懐かしの私鉄貨物・私鉄機関車について語るスレ
大手中小問わず過去帳入りしたやつでも、今現役のやつでもおKです。 三岐の貨物列車を見た。
通常午後の列車から運休もあり得る所、日没時に見た。
セメント工場は正月も休まない。煙突から白煙を上げている。
需要は旺盛と言うことなのだろう。
ただし積雪がある時期は鉱山は作業中止で、貯めてある石灰岩を使うそうです。 ロータリーキルン自体がそう簡単に止められるものではないんだろうな。
その代わり春ごろに長期止めるんだけど。
セメント関連で、
西武のを東武が買うかも?の話出ていたが、
買ったらついでに軌道強化もしたのだろうか?
東武は軌道の規格が低いから石油列車でも重いのが入れなくて、
人気のない38000をやむを得ず使っていたし。
軌道強化出来てたら43000に置き換えられていただろうな。
(他地区は40000や43000を充当していた。)
西武は西武車籍のテキ401は43000と同じ台車だった。 東武は貨物扱い多かったのに機関車は小柄なのばかりだったね それは蒸気機関車により側線など地上側設備がすべて整ったからでしょう。
そしてその拠点の数が他社よりも断然多かった。
一両づつ蒸気機関車と同じ性能で運用を代わることが出来れば良かった。 東武の重連はいつ頃に始まったのかな。
成田の建設資材輸送から?それよりも遡りますか? 遅レスになるが、
>>382
定義の近いやつで、
秩父鉄道を介したものもあったのですかね?
八高接続の寄居〜籠原(後に熊谷タ)
通り抜ける輸送自体有るのか疑問だけど。
東武の東上〜伊勢崎甲種送り込みの通りぬけの実績はあるようだが…。
(自信なし)
養老のは西大垣発着が最後の様な気がするけど、
これが発送先が桑名方向、大垣方向にも存在してたとしたらおもしろい気もする。
(大垣方向が末期までかと) 【告発者の名前と住所】
◎宇野壽倫 連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室
還暦無職・生活保護不正受給犯罪者の色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)はアルバイトをしていながらそのことを内緒にして申告をせずに
不正に生活保護を受給しています。「糞アリ貧乏人どもは一生死ぬまで汗水流してせっせと働いとればええんじゃい。おんどれら糞アリ貧乏人どもがちゃんと働かんかったら
ワシが遊んで暮らせんじゃろうが〜。ボケ〜。カス〜。アホンダラ〜。」が口癖で「金や金、金持うて来い〜。どアホ〜。」といつも大声で叫んでいるようなとんでもないクソ野郎です。
こんなクソ野郎の思い通りにさせてはいけません。みなさんどんどん匿名で役所や警察に密告してこのクソ野郎が遊んで暮らせないように人生の厳しさというものを徹底的に教え込んでやりましょう。
生活保護が受給されなくなった時点でこの犯罪者クソ野郎の場合は自殺するしか他に道がないでしょう。 こんな犯罪者クソ野郎をのさばらせていては世の中のためになりません。
このような犯罪者クソ野郎が存在していること自体正当に生活保護を受給している人の迷惑となるでしょう。
まずはこの犯罪者クソ野郎に渡ってしまった我々の大切なお金を取り戻しその上でみなさんの力でこの犯罪者クソ野郎を自殺へと追い込みましょう。
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色川高志 (あいかわ たかし)
〒125−0062
東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
【色川高志という人物も生活保護受給者でありながら申告せずに内緒でネットストーカーなどのアルバイトを
している生活保護不正受給犯罪者です】
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111 貨車の運用は難しいですね。十数年経てば運用も変わって行くというのもあるかと思います。
養老線経由もあったのかも。
遡れば鉄道国有化前は大量にあり、その運賃計算が煩瑣であったことが非効率として槍玉に挙げられています。
だから、習慣として普通にあるけど嫌がられてはいた。
地方私鉄の貨物扱いもそこが起点となると思います。 名鉄の工場に青い凸電がいた。デキ300型だろう。
遠くからはよく見えるが接近はできない性悪な場所。
青い凸電は美しい。 >>415
電鍾踏切をメインに見に行ったが、余った時間は東藤原で入れ替えを眺めていた
昔、近所で入れ替えや突放を嫌というほど見てたから、なんか時代を感じたわ 突放ともなると事務所から5人ぐらい、出てきますよね。
無線機のない時代は手旗信号でさらに大変だったのだろう。
無形文化財に指定してほしい。 三岐西藤原駅にいます。
当たり前の様で、希少な事になってしまった。 臨海の操車場で子供を抱っこして入替を見物してたら、汽笛鳴らすは機関士さんと操車さんが大きく手を振ってくれるはサービス満点。 世界の鉄道‘69は素晴らしいな!
当時の私鉄電機を網羅するんだが、貨物列車牽引中の写真が多い。
形式写真風の方が撮影は簡単なんだよね。
国鉄をも含め編集方針として、当時の朝日新聞社の力で写真を集めたんだろう。
一般の編集社では難しいかも。 ああどこかに雑多な黒貨車を索く私鉄の電気機関車が走っていないものか。 >>430
子供の時に国鉄の運ちゃんがそんな感じだった
DD13の運転席を見せてくれたよ 名古屋臨海の機関庫の中に入れてくれた事がある。
休日で誰もおらずシンと静まり返る庫内にDD13の中古や同系が数両。大きかった。
職員は外でヘチマか何か、菜園いじってたな。 秩父鉄道見に行きたいけどなあ。
関東に住んでいれば割と気軽に行けるんでしょうけど。 >>439 秩父鉄道見るついでに、西武池袋線の旧保谷車両基地にある5号蒸気機関車とE11形電気機関車を見学されてみては。
シートが外されたまま1年近く置いてあるから、毎朝これを眺めながら通勤している。 441続き、だが、この2台の機関車いつまでむき出しのまま屋外に置いとくのだろう?
横瀬車両基地に入れるスペースがないのだろうか? でもやがては何らか手を打たねばならなくなる
売れるうちに売ってしまった方がいい 三岐の貨物列車を見送ると、それが当たり前のように感じてしまう。
日本中見渡しても残り少ないというのに。
今日は撮り鉄を三組以上見かけた。多い方だと思う。 伊吹山の石灰工場跡地、いぶき501、502の棲家に行ってみた。
話の通り、すごい片勾配で驚く。工場が坂の上だと言っても灰など材料の搬入もあっただろうに。
ホキは六両が限度であったみたいだが、発電制動をフルに活かしての運行だったのだろう。 資料見ているうちにふと思ったんですけれど、私鉄などの小規模な貨物取扱駅で、
( 貨 物 ホ ー ム )
側線側線側線側線側線側車止
側線
本線本線本線本線本線本線本線本線本線本線
側線
車止側線側線側線側線側線側
みたいな感じで、機回し線と違い側線同士がつながってない構造が時々見られます。
つなげずにわざわざこういう配置にするメリットは何なのでしょうか?
下の側線なしなら「ポイントを減らせる」というのがあるでしょうがこれだと結局2ついるし。 いくつか理由は考えられますね。
例えば駅全体に緩やかな勾配があって長期間の留置に向かないとか。
棒線の側線は上下いずれかの列車しか荷扱いが出来ません。何からの理由で上下列車ともに荷扱いしたい場合は相反する棒線一組という形が合理的なのかも。
貨車は人力で動かせますし、ローカル線であれば数時間の作業時間ぐらい取れるわけです。 >>448
片側だけだとポイントが1つで済む代わりに分岐側の方から来た列車の場合、
機関車が邪魔で入換できないというのは分かるのですが、
最初から下記のように配線すればどっち側からも機関車で入換できるはず。
( 貨 物 ホ ー ム )
側線側線側線側線側線側側側線
側線 側線
本線本線本線本線本線本線本線本線本線本線
機回し線や行き違いの側線なら有効長による問題もありそうですが、
こういう小さな駅の貨物側線ならそんなに長くする必要もないでしょうし。 まず、両端が本線につながる貨物側線は意外と多かったですよ?
その形態から上下列車の交換ができる待避線と混同しているのでしょう。
貨物側線には出発信号機が無くて、貨物列車として駅を出ることは出来ませんでした。
次に、側線で一番怖いのは貨車が勝手に本線へ飛び出す事です。
車輪止めなどを設けるわけですけど、入り口が一カ所しか無ければ、そこに向けて勾配を設ければ安心できるわけです。
分岐器を二個以上設ける余裕があるのならば、枝線の先で分岐させておいたほうが使い勝手が良いでしょう。
上下列車ともに入換できることは、ほとんどメリットとして認識されなかった模様です。
大物では神戸港臨港線が、東京行き上り貨物列車しか荷扱いできませんでした。
接続する本線が早くから複々線化されており下り列車の本線を横断しての入換が禁じられていました。
他の駅でも、列車本数が多い東海道線など本線横断を禁じられていた意外な駅は多かったと思われます。
拠点駅と呼ばれる駅で折り返す運用をしていました。
東海道線でこの有り様ですので、いわんやローカル線と来たら。 入換はその駅で行わずとも良いわけです。
その駅に着く前に、機関車の次に到着貨車が連結されておればよい。
本線上で機関車と到着貨車が一往復すれば側線へ押し込めます。
側線に出発貨車があれば二往復すればいい。問題なく列車に出発貨車が収まる。
棒線の側線を持つ駅が複数連続している場合も、機関車と共に列車から切り離す貨車の数が増えるだけで問題ないですよね?
上り列車で押し込めない駅の分は、拠点駅で下り貨物列車に丸ごと託せばいい。
盲腸線であれば行き帰りどちらで仕事してても良いわけです。 難しいように思えますが私鉄であれば引上げ線有効長まで暗記している筈。
新パターンなど無いだろうし、新たな取扱品目があれば全社的な検討でしょう。
ルーティンワークだと思います。
国鉄の作業量は気の毒ですが。
貨物取扱駅の集約が進むわけですし、全面廃止に至る訳です。 >>446
彦根にあった住友セメントの側線も急でしたね。石灰石積載のセキ10輌の押し上げにED14が活躍したという… 近江鉄道の貨物は判らない事が多いですね。
そのピークは僅か10年程。
多種多様な内容が魅力であり、謎でもあり。 近江鉄道多賀にはホキ5500というバケモノもいたらしいんだけど、何せ田舎なので記録が有るのか無いのか… 巨大貨車ホキ5500型確認しました。確かに多賀駅にいた記録がありますね。
三軸ホギーの巨大貨車が盛んに試作されていた時期の国鉄には、勢いとともに危機感を感じます。ホキまであるとは正直、知りませんでした。
もう一つ。多賀と彦根のセメント工場の経歴の複雑なこと。
セメント会社もいまの太平洋と住友に寡占化される前は様々な企業があったのですね。
伊吹山の大阪セメントが昔は大阪窯業セメントと言う素敵な名前であったことぐらいは承知していたのですけど、ホキ5500型を調べていて出てくる企業名の多さや改名、事業譲渡など変遷の複雑さときたら・・・。
統合後の住友セメントで述べることが一番問題が少なそうですけど、1960年代を述べるときには住友ではないし、正確な記述は難しい。 ホキ5500型は東洋セメント(当時)多賀工場開設とほぼ同時に落成しており、多賀工場には対応した積載設備があったものと思われます。
降車は車体中央一箇所でしょうから特に問題はないのかもしれません。
彦根工場の運営者には野沢石綿セメントという素敵過ぎる会社が出てきます。
今振り返ればすごいネーミングですけど、危険性が明らかとなる以前は誇らしげであったのか。
年代的に野沢石綿セメントの企業ロゴ入りホキは難しそうですね。袋詰めセメントの時代の筈です。
多賀工場は野沢石綿の手で企画開発され、操業寸前に東洋セメントという運営企業を設立しています。
それらまとめて住友系へ事業譲渡する事になり、滋賀興産という企業を立ち上げています。
ところが、いま元大阪セメント専用線の伊吹鉱山を管理する企業が、滋賀鉱産。同音異字の別企業です。ああややこしい。
東洋セメントはホキ5500型に企業ロゴを記した可能性が高いですね。
模型鉄としては、野沢石綿ロゴのホキを想像してみるのも楽しい。 一応地元民にとって、とても興味深いお話です。
野沢石綿セメントといえば、ハッチが2列並んだ日立製のタキ7300もあったようですね。
近江鉄道がセメント輸送で賑わっていた時代、見てみたかったです。 常備駅表示は気になりますね。
トラ90000 型など実物は特に目立つようにしていたと思います。 実際のやり方ですが、私鉄の運行担当者は国鉄に空車の回送を依頼したりした、その具体的な方法が知りたいですね。
車票への記載方法も、崩字がひどい時とか雨で判読不能とかトラブルはありそう。
鉄道電話って私鉄まで伸びてるんでしたっけ?
無蓋車など積荷や荷主の好みがあったと言われますが形式指定で呼べたのか。
通風車は奪い合いとも言いますし、家畜車など到着が遅れたら死んでしまう。
電話口で怒鳴り声とか、あるんじゃないかと。 国鉄一家の内々電話とは違うだろうと言う事です。
そもそも私有貨車を持つ理由は、国鉄線に出ている数だけは早く戻してくれと強気で言えるからだそうで。 国鉄の電話その後日本テレコムとなり現在はソフトバンクに食われる体たらく >>464
ソフトバンクに食われたんじゃなくボーダフォンに食われたんだよ
ボーダフォンが日本事業捨てる度にソフトバンクが拾っただけ ソフトバンクテレコムのおとくライン押し売り電話超うざい 豊橋鉄道の貨物列車も謎が深いですね。
比較的小口の荷主が多く、しかも数駅ごとに異なる荷主がいる。
遺跡の撤去具合も半端で今も判る場所があるというのも面白い。 渥美線高師駅に石油積込設備が廃墟となって残っている。
タキ3000やタキ9800が出入りしたようだ。
貨物列車の写真がないが、ほかの積荷から推測すれば、せいぜいタキ二両程度の編成だと思う。
矢生橋駅から東海道線を越えるところに結構な勾配があるので、それぐらいしか無理だろう。
小池駅の待避線も短い。
到着貨車の大半は花田貨物駅に留置しておき、二輌づつ高師駅へと運んでは積荷を取り出していたのだろうか。 矢生✖︎
柳生○
街の中ですし、どこかに写真はありそうなものですが。 若松市電って何かで見た事あって、それ以来何となく気になっている まだ石灰石輸送はあるからって油断してると
埼玉県民の日までに状況が落ち着いていたら行きたい 三岐も、東海環状道の北勢インターが工場のすぐ前にできるんですよね。
製品の主な消費地が名古屋であることを踏まえると、楽観視はできない。 栄枯盛衰は世のならいだが
貨物の灯がクルマに押されて消えることに心のざわつきが抑えられない 西武のE851の導入を検討したのは、小田急だったんじゃなかったか?
甲種輸送後、車両基地まで新車を牽引する電機が不調続きだったのが理由で。
条件整わず、9000系の牽引に切り替えたようだけど。 電車とは何もかもかけ離れた存在を、検討するかなあ? 茨城交通湊線の貨物または混合列車にレ10000かレ12000が混じっているのは写真で見た
そして昭和に存在した私鉄貨車の冷蔵車は恐らく3両だけか? モノクロームの地方私鉄という本で、弘南鉄道のレム編成をみつけた。
場所柄、リンゴ輸送でしょう。よほど遠方へ運ぶのか、大枚はたいた荷主がいたのか。 暇をこじらせて鳥居本駅滞在中。
貨物列車現役時代は知らない。 私鉄では無くて企業の専用線で使われていた蒸気機関車。
北海道砂川市の函館本線豊沼駅から、
東洋高圧(現、三井化学)北海道工業所に
国道12号と当初から立体交差して専用線が引き込まれていた。
8600だったと思うけど、
民有だったかどうか・・・
貨物列車の発着入れ替えが毎日数回はあって、
専属で使かわれていたのだろう。 丸子町のED25型を見てきた。
あまり状態はよろしくない。
設置場所が湿気が多いらしく木部の痛みが激しい。
塗装も傷んでいる。
全体に公園が放置気味であるのが気になる。行政の目が届いていない。
立ち寄る市民の数は多いのだし、草刈りなどが為されていない事とアンバランス。
そういう公園内という事でお察し下さい。 加越能鉄道のデキ6501 ですが、貨物列車を牽いている写真が見当たらない。
除籍も早く訪れる人も稀だったのでしょう。 そなえ三井三池の動画が沢山出ているが・・・・・
三井化学の他の動画も見てくれよな。
再生回数百回前後とかあるぞ。
これが当たり前なのだろうが、我々のために鉄道動画上げてくれた成果を数字で返してやろうぜ。 撮影しようという意欲を持っていただいたことに敬意を表します 田原に保存されている、豊橋鉄道デキ212は素晴らしい。
制御機はGE、ブレーキはウェスチングハウス、いずれも原型を保つ。
車体も大きな改変はなくパンタグラフが目立つ程度。そのパンタグラフも今となっては古風な貴重なもの。
デワ11型も木造車体の中まで入れるのがいい。今はコロナ対策とやらでデキの中にも入れます。 デキ212ってなんだ。一両増えちまった。
デワのほうも木製屋根の内側の構造が手に取る様に判るというのはいいものだ。
両形式とも台車軸箱は同じ鏡面を描いているが、ブリルオリジナルだろうか。ブリルの刻印は判らなかった。
ただデワのほうに意味不詳だが英文字の刻印はあった。 それです。
車道側の花壇と車両の間に入ると床下機器がよく見えます。
機関車のコンプレッサーにはウェスチングハウスの陽刻がはっきりと。
ぶっちゃけ博物館入りしていい製造年代と原型保持状況だと思います。
保存状態も良くて、駐車場に出入りする家族連れが必ず立ち寄って写真を撮る場所ですので公園ある限り大切にされることでしょう。 東武の蒸気機関車の本が来た。
有名な人だけに見覚えある写真も多いが、解説もついて一冊にまとまる事が嬉しい。 西濃鉄道の古い茶色の機関車が風前の灯。
だけど今日動いてるぞ。留置線にいる。
一方で運び込まれたばかりのDE 11はナンバー無しで構内の隅に留置されている。
番号のない機関車というのも見ていて落ち着かない。
ともあれ。この無番が稼働したら茶色はお終い。 >>479
当時はまだ電気機関車運転できる機関士が何人かいたんじゃない?
でも回送とか工臨用にE851はオーバースペックすぎる気がするけどね
もし入ったら入ったですごい人気者になってて今頃ロマンスカーミュージアムに保存されてたかも 西武の輸入電機置き換え時にE31の対抗馬がED62とE851活用だったと
Jトレイン73号に載ってるはず 名鉄の貨物列車の本、とんでもないな
名鉄に興味なくてもかなり面白い
最盛期に900両も貨車持ってたらしいが、何でそんなに貨物輸送が盛んだったのか 圧巻の一言ですね。
これほど分厚いとは思わなかったし、写真一枚ごとにため息が出る。 石灰輸送でも鉱山でもない、一般の雑貨輸送だという点が名鉄貨物の特徴であり、そういう意味でも貴重ですね。 蒲郡線や三河線を見ながら車走らせると、貨物列車を重ねてしまう。
デキ300型という強い主張がない機関車だというのがまたいい。 岳南も、長く保つと考えない方が良い。
近江の様な例もある。
形あるだけでも嬉しいのだが。 貨物鉄道博物館の保存車は大丈夫?
手入れは良いんだけど、屋外展示なのが気になる >>504 常滑焼に瀬戸焼といった陶磁器の輸送に、戦前なら99艦爆造った愛知航空機など軍需産業関係の部品輸送とかか?農産物もあったのだろうけど。
私鉄の貨物輸送というと、戦前の東京では多摩川などの砂利輸送がかなりのウェイト占めてたが、こちらではそれほどでもないわけ? ほぼほぼ、農作物でしょうよ。
名鉄に限って言えば通風車の私有車まで持っていたのでして、この様な特殊な貨車は国鉄に頼んでも廻ってこない。
なぜなら品種改良も技術も未熟な時代、どの産地も同じように出荷のピークを迎えてしまう。
だから白菜のような漬物など加工できる野菜が多くてレタスなど作りたがらない訳ですけど。
それでも、市場に品質を保ちながら運んで売りたいという荷主の要求は戦前から存在した訳です。
砂利の消費量は鉄筋コンクリートの容積に比例するといいます。
東京では関東大震災の以前と以後で色々市場が変わるので発生年を覚えておいて損はない。
東京市電は砂利輸送用にホギーの無蓋電車まで持っていた筈。
名古屋の鉄筋コンクリート建築は・・・大阪に比べても少なかったんじゃないかなぁ。 私鉄電気機関車、地方経済支えた「力持ち」の記憶 貴重な「古典機」がローカルの貨物輸送に活躍 | ローカル線・公共交通 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/475426