蒸気機関車D51を語る
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C62と並ぶ国鉄有名の蒸気機関車D51を語ろうぜ。 >>56
これって戦時型にストーカーを取り付ける際にテンダーを振り替えたんだっけ?
話変わるけど戦時型でドームがキチンと標準型に改装された機関車は少ないな。
大概角張ったモノのままが多かったな。 >>60
ドームは戦時型だろうが、使用するには問題無いから。
標準型に角を付けたのもあった。 >>57
標準形+船底テンダは
D51328(D511068と振替)
D51385(D511024と振替)
この2両だけ。 >>61
D52が標準化改装した際はドームも丸いものに変えたな。
D62への改造でもそうだったけどその辺は担当工場の拘りでもあったのか?
>>62
2両とも1024・1068にストーカーを付ける関係でテンダー振り替えしたんだな。
D51のストーカー設置車が常磐線を離れた際転属先の機関区でもストーカーを使用してたんだろうか? 先日、BS朝日の番組で台湾で動態保存されているD51が出てた。 多分可能なんじゃないかな?
DT650(D51)がイベント列車とかいう話題をたまに聞くから。
維持コストの関係なのか、大半はC12が務めてる様だけどね。
余談だが良い番組だった。鉄道関連の遺構なんかも織り交ぜて、
DT650の時に出た日本のD51の懐かし映像に即永久保存したw
標準+スノプラって萌え過ぎ。 >>63
使っていないとは思いますが、1068は糸崎に行ったので
C62で経験してる広島工場は使えるように整備してたかも。 なめくじを動態復活させてたら、4級線(丙線)まで入線できたんだろうか‥‥。 豊肥線や久大線にDF200が入れるんだから、なめくじも‥‥はこじつけ過ぎか。 >>64 >>65
台湾のD51は現時点では静態保存のはずだぞ。
一応、動態保存に向けた準備前だが、動態の際、部品手配、製作中なはず。
ここ2年か3年以内に動態させる予定だったはず。
>>71
現在は当時より線路等級が上げられているから鉄橋など改修されている。
電化路線ならC62など大型機が走行出来るが、運行コストが問題で実現しない。 >>73
DT668は、既に動態化が完了して、夏場を中心に運転してますよ。
今、動態化工事中なのはCT273(C57)。 戦後占領下(サンフランシスコ講和条約締結前でしかも、当該のソ連は批准せず・・・つまり厳密には戦争は終わっていない)
の日本にソ連が樺太鉄道向けのD51を発注してきた(戦時賠償ではない!) は、どういうルートで日本の車両メーカーとコンタクトをとり商談をまとめたのかね?
・・・シベリアに日本人が強制労働で多数抑留されている状況下で日本を独立国として認めていない状況で対等な貿易なんてできたのだろうか? デアゴスティーニの奴、作ってる人はいるんだろうか?
20万円近く払うのはまだ良いとして、
2年掛けて自分で作らせといて未塗装ってのが解せない。
30万円で塗装までやってくれるんだったら、
買って・・・やっても良い(´・ω・`) >>75
対等な貿易というのは本来ありえないわけだが(必ずどっちかが得をする)、
戦後SF講和条約までの日本はGHQがすべてを仕切っていたわけで、
当時ソ連(といっても実質樺太)で産出した石炭、コークス・製紙製材その他
資源(旧日本企業が遺棄した現地工場で内地向け製品にする予定だった仕掛け品を含む)
や製品をソ連産品として日本に輸出し、その見返りとして現地で使用する機関車を
ソ連が輸入するという仕組みを日本の役人がGHQに起案し実行許可が出ただけ。
ソ連側と日本のメーカーが直接交渉したわけではなく、すべてはGHQが間に入り
契約も日本メーカーはGHQとの契約、ソ連側もGHQとの契約で、GHQの管理貿易班が
中抜きをした。いい小遣い稼ぎだったわけだ。 >>76
元々は駅近くの小学校校庭に保存されていたが、
小学校の改修時に解体危機に晒されたが、偶然にも山奥に移転した。 >>79
なるほど。
しかし、国鉄と縁の無かった厚木にSLが保存されているのが面白い。 蒸気末期時代、全国各地に蒸気機関車が保存名目で置かれていった。
その中には国鉄や鉄道とまったく関係無い土地にも置かれた。沖縄とか。 それは、当時の担当者の想いだと信じたい。「今は出来ないけど、壊さないで残してさえおけば、10年先、20年先ののちの世で
は、あるいは・・・」と。 それは、当時の担当者の想いだと信じたい。「今は出来ないけど、壊さないで残してさえおけば、10年先、20年先ののちの世で
は、あるいは・・・」と。 「今は出来ないけど、壊さないで残してさえおけば、100年先、200年先ののちの世で 銀鉄局に牽引機として採用されるかもしれない」と。 (主に螺の運搬用) C53がD50とほぼ共通のボイラーだったように、C59はD51のボイラーを使えなかったのかね?
素人考えながら、戦時体制下ではなるべく共通設計化すべきだったんだが…。 C61と同じものにすれば設計はできるんだろうけども、一軸従台車では支えきらないんじゃないかと。
煙室が長くなって後が重くなりそうだからね。
煙突も蒸気ダメも微妙にD51とC59とでは違うし。当時はあまり共通化しようという発想自体なかったのではないかと。 >>85
498は埼玉の小学校に保存されていたんでしたっけ? 後閑かなんかあの辺では。代わりのEF15どうなった?
吹上の学校はC58 363でしょう。代わりにDE10だっけ? 498復活の為、後閑から搬出
↓
月夜野町「代わりは?」
↓
EF15を搬入
↓
月夜野町「やっぱり蒸気機関車がいい」
↓
EF15搬出、上毛高原駅前にD51745搬入
大体こんな流れ。 D51が入った線で廃線になったのは胆振線と白糠線だけかね? 幌内線
万字線
歌志内線
上砂川線
美祢線大嶺支線
あたりが浮かんだ 今日BSジャパンで男はつらいよを
みたらD51が出ていた。国鉄はすごく
協力したんだと思った。
機関区も出ていた。小樽築港か? 横浜みなとみらいにある車輪のオブジェはD51のでしたっけ? >>95-96
羽幌や胆振は下手したらD51の軸重減らしたやつだが改造数一桁の超希少機である
D61も使ってなかったっけ?。 >>97
当時は普通の情景でも今では珍しい。
貨物列車の緩急車も写っていて列車掛の人、寅さんの後ろに駅員とか忠実に
写っていた。 >>100
D61と言ったら、羽幌か留萌しかないよね。
胆振は聞いたことないなぁ。 >>99
みなとみらいの車輪はD51と何も関係無い。
車輪自体は明治後期か大正始め頃の物で、関東大震災で被災した車輌の。 胆振のD51って買収前の私鉄時代でしょ
胆振線といえば末期の重装備二つ目9600しか知らないけど
あんなところをD51が走っていたのかねえ
たしか晩年まで残っていたD51954がその中の1両だった 横浜は国鉄関係の保存車は本牧のD51しかないんだね。
非公開なら神奈川臨海鉄道のC56もあるけど。 >>104
そのひとつ上の953(D5104)は実質的は国鉄営業旅客の定期最終列車を
牽引したね。
あと大井川へ輸送されるC11227を道内で連結して運んだのも953号。 >>106
国鉄営業旅客の定期最終列車
↑
コレどういうこと?
普通は(蒸気に限れば)C57135だよね? >>108
お別れ運転の225列車は本来D51の運用で
その最後が前日の13日だった
その日はまたC57135がすでにDL化されていた228列車の
前付け有火回送で室蘭に向かいました C58はよく復活するけど、C62が復活しないのはなぜなんですか?
蒸気機関車のメンテナンスができるのは、埼玉県の大宮だけなんでしょうか? >>106
横浜は市電保存館もあるし、市電の保存車は結構あるけど、国鉄車は本牧のD51だけだね。
隣の川崎にも同じくD51があるが、何故か元常磐線の旧客もあったりする。 >>111
全国に保存された蒸気機関車の大半が、その土地と何の関係も無いのが回されて来た。
よほど保存希望の市が特定番号機を指定しない限り、ランダムに選ばれた。 >>110
修復作業や維持管理作業のコストを旅客営業運転などの収入で賄えないので
メリットがない
メンテナンス自体はそれほどネックではない
カネさえ使えばなんとでもなる
北海道の3号機も企業からの協賛金がなくなったので動態を断念した >>112
生田のD51は新鶴見在籍だったから、地元と縁があるともいえる。
旧客もすぐ近くを走る小田急の乗り入れ先になる(今のところメトロ車だけだが)路線だから、縁があるともいえる。 >>109
初めて知りました。
このスレ住人の間では常識なのかしら。 >>115
あの頃のSLファンなら知ってるでしょうね
鉄道ジャーナル1976年4月号増刊通巻110号「蒸気機関車の最後」
は皆さん買ったことでしょう
最後の日までの写真ルポです そうだったんですか。
当時の雑誌はヤフオクなんかで集めてましたが、
そのジャーナルは持ってなかったかな。
当方の生まれが、その76年4月という正にすれ違いなので、
羨ましいです。 蒸気機関車ファンの皆さんにはきっと気に入っていただけるかと・・・
http://www.youtube.com/watch?v=VrU146khRgQ&list=UUG6vI0NuLdOda8S714pCEFQ >>119
過去の名作には印象に残るタイトルのものがたくさんありますね。
「雪の中山宿」とか もしもC61が復活していなかったら、元長瀞の黒蛞蝓が復活してたんだろうか‥‥? むかしLPレコードでもけっこう良いものがあったけど、CDで再販しないのかなぁ・・・
「奥中山」とか「C53復活」とか >>122
KINGだったかの鉄道シリーズありましたね。EP版で
うちに「C53復活」と「浅間山麓のD51」があります。 空焚き
鍋、風呂、蒸気釜などに、水を入れないで火をつけること。
過熱して火災の原因となるので当然厳禁。 保存されている237号機って旋回窓付いてないけど、現役時代はどうだったんだろう ググって現役時代の画像見たら
少なくとも機関士側はあきらかに確認できる(付いてる)ね。
助士側は付いてないようにも見える(不鮮明)
現役時代知らない世代なのでそんなことあるのか知らないけど >>130
先に機関士側つけて、助士側はあとからもしくは結局つけずじまい
というのは結構あるパターン
逆はない >>129
助士側の窓はHゴム窓。
中途半端に原型復元したので。
旋回窓撤去、前灯予備灯撤去。ATS撤去(発電機はそのまま)
油ポンプ等のカバー撤去とか。 >>134
やはり片方だけなんだね
でも確かに現役時代の写真見てると全然違うもんな >>134
スレ違いだが、梅小路のC551も助士側がスケベゴムだな。 内部の塗装って基本屋根裏が緑とかではなく黒基調なのかな >>139
腰板が黒で、窓、天井まで淡緑ですね。
例外はたくさんあると思うけど、現役時は煤で真っ黒になっていたから
保存時に黒で塗ったのは多いと思います。 >>140
詳しくありがとうございます
そうなのですか
保存時に変わることがやはり多いのですね 北海道のD51で両側旋回窓だったカマってどのくらいいたんだろう? D51の364号機は三河島の事故機で廃車後も田端にしばらく留置されていたはず。
キャブは364号機の物ではないことは確実。
ナンバープレートの下に昭和18年以降製造の機関車に取り付けられた
エッチング製の小型製造銘板が見える。 >>140
例外で言うと中津川のカマかな、淡緑じゃなくて青色。 内部じゃないけど
「グリーンナンバーのD51」って熊本区が有名だったね。 苗穂の技術館のD51って冬はカバー掛けられている?
外すなら5月ごろかな? 苗穂にD51なんかいたんだ。
C623がいたのは覚えてるけど、D51は記憶に無いな。 >>148
苗穂工場シリアルナンバー1番のD51237 >>151
ユニックつきトラック2台を盗まれたのが痛かったか。
茨城かろ栃木、千葉県にかけて自動車ドロが多いよな。
クルマ部品だけアジアのどっかに転売されちゃうのかな。
あんな大物を密輸出して陸ageのときにどうしてバレないんだろ?袖の下? D51146なんて静岡と縁もゆかりもないカマだし、静岡地区は早く電化したから
SL機関士のOBもほとんどあの世にいってしまってる。各地の保存状態のいいカマは
だいたい国鉄OBがなんらかの形で自治体の手抜き管理をサポートしてきたわけで、
縁のないカマだとそういう協力もあまり得られない
近場の大井川鉄道あたりが拾ってくれるのが一番いいんだろうが、あそこも赤字で
大変みたいだし結局解体されてしまいそうだ。D51は保存機多いからしょうがないか 大井川じゃD51はでかすぎるよなぁ、静態にしてもだ、 静態でも9600は居たんだから使ってない線路に
空きがあれば鎮座させといてもいいんでね?
問題は輸送費だぬ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています