蒸気機関車D51を語る
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C62と並ぶ国鉄有名の蒸気機関車D51を語ろうぜ。 >>338
ゆえに量産された。
初期形は見映えと裏腹に嫌われた。
客車牽くのは問題ないが。 >>322
あんたの妻(デーのゴーイチならぬデブの51歳)じゃないよね? 最もポピュラーな蒸気機関車として知られているが、
人気という意味ではどうだったんだろう。
俺は個人的には一番好きな型式だけど、
(なめくじ興味なし、量産型大好き)
一般的にはC62とかC57辺りが人気がある様に感じる。 B20なら今でもハンドメイドで作る気になれば作れそうだけどな
遊園地の機関車レベルだし
D51クラスだとカネの問題より他にいろいろネックがありそうだが B20は飽和式だし構造は単純、梅小路のも復帰した事あるが一番安く済むからだろう。プラレールの上も大丈夫か?? C55 57かな
見てるだけでかっこいい
もちろん保守は関係なしで D51は長工デフに長工式集煙装置付きが一番好き
嫌いなのは見映えの悪いエラの張ったクルクルパー付きや前照灯シールドビームにしたり、補助灯つきのやつとタブレット受けでナンバープレートの位置がずれて飛び出てるやつ
ナメクジは気にならないが美しいとは思わない 俺も標準型が好きなんだけど、
集煙装置とかボイラ上の重油タンクとかは無い奴が好き。
付いていてテンション上がるオプションは、
スノプラと炭水車重油タンク、副灯シールドビーム。
デフは標準タイプであれば、点検窓はあっても無くても、どっちもおk。
まぁ基本的にはスタンダードでつまらないと言われそうな奴ですわねw 何気に東日本の498号機と西日本が復元する200号機は戦前の中期型なんだよな。
梅小路の1号機もあったがなめくじに集煙装置が装着不可とわかり動態にも使わず。
なめくじもそうだが晩年の重装備型も捨てがたい。重装備型は保存数も限られてるし。 そうすると200号機には集煙装置を
付けるっちゅうことでつか?(´・ω・`)? 今のC571って集煙装置外してるんじゃなかったっけ >>352
200は本来鋳鋼製従台車+テンダは鋳鋼製台車付8-20Aだったはず。
現在は組立式従台車+8-20B テンダ、何かと振り替えたものと思われる。
同時期、長野工場傘下にいた649あたりと振り替えたのだろうか。
また、刈谷交通公園に保存されている777の従台車は鋳鋼製、
これも何かと振り替えたと思われるが、どうなんだろう。
話の脱線すまぬ。 >>357
は?回転式集煙装置なんて聞いたことない。
クルクルパーと間違えてない? いろんなD51を集めてD51博物館なんてのを作ったら良かったのに、ナメクジは勿論標準型や戦時型集煙装置に重油タンク付き、門デフ後藤デフ北海道デフ全部集結したらかなりの数になるか そらそんなんあったら神やわ
北海道だろうが、沖縄だろうが絶対に行く
10年くらい前までだったか(調べたらもっと最近までだったかも)、
鉄道ピクトリアルで長期連載してた「D51 その一族」
って絶対に文庫化してくれるモンだと思ってたから、
コンプとか全然してなかったんだけど、
まるでそんな気配ないんやね(´・ω・`)
かといってアレをコンプするのは相当な根気だよなぁ。
一回平均4機だったから、20年以上連載してたんだろうなぁ。 愛知県で未公開(個人保管)だったD51827が動態保存のため搬出されたそうですね。まあ圧縮空気作動のパターンだけど、保存状態が良いのでけっこう早くお披露目できそうだということです。
木曽路でほぼ生涯を全うし、さよなら列車も牽いた戦時型の名機でした。 その圧縮空気でたくさんのカマを復活させてくれた、恒松さんが昨年亡くなられたそうだ。奥様より年賀遠慮のはがきが来た。
事故だったというが詳細はわからず・・・・、 >>340
逆だ
追分がD51241、上野がD51603の予定だった
結局241の代わりに320が保存されたが
地元の要望で241の部品は残された >>356
D51200のテンダー振り替えについては
最近のレイルに記事がある >>352
なめくじ用の集煙装置って開発出来ないのですか? >>368
物理的には全く問題ないでしょう
当時はなめくじ以外の選択肢が山ほどあったからあえて開発する必要性がなかっただけ >>368 >>369
無理。煙突の後ろのドーム内には給水加熱器があるから。無理にでも付けるならドーム撤去&給水加熱器移動の大工事になる。そんな事しなくても標準型はいっぱいあったから、山越え区間になめくじはいなかった。 >>370
山越えだって集煙装置を蒸気末期まで導入しなかったとこもあるし
最後まで導入なしの区間もある >>370
> 山越え区間になめくじはいなかった。
ウソこくな、奈良や福知山などの集煙装置+重油併然機配置区にもナメクジおったやないか。 難攻不落の矢岳超えも相当重装備だったはずだしなめくじ入る隙がなかったからね。
矢岳トンネルと言う2000m以上ある長いトンネルがあったから集煙は付けていただろうけど。
釜石線の難攻不落の仙人超えは長いトンネル3連発あるのに重装備でなくても行けたんだよな。
D50も激闘していたし。
一番長い土倉トンネルが矢岳より長い2720mあるがトンネル内が完全ストレートで煙が抜けたんだよな。
だから出口で幕下ろすなんて事はやらなかった。
第一大橋トンネルはタコカーブなので排煙機があったが。 中津川にも4号機が居たな、塩尻までの運用にも入っていた。
名古屋の鉄道100周年の記念誌(名鉄局発行)に4号機の空転で四苦八苦した手記がある。
中津川のD51に集煙装置が付きだした頃、北海道に転属して蒸気機関車末期まで走っていた。 なめくじはもともと前が軽く空転しやすいから山越え区間には不向きです >>374
集煙使う区間にはなめくじ使ってないだろ >>378
不思議やね、ワシが1965年に吹田一区や梅小路区で撮った福知山区のナメクジはどこを
通ってきたんやろ。 初歩的な、且つ今更な質問でスマヌ
そもそも 『デゴイチ』なの?『デコイチ』なの?どっち?
ちなみに、昔中津川でキシに聞いたときは「デコイチ」
別の日に(別のキクの)キシOBに聞いたときは「デゴイチ」と言っていた
二例とも聞き直して確認した >>380
統一的なものはない
デゴイチのほうが関東・中部の現場では一般的だった
しかしデコイチと呼んでいた現場もいたし仲間同士で通じあっていた >>380
現場ではデコイチと呼ぶ人が多いと聞いている
発音はコイチが同音
デコイチはメディアに取り上げられた時につけられたと聞いている
発音はゴにアクセントがつく
デコイチは現場、デゴイチはファンが使う愛称だと思っていた
ちなみに、俺の私感だから他のレスも見て判断した方がいいと思う
色んなレスがついて混乱するだろうけどw プレスアイゼンバーンには
よく見ると dekoichi と書いてあった みんなありがとう
やっぱり答えは無いんだね・・・
そういえば昔、デコイチが正解だがデゴイチも正解。
デコイチが間違いならデゴイチも間違い。
と言っていたレチがいたよw 邪馬台国論争みたいなものか、こしあん派つぶあん派、目玉焼きにかけるのは醤油かソースかケチャップかそれとも塩か何もかけないか、これが絶対だとは言えない。えっお呼びでない 凸丸凸一は語呂がいいからね
C51はシゴイチだから本来はデゴイチなんだろうけど 千両以上製造されて広く使われていたから名称も定着したんだな、嫌われた現場もあったが旅客でも活躍したし、お召し列車も担当したのもある 気まぐれで本棚の掃除してたら、
長らく行方不明になっていた
鉄ピクD51特集号が久しぶりに見つかって見入ってしまった。 当時は鉄道ファンやジャーナルはSLマニアが、ピクトリアルは鉄道全般のマニアが読んでいた。ガキの頃は大人の雑誌のイメージがあった ピクトリアルは専門的な切り口を重視して鉄道全般の学術的内容が多目、写真が白黒だらけで紙質が悪い
フアンはもっとくだけたというか時流に迎合するトピックス重視でカラー写真が比較的多く標準的な鉄道オタ向けで紙質がまとも
ジャーナルは中身が空虚凡庸で写真自体が低俗で低年齢やライト層向けで紙質やカラー写真は上記二誌の中間 以前D51とあだ名のついた力士がいました、さて誰でしょう? 答え-黒姫山 関西本線の天王寺(湊町か)〜奈良間は無煙化が早かったが奈良以東は不思議なことに長く残っていた。休日には柳生号なんて牽いていた、乗る方ではなく写す方だが >>396
レイルマガジンってD51現役時代にはまだできてないんじゃ
トレインもなかったような、あとは鉄道模型趣味ぐらいが王道か 鉄道三大誌以外にはキネマ旬報社からSL関連の雑誌が出ていた、季刊だったと思う >>397
ええかげんな書き込みはボコられるよw
竜華〜奈良は最後まで残っていた。 >>400
竜華以西でも境川から福崎の浪速貨物駅へ行くC58、D51もかなり遅くまで
残っていて冬の天王寺駅で見た白煙を思い出したよ。 >>396
RMは1984創刊
蒸機時代どころか国鉄最末期 昭和45〜48年に天王寺-奈良間を列車で通っても臨時以外SLは走ってなかった。竜華のは城東貨物線で吹田へ、王寺のは和歌山線用 >>403
昭和46年の夏頃までは天王寺や百済まで回客や荷物列車を竜華区のC58が牽いて往き来してた
浪速駅方面の貨物は昭和45年春までに終了 >>403
それが1973年7、8月の夜間に王寺で254レのバルブ撮影してるし、デンスケで
録音もしたんだよ。 >>405
当時のメモから自己レス
> 254レのバルブ撮影してるし、
「1973年7月24日の274レD51254」に訂正。この後に254号機が長門区へ
移り集煙装置を外して短い煙突を晒しているのを12月に記録してる。 蒸気機関車vol.24の記事では1973年4月のダイヤ改正時点で関西本線は亀山−竜華操車場間にD51貨物が残っている、これは国鉄運転局事務課の人間のコメントだから信憑性が高い 王寺駅にはC58があったし(多分竜華のカマ)構内の入れ替えや回送を担当してたと思う。木津には8620が常駐していた なんかいい歳のはずなわりに日本語がおかしいのがいるな >>403
全く違うね。
昭和45年なら竜華にD51もC58も8620もいたし
関西本線を走っていた。
関西線が無煙化されたのは昭和48年9月末。
その最後まで竜華⇔亀山のD51貨物は残っていた。
竜華は大阪府だから、関西最後のSLは大阪も走っていた事になる。 懐かし鉄道スレにいる知ったかのガキが吊ってるんだと思う
文章に特徴がある 410だがぎりぎり間に合った世代。
竜華は間に合わなかったが
奈良と亀山は撮影に行った。当時小学生w
撮影したネガの8割がD51。
あとの2割は奈良のC12、C11(二休)亀山のC58、C57だった。 社会科見学が奈良で自由時間に奈良機関区にいこうとしたら立ち入り禁止だった
仕方なくホームで到着したり出発するC58やD51を撮った 昨日、湯布院に行って公園にD51-1032を置いている事に初めて気付いた。
とても無残な姿で痛々しかった。 現役蒸機なんて糞だ!
復活蒸機は更に塵だ!
保存蒸機で行こう 200の軸焼けとか技術伝承してないのかね
昔はどこの機関区も主のようなのが仕業点検を弟子に伝えていて、よほどのことがない限り工場にまわさず自区の点検で未然に防いでいたものだが さすがに団塊世代はかきこみしてないだろ
一般的にWindows95が日本に登場時点でもう40代後半
機械や電器いじり好きでもほとんどはもう第2種休車か早ければ廃車解体 日本を大量の老害で滅ぼす諸悪の根源、粗大ゴミ団塊ジジイババア共タヒね >>415
見なければよかったという気持ちにさせられるね ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ D51200がいよいよ復活、人知れず朽ちていく保存機もある中幸運を射止めた。この勢いで他の形式も・・とはいかないのか。豊岡のC5711も是非! >>426
D51 200
集煙装置を付けた関係で煙突が短かったんじゃないか、
今どうなってるんだろ? >>427
雑誌とかの写真を見る限りでは、
ラッパみたいなタイプではない、
クルクルパー(で合ってるのかな・・・)が
乗っかっている様に見える。
70年代くらいに羽越線とかでよく見られた感じのタイプ。
>>425
IDに草生え過ぎwwwww ク○ク○パ○は回転火の粉止めの通称で外見を損ねるので評判が悪くてそんな呼ばれ方をする様になったらしい。今は不適切な表現なのかな。場所によっては山火事防止に必要なアイテムだが >>426
C5711って、元かもめ専用牽引機で、門デフに波頭とかもめの羽の装飾が付いていたやつだね。
後年は集煙装置と重油タンクを載せ、DD54と重連組んだりした名機。
C57も良いけど、まずはD51の戦時改造型を1両復活させるのが先では?
戦時改造型は全国的に静態保存車も少ないので、せめて1両でも動態保存車にして欲しい。
丁度、長野の1001号機が解体になってるので、これをJRで引取り、動態保存車にして欲しい。
1001号機が駄目なら、仙台の1108号機を復活させて欲しい。 保存機関車復活は嬉しいが、標準型ばかりじゃなぁー(´・ω・`)
ナメクジやら、デフ切り詰め重油タンク、門デフ、クルクルパー、集煙装置などなど、バラエティーに富んだラインナップを希望します(・ω・) >>419
悪いが団塊は現役だよw
昭和40年代は高校生、自由に動けたからいろんなSLを生で見られたし、今のようにうるさくなかったから、
キャブにも乗せてもらった。
鶴見貨物線のD51558、高島のC56129、新興支線のDD13、東海道線修学旅行団体のEF5861。
後部運転席ならクハ151もゼロ系も。
一番の思い出は御殿場線のD5272に下曽我から南御殿場まで乗せてもらったこと。
連続するトンネルに、立ち込める煙の中、電灯のオレンジ色が特に印象に残ってる。
D52にストーカがついてるのを初めて知った。
梅小路でC54も見たし、C571の牽く夜行急行白山にも乗った。
冥途のの土産には多すぎるくらい。 財力のある旅客会社はいいな
嫌いではないがハチロクばかりじゃ飽きるわ >>432
梅小路のC54とか高島のC56を知っているのは
団塊よりも上の世代だろ。
あなたは80歳近いのでは? >>434
昭和23年ネズミ年
高校卒業は昭和42年だよ C62と同い年ですか、まさか生まれは山口県の笠戸なんてことは? C54は昭和38年浜田区で全廃ですが
梅小路までの運用はそれ以前に終わってるはず。
何歳の頃に見たんですか? >>437
小学5年生、昭和34年だったと思います。
父に連れられて京都に行った時でした。
園部まで行けば、機関車のブレーキホースをつないだ圧縮空気で回る転車台が見られたと聞いて
残念に思った記憶だあります。 先輩御見それしました!
じゃあC51なんかもご存知でしょうね。
羨ましいです。 >>439
恐れ入ります。
小学校の教師に超が付く蒸気機関車マニアがいまして、その感化で小学校4年からの
蒸機ファンです。
理工部というクラブがあって、その顧問で「この部品は何というか」みたいな宿題で
缶水清浄装置を調べさせるなど、常軌を逸してました。
おやじと近くの駅で停車中のELの機関士に聞きに行ったくらいです。
C51は亀山に行けば見られた時期でしたが、残念ながら行かれませんでした。
鉄道ピクトリアルに、高松吉太郎氏(だったと思う)の「富士とシゴイチ」という素晴らしい
写真が掲載されていたのを覚えています。
臼井茂信・西尾克三郎共著 日本の蒸気機関車は中学入学のお祝いで親に買って
貰いました。
当時の2500円は子供の小遣いではとても買えません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています