懐かしの座席・車内設備
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富士急行の3100の車内スピーカーには、富士山や葡萄が打ち抜かれていた
クロムメッキが施された装飾が取り付けられていた。 >>4
SV踊り子のに乗ってやってくれ、あるうちに。 ビュッフェの速度計
200系新幹線のはデジタルだったな 大阪市30系のプラ座席、お尻に(たぶん?)びったりフィット。 キハ181系のブルーの回転クロスシート
背ずりの裏側にもモケットが張り付けられて、背ずりの裏側が白い塩ビ板に
なっているキハ80系のシートよりも温かみを感じた。
また、長時間腰かけていてもキハ80系のシートよりも疲労が少なくなったように感じた 新幹線食堂車の満席ランプ
201系試作車のスタンションポール タンツボをタンツボとしてまともに利用してた人ってどれだけ居たんだろう
そばに他の客が居ても構わずカーッペッ!ってやってたのだろうか? 冷房のスイッチが誰にでも扱える位置にあった車両。
今も583系には残ってそうだが、乗る機会がない。
419系は引退しちゃったし 南海1001系特急「四国」号と高野線21001系ズームカーの転換クロスシート 「雷鳥」に連結されていた「だんらん」。これには乗れなかったな。
夜行列車の車内燈半減。
単に蛍光灯を半分だけ灯す場合と、全ての蛍光灯を薄明かりにする場合があった。
おやすみ放送の後、スッと暗くなると、自然と話し声も止んで夜行列車になった。
うつらうつらしていると、不意に明かりがパッと明るくなると、長かった夜行列車の夜が明けたんだな…と感じたもんだ。 クハ85の固定クロスシート、
昨今の転換クロスより落ち着けた。 >>36
薄減灯は「はまなす」で現役。自由席は14系だし急行列車だし
とにかくいろいろ貴重な列車。
葬式鉄にたかられる前に堪能しておいたほうがいいよ 101系とか戸袋窓に何々線とデカい透明シール貼ってあった NRSの座席
まだ多数あると思っていると、これから急に減るかも 京急600のツイングルシート。
硬い方の座席に座るとお尻が痛くなる >>27
それもいいけど南海優等車の特徴と言えば読書灯じゃないかな。
東京から関西に引っ越して最初に11001系に乗った時には感動したのを覚えてる。 室内灯の数だけで言えば南海は昔からかなり贅沢だったわけだね 関西は蛍光灯カバーがあるから、数も多くなるわな
大阪市50も贅沢
写真しか見たことないが
名鉄7300などが蛍光灯を間引きした時はあ然とした 大阪市交も間接照明は贅沢などと槍玉に挙げられて
減灯の憂き目に遭わされましたぞ
30系や60系は蛍光灯が?き出しで
たとえば長い手荷物などにぶつかって割れたりしないものかと心配になった事もあった 間接照明が贅沢か・・まるで戦時中だな
何でもいいからお役所叩きたい連中の戯言に付き合わされて災難だな >>50
ということは京福に転出した11001系は福井で大歓迎されてたのか 大阪環103系のNナントカ更新車って
なにげなく天井を見てたら
ちゃんと丁寧にランプカバーがあるんだね。
カバー自体も端が円くなってて
デザインもされてるから見直した
地下鉄50系の経緯は知ってて、
俺が乗ってた頃はとうに外されてたから
伝統が受け継がれてることも含めて
わずかなことで贅沢な気分。 木張りの座席。
あれで1日汽車に乗るとか拷問じゃないの? シートとは名ばかりの、板にただレザー皮が張ってあるだけの座席もあったよ
継ぎ目通過時の振動がもろに響くし、加速減速もガクガクガクと前後に揺さぶられる感覚。
名前は伏せるけど、西日本の非電化私鉄の客車での体験でした 俺が初めて乗った頃にはもうモケットに替えられていたが
そのレザー皮とやらの時は、夏は前に座った人の汗やらが表面に残って
どことなくベタついてるなどの苦情が噴出したとやらで大変だったと
いう話を大阪市が出してる刊行物で読んだことがある。
調達費用が安かったのかな。でも結局無駄になってしまった >>58
大阪市交30/60系のレザーシート、それよりも10系登場以前には車内に暖房設備が無かったこと。
御堂筋線で地上へ出た南方から北は客が降りる毎に室温が下降するのがよく分かったな。 >>59
北急の同系車は最初からモケットだったのかな
あれはあれで夏は見てるだけで暑苦しくなるという欠点はあるがね 北急2000は、30と似て非なるモノ
北急7000・8000は移籍前提のコピー品 >>26
空調とはちと違うが、205系のベンチレータ。
クーラーのシーズンでない時期に混みあって暑いとき、俺は勝手に開けてたw
オバハングループが"ねえ、この電車寒くない?"って騒ぎだしたが、無視www レザー張りのシートなら近鉄2600系のクロスが
最強(いや、最凶か)だろう。
素材もそうだがピッチ1320mmでヘッドレスト無しなんて
大人4人は絶対座れなかったから。 >>63
誰にでも扱える位置にあった話じゃなくてお前が背高過ぎなだけじゃん >>64
思い出したよ、それw
仕様通りだと1ボックスで4人掛けだが見るからに窮屈そうだから
閑散時にはどの席も互いに向かい合った2人しか座ってなかったと思う
なので席にあぶれたら空席があるのに立ちん坊(涙 >>66
あまりに評判が悪く、ピッチを1400mmに広げて
モケットに変更した改良型が2610系。だがそれでも狭かった。
何せ戦前の流電や湘南型でも1400mm、先代の
近鉄2200系が1840mmだからね。これはむしろ広すぎて
ラッシュ時は座席の間に人が入ってきた。 64 66 67の流れ
ものすごく既視感があるんだけど
古き近鉄スレからのコピペ? >>66
俺だったら構わず座っちゃうかもな
細身だから、巧く収まると思うw >>68
多分俺も昔書いた記憶はある。
>>69
細身は関係ないよ、余程小柄か短足じゃないとw
幸い肘掛けもないから通路側向いて座る人もいた位だし。 大きなモーター音をあげて高速で竜ヶ崎大橋付近を走行する上り常磐線E531系
https://www.youtube.com/watch?v=5oEMlqP6SVo
…………………… > 通路側向いて座る人もいた位だし
へぇ、なんだかコントチックな光景だなw
でもこの失敗を踏まえて3扉の5200系に繋がって行ったんだっけね。 近鉄2600などの激狭シートは足を通路にはみ出す前提なのか、肘掛がなかった
名鉄6000も同じく
通路側に座ると半ケツ状態で落ち着かず 越後交通のモハ210のボックスシートは劇狭だったそうだが一度乗りたかった >>59
合成皮革を使って導入コストを下げ、かつメンテナンスも簡単にできて、
事業者にとっては[理想の]内装になるハズだっが、いざ使い始めてみると‥ >>61
色が茶色か黄土色。
大阪市交は赤だったかな。
ま、夏に見ると暑苦しいw 奇異な座席の極め付きは頸城のホジ3の荷物置場兼座席
一度は腰かけてみたかった 軽便の車両の乗り心地の悪さは筆舌に尽くしがたい
下津井で経験済み でも馬面の方は写真などが多数残されて、ネットで簡単に見ることが出来るからねえ >>77
国電はブルーだった
見た目は涼しげだが冷房がないw クロスシートとロングシートが混在してるのは珍しくないかい >>83
いわゆる国鉄近郊型はセミクロスシート装備であって
まさに混在してるんだが? 近郊型のドア脇のロング部分の窮屈さは
忘れられない 軽便鉄道の客車で通路を挟んで片側がロング、反対側が固定クロス、という組み合わせは
実在したと思う >通路を挟んで片側がロング、反対側が固定クロス、という組み合わせは
JR東日本「…………」
JR四国「…………」 >>86
あそこはいわばシルバーシートみたいなもので、
進んで座ろうと思ったことが無い 逆だろ?
固定クロス部分だと特に窓側に座った場合に乗り降りし難いので
寧ろロング部分に好んで座ってたよ 足元が広く使える為にロングシートにも相応のニーズがあるのは事実。
クロスシート至上主義を唱える人間が斯くも増えたのはなぜ 「通勤電車にこそクロスシートを完全装備すべき」と主張した、あの御仁です。 当時、転換クロスが標準装備なんて名鉄だけ。
ちょっと羨ましいな。
でもそれは首都圏関西圏に比べて乗客が少ないことの裏返しなんだけどね >>78
荷物台ではあったが、座席兼用ではなかった
座ってはいけない、みたいな ゴメン、今調べてみたら、座ることもできたみたいなので
やはり座席兼用だったようです 転換クロスも考え物で、もたれる面と反対側の面は後ろの座席に座った客が靴の裏側を押し付けてる可能性もあるので
反転した時にもたれるのに一瞬躊躇したことはないかな >>78
現車が存在してて
非公開保管から解放されて地元新潟に里帰りして
今は車内にも入れるやん。 九州の某快速に投入されていたキハ65・58のシートがグリーン車向けの奴だった
リクライニングはもちろん極めつけはフットレスト。おまけにカーテンは横引き布式と
快速や間合いの普通列車には贅沢すぎて、初めて乗った時は「別料金がいるのではないか」と不安になった(笑)
同じ路線にはキハ40・47も投入されていたが、同じ運賃払って乗るのがばかばかしいと思ったね
今は国鉄型とJR型のみが走っているが、座席は薄っぺらい転換クロスで萎える
やる気があったころのあの頃が懐かしく思えるな やる気があるというより正直廃品活用だと思う。
昔の国電格下げサロと同じで。 >>105
80系グリーン車格下げ車にあったボックス席の向きを変えてロングシートにした座席とかまさにそれだった 千葉麗子 「科学的根拠も示さず福島には住めないなどと風評被害をまき散らしている」
奥田知志 「薄い放射能〜大丈夫だっぺ〜食べて応援」SEALDs奥田愛基氏の父親
青山繁晴 「放射線障害で、亡くなった方はもちろんゼロで、1人もいないんですよ。ね。」
副島隆彦 「「ホテル 放射能」を建設しよう。また、「放射能コワイ」派が、騒ぐでしょう。」 [1792]
R輿水 「なぜ、福島が安全なのか、RK佐久講演を聞けば、わかるよ。」
B古歩道 「フクシマが大変だって、あれはプロパガンダ、嘘八百。」26分40秒〜
https://www.youtube.com/watch?v=KRd6O5bwN9M
名無し 「食べて応援で何人死んだみたいな、福島県の人に対してよく言えるな…。見苦しい。」
https://twitter.com/tok aiama/status/720726309240836097
週間AR 「自分を『負け組』と考え、反原発を主張する・・・山本太郎の事かと思った。 」
https://twitter.com/aka shicr/status/592255976788504577
開沼博 「良識派ヅラした偽善者の室井佑月が正義であるかのように語り続けていました。」
https://cakes.mu/posts/7862
室井佑月 「自分らに逆らう人は、悪だってか」
https://twitter.com/tok aiama/status/760223879444824064
東 海アマ
芸能人が原発をPR! 500万円の高額ギャラも 勝間和代 三橋貴明 佐藤優
サンマ以降のバラエティ芸人の大半が、暴走族出身で極右思想。
原発反対派を「放射脳」と嘲笑する連中。
芸能界極右は石原慎太郎一家を筆頭に、上田晋也 草野仁 津川雅彦
向井理 松本人志 宇多田ヒカル マツコ 春日俊彰 田村淳 北村晴雄
https://twitter.com/tokaia mada/status/630627400552845312
4号機・原子炉での「秘密」作業を追及していた「ハタ次男」さんが、
3年以上も、ツイッター・ブログともなぜか停止
同じく「4号機」問題を追及している岩田清さん
「私以上に深入りしたハタ次男さんが行方不明なのが私には辛い!」
https://twitter.com/tok aiama/status/777968216052146177 極めつけは、和田岬線の旧型客車。
立席が前提のつくり。 写真でしか知らんが
文字通りロングシートのオハ41
だだ広い空間をナマで感じてみたい 2ドアで思いっきり端面に寄った場所に出入口があってなおかつロングシートというと
他に例が無いかな 国鉄 キハ26 600番台
西鉄 324、325、100形、200形 >>104
それ昔“えびの”“火の山”“ゆふ”のハザにつかってたやつだ。 >>114
シーサイドラーナーのキハ58形28形もグリーン車のシートだったよ? 放送装置も進歩の跡が見られるね
音が小さすぎず大きすぎず、適度な音量 だが、田園都市線の東急5000系はスピーカーは設置場所が座席の真上だから、怒鳴りつけられた気になる。
ファンデリアとの関係で天井の中心に付けられなかったのか。 >>117
昔の車内放送といえば爆音と相場が決まってたらしい
ラッシュアワーで満員の乗客に案内するのが導入のきっかけなので
当然といえば当然か 窓全開の夏場など、それでも聞き取りにくいわな
連結部に扉を付けない会社だと、そこからも騒音があるし >>79
軽便というと西武山口線しか経験無いが、そんなトンでもない物ではなかったような気が・・・
井笠の客車だったが・・・昔の事なので頭の中で美化してしまったかな? (100系新幹線)-1
これまで登場した新幹線の車両は数多くあるが
その中で一番好きなのが100系だ。
まず85年に100系が登場したときは衝撃だった。
普通車でもフリーストップのリクライニングになり
0系とは格段に居住性が良くなった。
また窓も0系は当初はワイドだったが石跳ね等により
ひびが入る事故が多発し、縮小され視野が狭くなった所に
この100系はワイドで広く眺めが良かった。 (100系新幹線)-2
100X、G編成には個室のグリーン車が
2階建て車両の1階に設けられていたが
一度だけ一人用の個室を博多→東京間を
フルで利用したことがある。
低い位置にあるので車窓は悪いが誰にも気兼ねせず
フルにリクライニングを倒して5時間余りを過ごした。
二人用を別の意図で利用していた輩もいたようだが
その意図で使えるような状況になったときには個室は
廃止されてしまった。 (100系新幹線)-3
100系V編成は2階建て車両を4両組み込んだ
いわゆる「グランドひかり」で、この車両にも
何度も乗車した。
グリーン車は全て開放系だが2階にあるので
眺めも良くまたJR西日本仕立ての車両のため
西日本区間しか使えない肘掛埋め込み式の
液晶パネルもあり当時としては設備も豪華だった。
2階建て車両の1階部分の普通車には1度だけ
利用したことがあるが2-2のシートで居住性が良く
また川重とシャープが共同開発した液晶ビジョン
(PAXビジョン?)が組み込まれた車両があり
映画が上映されていたと記憶
2階建ての新幹線は近々Maxも引退するとのことで
全廃となり寂しい限り。復活を望む。 >>ID:QCCONYoV
食堂車については語っていただけませんの? 1階の一人用個室は車窓悪かったね。
東北新幹線の一人用個室のように
レール方向に長ければ印象も違った
ろうね。 >>128
この文章は全て実体験に基づいて作成しているんだよ
残念だったね〜
自分では到底作成できない内容だからといって僻んじゃいかんよ
食堂車はあまり利用実績がなく
ほかのスレでも書いたが
X編成では大阪の出張帰りに同僚と利用したが
新横浜までのほとんどの時間をそこで過ごしたが
飲んでばかりいたので周りの状況は記憶にない
後はXかV編成か判然としないが当時付き合っていた
彼女と東京→名古屋で利用したが話に夢中で
メニューすら憶えていない こちらもオトナなので1行目で素直に納得できてたのに、続きで煽り返してしまったね。
少なくともあなたが心の貧しい人なのはよくわかったよ。 まあ、もとより嫌味な記述の仕方をする人だとは感じたからこそ、こちとら128を書き込んだわけで。
100系の食堂車をあまり利用してないとは残念だったね。
食堂車は100系も良かったが、側通路に人の往来があるとはいえ0系の食堂車が大時代的な落ち着いた雰囲気で良かったもんだよ。 >>132 ?
どこが嫌味な書き方か指摘してもらえませんか
今後に生かしたいので >>131
“1行目で素直に納得できたのに、・・・”
↑
どこを指しているのか不明
また納得したのならわざわざ>>128を
書き込む必要もないと思うが
心の貧しいのはどっちなのかわかりますよね >>131
寝起きにスレ読んでたので理解不足でした。
1行目とは>>130の“実体験に基づいて作成”を
指しているんですね。 スマソ
けどいきなり「コピペだから語れねえんだよ」って言われたら
反論もしたくなるでしょ >>119
爆音というほどではないが京阪の車内放送は音質調整でわざと音質「高」にツマミを合わせて、
あえて声を乾いた音にしてたという。その方が良く声が届くという。
音質「低」にしてしまうと音が籠って聞き取りにくいそうだ。 >>111
山形で旧オロ40車に乗った記憶ある。
ニス塗りで、背ずりが壁板。
でも座布団は直前に乗ったスハ43より柔らかかったから、オロ時代からの使い回しだったかも。 紐を引くと列車が緊急停止する非常弁
紐式がなくなり押ボタン式に変わってしまったが。
保存車両でない現役の車両で、今も紐式のものってあるんだろうか? 回答にならないかもだが、私鉄電車ではちらほらあるのではと。 以前、近鉄電車の中間運転室(車掌側)にいた時、
揺れた拍子に赤玉を危うく触りそうになったことがある
非常停車弁の赤玉がブラブラしていたので、カバーぐらい付けろよ…と思ったけど
それが原因かどうか知らないが、数年前から立入禁止になった 105系の灰皿
オールロングだから座席の袖と扉の間に無理やりつけてた
さぞかし使いづらかったろうな 戸袋の部分に鏡が付いてたのを覚えてる?
東武や相鉄 >>40>>123
まだ緑茶やミネラルウォーターが随意に買えなかった時代、
喉が渇いた時に潤す手段といえば缶コーヒーか缶ジュースしかなかったが
甘いのが嫌な自分にとって冷水器は神のような存在だった
後先考えずガブ飲みしてお腹を下して家族旅行を台無しにしたことも、懐かしい思い出 >>106
亀レスだが、クハ77の中央ドアの戸袋部分のロングシートのことを指しているのだな。
そうであれば、クハ77は70系に編入されているので80系ではない。
登場したのは1969年のモノクラス化の前年の1968年なので、グリーン車ではなく
1等車からの格下げだ。 >>150
70系混結のために同様の改造をしたサハは、80系(サハ85)のまま100番台に区分されたな。 >>144
211系の3000番台もそこに有った気がする。
全面禁煙以降は撤去痕のビスが有る。
鏡有ったな・・・今じゃ江ノ電ぐらいか?
下半分広告だった。 >>153名古屋市営地下鉄鶴舞線のすこし古い電車には付いている
懐かしの設備と聞けば「センヌキ」が思いつく みやびにあった日本庭園
揺れで石が飛ばなかったのだろうか? 旧型客車とかに付いてた平行方向に回るハンドルみたいのは何なの? >>157
手ブレーキ(手歯ドメ、ハンドスコッチ) トイレに入ってますランプって色んなタイプあったっけ?
旧型客車の丸いのは覚えてるけど 名鉄は数字が点滅したり、モノクロ→カラーに変化とか
分かる人には分かるってヤツ
便所使用知らせ灯にも、いろいろあるな ↑
鏡の件
京阪神民だが80年代末期に名古屋行って黄電で生まれて初めてだった
びっくりした記憶ある
東京の通勤電車でもドアガラス広告シールが鏡だったけど時代は下がるかな 名古屋市も名鉄も、広告と鏡がセットだった
広告単体より、鏡も付けることで広告に目がいくよう仕掛けたのだろう 阪急3300などに多く見られた運転台撤去後のデッドスペース。
座るには高過ぎるし荷物を置くには広すぎるし、
これぞまさに中途半端な代物。
同じく長編成化のために運転台を撤去した阪神青胴一族は
手抜きせずに運転台跡地にきちんと座席を設置した 京急800も3連2本をつなげたのの運転室の処理はやっつけ感がひどかったな。
初期の固定窓の暑苦しさもあって、京急800はハズレ車の印象が。ファン多いけど。 >>167
堺筋線60系は組み替えで先頭車が中間車化されても何も改造せず運転台もそのままで営業に出してたよ
やっつけ度では阪急の上を行く >>155
石が動くくらいの揺れなら車両はすでに餘部状態になってるよ つり革の輪っかが三角でも丸でもなく台形だった大阪市旧8000
試作品だからか、その後量産車は丸に戻った
試作品も30系に統合されたが見た目が明らかに他車と違って
前歴がすぐに分かった
もちろん冷房改造されることなく30系の中ではかなり早く廃車 円形だからこそ握る位置を任意に変えることができて衛生上も宜しかった
だからつり革は円形に限る ○の吊り革は頭に当たっても比較的痛くない。
しかし、三角吊り革は角が当たるとけっこう痛い。
吊り革の形状は○であるべき。 >>181
昔の営団地下鉄の電車には、放すと上に跳ね上がる吊り手がった。
なくなった理由は目に当たって失明した人が出たからだそうだ。 >>180
中川家の鉄道マニア向けバラエティ番組でやってましたな そうだ。
でも車内放送でも両者を混同してアナウンスしてるケースが多い。 つり革釣り手というと器械体操を思い出す
器械体操といえば仲本工事さん
ご冥福をお祈りします。。。 185系の転換クロスシートはどこかに転用されましたっけ
まあまあのボリュームが発生したと思うけど 車内がニス塗りから塗りつぶしになると、一気に安っぽくなるね。
阪急の木目は伝統だけど2000系以降の明るい色調は好きじゃなかったから、
暗めになって落ちついた雰囲気に戻ったのは嬉しかった。 >>140
超亀レスだが西鉄5000形は紐式だよー 近鉄の丸屋根車の運転席連結部の助手席側
いちおう、赤玉が現役扱いでよいのではと。
角屋根車以降は覚えとらん 乗降口の鴨居に取り付けられている電光式の路線図
全駅がズラリと並び現在地を示す赤ランプが点滅するのだが
駅の改廃があると途端に無用の長物化
すぐにすたれてしまった 溜池山王や西新宿開業の時は、交換したんだっけ?
阪神東口の廃止は、シールで隠した
いずれにしても、厄介な存在だわな 新幹線の冷水器って0系だけかな
紙コップに注ぐのが難しかった 0系は袋状
100〜500系は検尿の紙コップ
700系以降は冷水器を廃止
東北などは解らん 窓下のテーブルを復活して欲しい
E231系以降の窓台兼用テーブルは狭くて使いにくい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています