>>201
旧形国電による有料特急列車(ただし特急料金は原則半額)は、昭和39/1964年4月24日にまさに>>200の事故を起こした「第1富士」の大阪〜宇野間と、同区間折り返し「しおかぜ」の代走として、宮原の80系全金5M5T(1Ts)を充てたのが唯一のはずです。
関西から四国連絡の使命が、当時いかに重要視されていたかを裏付けているでしょう。
なお、この事故で2〜3号車のモロのユニットも修繕を要し、さらに急遽決まったクロ150-3改造が上がるまでは、しばらく制御車不足で予備編成が1本まるごと使えなくなり、151系特急には153・157系による代走が仕立てられたのは有名な話です。

なお、昭和25/1950年からおよそ10年にわたり80系を使用した伊豆方面への準急(「いづ」「いでゆ」「たちばな」「はつしま」など)のヘッドマークに、「湘南準急」の文字がありましたが、一時期これが「湘南特急」と表示されていました。
正規の意味での特急ではありませんが、確かに東京〜熱海間でEF58牽引「つばめ」に匹敵する速さ(ただし、品川・大船・小田原などは、ほとんどがことごとく通過)でした。