【国鉄】懐かしの鉄道官舎を語るスレ1《私鉄》
昔は沢山あった鉄道官舎、木造バラック長屋もかつて存在した、
その光景はリアル巨人の星の長屋そのものだった。
福利厚生施設もあり、プールや鉄道学校まで周辺にはあった。
国鉄私鉄を問わず、鉄道官舎の話題をしませんか。 結婚して官舎を申し込んで割り当てられたのは、ブロック建てモルタル張りのメゾネットタイプの4軒長屋。家賃は当時でも格安の5000円。
近所に物資部売店がありよく買い物したっけ。 >>3
官舎は独身寮もありましたよ、しかも木造バラック作りで、
昭和60年位までありましたね、
別に木造バラックにこだわってるわけでは無いのですが、木造が多かったですね
最後まで建て直されることなく更地、民間へ土地売却でしたよ。 十条仲原の廃屋となった官舎群を埼京線車内から夜見ると不気味だった >>5
その当時だと埼京線では無く赤羽線なのでは?
そこって官舎のプールで中学生のいじめ事件があったところですよね?
防火用水代用になっていたプールに1人の生徒を集団でプールに投げ込んでしまったっていうあれ。 国鉄路線とは無縁だった世田谷区にも国鉄官舎があった >>8
池尻。
淡島通りから駒場学園の向かいを下った右手。
今はマンションになっている。 吹田市片山町のアレはみんな知ってるよな?
そう言えば民営化のとき、同じ敷地にあった官舎が東海持ちと西日本持ちに
分かれたところがあったと聞いたが何処だろうか?
吹田だと片山町のは貨物社員用のと西日本社員用に分けられたのは知ってるが。
もしかして、山田宮ノ前近くのアレか? >>11 ボケかましてる?
目黒区は青葉台から大橋迄じゃい。 長崎県の国鉄官舎は変わってたな、
3棟が解体され2002年に極楽湯長崎店ができた、
残りは現在はJR九州の社員寮になってる。 小田原の新幹線と在来線などに挟まれた箇所にあったアパート形式の官舎(海に帰属)は
長い間残っていたが、跡地に医療系の専門学校が建った。
関係ないが、つくばに何棟もの空き家になったNTTの社宅があるのを見た。 関西大手私鉄のほとんどには、独身寮はあったとしても社宅はなかった 鶯谷のホテル街の真っ只中にあった、鉄道弘済会の宿泊所 千葉の館山の官舎が立ち入り禁止に成ってたけど取り壊すのかな? 鉄道ではないけど、足尾の鉱山住宅が木造平屋で数多く残っており、いい感じ。 産まれ育った大規模鉄道官舎。
子どもが山ほどいた。
物資部、盆踊り、書道教室…
今日沿線を通った。
マルタマ給食の倉庫に化けていたのには、涙が出た。 >>20さん
もしかしてそこは、百済駅近くの事ではないですか?
あそこでしたら、大規模再開発計画があるって聞きましたけど。 >>21 さん、その通りです。
古い1〜4号館、線路も 線路からもよく見えました。
久しく見ない間の再開発、故郷が消えた思いです。
あそこのお地蔵さん、どうなったのかなぁ… 保線の詰め所を改装した恵比寿のカプセルホテル(今は無い) 月ヶ瀬口駅を少し離れたところに
国鉄境界標「エ」マークがあったけど
鉄道官舎でもあったんだろうか? 福岡県では小倉工場や博多総合車両所の近辺にある社宅も、九州と西日本の双方に受持ちが区別されてるね。 富木駅近所にあるJR西日本の社宅アパートは空き室が多いように見えるが、
JR西日本社員は転勤が多くて、阪和線職員として他支社から転勤してきて入居しても
いずれまた転勤で引き払わなければならず、それほど長くは住めないからだろうか 名鉄独身寮
知立・新安城・二ツ杁・大里・岩倉・高横須賀。 20年くらい前、全国から大量採用してたけど、今も寮残ってるんかな?
知立と大里と横須賀が個室タイプ、他は昭和香る古い寮。 >>32
本笠寺の駅近くの骨接ぎの入ってるビルの2Fより上が寮じゃなかったかな? JR飯田線湯谷温泉駅の駅舎の2F部分
鳳来寺鉄道が経営していたホテルの部屋を国鉄が鳳来寺鉄道買収後に改装して、
国鉄職員の独身寮として使用していた 蒲田って何故 沢山国鉄職員向け官舎が点在していたの?
(多数点在・・・蒲田に限ったコトではないの?) 蒲田電車区が有るからじゃないの?
モセやウラの近くにも点在してたよ。 >>34 駅舎の2階が寮なんて住み込み使用人みたいで俺は嫌だな。 湯谷温泉駅の駅舎の国鉄職員独身寮として使用されていた2階の部屋は、
現在は老朽化して使用されておらず空き部屋となっている >>34>>37-38
その駅舎だけどトミーテックの「建物コレクション温泉宿D」とそっくりだよ。
この駅舎をモチーフにしたんじゃないかと思うくらい似ている。 >>38
かたや鉄筋コンクリートの水洗トイレ、かたや倒壊寸前のボットン木造あばら家、よく国労や動労が怒らなかったものだ 駅長は駅敷地内の木造ボットンに住む義務があったよ。
2コイチだともう一軒には助役とは限らず、どの職場からでも入居できた。 メゾネットタイプ庭付きで一棟が20世帯位ある官舎に住んでいた。
かなり古い建物だったな。
昭和50年代だけどあの当時、家賃幾ら位だったんだろう。
物件によって違うの?
親は、引っ越したがっていた。
子供だった自分は楽しかったけど。 おしゃれに見えて狭かったな。
一階、キッチンに並ぶ4畳、そこに風呂の出入り口あり
2階、4畳半2つ
ベランダと庭、物置は有用だった 木造の郵政官舎や都営住宅と雰囲気似てましたよね
庭付きが多かったから当時としては快適だったのでは? ウチも2階は四畳半だったのかな
記憶が曖昧だけど、子供の頃だから狭く感じなかった
庭も広くはなかったけど自分の住んでいた所は桜かビワのどちらかが植えられていたよ
ビワが好きだったんでビワの出回る季節になると官舎を思い出すな 大阪市淀川区にあったアパートも官舎になるのかな
家風呂があったのが当時は珍しかった 官舎は贅沢過ぎると叩かれるから装備は控え目にしてたという噂を聞いたが
そうでもないのか
平均的な所に落ち着いてたのか 戦前戦後は幹部宿舎以外、炭鉱住宅や寄宿舎みたいな構造。
高度経済成長期は、公団住宅と同様か、低層テラスハウス。 >>48
昔からそういう話があったのか
情けなくなる(涙
他人を羨む前に、まず自分が汗をかけ ボトーソ便所の臭突がたくさん伸びているイメージだ。 あったね
淡い水色のキャップが風に吹かれてクルクル回る様子が思い出される 大和大学開学
吹田市片山町って、鉄道官舎や鉄道学園のの跡地かな?
http://i.imgur.com/K5uoIfk.jpg JR飯田線湯谷温泉駅の駅舎のかつて旅館や国鉄職員寮として使われていた
2階部分は現在どうなっているのだろうか
空き部屋になっているらしいが、中の様子見てみたいものだね さいたま市の大宮の鉄道官舎は今でもあるのかな?
車輪の無い倉庫として転売のワムが沢山官舎の窓から見えたな。 >>42>>43
俺もそのタイプに住んでいたけど家賃は5000円だったよ。 >>53
小学生の頃に学園に見学に行ったっけな
取り壊されたのは知っていたが、まさか大学に転売されていたとは… >>24
新大阪の新幹線高架下(正面口西側)にも
鉄道郵便施設?の跡地にカプセルホテルがあったけど閉店しちまったね。 北海道で今も残っている所ってありますか?
浜頓別にはあるみたいです。 地方で駅長のいる駅には必ず駅長官舎が付帯してたよ。至近に居住する義務。
都会では離れた官舎住まいでもよかったみたい。
浜頓別駅は初夏でもストーブが焚かれていた。
浜頓ホテルに泊まったなぁ 郡山にはそこかしこに国鉄アパートがあり,
悲しい事件がおきた。
職員の子がアパートにあった肥溜めに落ちて,それを助けようとした母親も・・・ いまでも消防署の公務員は職住接近を義務付けられてるでしょ いまでも職住接近を義務付けられている所があるのか
遠い昔のおとぎ話かと思っていたが(うちの近辺の市町村はだいぶ前に撤廃…) 鉄道官舎を転々としたなあ。いずれも木造長屋、思春期の自分には辛かった(笑)場所によっては官有無番地、なんてとこもあって、同級生がビビってたわ(笑) 刑務所に限らず、お上の土地には無番地多いよ。
明治の地租改正の時に、民百姓のために地割地番付けたようなもんだから、自前の土地であるお上の土地に付ける必要は無い。 拘置所は住所有るよ、足立区小菅1−1−1が東京拘置所の住所
昔さぁ府中刑務所に繋がる専用線が見たくて刑務所に入れて下さいって、刑務官に頼んだら断られたw >>67
小菅の拘置所に住所があるとは、ふむふむ勉強になった。
府中の専用線はさすがに無理だ。あそこから一度だけだが脱獄があったからな。 >>69
釜石線松倉
駅の脇に官舎があった。
ただ末期は廃墟と化していたが。
(今は小奇麗な建売が建っている) 小菅に公租の滞納者がいてさ、結局田舎に帰るからって拘置所から事業畳む手続きしてた
一括りに犯罪者と責めたくない人だった >>73
日テレのバンキシャで豪勢過ぎる公務員官舎の内装をスクープした回があったね
しかもタダ同然の家賃。あれで不快に思わない視聴者はなかっただろう 今俺の住んでいる団地は、
鉄道学院の跡地に建っている 昭和末期まで三鷹市新川の仙川の畔にあったが
今は仙川公園となってしまった。 >>75
あの番組、騒ぐだけ騒いでその後のこと全然報道しないから嫌い そうだな
他でも、朝の各局がやってるワイドショーも酷いものだね 雪国の官舎では、部屋に固着してる大きなストーブがあったという > 日テレのバンキシャで豪勢過ぎる公務員官舎の内装をスクープした回があったね
> しかもタダ同然の家賃。
またテレビが一部分だけ切り取って放送してたのか
断片的に情報を流して特定の組織(酷い時には個人)を叩くようなリーディングこそ
そろそろ批判されて然るべきじゃないかね 家賃が安いのは転勤が多くて急に決まることへの補償だし、一等地に建っているのは何かあったらすぐに駆けつけなきゃいかんからだし。
職場から内線かかってくる家とかそんなに羨ましいかね? 転勤が多いことに対する補償の意味で住居を宛がうのは理解できる。
それは全国転勤が前提の国家公務員、中でもキャリアの人びとだ。
問題は転勤もないのに福利厚生などと美辞麗句を並べて税金で公舎を作ってる地方公務員だ!!
世間、いやマスコミはとかく公務員を一括りにして非難するが
この違いを認識することは大事だ 社会的通念で言う福利厚生の限度を超える場合には
脱税の疑惑をかけられることもあるのだが、
今までに国鉄官舎にそのような疑義を持たれたことはない アパート型で造られるようになった昭和30年頃は、
まだ民間で同等の住宅を建てられる事業主がなくて、
事実上国鉄職員だけがこの型のアパートに住むことができた
行政が公営住宅に複層階式のアパートを取り入れ始めたのは昭和35年頃。 >>92
いやいやいや、昭和30年代には大企業が職工用アパート建てていたぞ。
富士製鉄とか八幡製鉄とかは公団住宅型の鉄筋アパート建てていたし。 >>92
そもそも日本のコンクリートアパートの始まりは大正時代 >>92
遠州鉄道が奥山線気賀口駅前に立派な鉄コン製社員寮を昭和33年頃に建てた
あまりに豪華なのでラジオニュースにもなったという 遠鉄のはバスガイドや本社事務員など非鉄部門の社員も対象にした、
いわばグループ全体の寮みたいなもの >>96
子供の頃近所に国鉄官舎があってそこの地域ぁけ自治会、子供会を独自に持ってた
一つの小学校区の中にあって独立国家のような存在だった 今も昔も社宅・官舎というとそんなものだろ
地域社会から完全に隔絶されて、
単体でコミュニティを確立してる