スレチで申し訳ありませんが、D61といえば昭和48年の夏頃、稚内機関区の隅に代用ボイラーとして据え付けられていたのを見たなあ。
あとで写真を見ると6号機だった。もう当時は稼働しているD61は4号のみであとは廃車に
なっていたので持ってこられたのだろうが、はてどのルートで運ばれてきたのだろうか?と考えてしまった。留萌常駐だったので羽幌線を9600に牽かれて? 軸重はともかく面白いがそれはないか、廃車のため本来の所属の深川へ戻り、旭川経由で宗谷本線なんだろうな。

それにしても稚内はボイラーがずっと不調だったのかその後もD51の廃車を持ってきて代用していたようだし、わざわざ運んでくるのもたいへんだったろうなあ。廃車9600でもよかったろうが
ボイラーが大正生まれでは・・・。