総製造数165両高原のポニーC56スレッド
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中華特急のスローライフ というブログの
2011年11月4日 1975年のタイ蒸機撮影旅行 の書き込み及び写真を見てくれ
タイで走ってたC56の写真が掲載されている。あっちの車番は725だ。
これつまり靖国のやつだ!
ブログ主はたぶん知らないと思われ・・・・ 本牧のはボイラがダメだよ、古タイヤなんて燃やしちゃったから、
あんなことしなければ良かったんだろうけど、
その当時の中央鉄道学園の学生さんたちも、後の事までは考えなかったんでしょ。 お金の問題じゃないの?サッパに持って行けばボイラはどうにかしてくれそうだけど。 混合列車風味なんてどうよ?
旧客っぽい新製客車3両にコキ5500が理想だが、無いので50000+C10ぽい新製コンテナ。
バリアフリー対応はオハニ36風の新車。 貨物なら貨物博物館から借りてくれば数両は稼げるな。
あと栃木にも凄いのがあるよ、葬祭場に置いとくのはあまりにももったいない。
ていうか旧客保存かき集めれば7両はあるよ、元美濃太田で現在浜松にいるのとか、
C58239と一緒に持ってきたオハ35のトップナンバーとか、小金井公園のとか生田緑地のとか
あげたらまだまだあるよ。 浜松のは解体だろ
実際に走らせるとなるとどうなのか 小海・大糸・飯山線持ち回りなんていいと思うんだけどなぁ〜 C56 139 は中央鉄道学園に行く前のS.29〜39年には横浜機関区にいたとか。
横浜に縁がある機関車なんだね。 >>134
C56160もその頃横浜機関区にいた。 C56 160はいろんなところ走ってるらしいね。
末番なのに......
1号機は出征して帰還困難になったからか?? 末番はD52やC59もだっけ?
C56といえば本当の末番の164も消息不明… >>131
越後中里に旧客大量にあるぞ!
ただベンチレーターが無いけどなw キハ141だけでなくキサハ144だけでも4〜6両確保しとけば良かったんだよな。
冷房ないから赤く塗ればほぼ50系同然に出来たし。
控車しか使い道ないゆうマニも50系だから伴走車2台体制にも出来たし。 >>138
越後中里のはもうダメだろ?
何十年も走らせてないから、下回りや台車が走行に耐えられるかどうか疑問。 靖国神社のC5631が三田高校→大洋の屋鋪要さんの一番お気に入りの蒸気機関車だそうだよ。 東京都知事選挙の争点に女性専用車両の廃止
東京の問題は、女のわがままによって生まれた女性専用車両が存在し
車内で男性が被害を受け、不便さを押し付けられ、混雑した状況に不当に押し込まれていることです。
<女性専用車両にはこんな女が生息しています>
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
新しい東京都知事のテーマは、
男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両を廃止させることです 少し前の復活蒸気スレッドに東の次の復活対象はC56だってかかれてたけどどこまで信憑性本当なんだろう? 東が神奈川臨海に139番売れって打診したことは、過去にあったようだが。 >>144
C11より非力なC56をわざわざ復活させるかな?
東日本エリアで、C56じゃないとダメな路線って殆どないかと。 大鐵も44号機は客車3両が定数で、かわね路で客車5〜7両連結だと
E10形電気機関車の後補機がなきゃ行けないなんて非力ぶりだった。
修理前と修理後も大して両数牽けないし。
C11-312が死んで修理のための代替のパーツとボイラー取りのC12を
手に入れられるまで使えない時期まであったし。 >>147
C5644が休車だったのは修理の予算の問題じゃないの?
C11190の復活も寄付を募ったぐらいだし。
ボイラーを提供したC12208は、1990年代には養老ランドから
新金谷に来てたから、手に入らなかった訳ではないかと。 そもそもC56は修理関係なく客車3輌が限界
で、予算がないからなにもできなかったのは正解
ただ、客車3輌じゃあまりカネにならないとはいえ
真岡鉄道みたいにちまちまやる方法もある
できれば信州に相当数まとまって保存してる中で数両は復活して欲しい
小海線の小海以北とか、飯山線の長野寄りとかなら
新幹線駅近くなので集客も比較的楽だろう >>148-149
今はC12-164が似たように動かせられない状態(予算不足よりも走らせられる
のにATSが付いてないから走らせられない)だけどね。
ナショナルトラストも客車の修復に募金突っ込んでばっかしで、肝心の機関車の
ATS取り付けには予算も入れてすらしてないし。
京阪3000が引退したんだから、機器を抜き取って付けりゃいいのにそれすら
金が回らないのか?と思える。あっでも164はATS発電機も付いてなかったよな。
機関車ないからトラストトレインは別の機関車牽引かかわね路の相乗りだっけか。
>>150
やまぐちのC57-1+C56-160はたまにやる(C57修理中・山口線があんな状況じゃ
今年は無理そう)けど、C56同士を重連はあまり聞かなかったなあ。
あり得るとすれば野菜積み出し最盛期時に貨車を大量に連結しただろう
小海線だろうけど、重連よりもバック運転を考慮して前後に機関車を付けた
可能性もあるしなあ。 >>151
やまぐち号自体客車の老朽化で存続微妙じゃないですかorz
西はやまぐち号辞めたい旨を地元に伝えてきたよ。
て言うか客車の老朽化よりも、
あちこちでゾンビのように大型蒸気機関車機関車が復活するので、集客が望めないから辞めたいのでは? >>152
山口線用に気動車式の車両をあわてこいて作ってるのもそのためにも思えてきそうだよね。
やまぐちやめるんなら1号機を新潟に持って行って180号機と重連で夢のタッグ実現だよ。
1号機はもともとは新潟だったんだし。 C56 111も相当いい状態らしいじゃん
東日本サンぜひ一両現役復帰させてやってくれぃ 機関車を増やしても客車がな…。
24系の車体更新名義で50系並みの新製車体に載せ換えて、電源を12系仕様にするか? キハ40系を改造してキハ141形みたいなPDCにしてもいいんじゃない。 神奈川のc56が起こされるか持って話あれどこまでほんとなんだろ? 8月15日(金)からC56によるSL〈やまぐち〉号運転再開!
はたしてC56で仁保〜篠目のサミットは越えられるだろうか・・・・・? >>158
定数の関係からしてDLが必ずアシストするでしょ
25/1000程度なら別にDL単独でも問題ないし C56160はD51200に代わって引退ですよorz
残念ですね。 少なくとも小淵沢からの復活は難しいと思われ。
当時、3両の客車では時速20キロくらいしか出なかった。
降りて小便して走って乗り込んだという達人伝説がある。
やるとすれば、山田線のDC協調運転か。
あと有名な八ヶ岳をバックに橋梁を走るポイントは木が生い茂りまったく見えない。
今年の夏休みに確認に行ったが全く見えない。
四半世紀たつと自然の景観すら大きく変わってしまう。 折角、車籍を一度も抜いていないっていうカマなんだから完全引退なんてことはしないでほしいんだけど。
塚本さんはどう思ってんだろ? C56160は現役末期は入換機で地味な存在だった
カマ自体の調子も決して良好とはいえず、一度は廃車寸前までいった
ただ最終機番だというだけで保存されたのは運がよすぎる
C56ならむしろお召機91とか調子が良かった130とか
小海線のシンボル144〜159のうちの1輌とかでよかった >C56ならむしろお召機91とか
宮崎植樹祭のときの重連写真見ると、マジ美しいな。
C57117もいいが、C5691+92はもっといい。
九州のC56保存といえば、霧島高原YHのものが有名だったけど、
YH廃業後、ずっと放置されていたんだってな。
YHの人間が、自分たちがいかにSL保存を大切に考えているか、
熱く語っていただけに、なんだよと思ってしまった。 あれだけのエネルギーを使っても大した速度が出ないのは厳しいですね D51200は使い勝手が悪い。
最大の理由はC56みたいにバック運転が出来ないから。
C56はいいぞ、路線選ばないし、転車台の無い所でもどこでも行けるんだから。 上山田線のD51は普通に逆向運転してたから出来ないわけじゃない
C56自体、現役当時の逆向はあまりない
D51は丙線や簡易線に入れないのは確かに勝手が悪いが
保存機は客が呼び込める主要幹線に走らせるので別に問題ない
むしろ定数が増えるから乗客が増える C56って確か牽引定数客車は3両でしたっけ?
C56はバック運転の為にわざわざ炭水車の切り取りが有るんじゃないんですか?
そういう装備は50km/h出せる機関車ではC56のみだった筈ですが。 >>172
バック運転というか入換作業時に視界確保がメリット、鹿児島区の8620もそれでカット
だいたいどん詰まりで逆行でもどってくる路線はタンク機が好まれ、
当初C56を使ってみたところも早々にC11かC12に変換
バック運転が頻繁に行われていた主要路線のテンダー機がカットされてた事例はほとんどない(例外的にD50など変形改造はあり) テンダー機の逆向き運転ができないってのはつい最近、JRの都合でしょ。
制限45になっちゃってスジが引けないから。
現役当時はそんなのお構いなし、C59やC62の逆向き定期営業なんてのは結構有名でしょ。
牽引定数ってのは勾配と速度で決まるんで、客車何両ってざっくりした決まり方しないよ。 E10型みたいに初めからバックで使う前提に運転台を作ったやつまであったけど、
ろくな使い方出来ずにオワタだったね。 B20もそうだったな、最後は鹿児島配置だったかな? C56で1001号があったと言う。
北海道の雄別炭鉱鉄道の車。 C56の後進には、少なくとも登場間も無くの時点では厳しい制限が課せられています。
設計時では後進時の速度制限無しを目指しており、現場にはその様に説明。配属時点では後進牽引運転を行いました。
ところが分岐器で立て続けに脱線。責任問題となり運転側が設計を呼び出して現車試験を行う事に。
続く。 試験では分岐器の分岐側を通過する際に第三動輪が浮き上がり危険な状態に陥る事が確かめられてしまった。
このため牽引時の最高速度は時速25キロ。ただし被牽引時は制限無しという制限が課せられた。つまり入換にしか使えなくなった。
ただし、三江北線の様に説明がつかない件があるのも事実。先の試験は中部鉄道管理局で行われたものであり、局により扱いが違うのかも知れない。 ちなみに原因も判明している。
機炭間のドローバーの復元力不足と、三軸テンダーの設計ミス。
三軸テンダーは軸距離を不均等にしておけば良かった。等間隔では押された時に進路が定まらない事は想像できると思う。
C56に似た様なコンセプトの機関車はドイツとイギリスにあるが、その辺はそつなくこなして速度制限は無い様である。設計の経験が無い若者に上司もやった事が無いコンセプトを任せて試してこの体たらくである。責任問題になったかどうかは知らない。 これで終わります。
なぜ今のJRは制限が無いのか?という疑問については、線路が別物の様に良くなっている事である程度は説明は可能かと思います。
戦前日本でC56の職場となる線路ときたら、ヘロヘロでしょう。
現役末期の小海線で、コキの前後に向きが逆のC56が連結された不思議な列車がありましたが、これの説明もつきます。牽引されているのなら後進でも構わない訳です。 >>182
小海線でコキ2両程だが、バックで牽引しているのを見た事があるよ。 >>181
まるで鉄道模型の話のようだなw
鉄道模型でもSLは良く脱線するよw
R280のカーヴじゃクリアー出来るSLは少ないねorz 西尾写真のような原型のC56も美しい。
しかし客車が買収車両ばかりだ。
美しい木造車だが、作るしかないか。 C56木次線で復活しないかな?
最近塚本の祖父さんはどうしてるんだろ? 一般に復活運転は厳しい条件では行い難いのではないかな。
スイッチバックの自力走行はハードル高いよ。
横浜の奴も動態になって欲しいな。 動態で保存しないと技術の伝承ができなくなるからね。 C56が有火で止まってるとき、
「うぃーーーーーーーーーん、ぴんひょろろん!」っていう排気音?がずっと続きますけど、
あれは何のどういった挙動なんですか?
ぴんひょろろん!のときに、煙突の横の細い配管から蒸気が出ますよね。 ATS用の発電機だろ、最近の復活蒸気は運転台ステップの下に、大型のディゼル発電機を搭載してるよ。 160号機は動態で残さないという噂が出回ってるな。
44号機はキャブの屋根がタイ時代のままだから好きになれない。 >>191-192
ありがとうございます。
SL大和路号のときから長年の疑問だったので助かりました。
160号機に限らずC56には現役当時(たとえば七尾線とか)から付いていたのでしょうか?
ATS自体が蒸機に付いてたのは知ってますが、あの音のする全く同じものがという意味です あと、発電機にしては
なぜあんな断続的な挙動(白い排気まで出る)をするのでしょうか?
蒸機用?の発電機の形式や解説をしてあるサイトをご存じの方はご教示下さい
門外漢が思い付く語句では探し当てられませんでした >>190
煙突横の排気管は空気圧縮機からのもの
ブレーキ用の圧縮空気が減ってきたら作動する
C56の発電機の排気管は運転室の屋根上に延びている
それに発電機からの排気は断続的にはならない
それと気付いてるとは思うけれど
蒸機にディーゼル発電機なんて付いてないから >>196
ありがとうございました
「ういーん、、、、ぴんひょろろ」
「ういーん、、、、ぴんひょろろ」
「ういーん、、、、ぴんひょろろ」
私が断続的と表現したのは↑の繰り返しのことでした。 草加の110号機を見てきた
状態悪いな。関東周辺にある貴重なC56だけにきちんと整備してほしい 何を言ってるんだw
蒸気機関車はタービン発電機じゃないかよwww
蒸気タービンは戦艦大和にも搭載してたんだぜ。 信越本線不通で急行日本海が越後線迂回運行時にC56重連で客車13輌牽引した写真って残ってないのかな 信濃大町西町公園の94号機の前にいます。
この機関車の保存が一番心地よい。特に今の季節。
近所に悲惨なのが一両あるけれど・・・・。 常時復活運転とかいう積もりはないけれど、
西の160号機があるんだから、
たまに借り入れてイベント復活させれば良いのになぁと思うんだよな。
一時的なイベントならかなりの集客を見込めると思うがなぁ。
GWとか夏休みみたいなときには爽やかでピッタリだと思うのだが。 父ちゃんのポーが聞こえるという映画にc56123が出ているらしい 父ちゃんの〜には確かにC56123出てる、小林桂樹が機関士で不治の病の娘が吉沢京子、後半にトラックと衝突・・実話を元に作った映画 >>205
C56160は北びわこ号で酷使してもうボロボロで代替機としてD51200を整備中なわけだが
JR東管内の保存機を整備するほうが現実的だが状態のいいC56は神奈川臨海鉄道の139ぐらいしかない模様 >>207
あの映画は国鉄が撮影に協力しているようですね >>207
懐かしいな、学校の授業として講堂で観た
みんなボロ泣きしていたな。 C56123は七尾線で活躍してた。小海線のキャベツなどの出荷にもかり出されていた。 >>210
あの映画、いつ頃から学校で上映されなくなったんだろう? 劇場へ見に行った。その頃学校では「橋のない川」をやってた。昭和46年の話 霧島ユースホステル跡に放置されてたのは助かったらしい、他の形式にも保存後に解体されたのもあるし行く末が心配なのが多い C56の代わりが無いのか、ある私学に室内保存されてるのがある、風雨の影響もなく良好だと思われるけど。D51の方がパワーもあるし東日本に対抗したのかも。 世間的にはC56よりD51のが人気あるのだろうな。 >>208
C56139は中央鉄道学園時代生徒が学園祭でボロ古タイヤ燃やしてオイラーが駄目に成ってしまった。
あとで叱ってやったがもう後の祭りだった。 >>207
娘の最期のシーンは映画とわかっていても痛かった。 >>218
ネットで検索しても出てこない貴重ネタ??
内部の人? 古タイヤを燃やして煙に見立てたという記事は昔鉄道ピクトリアルで見たことある。ボイラーがいかれたことまでは知らなかった。さぞ酷い匂いだったろう そりゃ石炭の代わりにタイヤなんか燃やしたら,ボイラーいかれちまうだろ・・・orz 国内残留組の最若番
91号機が種子島で朽ちたのは痛恨だった
一命を取り止めた99号機だが破天荒な姿にて薩摩の山奥に眠っている 何かのイベントで白く塗ったのがあったが何番だっけ? C56は運用側の期待と裏腹に現場の大半からは拒絶されたと考えて良いのだろうね。
戦後遅くまで残った区間が、代わりの効かない真の需要だった。
つまり軍への供出は、鉄道省にとっても作り過ぎて持て余した余剰だ。 特に北海道での拒絶は甚だしい。
新製配置のおよそ半分が道に入ったが、定着したのは僅かだ。
道は農業の規模が大きいので、平均すると輸送量のない路線でも収穫期となると長大な編成となる。この需要の増減を考慮せず、本州の常識に従い平均値で性能要求を割り出した。
さらに、除雪の事を忘れた。C56では雪かき車が押せなかった。
道内配置のC56は冬期になると旧車となるケースが出たようだ。
C56の代わりに本州でD51戦時型に押し出された9600とC11戦時型が配置された模様。
軍に供出直前は、C56がズラリと留置されているようなヤードがあったんじゃないだろうか。 供出車が若番に偏る事もちょっと変だ。
通説では量産途中での設計変更は無いはずだが、後進牽引に厳しい速度制限がついている。
90番の直前あたりで、何か変えてないか?
重量配分とか、ピンの位置だけの様な設計変更だ。
里帰り機と残留組保存機での徹底比較をしたいものだ。 今日はC56が走るので大井川へ行く。
今から出て間に合うかw 今日は下泉駅で下車する、観光バス3台分ものツアー客がいた。
そのため編成が長いの何の。旧型客車七両。
後ろから電機が押しているとはいえ、C56らしからぬ編成美。
以上。 C56の牽引する長大編成といえば、定期では飯山線の222レがあったね。
豊野ー長野間だけだったけど。元々は8620の運用 >>235
豊野ー長野は信越本線
222レは飯山ー豊野ー長野
通勤通学用に朝だけはDCでは需要を賄いきれず客レ運用
わざわざ早朝回送で飯山に送る
撮影可能の日中時間帯には2連程度のDCだらけとなる >>236
あ、豊野ー長野って書いたのは飯山からは5両で豊野で3両増結して8両になっていたということなのです。言葉足らずでした。5両でもC56にとっては長いか。 大井川轍道でC56客車5両なんてしょっちゅう牽いてるよ。 電機で押してないか。
能力はともかく、五両はC56には長いと思う。 >>239
C56は単機牽引は定数換算で客車3両が限界のはず >>240
それは小海線の中込〜小淵沢間では?
C56160は水郡線や小浜線で5両牽いてる。 今回北海道から購入した元はまなすの14系で44号機だと3両でも後補機必須になるだろうな。
冷房と電源用エンジンが付く分重いし。
C10/11も14系かわね路は後補機になりそう。
機関車が必要になってあわてて西武からもらったE31型を復帰させようとやり始めた。
E10型の老朽化やいぶき501型もヤバいみたいな。
大樹も14系4両を後ろにDE10で押すやり方みたいな。 飯山線で我慢
てか、東はC56動態化する気はなさそう
神奈川臨海鉄道の奴を使えば安く復活しそうだけど
大井川から借りるとか C56は費用の割に定員が少ないって事はないだろうか。
大型機に比べて運転経費はどれぐらい低いんだろうか。
転車台が無くてもなんとかなるという面の方が大きいのか。
東京湾で保存運転が始まれば、名古屋市長は血の涙を流すかなw 神奈川臨海の使ったらボイラー全取っ替えが必要だよ。
若桜のC12とかは圧搾空気で動かす際に煙焚くのに発煙筒を使うが、神奈川はイベントで
古タイヤを放り込んで燃してるから煙菅からボイラーはみんなおしゃかだろう。
全取っ替えのボイラーだけで凄い額になる。パーツ取りのC12とかにしても限られてるし。
大井川の44号機はパーツ取りのC12がストックしてあったから復活できた。
C12ー164号機も復活させるみたいだし。 C56はパワー無い分、煙を良く吐くから楽しめる。
160号もボイラーの修理やらないかな? 古タイヤのゴム燃焼カスが焚口内側にこびりついててもボイラー自体はあんまり影響ないと思うが
ボイラー内部にタイヤいれてるわけじゃないし
煙管はどうせ全とっかえだろうけど、ボイラー自体おしゃかってことはないはず >>208
160号はサッパボイラーで修繕して欲しい。 katoさんかtomixさん
c56 44のnゲージ化はよ 珊瑚C56が高過ぎて手が出ない。
何箱作ってるんだろ。 やはりC56が一番格好良いと思う。
その大きさが、全部掌握できそうなところが良い。 大糸線に行きたくなってきた
あのオートキャンプ場の150号機だけは怖いもの見たさだが。
大町市内では保育園ができるとかいうしなぁ。 確かED62牽引の貨物列車がEF64に置き換えられたんだよな
>大糸線 かつて北海道で活躍していた小型のディーゼルカーか。
道内の機構に鑑み、冷房装置は搭載されていない。 作り過ぎた事だけが悔やまれる。
近所に保存機がないんだよな。 士幌線にもC56の時代があった。有名な廃橋もC56が通っていた。
ただ、出力が全く足りずに現場からは嫌悪された様だ。
冬季の除雪に対しても厚い積雪を前にラッセル車が押せないなど無力が露呈。
戦前は製造数のほぼ半分が北海道に配置され、当時の道内のローカル線整備の勢いが偲ばれる。
現場からはダメ出しされたC56の数が多過ぎて、それがそのまま戦時供出になる。
代わりにC11やD51の戦時型が量産され、C11は直接、そして玉突きされた9600が北海道入りする。 木古内 9輌 → C11
長万部 4輌 → C11
苗穂 8輌 → 一部C11
岩見沢 5輌 → 9600・D51
静内 11輌 → C11
深川 5輌 → C11
幌延 2輌 → C12
帯広 4輌 → C56
標茶 4輌 → C12
厚床 2輌 → C12
出力不足でダメだしされたというよりも、仏印供出するのにテンダー付きが好まれたわけで、決して使いづらかったわけではない 道内では新車C 56型は転車台の隅に長期留置されていた。
交代して廃車予定だった7100型と9200型の延命が計られ戦後まで生き延び、結果的に私鉄へ譲渡されるきっかけにもなった。
そういう証言はある。 泰緬鉄道はC 56対策をしていると思う。
構内配線では、ほぼ全ての駅に三角線を設けている。
後進運転をさせない方針が徹底されていたのだろう。
不自由なものをもらってきた、という認識はあったと思うよ。
なんでC 12に水槽車を連結する方法を選ばなかったんだろう? >>266
自走不能の水槽車自体を牽引することでC12のそうでなくても過小な牽引力がさらに低下するわけで意味ないでしょ 様々な欠点を抱えるC56型は駄作と呼ばなきゃいけないと思います。
その一報で母体となったC12型は傑作なのでしょう。
ただ両形式とも必要以上に量産された事が、禍根となりました。
大量の戦時供出は、鉄道省にとっても渡に船であったからこそ実現した面を否定できないと考えます。
簡易線専用機であるにも関わらず、同等機が不足する事態に陥っていない。
引退時にDD16型の登場を待たねばならなかった事と矛盾します。 C56型が国鉄蒸気機関車の中で一番好き、なんですよね。
改良改善の余地を残す設計であった事は苦にならず、そういう存在であるというだけの事。
国鉄蒸気の伝説メッキが剥がれて久しいのですから、尚更気になりません。
ただ、主任設計者とされる人物のその後がよく掴めないのが気になります。
大卒間もない若手が担当したといいます。当時数少ない工学系エリートの筈です。 >>270
この人ですよ ↓
細川 泉一郎(ほそかわ せんいちろう 1908年8月22日 - 2000年5月1日)は、元日本国有鉄道常務、技師。元日本車輌製造副社長。
東京府生まれ。東京府立一中などを経て、1931年に東京帝国大学工学部機械工学科卒業。同年、鉄道省入省。大宮工場長などを経て、主任技師時代に島秀雄の後を受けD51設計に携わる。その後、鉄道省工作局長兼車輌設計事務所長に就任。
戦後も、国鉄常務理事、北海道支社長に。国鉄工作局長時代には、新幹線生みの基礎となるビジネス特急・こだま号を完成させる。退職後は、日本車輌製造車輌本部長兼技師長、常務、専務、副社長を歴任した。 あまりSLにポニーのイメージが無いが、リアルで見てた人には違和感ないのかな C56の新しい写真集を見て、またC56が好きになって、放置していた問題を思い出した。
遅レスになるが、主任設計者の細川氏が官僚人生を全うできたようで何より。
そこで不思議で仕方がない。
当時帝大卒で入省する学生の数は限られておりエリートコースであった筈。鉄道省キャリア組の若き日の勲章としてC56設計者のポストが与えられたと思っているんだけど、違うだろうか?
当時の国鉄設計局の内部事情が皆目判らない。まだ海軍のほうが戦後解体されただけあって横暴の数々が証言者多数という感じ。
蒸気機関車の設計など、名も無き学歴だが経験豊かな人材の支えなくして成り立たないと思うけどね。経験工学でしょう。
官民の関係も良く判らない。日本車両の気動車駆動装置の発明が無かったことにされたとか色々盛れ出てはいるけれども、激しい官民格差は氷山の一角じゃないかな。
軍艦には時に人的犠牲を招くほどの革新があったが、独占状態で微温湯に浸った国鉄にだって停滞は(自己満足的に、それなりに)許されない。
そういう意味で国鉄にとってC11型C12型の両形式は正に革新であり、旧型車に比べ高い性能をもち目を見張る成果だ。周囲の期待以上の困難な仕事だと思う。
C56形の設計はその続きというか水平展開の[お仕事]であり、C56型が以降の形式に及ぼす影響は小さかったのではないかと思う。
下手すると定番化した新要素がないのかもしれない。私鉄の9600形にテンダーが流用されたぐらいか。
だからこそ、主任設計者の肩書は将来あるキャリア組の勲章なのかな、と思ったり。失敗要素が見当たらない。 で、で、下種な私の下種な勘ぐりは、出場後に指摘された欠陥の影響にあるわけです。
設計局の歴史でおそらく一番悪目立ちした例は9600形の左先行動輪なわけだけど、それで脱線する事はなさそうで、だから恥ずかしい言い訳を繰り返せば済む。
量産機の赫々たる戦果に揺らぎは無い。
C56形の場合は開発前に想定していない速度制限になったわけで、活躍場所が限定されるとはいえ事態は重い。
当時の高級官僚の執務室を想像してみると、壁には職歴を示す額の類がありそうでしょ。
天下りしたとしても主任設計者の肩書きはついて廻る。
老いた当人は、C56型の写真や模型を誇りを持って飾っただろうか???D51型は飾ってもC56型は無かったことにされてたりして。
もう一つ下種な勘ぐり。
設計グループをまとめる主任設計者が若すぎることへの反発は無かったか。
テンダーの復元力の弱さや従輪を欠く動輪の危うさについて、高学歴だが未経験の若きエンジニアに諫言する人が足りなかったのではないか。
最後。
C56形はC12型の長所を引き継いで前後進自由自在が開発の基本的な目標のはず。
後進時速度制限が課せられても設計を改めようとしない国鉄の、車両局の、官の論理って凄いよね。それでも出世するキャリアって制度自体が面白い。
自動車メーカーにたとえれば言語道断だろうし、三菱ジェットも欠陥の把握と是正に疲れ果ててしまった訳だよ。
かなり飛躍するけど、池袋で母子をひき殺した元官僚の開き直りから連想してしまうよ。
官、この場合は発注側の枠を超えて上位者が間違いをしたときの始末の付け方として、C56形の生産継続を決めた判断はどこで行われたのか。
その後の大量戦時供出に影響を及ぼしてないのか。
私は存在しないことを妄想してるだけなのか。
美しい機械に瑕疵があることにムラムラしてしまう私は変態なのだろうか。 小海線散策してきた。
乗り鉄時には判らなかったけど、凄い急勾配が突然あちこちに出てくる路線なのですね。
野辺山付近の高所まで、ほぼ、登山鉄道ではないか。
C 56型を見直した。 C56は近くにいなかったがC12は見ることができた。こじんまりしていてデフ無しの方が似合う。軸重が軽くプラレールでもOKなんて言うのもいた 小海線のC56という本。印刷が酷い。印刷屋が悪いんじゃなくて35ミリフィルムを拡大してる所が、ヤバい。
二十年前のプレスアイゼンバーンが怒りそうな本。 「ポニー」とはすばらしいネーミングだと思う。
「スモモモモモモモモ」だったら舌を噛む。 >>285
C56-44の再復活させる為の部品取り車との噂… 高原のポニーは良いネーミングと思うよ
考えた人偉い 多分何度も書いてるけど、160号機が動けるうちに
小海線で復活運転してほしかった
絶対盛り上がったと思うけどなぁ 小海線で復活、1回やってるのだよ。廃止になってから割とすぐに。
んで、押しかけた悪質マニアがレタス畑を踏み荒らした、などの被害が出て「いっぱつで」おしまい。
今だったら・・・どうかなぁ? 盛り上がる事が恐ろしくて、責任取りきれないからやらないよな。
鉄ヲタさえいなければ実現の可能性があった特別列車の数々というパラドックス。 中央西線電化後に木曽福島に最後に残ったのがC12199(デフつき)・230で、上松の入替のため短期回送していた。
地元の知人に招かれて撮りに行ったのが最後だった。 大糸線乗車中。
沿線の田んぼは田植えが終わったばかり。水面から高さがよく判る。
隣の田との高低差が30センチはありそう。
と、いうことは、串刺しして走る様な線路の高低差も似た様なものということ。
これをC56で走るのは、かなり辛かったことだろう。
残る写真の編成は短いが、楽ではなかった筈だ。 石原裕次郎の主演映画、逃亡列車ではC56
大活躍! 天賞堂ブラスを二両持ってる。
でも特定番号になった最終製品はめちゃくちゃ高価で見送った。今だに天賞堂に在庫があるらしい。
以前の製品がお手頃感が出てよろしい。
カトー製HOとは、悪いが別物。カトーHOは雑に扱えるので良い。 10年ほど前、神奈川臨海の本牧駅で
DL駆動で構内いったりきたりのC56を見た。
あんな所にポニーが保存されてるとは、と驚きながら、見れて楽しかった。 >>306
今でもたまに収蔵庫が開いて、中のC56が見えることがあるようですね ポニークラスは、C11とかだろ
C5〇型の大型制式なら、イノシシやツキノワグマくらいはあるわ 昨年は横浜のC56139の撮影会が11月にあったようだが、今年はないのかな?
たまに蔵のシャッターが開いている日はある? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています