【製造両数】151系車両 4号車【151両】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
昭和33年11月、国鉄初の電車特急として華々しくデビュー。
現在の特急型車両の基礎を築いた、151系車両について語りましょう。
(161系・181系も含めて)
前スレ
【特急こだま】151系車両【パーラーカー】
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1221233025/
【ビジネス特急】151系車両 2号車【こだま】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1231878032/
【製造両数】151系車両 3号車【151両】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1288173058/ >>126
弁天町ね。あのモックアップは、客室の一部をカットしたんでしたっけ? パーラーカーは座席で電話する事で来たが通話料が異常に高かったんだな
携帯電話はデッキでご使用くださいと呼びかけられてる現代では考えられないサービスだったが 151系の普通車の白い座席カバーが2席用から1席用になったのはいつ頃ですか? >>131
車両メーカーの人間がかかわったかもしれないが
製造は鷹取工場
国鉄内製 >>126
あのモックアップ、昔は客室部分も数メートルほどあったような。
G車と普通車のシートが付けられてて座れたのを覚えてる。
他に583系(クハネ581?)の前頭部と20系(ナロネ21?)の寝台1ブロック分を合成したようなモックアップもあったな。 >>132
2席用って、何か古めかしい感じですよね。
181系の時代になると、1席用のカバーに変わるのでしょうか? 山陽181系は最後まで二席用だったはず。
一席用カバーは183系簡易リクライニング車以降だよね? 2席用のカバーなら平成になっても使ってたよ。
T-12だっけ?忘れたけど、あの非リクの回転クロスはサロ110-0番台、1000番台、サロ111の他に“ひたち”のクハ481や
“北越”か何かのクハ489のボンネット車で使われていたぜ。この手の回転クロスはひじ掛けにも白カバーが付いたよね?
古めかしいけど特別急行としての古き良き豪華さはあったね。 これ特急専用という事もあり結構酷使されてたんだな
20年以下で廃車になったの結構多い
JRに承継されたのは九州で485系に改造されたやつだけだし ちょっとスレ脱だけど、モックアップや車体や内装が付属する乗務員教習用シュミレターって
車両メーカーより内製メーカー制作が多いよ。(大手は稼ぎが少ないのかやりたがらない?
無論 廃車を切断流用してケースは当然改造になるワケだが。) >>ちょっとスレ脱だけど…
わかってて、スレタイに沿っていた話の流れに出てきたわけでもないのに、書き込む奴って最低だな
究極のKY >>136
自分の微かな記憶では、二席用だったと思います。 【不買運動】福島県いわき市は男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的組織です
福島県いわき市は女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
「ハダカのおもてなし」の女性専用車両広告
http://www.youtube.com/watch?v=B7f381sHUnQ&feature=channel&list=UL
(音声はJR東日本中央線の駅員による女性専用車両乗車中の男子学生に対する暴言) Q.国民年金だけで
生活するのは議員はできると思いますか?
塩川正十郎元財務大臣
「ほんなん、できるかいな。
ぼくら(議員)はあんたら(国民)と生活のレベルが違うやないか!(毎月)100万かかるよ。
みんな、人間平等だと思っていたらとんでもない間違いだ」
"人間平等だと思っていたらとんでもない間違いだ"
"人間平等だと思っていたらとんでもない間違いだ"
"人間平等だと思っていたらとんでもない間違いだ" >>138
車両が老朽化を迎える頃と
国鉄の労使関係が最悪の時期を迎えたのが重なったのも
痛みを酷くした原因の一つだろうね。 >>148
仮に国鉄の労使関係の悪化がなかったとしても当時の保守技術的に車両の痛みを緩和することは難しかった気がする。 三十年代前半までの高性能者第一世代が国私鉄問わずことごとく短命であるということを考えたら
軽量化技術そのものが腐食や重装備化といった経年対応を軽視した欠陥技術であった。
主電動機(もしくはエンジン)の出力が小さすぎるので動力車比率が増え不経済または性能不足。
この2点に尽きますな。
特に151系だけが悪いというわけじゃない > 三十年代前半までの高性能者第一世代
営団300
京成750
東武5800
京王2000
小田急2200
東急先代5000
京急先代600
相鉄5000
名鉄5000
近鉄10000
京阪1810
阪急先代1000
南海11001(先代1000)
阪神3011
西鉄1000
評論は皆様にお任せ。 >>151
京阪の旧2000系・現2600系0番台もそのグループに入るな。
その京阪だけど旧1810系って車体の構造的には国鉄で言うところの旧国に分類されそう。 藤沢に長年住んでいる親戚のおじさんが言うには、東海道線を走る151系はとても格好良く見えて、子供の人気も高かったらしい。
今でいうE5系やN700系みたいな感じなのかな? たまにしか来ないし他と全然形が違うから、比ではないでしょう。 関門が元々は純粋に直流だったのに、九州電化が原則交流(筑肥線以外)になってしまったが、鹿児島本線だけでも完全に直流電化だったなら、雪害や勾配(セノハチ越えなしを前提)の問題が皆無なので、広島以西に限定して151系のまま活躍を続けられたように思う。 >>155
九州直流電化は自分も妄想したことがある。
東京から博多・熊本・西鹿児島まで直通の直流電車特急とか…。
151系だと仕業検査が1200キロごとだから、(田町回送)東京から博多(南福岡回送)でパンパンだけどね。
でも、昭和35年の久留米電化が直流だったなら、すんなり151系は博多乗り入れできたわけだし、山陽は抑速MT54つきか粘着は得意な釣りかけで固めて、鹿児島本線優等は151・153系で万事OK。
EF57・58あたりも牽引定数を気にせず、電暖化もせずに、のびのびと走れたはず。
クロ151がそのままでいられたかどうかは疑問もあるが、現実の話として、1970年代には九州特急でのグリーン車需要は高く、サロ2両の481・485系に対してサロ1両の581・583系は特にオンシーズンは増収上でお荷物だったようだ。
ローカルには80系やEF57・58の旧客(32から10・11形式まで)、快速には非冷房153系、急行にはサハシつき冷改153系(臨時には80系や旧客、12・14系も)、特急は151系のほか、交流の日豊本線(長崎本線)向け481・485系や581・583系という、素晴らしい陣容。
博多近辺には日豊・長崎本線乗り入れ用に421・423・415系のほか、少数なら111系を走らせてもいい。
東北・上越新幹線開業余剰車165・181・183・485系の大量転入が1983年から1986年にかけて進んで、昭61-11(1986)改正あたりで80・151・153系は全廃という筋書きにはなるが…。
特急の愛称はすんなり「つばめ」「有明」で問題なし。
151系から脱線した感はある妄想だが、博多〜熊本・八代間を表定速度80km/h以上で疾走する151系は、ぜひ体験してみたかった。
(1983〜1986年に485系では何度も体験あり) >>156読んでると逆に交流電化で良かったんだなあと思うわ >>156
もし鹿児島本線が直流電化してたら筑肥線は廃止にならずに直通運転してたかもな 鹿児島本線が直流電化だったなら、筑豊・篠栗線若松〜直方〜博多も直流電化で、72系〜101・103系の活躍の場になったかも…。
折尾〜博多間迂回の電車列車も設定できるから、151・153系なども走ったかも…。
炭鉱が寂れても、今よりは沿線が活性化した可能性はある。
桂川〜原田はいまだ非電化だろうし、電化されても勾配区間なので抑速&MT54以上の性能を要求されるが…。
ちなみに、157系はセノハチ越え特急に活用できる。
関東向けには161系→181系を史実より余分に投入すれば、ほぼ解決。
なお、日豊本線は小倉〜隼人を交流として、直流となる隼人までは一部鹿児島本線から延長運転すれば、鹿児島県西部〜東部(肥薩線含めて)間の移動にも便利になる。
竜が水の海沿いを行く隼人延長の151系「つばめ」なんて、乙なもの。
また、福岡・熊本・鹿児島県いずれも柑橘類やお茶の名産地なので、湘南色の80系ローカルや153系はイメージにも合う。
EF57・58(脚は速いが引張力は国鉄ELではED級を含めて最低)の客車列車も、ブルトレを除いて長大編成が多くないなか、牽引定数の心配もいらなくて済んだはず。
だから妄想してしまうのよ(鹿児島本線直流電化)。
交流機+サヤ420+151系なんてこともしなくて済んだわけだし…。 九州内で鹿児島本線だけ直流っていう選択肢がまずあり得ない。
全部交流じゃなかったら、全部直流だろ。 仮に東海道・山陽本線が逆に交流電化だったらはるか後年の関西の新快速の運転で変電所の問題に手を焼くことはなかったかも。
そもそも高速運転する場合直流より交流のほうが向いている。 安いから交流選んだわけだしな。九州直流どころか、山陽岡山以西交流電化の計画もあったのに 交流が安いというのも交流電機牽引か交流電車を前提の話で
交直流電車がメインになると思ったより高くついたけどね 最盛期でも9往復だったかな。今時のエル特急(死語)より少ないくらいだ。
湘南電車の合間にたまに来るぐらいの本数だな。 最盛期は12連12本で10本使用(バラを別にした予備編成は宮原と田町に滞留)だった。
編成単位の入場があると、片方には予備車を置けず、何かあれば153系代用「替えだま」(特急料金半額)の登場となった。
どういうわけか、「つばめ」「はと」に153系の投入はなかったようだ。
157系を代走させることもあり、この場合「ひびき型車両」と称して、特急料金は通常どおりだった。
1964年4月24日の東静岡付近踏切事故で、クロ151-7が廃車となったが、同事故の「第1富士」は東静岡〜大阪は運休となり、大阪〜宇野間のみ、なんと宮原の80系全金10両編成で代走(特急料金半額)させる措置を取った。
無理矢理走らせたようにとらえられなくもないが、それだけ大阪〜四国連絡は、当時から国鉄の重要な使命であったことがうかがえる。
東海道新幹線開業までおよそ半年を切ったこの事故で、151系は第7編成がしばらく使えず、大破したクロ151-7の代わりに予備車のサロ150-3をクロ150-3に改造して組み込むなどの措置が取られたが、しばらくは車両のやりくりに苦労があり、「替えだま」や157系代走も多かった。 あの当時バラ予備あったんだな
現在は編成単位で予備車を用意するが
固定編成の概念が無くていちいち車両の差し替えやってた? >>167
編成予備になったのはつい最近じゃないか。
あんた何歳なのよ? 151系の最初の頃は半分の4両単位だったぞ。同じユニットを背中合わせにつなげたとっても合理的な組成。
そこから拡張を重ねていつしかモンスターと化したがw 東海道151系末期(最盛期)のバラ予備はM車1ユニットとサロ・サハだけだったんじゃないか?
何かコトがあっても、代わりにどれかの編成に組み込んで自在に使えるという代物ではなかったのは間違いない
そもそも、12両編成12本144両に対する予備だから、151両製造なら7両しかバラ予備にならない >>153
俺の1947年生まれの親父も、保土ヶ谷まで友達と151系まで自転車でよく見に行っていたらしい。
その頃親父は隣の区に住んでいたから保土ヶ谷はちょっと離れてたんだけど、当時の同級生のかなり大勢が見に行ってたらしい。
特に鉄道好きではない小学生にも人気あったみたいだね。 >>167
>>170
でも基本的に国鉄の電車って固定編成なんて組んでるイメージない。
基本的というか標準的な編成表は151系に限らずどの形式でもあるけど実際はバラ予備車の絡みとか例えば編成から1ユニットとか1両だけ抜いて検査受けさせたりの影響で編成内の各車両の経年とかが無茶苦茶になることが殆ど。
向日町の583系なんかは先頭がクハネ583なのに中間のモハユニットが581系だったり581系ロットのサハネやサシが入ったりしていたし。
485系なんかでも向日町の場合ボンネットタイプの配置が強く要望された関係もあって編成内の経年はこれまたバラバラだし。 >>173
どこにも「固定編成だった」なんて書いていないが…?
東海道時代から151系は編成替えが多く、中身の入れ替わりは多かったことがうかがえる。
バラ予備に関しては、あくまでも運用に充当する12編成からはずれている7両を指しただけのことだろう。
583系も、581系ユニットと定員の減るクハネ581を除いて、485系と共に東北から九州まで、どこでも使える中、ダイヤ改正ごとに転配も多く、固定編成が定着できる状況ではなかった。 151系特急こだまのでる映画といえば「特急にっぽん」1961、主演フランキー堺、
団玲子、白川由美、食堂車コックとウエイトレスの物語。
鉄道ファン必見の映画だがビデオにもDVDにもなっていない。たまに名画座で
かかることあり。特急こだまが実写でバンバンでてくる。車内はセットだが
、本物とほとんど同じ。 白川由美の役柄って客車時代のつばめ・はとガールだよな?
電車化後はどういう名称で、いつまで続いたんだ? >>181
なら白川由美の役柄のスチュワーデスさんはフィクションなのか? >181,182
そうだよ、こだまには客車時代のつばめはとのような「ガール」は乗っていない・
だから映画ではこだまのスチュワーデスのような設定になってるが、それは
フィクション。 今の自称ヲタ君たちはバラ予備も知らんのか・・・
時代だなぁ >>179
後にフランキー堺主演の鉄道員シリーズが作られた あれ?こだまは駅に停車する際にこだまガールが便所に栓をした、
と別スレで見たけど? >>188
嘘つきはどこにでもいるってことだろ
と言うかいつものあいつだろ
この手のトンデモ系は >>151
> 東武5800
こいつは試験的に直角カルダン載せただけで、
本性は旧世代吊り掛けグループの仲間だぞ。しかも2両だけ。
東武の通勤車で量産された最初の高性能車は2000系。 >>190
151系と対比できる高性能車としては1700系ってのもある。
非冷房だったのを冷房改造したりして痛みが激しく車体はわずか15年でDRCと同じものに乗せ換えてしまい極めて短命。 東武1700は151系と較べるとやや前世代な存在だと思う。
というか、国鉄101系、151系自体が、
私鉄で高性能車の技術要素が一通りの試行錯誤を終えてから、
無難な構成で集大成した物という感が強い。 国鉄は電車に関しては、通勤形は試作車や試作編成を作る事が多かったが近郊形・急行形・特急形はほぼ一発量産でしたね。 >>193
動力性能の問題だから全ての新性能電車の試作、試験を90系が担ったんだろ >ほぼ一発量産
量産というより専用設計車ばかりじゃん
こだま用 東海用 日光用
結果的に東海用は急行にも拡大使用
こだま用はつばめ置き換えにグレードアップしたに過ぎない
本当の意味での量産型は401系や165系以降の世代 >>194
確かに101系はその意味合いがあると思うけど、通勤形に特化した103系や201系も試作車があるのは同列に語れない。 >>197
それも動力性能的に変更があったからだろ
101系山手線投入で失敗してる訳だからいきなりは無理だし
201系も初チョッパ車だからな 高運転台でも
鼻の無い電気釜ヘッドだったら
危なかったのかもしれないね >>201
旧形国電による有料特急列車(ただし特急料金は原則半額)は、昭和39/1964年4月24日にまさに>>200の事故を起こした「第1富士」の大阪〜宇野間と、同区間折り返し「しおかぜ」の代走として、宮原の80系全金5M5T(1Ts)を充てたのが唯一のはずです。
関西から四国連絡の使命が、当時いかに重要視されていたかを裏付けているでしょう。
なお、この事故で2〜3号車のモロのユニットも修繕を要し、さらに急遽決まったクロ150-3改造が上がるまでは、しばらく制御車不足で予備編成が1本まるごと使えなくなり、151系特急には153・157系による代走が仕立てられたのは有名な話です。
なお、昭和25/1950年からおよそ10年にわたり80系を使用した伊豆方面への準急(「いづ」「いでゆ」「たちばな」「はつしま」など)のヘッドマークに、「湘南準急」の文字がありましたが、一時期これが「湘南特急」と表示されていました。
正規の意味での特急ではありませんが、確かに東京〜熱海間でEF58牽引「つばめ」に匹敵する速さ(ただし、品川・大船・小田原などは、ほとんどがことごとく通過)でした。 >>203
EF65502の上り富士?がそれで殉職 >>200
この事故、もしパーラーカーが電動車、つまりMscだったらここまで酷い損傷はなかった可能性ないかな?
京急や関西私鉄では踏切事故での安全性を考慮して先頭を電動車にすることを好んでるが。 >>206
重い分脱線しにくいからって潰れにくいわけじゃねーべさ。 >>208
脱線しにくくなる分潰れやすくなるんでは?
2100形とかが120キロでダンプともろ衝突したら、
先頭車の車体が一気に半分ぐらいの長さになるだろうよ。 >>204の補足
1964年4月24日の151系「富士」事故により、先頭車クロ151-7は大破(廃車)。2〜3両目のモロ150+151の12番ユニットも脱線により要修繕のためしばらく使用不能になる。
急遽、事後対応策を検討。
「こだま」1往復を153系にて4月25日〜5月7日まで代走。
大阪方よりTcM'MTbTsTsM'MM'MTc(Tsは152。急行用編成から東京寄りTbを省略)という編成。
5月8日以降は代走列車を別の「こだま」1往復に変更のうえ、157系使用とした。
大阪方よりMcM'McM'TsTsTM'Mcという編成→基本7両の大阪方に2両を増結したかたち。
この代走のため、5月8日以降(当面5月21日まで運転予定)の不定期「ひびき」の一部を当面運休とした。
画像
http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/64tu/10.jpg
(東京駅1964年5月)
ほかに、151系九州乗り入れ対策工事も要したことから、151系1編成には廃車になったクハ151-7の代わりにクハ161を1両借り入れて組み込んだ。この編成が入る運用は日替わりとならざるを得ず、つまり1等特別座席車(クロ151)なしの編成となる列車が日替わり状態になった。
153系代走を短期間で終えるようにした裏には、比較的長距離の看板列車としての難点として、
・非冷房(2等車には1両で扇風機が4基しかない)
・本来の運転速度が規定上では95km/hに制限されていた
等の問題もあったのでしょう。 仮にこのクロ151-7の事故がなかったら東海道新幹線開業後の151(161・181)系の車両転配劇の歴史は相当変わっただろうね。
特に田町に残留したTscは6以外にも居たかもね。 >>212
実はあまり変わらないらしい。元々クロ151はこだま撤退後2両をクハに改造する予定だったし、
サロは2両余る予定だった。クロ151→クハ改造を1両に減らしてサロの片方をクロ150経由でクハにして終了。 田町に残るクロ151の車番が変わる可能性はあったかもしれませんね。 4月から九州乗り入れ改造始ってたし、481も製造決定してたので
結局上越か山陽しか行き先は無かったんじゃね? 本当ならパーラーカーを
田町残留として山陽転用組をクハ改造としたかっただろうけど時間的余裕が全くなかったからなぁ。
田町残留となったTsc6とT'sc3の編成って1964年9月30日の段階で東京着の運用に入るように調整されたんだろうか?
特に後者の編成はそうしないと困ることになるだろうし。
逆に改正後九州乗り入れする編成などは9/30の段階で大阪や広島着、あるいはうずしお運用となってそのまま向日町転属になったんだろうな。
他に9月30日に東京着の編成で翌日付けで向日町に転属する編成は深夜に東海道を回送されたんだろうね。 120キロ運転が当初から実現していたら東京〜大阪間6時間を切ってた可能性あるのでは?
現実にはヨンサントオにならないと実現しなかったが >>216
「車両史編さん会」の本に掲載された、9月30日の移り変わり運用表を見ると、最終日に田町
入庫になった4本のうち転属組2本は、10月1日に向日町へ回送されています。
博多からの「つばめ・「はと」用としては、事前に訓練用として博多に入っていた1編成と、30日
に広島行「第1つばめ」に充当され、広島到着後に博多まで回送された1本が、翌日の博多発
に使用されています。
また下り「おおとり」編成は、名古屋から大阪まで回送されて転属し、下り「はと」に使用された
編成は、大阪から下関に回送されて、翌日の上り「しおじ」に入っています。
あとの編成は、大阪や宇野泊となって、翌日から向日町を拠点に新たな運用に入っています。 星昇さんて60系客車の時に半ば趣味(と実益を兼ねて)で後の仕様変更で色々と弄ったらしいけど
151系でも趣味的なものを混ぜた箇所はあるのかな? 【ついに寝台特急あけぼのが廃止】
反社会的企業「JR東日本」が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=141GhuID9g0&list=UUUYyUU8q8y4jYwq-DK0TzbA >>217
やろうと思えば160キロ運転もできた?
試験では出てたけど 広島電化の際セノハチ通過に補機の助けを借りざるを得なかったけど、仮に8M4(3)Tだったら補機不要になってたかな?
151系時点で8M4Tをデフォとしていたらその後の山陽特急では481系、583系も8M4Tになっててセノハチ通過も楽になった気がするが。 電動車と付随車の価格差を考えたら
当時の国鉄の資金力では賄いきれず
電動車が増えた分制作車両が減るから
特急の運転本数が減るだけw >>222
そもそも、481・485系や581・583系はMT比同一なら、セノハチ25パーミル通過には問題ない。
それより、151系を無理矢理交流電化の九州に突っ込んだのが、いくら大量に481系を作れなかったにせよ、無茶と思ったことがある。
九州が直流電化で151・153系や80系、EF57・58が進出して、国鉄末期まで活躍する妄想をしたものだ。 >>222
151系も8M編成なら、セノハチを単独走行できたんじゃね。
ただ、それをすると「つばめ」のみ特殊な編成となって、
運用が困難になるから止めたらしい。 >>225
全ての特急編成を8Mにすればいいんだろうけどコスト的にきついか?
それと8M化する場合既存車両の組み替えを考えたらパーラーカーをMscにしないと成り立たないな。
国鉄は先頭電動車を嫌ってたし流石にパーラーカーを電動車にする勇気はなかっただろうし。 >>226
その頃は変電所も十分になかったから8Mは無理だったはず。
宇野線に至ってはユニットカットまでして無理矢理乗り入れてた時期もあったぐらい。
あと、広島に初乗り入れした頃には12編成中11編成が6M5Tの11両で既に存在していた
(最後の12編成目を広島乗り入れ時に増備)から、今更どうにもならなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています