地方私鉄の自社発注車、自社製造車を語るスレ
今やあまり見られなくなった地方私鉄の自社発注車と自社製造車について語るスレです 鹿児島交通のキハ300は国鉄で言うところのキハ10ですけど、本家キハ10より誕生が一年早い訳で…。
それって実は鹿児島交通のキハ300の方が本家なんすかね? 富士急の5000系って電気機器や室内設備は国鉄の115系と165系の合いの子みたいだけど
車体そのものはキハ58の方が寸法的には近いような・・・・。
蒲原のモハ41,51 尾道鉄道(知らん奴多いだろうな)デキ15,15・31,32
上毛の西武取引以前に大胡で車体興したヤツなんかは、場所自体は自社だけど作業は外部の請負
そういうのを、除くと完全な自家製は近江と静鉄の長沼・袋井だけじゃね? 連投すん バスから鉄道車両へ改造ながら山鹿温泉キハ102自社工場改造
しかも ボンネットバスそのものに鉄道車輪を付けたキハ101(国鉄鹿児島工場改造)
と違い バス2台分使いお尻を背合わせにしスマートにしようとした力作。 日立電鉄のモハ12、地下鉄銀座線用として造られていたのに、親会社の日立製作所から車両不足を賄うため与えられたというもの。
自社発注というより供与品のようなものだが・・ >>4
魔改造の殿堂でも、バスの改造はしたくなかったとw 関東鉄道のキハ310は、国鉄キハ10系からの流用したエンジン、台車に新造した車体を付けたものだが、こういうのも自社発注車に含めるのか?
改造車だから入らないとすべきか? まだ生きてるけど
伊予鉄の600系とかいう
東武20000系みたいなやつ 改造車もいれていいんじゃないか?
>>8に出ている伊予鉄の610系にしても、下回りは流用品なわけだし 富士急5000って3100の事故代替だったから
出来るだけ国鉄車と共通部品を使ってコストを下げたのかも。
もっとも駆動装置はWNだが。
伊予鉄の610はアルナにあった東武20000の注文流れ(5扉車に移行した時期)の
先頭車の鋼体を利用して造ったと聞く。
日車繋がりで秩父鉄道300系の鉄コレとサハ352のあまぎモデリングのキットを組んだ。
晩年時の塗装で組んだからあとは鉄コレの先頭車を塗り替えるだけなんだが。
アルナ繋がりでバブル末期に計画流れになった能勢電鉄の自社発注車の話もあったけど、
どんなやつだったのだろうか? 富士急も5000が廃車になったら長電が、OSカーや2000(時間の問題か?)みたいに、
プロパー車を申し訳程度でも手当て(新車充当)する余力はないのかな?
そういう厳しい状況下 上信が、1編成2両を年度をまたいででも新車を手当てするのは努力というか意気込みを感じる。 5000の代替じゃなく『富士登山電車』の代替でプロパー車を入れる可能性なら
少なからずありそう。
二代目『富士登山電車』として。
ところで長電OS11の復活はどうなったの?
昨年10月に手直ししてるのは見たけど。 3セクの気動車メーカーの考え方を電車に採用したらどうかね?
かつての日車型みたく1つのベースがあって、イージーオーダーで発注出来るって言うのは。
なんだったら気動車メーカーがそのノウハウを活かして地方電鉄の電車製造に参入して、地方電鉄会社に新車を売込めば
いいんだよ。
ま、モータリゼーションの波に飲み込まれまくりの地方電鉄が息込んで新車を入れたところで、クルマの利用者がナンボ
鉄道に流れて来るのや?って話にもなるよねorz
多分つか絶対流れて来ないと思うぜ!そうとなると責めて流出防止のための最低限の投資、即ち中古の払い下げと
相成りますわなorz 大手の日立Aトレや走るんですが、そういう主旨なのだが・・・。 60〜70年代、国鉄キハ20系の亜流以外には、岩手開発鉄道のキハ201形位しか、自社発注オリジナルの私鉄気動車が現れなかった。
関東鉄道を初め、廃止された私鉄からの譲渡車や、既存品の改造(準新製車とする見方もあるが)で間に合わせた・
70年代後半に、国鉄が14m〜17m位のサイズの軽量気動車をローカル線用に量産していたら、その亜流を地方私鉄が導入できたかもしれないが。
単なる妄想だけど。 小坂鉄道や関東鉄道にメーカー標準型がいたが、20m級だった。 >>13
伊予鉄610系だけど、あれは東武20000系の注文流れではなく一から構体を作っている。
雨樋の位置が全然違うのがその証拠。 >>19 その年代は、丁度地方鉄道の存亡(明暗)の峠だったでしょ。
・・・無論今のほうが経営状況はより厳しいのだが、公共性で社会問題やマニア対応で企業努力や
とにかく古臭いモノを完全に否定する風潮が支配的だったのだから・・・。
新車導入はまずしないでしょ。
小湊が昭和36年以降 同じ京成グループの関鉄が昭和40年代から一転して形振り構わず国鉄以外の廃止私鉄の比較的経年が浅いモノも
多いながら雑多な車種を茨交と(それでも茨交は車種に拘りを感じる)競うように買い漁ったを尻目に何故割高の新車導入一筋を貫いたのだろうか?
・・・千葉急行線構想とかで十分将来の見通しを楽観していたのだろうか?
それとも機関以外の主要機器も新規で統一されたモノのほうが絶対に長く維持できる(将来今より新車導入が困難になる 廃止になる同業他社の新車も無くなる)
そういう考えがあったのだろうか。
結果 マニア的には、つまらないが小湊の判断が正しかったワケだが。(長持ちさせる事が出来た。) 小湊のは1961〜1977製。
最後に購入した車両の竣工からでも36年以上経っている。
1976年には団地への足たるべく光風台駅を新設してるから
通勤圏として伸びる展望はあったのだろう。 >>17
新潟トランシスでNDCベースの電車もやってるでしょ(ほくほく線HK100)。
一から作るより東急や西武の中古の方が圧倒的に安いからニーズはそっちにあるから
ほくほく線のような高速対応車両とかいう理由でもない限りお呼びがかからないけど。
>>22
あれ(東武の流用)信用してる奴いるの?
20050系登場よりもさらに2年後の車両なのに。 懐かしくないけど上信の新車は新潟製だよね
(1000や6000もそうだった)。
伊豆箱根・駿豆線3000のステンレス車も
よく見ると側面各部の寸法はJRの211系とは違ってるな。 >>23 小湊鉄道がキハ200、14両でやっているのに対し、関東鉄道は常総線だけでも50両強が活動。車両数は前者の3倍の規模。
常総線は70年代後半から80年代にかけて一部複線化工事しているから、その工事費もかかる。
それに、70年代以降、常総線の性格が変わってきた。取手・下館間に優等列車走らせていた時代から、水海道以南が通勤路線に変化していき、必要とされる車両が変わってきた。
小湊鉄道には、そのような変化が訪れなかった。だから関東鉄道では常総線用に、既存車両の3ドア化や他の私鉄からの譲り受け車で通勤需要に対応したということなんでは? 28です。小湊鉄道は、キハ200導入以前は元買収国電の気動車改造型や元ガソリンカーばかりという陣容で、関東鉄道(当時は常総筑波鉄道に鹿島参宮鉄道か?)に比べ、相当、見劣りしていたのでは?
当時の関東鉄道は、常総線や筑波線に新型車を投入して、優等列車運転を行っていたからね。
常総線を特急が走っていた時代だからなあ・・ 同業で近隣の非電化私鉄同士でしょ まして同じ京成グループだし
大抵お互い影響しあうもんなんだけどね・・・・。
近隣非電化なら 東野、茨交、小名浜、関鉄(常総筑波・鹿島参宮)、小湊
同じ地域で路線廃止が続出したり 同一大手鉄道会社の中古車導入があるのが、証し グループって言えるほど京成の資本は入ってたのだろうか。
まぁ関鉄のキハ310などは大栄車両に車体つくらせてたけど。 自社発注車といえば富山地鉄…
あの時代に14760を大量に作ったのには驚いた…
あれだけ作っておいてワンマン化でドア配置が手戻り… >>32
当時、今の情勢を想像できたかと言えば、それは無理だべw 地方私鉄の自社発注車で最も大量に造られたのは、伊豆急100系の53両かな?
貨車や客車は除くとして・・ >>34 それは、系で、でしょ。(そもそも中小には車両に系の概念で区分けするほど車両数は多くない)
同一形式なら地鉄の5010(野上にも行ったヤツ)とか完全な路面電車も(無論都電とか大阪市電とか大都市を除外しても伊予鉄とか長崎とか・・・)加えてならもっと多いのあるんじゃね? >>34
伊豆急にしても小湊にしても大手の資本が入っている場合は、思い切った新車の大量導入が可能なんだろう
独立系はどうしても中古にならざるを得ないな >>34
伊豆急にしても小湊にしても大手の資本が入っている場合は、思い切った新車の大量導入が可能なんだろう
独立系はどうしても中古にならざるを得ないな >>37 伊豆箱根鉄道って、自社発注車の大量導入してたっけ?西武の系列会社なんだけど。 >>38
1000系オリジナル、3000系、5000系(大雄山)と結構いるだろ 近江は自社車両と元西武車のハイ&ローミックスが定番化していた時代があった
けど、自社車両が210形だけになって主力が西武401系シリーズ化してる昨今。
バスがライオンズカラーは伊豆箱根共通だが。
上信も自社と西武車だが遂に自社新型車両に新潟が参入してきた。 >>41
遂にって昭和51年から新潟のお世話になっておりますけど。 >>41 なんか、勘違いしてるね。
東洋工機が車体作らなくなって 上信の300系電車と三岐の電機は西武所沢が製造した。
岳南は唯一の自社発注電機(帝国車両製 恐らくメーカーの試作仕込み品)を余程デキ?が悪かったのか
戦前製の他社中古電機を残しているのに廃車(他社に譲渡するでもなく)にしている。 >>14
上信の新車は自治体からの補助金で作った。
あそこと同じ群馬の上毛は確か経営の赤字は面倒見ないけど設備投資は自治体が面倒見てくれるシステムだったはず。 上信の1000や6000のときは新潟から話を持ちかけられたのかな?
回送距離は短くて済むけど… Wikiではメーカーの売込みも云々てありますよね…。
メーカーもある意味、小ロットの地方私鉄で試作的要素を盛り込ませてもらったり、新機軸やデザインをPRできる商機
と考えてもいるところもありますよね。メーカーにとっても電鉄会社にとっても今で言うところのWin-Winてやつ?
鉄道唱歌の車内チャイムとか、昭和51年にしてJR東の特急と同じ旋律のMHとか、新潟鉄工もずいぶん張切ったと思う。
フロント1枚ガラスや斜め塗りも日本初だよね、確か。 新潟鉄工ってメーカーは、西武所沢工場みたいに中小私鉄には、かなり有利な条件で
仕事を引き受けてくれる会社なんだよ。
車両製造主体のメーカーとしては戦後地方私鉄の近代化に一番貢献してきたのでは?
だから 廃止になった山鹿温泉鉄道とか戦後一時 不祥事?(理由忘れた)津軽鉄道とか
が破格の支払い条件で仕事を受けてくれたとか恩義で極めてまれに車両を作るときは律儀に発注していたんだよ。
茨城交通も新潟鉄工信者。 鉄道車両部門のせいだけでつぶれたんじゃないだろうけど
客車はほとんど0、気動車も注文が少ない時代が続いたからな >>41
上信は昔から新潟。昔、正面衝突事故で大破したした経緯があって新造するときは大型バンパーを
つける内規があるため独特な顔になってる(だが250形のバンパーはなぜか撤去)。
>>48
直接の破たん原因は海外部門の受注激減(新潟鐵工所時代の本業は石油プラント業。エンジン部門も
気動車用というより石油プラントのパイプラインに送るでっかいタービンを回す用で気動車はその
おまけ程度)と東京本社の海外土地投機失敗。 叡山電鉄のデオ300型とか結構短命だった。
小回りが利かなかったとか。
三岐鉄道に120、130っていう京阪1900系そっくりで足回りが
南海ズームと同じやつあったよね。
琴電に早々と行ったやつ。
西武所沢で更新した150は前面が阪急5300に似ていたけど。
三重交通モ5400とか4400系とか垂直カルダンのやつも好きだな、
越後交通栃尾線にも垂直カルダンあったけど。 >>51
そしてその好きなすべてが自己動力で動いていた時代
に間にあわなかったんですねわかります >>52
三岐の130というと、最近では北勢線にあるじゃないかと言われてしまう品w >>51 似てるかよ? 三岐120,130=京阪1900 尾灯の形や側面配置 全長がまるで・・
三岐150=阪急5300・・・かろうじて妻の形状だけじゃん。 三岐の自社発注って、名鉄の2代目3700に似たやつ?
側窓の枚数が違ってたと記憶してるが >>55 そうだね。130は、3扉で両開きだから側面は別物だけど。
両車は琴電で出会っている。
俺は正面のノッペリした佇まいは、近鉄名古屋線に居た6441とかコレをパクって2200の事故復旧した奴
なんかの方が、より似ていたように思う。
両車は近鉄富田で出会ったコトが、もしかしてあったのだろうか? 三岐と言う会社は昔から二段窓にこだわり、ほぼ他社から購入した車両は二段窓化した訳だが、モハ130だけは一段上昇式と異色だったな。
東洋電機製で上信の車と似ているな。 >>57 車体を起こした150はともかく、他の譲受車で改造して入線したのってある。
昭和初期以外の半鋼製車で二段窓じゃないものの方が少なくない? 島原鉄道のキハ26.55も趣味的には面白かった
末期は酷使による酷使で悲惨だったし、
地元民の俺としてはキハ20共々NDCに置き換えてくれて嬉しかったな 私鉄DCが国鉄線内に併結で乗り入れた場合は貫通幌を使用していたのだろうか?