蒸気機関車D51を語る
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C62と並ぶ国鉄有名の蒸気機関車D51を語ろうぜ。 >>368 >>369
無理。煙突の後ろのドーム内には給水加熱器があるから。無理にでも付けるならドーム撤去&給水加熱器移動の大工事になる。そんな事しなくても標準型はいっぱいあったから、山越え区間になめくじはいなかった。 >>370
山越えだって集煙装置を蒸気末期まで導入しなかったとこもあるし
最後まで導入なしの区間もある >>370
> 山越え区間になめくじはいなかった。
ウソこくな、奈良や福知山などの集煙装置+重油併然機配置区にもナメクジおったやないか。 難攻不落の矢岳超えも相当重装備だったはずだしなめくじ入る隙がなかったからね。
矢岳トンネルと言う2000m以上ある長いトンネルがあったから集煙は付けていただろうけど。
釜石線の難攻不落の仙人超えは長いトンネル3連発あるのに重装備でなくても行けたんだよな。
D50も激闘していたし。
一番長い土倉トンネルが矢岳より長い2720mあるがトンネル内が完全ストレートで煙が抜けたんだよな。
だから出口で幕下ろすなんて事はやらなかった。
第一大橋トンネルはタコカーブなので排煙機があったが。 中津川にも4号機が居たな、塩尻までの運用にも入っていた。
名古屋の鉄道100周年の記念誌(名鉄局発行)に4号機の空転で四苦八苦した手記がある。
中津川のD51に集煙装置が付きだした頃、北海道に転属して蒸気機関車末期まで走っていた。 なめくじはもともと前が軽く空転しやすいから山越え区間には不向きです >>374
集煙使う区間にはなめくじ使ってないだろ >>378
不思議やね、ワシが1965年に吹田一区や梅小路区で撮った福知山区のナメクジはどこを
通ってきたんやろ。 初歩的な、且つ今更な質問でスマヌ
そもそも 『デゴイチ』なの?『デコイチ』なの?どっち?
ちなみに、昔中津川でキシに聞いたときは「デコイチ」
別の日に(別のキクの)キシOBに聞いたときは「デゴイチ」と言っていた
二例とも聞き直して確認した >>380
統一的なものはない
デゴイチのほうが関東・中部の現場では一般的だった
しかしデコイチと呼んでいた現場もいたし仲間同士で通じあっていた >>380
現場ではデコイチと呼ぶ人が多いと聞いている
発音はコイチが同音
デコイチはメディアに取り上げられた時につけられたと聞いている
発音はゴにアクセントがつく
デコイチは現場、デゴイチはファンが使う愛称だと思っていた
ちなみに、俺の私感だから他のレスも見て判断した方がいいと思う
色んなレスがついて混乱するだろうけどw プレスアイゼンバーンには
よく見ると dekoichi と書いてあった みんなありがとう
やっぱり答えは無いんだね・・・
そういえば昔、デコイチが正解だがデゴイチも正解。
デコイチが間違いならデゴイチも間違い。
と言っていたレチがいたよw 邪馬台国論争みたいなものか、こしあん派つぶあん派、目玉焼きにかけるのは醤油かソースかケチャップかそれとも塩か何もかけないか、これが絶対だとは言えない。えっお呼びでない 凸丸凸一は語呂がいいからね
C51はシゴイチだから本来はデゴイチなんだろうけど 千両以上製造されて広く使われていたから名称も定着したんだな、嫌われた現場もあったが旅客でも活躍したし、お召し列車も担当したのもある 気まぐれで本棚の掃除してたら、
長らく行方不明になっていた
鉄ピクD51特集号が久しぶりに見つかって見入ってしまった。 当時は鉄道ファンやジャーナルはSLマニアが、ピクトリアルは鉄道全般のマニアが読んでいた。ガキの頃は大人の雑誌のイメージがあった ピクトリアルは専門的な切り口を重視して鉄道全般の学術的内容が多目、写真が白黒だらけで紙質が悪い
フアンはもっとくだけたというか時流に迎合するトピックス重視でカラー写真が比較的多く標準的な鉄道オタ向けで紙質がまとも
ジャーナルは中身が空虚凡庸で写真自体が低俗で低年齢やライト層向けで紙質やカラー写真は上記二誌の中間 以前D51とあだ名のついた力士がいました、さて誰でしょう? 答え-黒姫山 関西本線の天王寺(湊町か)〜奈良間は無煙化が早かったが奈良以東は不思議なことに長く残っていた。休日には柳生号なんて牽いていた、乗る方ではなく写す方だが >>396
レイルマガジンってD51現役時代にはまだできてないんじゃ
トレインもなかったような、あとは鉄道模型趣味ぐらいが王道か 鉄道三大誌以外にはキネマ旬報社からSL関連の雑誌が出ていた、季刊だったと思う >>397
ええかげんな書き込みはボコられるよw
竜華〜奈良は最後まで残っていた。 >>400
竜華以西でも境川から福崎の浪速貨物駅へ行くC58、D51もかなり遅くまで
残っていて冬の天王寺駅で見た白煙を思い出したよ。 >>396
RMは1984創刊
蒸機時代どころか国鉄最末期 昭和45〜48年に天王寺-奈良間を列車で通っても臨時以外SLは走ってなかった。竜華のは城東貨物線で吹田へ、王寺のは和歌山線用 >>403
昭和46年の夏頃までは天王寺や百済まで回客や荷物列車を竜華区のC58が牽いて往き来してた
浪速駅方面の貨物は昭和45年春までに終了 >>403
それが1973年7、8月の夜間に王寺で254レのバルブ撮影してるし、デンスケで
録音もしたんだよ。 >>405
当時のメモから自己レス
> 254レのバルブ撮影してるし、
「1973年7月24日の274レD51254」に訂正。この後に254号機が長門区へ
移り集煙装置を外して短い煙突を晒しているのを12月に記録してる。 蒸気機関車vol.24の記事では1973年4月のダイヤ改正時点で関西本線は亀山−竜華操車場間にD51貨物が残っている、これは国鉄運転局事務課の人間のコメントだから信憑性が高い 王寺駅にはC58があったし(多分竜華のカマ)構内の入れ替えや回送を担当してたと思う。木津には8620が常駐していた なんかいい歳のはずなわりに日本語がおかしいのがいるな >>403
全く違うね。
昭和45年なら竜華にD51もC58も8620もいたし
関西本線を走っていた。
関西線が無煙化されたのは昭和48年9月末。
その最後まで竜華⇔亀山のD51貨物は残っていた。
竜華は大阪府だから、関西最後のSLは大阪も走っていた事になる。 懐かし鉄道スレにいる知ったかのガキが吊ってるんだと思う
文章に特徴がある 410だがぎりぎり間に合った世代。
竜華は間に合わなかったが
奈良と亀山は撮影に行った。当時小学生w
撮影したネガの8割がD51。
あとの2割は奈良のC12、C11(二休)亀山のC58、C57だった。 社会科見学が奈良で自由時間に奈良機関区にいこうとしたら立ち入り禁止だった
仕方なくホームで到着したり出発するC58やD51を撮った 昨日、湯布院に行って公園にD51-1032を置いている事に初めて気付いた。
とても無残な姿で痛々しかった。 現役蒸機なんて糞だ!
復活蒸機は更に塵だ!
保存蒸機で行こう 200の軸焼けとか技術伝承してないのかね
昔はどこの機関区も主のようなのが仕業点検を弟子に伝えていて、よほどのことがない限り工場にまわさず自区の点検で未然に防いでいたものだが さすがに団塊世代はかきこみしてないだろ
一般的にWindows95が日本に登場時点でもう40代後半
機械や電器いじり好きでもほとんどはもう第2種休車か早ければ廃車解体 日本を大量の老害で滅ぼす諸悪の根源、粗大ゴミ団塊ジジイババア共タヒね >>415
見なければよかったという気持ちにさせられるね ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ D51200がいよいよ復活、人知れず朽ちていく保存機もある中幸運を射止めた。この勢いで他の形式も・・とはいかないのか。豊岡のC5711も是非! >>426
D51 200
集煙装置を付けた関係で煙突が短かったんじゃないか、
今どうなってるんだろ? >>427
雑誌とかの写真を見る限りでは、
ラッパみたいなタイプではない、
クルクルパー(で合ってるのかな・・・)が
乗っかっている様に見える。
70年代くらいに羽越線とかでよく見られた感じのタイプ。
>>425
IDに草生え過ぎwwwww ク○ク○パ○は回転火の粉止めの通称で外見を損ねるので評判が悪くてそんな呼ばれ方をする様になったらしい。今は不適切な表現なのかな。場所によっては山火事防止に必要なアイテムだが >>426
C5711って、元かもめ専用牽引機で、門デフに波頭とかもめの羽の装飾が付いていたやつだね。
後年は集煙装置と重油タンクを載せ、DD54と重連組んだりした名機。
C57も良いけど、まずはD51の戦時改造型を1両復活させるのが先では?
戦時改造型は全国的に静態保存車も少ないので、せめて1両でも動態保存車にして欲しい。
丁度、長野の1001号機が解体になってるので、これをJRで引取り、動態保存車にして欲しい。
1001号機が駄目なら、仙台の1108号機を復活させて欲しい。 保存機関車復活は嬉しいが、標準型ばかりじゃなぁー(´・ω・`)
ナメクジやら、デフ切り詰め重油タンク、門デフ、クルクルパー、集煙装置などなど、バラエティーに富んだラインナップを希望します(・ω・) >>419
悪いが団塊は現役だよw
昭和40年代は高校生、自由に動けたからいろんなSLを生で見られたし、今のようにうるさくなかったから、
キャブにも乗せてもらった。
鶴見貨物線のD51558、高島のC56129、新興支線のDD13、東海道線修学旅行団体のEF5861。
後部運転席ならクハ151もゼロ系も。
一番の思い出は御殿場線のD5272に下曽我から南御殿場まで乗せてもらったこと。
連続するトンネルに、立ち込める煙の中、電灯のオレンジ色が特に印象に残ってる。
D52にストーカがついてるのを初めて知った。
梅小路でC54も見たし、C571の牽く夜行急行白山にも乗った。
冥途のの土産には多すぎるくらい。 財力のある旅客会社はいいな
嫌いではないがハチロクばかりじゃ飽きるわ >>432
梅小路のC54とか高島のC56を知っているのは
団塊よりも上の世代だろ。
あなたは80歳近いのでは? >>434
昭和23年ネズミ年
高校卒業は昭和42年だよ C62と同い年ですか、まさか生まれは山口県の笠戸なんてことは? C54は昭和38年浜田区で全廃ですが
梅小路までの運用はそれ以前に終わってるはず。
何歳の頃に見たんですか? >>437
小学5年生、昭和34年だったと思います。
父に連れられて京都に行った時でした。
園部まで行けば、機関車のブレーキホースをつないだ圧縮空気で回る転車台が見られたと聞いて
残念に思った記憶だあります。 先輩御見それしました!
じゃあC51なんかもご存知でしょうね。
羨ましいです。 >>439
恐れ入ります。
小学校の教師に超が付く蒸気機関車マニアがいまして、その感化で小学校4年からの
蒸機ファンです。
理工部というクラブがあって、その顧問で「この部品は何というか」みたいな宿題で
缶水清浄装置を調べさせるなど、常軌を逸してました。
おやじと近くの駅で停車中のELの機関士に聞きに行ったくらいです。
C51は亀山に行けば見られた時期でしたが、残念ながら行かれませんでした。
鉄道ピクトリアルに、高松吉太郎氏(だったと思う)の「富士とシゴイチ」という素晴らしい
写真が掲載されていたのを覚えています。
臼井茂信・西尾克三郎共著 日本の蒸気機関車は中学入学のお祝いで親に買って
貰いました。
当時の2500円は子供の小遣いではとても買えません。 中一の時、プレス・アイゼンバーンの「SL」No3 C51特集 というのが出ましたが、やはり高額すぎて中学生の手には届きませんでした
数年前古書店で見たことがありましたが、ものすごい値がついていて手を出す気になれませんでした。 今ニュースでD51827が和歌山で復活と言ってた、全然知らなかったよ。中央本線ラストランのカマだけど大事に保存されていたようだ また標準型か、いいかげんに戦改型を復活させて欲しい。
1001号機を解体から守れ! 戦時型なら神戸駅南に1072番がある、角形ドームに切り詰めたデフ。状態は悪くないが候補にあがらなかったのか 戦改型も良いが、北海道重装備型や、ナメクジも復活希望。 >>446
石炭じゃなくコンプレッサーで動かしてたよ >>447
そうなんだ。それじゃ、御殿場線のD52と同じだね(・ω・) >>445
人吉にそれは展示されてるが肥薩重装備もある。58654に比べた肥薩山線強力だろう。
58654だと大畑 真幸絶対登れない。
しかし最初肥薩はD51を嫌っていて大正生まれでさらに古い4100 4110が無双していたから凄い。
戦後製超弩級タンク機E10でさえ空転ばっかして使い物ならなかった。 >>449
人吉機関区、D51170ですね?
肥薩線では、戦改型の重装備型もありましたね。カッチョイイ!!(・ω・)
知っています。一時期、復活の話があったような…その後たち消えたのかな?
私は、切り詰めデフの北海道重装備型の方が、好きなんですよねー(・ω・) 俺は極めてノーマルなのが好きだなぁ。
だから、今の現状には満足してる。
オプションでスノプラが付いてくれれば尚よろし。
少数派かな(´・ω・`) 保存機D51170はあまり現場で評価されてなかった
むしろ戦時形のほうが歓迎されたという皮肉 >>452
D51 1058ですね
>>451
青森尻内あたりかなあ、乃至は山陰西部のとか。
関東平野と稲沢吹田ではスノウプラウ付かんし。 戦時型なら小樽築港所属長万部機関区のD51 1120か、
田端機関区のD51 1039が好きだな。
とくに1039はキャブに灯り窓が付いていて好きだ。 製造時期よりメーカーで品質にバラツキがあったんだろう
特にボイラーはかなり特定メーカーでハズレが多い 知る人ぞ知る有名機・D511053
「陸の王者・D51」
わかる人にはわかるかな 印象深い >>455
戦時中でいい加減な粗雑製造のボイラーが多かったD52はボイラーが爆発したこともあったからね。
戦後ボイラーを取り替えしなきゃなんなくなった車も。
実はC62-2も種車のD52がハズレボイラーで、東海道 常磐までは良かったが
北海道の函館線ではハズレボイラーでの急勾配に苦しめられることに。
D51にも粗雑なボイラーは多分戦時型とかにあって後々苦しめられてる。
D51-498とC61-20はまだ良かった方かも。 D51にも当然好調機不調機はあっただろう。ずっと同じ機関区で生涯を終えたのもある。好調機なら手離したくないだろうな。C622みたいに有名なD51はあったかな >>457
C62 2はD52からのオリジナルボイラー?? 大地の汽笛の陸蒸気の蒸気窯
ハイラルの技術的限界故に、シンプルな飽和蒸気を使用するタイプのものである。
この方式だと、凝縮されやすく、動力となる蒸気の効率が低いという欠点がある。
そこで当然、加熱煙管を通して、飽和蒸気から過熱蒸気にして動力効率を少しでも高めているわけだ。
過熱蒸気は蒸気機関車、蒸気船、蒸気タービン船、火力発電所のタービンや蒸気機関で使う程度。
水蒸気の主な利用は飽和蒸気のほうが多い。 >>458
D51もデフに鷲やら鳩などマークが付いた号機、
お召し本機と予備機など有名なのがあるじゃん。 お召し列車を牽いた点ではC62に勝る?かな。関西本線のツバメや鳩のマークは最晩年につけられたから知らない人も多いだろうか。ツバメより猪の方が似合うと思うが D51に門デフは似合わないよね
ハドソン化したC6113は別として 俺は499が好きだな。後藤デフのやつ。ボロいけど三重県津市に残存しているのが嬉しい 499も882も末期は奈良区だったな。
俺は両方好きだった。
強いて言えば赤ナンバーに月に鹿の882かな 499は綾部で列車に乗り遅れてポーッとしてたらやって来た、その後関西本線で再会、東日本の498に対抗?して復活させれば連番で重連もあったか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています