたいな 屋根上前照灯&丸形埋め込み尾灯ならイイよ。(欲を言えば円盤も付けて欲しい)。
角型前照灯と尾灯アッセンブリの窓下スタイルとか、スイスの鉄道みたいな窓下出目金前照灯は嫌。 円盤っている? 今時昼でも後尾灯や前照灯つけるのが一般的だから、円盤がなくて
進行方向がどっちなのか分からんってないと思うけど。 小湊・いすみは直通急行やろうなんて
ハナシも出てるみたいだから、キハ58
もどきあたりが来るんじゃないか? 遠鉄・福島交通は70年代になっても吊り掛けの新車を入れたけど、
当時の地方私鉄はカルダンに及び腰だったの? >>180 既存車両との部品互換性(油脂等消耗品を揃える経費も含む)及び製造コストでしょ。
流石に80年代に入ると廃れゆく技術に固執すると製造経費の面で高く付くから止めた。 >>179
そこで京成の夢、スカイライナーもどきを。 >>181
特に保守面での互換性を考えて延々直角カルダンに固執していた相鉄が
10000入れたら劇的に車両新製コストが下がったとか。
走るんですの量産効果だけじゃ説明が付かないレベルで。 >>183 某車両メーカーのヒトに訊いたら 相鉄の車両の決定権限を持つある人
(・・・当然 今は過去のヒト) が直角や外ディスクに固執したらしい。 >>184
日立の工場?がかしわ台の近くにあるんだけど、
かしわ台近くにあるのも相鉄と関係があるのかな >>185
かしわ台(小園)に在る日立製作所、あれは元トキコ、自動車のショックやブレーキ部品を製造していた会社で、
しかも戦前は戦闘機のキャブレターを製造してたから日立の航空機と関係が出来て、
戦後は一環して自動車のショックとブレーキ、産業用エアコンプレッサーを製造しているだけで、
鉄道関係の部品は元から一切製造して無いよ。ちなみにトキコは「東京機器工業」の略語。
ちなみに小園に在る工場自体は戦後に出来ている。 >>186
なるほどね
鉄道とは関係なくても、相鉄のかしわ台に非常に近いだけに、
笠戸への連絡拠点としては活用されていたのかな、と思っただけだったもんで
(例えば、8000系の頃までの新車搬入の後で、日立関係者が立ち寄るとか) 日立が押し付けた訳ではない!
日立は、後年止めたくてもやらされていただけ! 事業者のこだわり(というかオナニー?)なんて
趣味人にとっては格好の研究題材になり得るので大歓迎だなぁw
軌道事業者における乗降扉形式の好み(引き戸or折戸)とか 何十年も経って当事者がいなくなってからの謎は、困るんですけどね。
どうでもいい事への拘りの理由付け。 >>189
用途から言ったら、京急の800と2000の扉は本来逆だろ、みたいな。 静鉄と遠鉄、小湊は、自社発注に拘り(中古車導入で貯蔵部品を増やしたり取り扱いの煩雑化によるロスが嫌い?)几帳面と云うか細かいイメージ。
上信や富士急、伊予鉄は、解っちゃいるけど背に腹は・・・のイメージ。
岳南や流山、上毛は、中古は仕方ないが、なるべく揃えて手堅くのイメージ。
長野や富山、秩父は、中古でもお得な車種をのイメージ。
弘南や以前の琴電、関鉄は、なりふり構わず使えるもので安けりゃのイメージ。
・・・・もちろん後者になるほど俺は好きだけど・・・。 >>191
でも東武とか富士急とか両開き2扉クロスシートって案外有るよね 東武6050は 最後の良心 になりつつある
今やJRで同様の 汽車旅 が出来る路線&車両って… >>194
東武6050の快速は国鉄急行を彷彿させるよね。
特に冬場の会津発は暖房が効いてて最高。 クフィルみたいなスパイが設計図奪って作った、なんで話はないのかな? >>194 西武の4000は? こちらも両開き二ドアでボックスシート、小テーブル付なんだが。
池袋まで来る本数は少ないけど。 十和田観光に3400と4400がありましたな
これといって特徴ないがまとまってる好ましい外観 >>200 弘前→弘南大鰐の105と共に 日車鋼体化標準車体を模造した様な・・・
岳南や京福の日車標準タイプは、汽車やナ二ワも手掛けているよな。
こういうのは、ユーザーの意向なんだろうけど、戦前ならともかくオリジナルの図面を引いた日車的にはどうなのかな?(真似されて著作権侵害みたいな・・・不満はないのかね?
パテント料を支払っているとしたら、然程 日車以外のメーカーにやらせて安くならないと思う。)
それとも狭い業界(鉄道車両メーカー界)だから仕事シェアとか含めて或る意味ナアナア?で緩いの?
自動車メーカーとかだとお互い煩い気もするのだが・・・ >>201
西武鉄道スレの書き込みでもそうだが、括弧の多い読みにくいレスなんとかならんの?
コピーでガタガタいうなら戦後の路面電車なんてコピー車だらけなんだが、生憎問題になったという話は聞かないな。 著作権…工業製品は著作物ではないので著作権の対象外
パテント…先進的な発明がなければパテントにはならない
意匠権…独創性のある意匠なら登録できるが、そもそも申請していなければ話にならない >>201
鉄道車両は輸送機械だから見た目が似てようと権利主張するほどでもない
用途と規格が同じならある程度は収斂進化で似てくるものだしな
機械的な機構についてはパテントの関係で一社しか優れた機構を採用できないってのは戦前からあるよ
湯口氏が再三言及してる 技術的革新を遂げるために機構面の先駆者を保護するのは必要でしょうね
デザイン面は、別にいいよね 独創的とか先進的とかの有無を判断するのも人間だね
難しいもんだ 官鉄国鉄の資料に画期的な新機構を導入したと書いてあったら間違いない
それ以前に試用して文献ではなかったことにされているメーカーや民鉄が先進的だったのだ 国鉄のキハ10よりも先に登場した液体式両運
南薩鉄道300形 官主導で業界全体を育成するためにパテントとか権利の侵害が時折発生した。
官が強すぎて企業は従うしかなかった。
日車標準車体も事実上国レベルで地方私鉄標準車両にされている。
そもそも日車標準車体という名前の方が日車の儚い抵抗ではないか? メーカーが売り込んだというより、良いものなので皆で作ろうとジャイアンに取り上げられた、かなw
明治時代とかは官が民を一生懸命になって技術指導している様な状態で、今と真逆。
ある時を境目に反転したのではなく、少しづつ立場がお互いに変わっていった。
そういう中で起きた出来事なので、一概に良いとか悪いとか言えない。 >>211
日車オリジナルの気動車用機構を国鉄がキハ04・07用に独自開発したような格好つけて取り上げた頃から
205系のためにステンテス車体の製造技術無償開示させて民営化後のJRが工場乗っ取るまで
常にジャイアンが取り上げとるがな その東急車両は、パイオニア台車(見た目はともかく整備性を考えるとお世辞にも電車向
きとは云えない) と抱き合わせ?で苦労の末バッドより入手した オールステンレス製造技
術を国鉄に召し上げられただけでなく 愚かな不動産経営陣の判断でその後継組織のJR東
日本に身売りする羽目になった 切ないなあ〜 栗原電鉄M15
十和田観光3400
福島交通5000
引退するまでに乗れてよかった >>214
近車が独力でオールステンレス作ったときビビッたらしいが、あのとき川重あたりと組んでいれば東急も海外展開本格化させて残れたろうに 強盗慶太の東急が国鉄の公務員風情に技術供与なんてのがだらしなさ過ぎたよ。
戦時中ならビルマとかガ島に島流しだろ そんなに駄目なことなの?
発展に繋がるならどんな形でも技術が伝播できたらいいのに‥ >>60
諫早で出島の後に連結したあと、肥前山口で弓張だか西九州だかをその後ろに連結して、
13両くらいの長大編成のど真ん中に挟まる運用もあったね。 嵐電500
入り口の位置に難あり
当時は路線バスも入り口は最後尾だった 前中ドアが主流で前後ドアが嫌われたところもあるのにね
要は少数派は嫌われるということか 前中方式にすると側面が非対称になるから島式ホームが使えない 路面区間で島型ホームってあるの?
(起点終点を除く) 何か山奥?に真っ白になって保存されてた気が>富士急3100 2本のうち1本は踏切衝突事故で廃車、のこりは廃車後白塗りされて山奥に幽閉
華々しい出生とは裏腹の不幸な最期 モハ3100は“社運を懸けた”新車だったらしい
(創設50周年誌より) 昭和31年製造だからって話だけど。
同じ法則で昭和50年にモハ5000。 熊本や札幌など交通局にも見られたね。
一時は流行した付番方法だけど廃れるのも早かった。なぜ流行ってなぜ廃れた。 札幌は330が昭和33年製で8500が1985年製だったっけ 当時の富士急では元号と西暦を使い分けてた?
1970年譲受の国鉄クモハ14が7000型、昭和52年の小田急1900が5200型 >>246
旧国17メートル車だけ西暦だから、まったくの憶測だが
昭和4×年の4が入るのを避けたのか? 続いてる
取るに足らない迷信とは簡単に切り捨てられない 琴電なんかこんぴら号以後新車を発注せず中古を買ったり弄くったりしてるが
少しはできるぐらいの財力はあっただろうに >>248
愛知電鉄では末尾5も忌み番だったらしい 北陸鉄道の6000系、6010系を語らずにはおれん。
前者は「くたに」の名で、吊り掛け式が当たり前の地方私鉄の中にカルダンドライブの新性能。わずか9年で大井川鉄道に譲渡され、「あかいし」と名が変わったが、元々600Vでの新性能車だったのが災いして昇圧ができず、旧型車に牽引される始末…
後者は「しらさぎ」、こちらはアルミ車体だけど、軽量化のための苦肉の策で、下回りは旧型車の流用。なんともアンバランス。
そもそも国道8号線の延伸に伴って、北鉄加南線の一部を廃止せざるを得なくなったため、建設省(当時)の補償金で造られた。
特に「あかいし」の方が大井川鐵道では不遇だったけど、「しらさぎ」は旧型車なのが幸いし、昇圧されて結構使われ、今は「里帰り」して山中温泉の道の駅に保存されている。
地方私鉄の良き時代に生まれ、その後数奇な運命を辿ったロマンスカーとして語ってみた。 社員旅行全盛時代ね。北陸道が伸びてくると同時に観光バスに奪われた。 >>251
箱根登山はモハ105を永久欠番にした
2回も事故ったからだが 叡電の300は当時の社長の、大手に負けん新車を作れ!と号令して出来上がった代物だが
随所に京阪スタイルが散りばめられ大津線260の亜流と見られてしまう羽目に… 亜流ねw
ドア枚数を除けば同型といっても過言ではない 福井鉄道南越線モハ130も自家製だよね
小ぶりだけどよくまとまってスタイルが良い
ただ保守ができてなくてすごく車体が汚れていた記憶
ネットで検索しても正面が黒ずんでいた晩年のカラー写真しか出てこないのが寂しい >>257
本当は全線を一気に廃止してしまうつもりだったが粟田部付近の貨物輸送の需要が残ったので細々と営業を続けた
貨物頼みだから旅客は片手間であり電車の手入れが悪くなっていたのも道理かと。 こんぴらUが造って走りはじめるまで5年もほったらかし、しかも最後の新造車で以後は中古ベース
いったい何があったんだ
>>250 >>257
直接制御が素敵、のちに変更したかもしれないが こんぴら三号の計画もあったのかな
琴電の車両政策は本当に興味深い