懐かしの私鉄貨物・私鉄機関車について語るスレ
大手中小問わず過去帳入りしたやつでも、今現役のやつでもおKです。 >>22
電車用台車だからだろうね。ギア比にどうしても制約が出来て、電動貨車同等品にしかならない。
それに造りも悪かったとどこかに書いてあったような。帝国車両って電気機関車メーカーじゃないだろう。
その岳南の機関車の元ネタは多分これだろう。
http://donsdepot.donrossgroup.net/te904.jpg
かつて電気屋さんは米国の電鉄業界誌に欠かさず目を通していたと言うからね。
突拍子もないようなデザインも大抵元ネタらしきものが見つかる。 wikiによると京成デキ1は沿線で取れた野菜を都電線に乗り入れ輸送させる目的だったらしいが、都電の線路はデキ1の軸重に耐えられたのだろうか… 今日、わたらせ渓谷鐡道乗りに行ったら、足尾駅で保存されているタンク車が動いててビビった。 ポイントがヤバいな…、脱線するしぶっ壊れるw
車両限界もオーバーするしカーブも曲がりきれないぜ!
やるんだったら都電を走れる機関車や貨車を都電に用意してもらって、京成線内は夜中に走って
もらうしかないだろ…。 京都市電の方はどうだったのかね。
京成は都電の片乗り入れじゃないのかな。都電が大型貨電を大量に準備していたでしょう。 一般論としては、鉄橋や高架線以外高速運転でもしない限り、地上線での軸重はあまり問題にならない。
京都市電の乗り入れはし尿輸送だっけ?? 京都市電は青果市場への引き込み線を作ってなかったけ?
関西標準軌がネットワークを組んで高速小荷物輸送始めたら面白いだろうに。本場アメリカを真似て夕方までに集荷した荷物は翌朝に目的地到着。深夜営業につき旅客に影響なし。
さて、各社の接点は?車両は? 西武E851今考えるとなかなかすごい。私鉄でF型総括重連、25‰で換算100両牽引とか・・
総括重連が勾配をフルパワーで力行すると架線電圧は1200vあたりまで低下するんだよなー
私鉄とは思えないスケールだわ、もう一度生で見たい 電車については、殆ど使い尽くす東武だが、電機は三岐に出している。
東武、秩父、西武、三岐、岳南は電気鉄道のなかで比較的後年まで貨物を扱っていた。
秩父と三岐は同じ太平洋セメント系の鉄道会社だが、相互に電機の融通は無い。
電車の乗り入れや車両回送で関わりのある東武と秩父の間でも電機の融通が無かったのも不思議。 E851を越える私鉄電機はもう現れないだろうね。
デビュ時、消防だったけど、
カッコイイの見たけど、
レッドアローじゃないし
なんなんだろうと思った。
西武は旧型電機も充実してたのに、
まさかあの正丸トンネルがなくなるだなんて。
(少し気が早いかな。) >>32
秩父デキ202・203→三岐デキ202・203
東武→秩父の機関車移籍は記録がなかったが、貨車(ホキ9・10→ホキ1・2)の例があり逆に秩父→東武に移籍した貨車9両の記録がある。 東武鉄道の電機機関車の出力の小ささは面白い。どうやら東武と三岐は同じポリシーらしいな。
東武は蒸気機関車一両と電気機関車一両が運用面において等価である、という考え方で無煙化を進めたのではないかと推測している。
私鉄電機の考え方は各社で統一したルールめいたものが全く窺えない。不思議だ。
西武鉄道が旧国鉄大型機を集めたのは何故なんだろう?高密度ダイヤの後続旅客列車から逃げ切るためか。でもノンストップの貨物列車の評定速度ってかなり速くなる筈だぞ。
中古の大型車を数両ずつ何種類もそろえて、メンテテンスが安上がりに済むとも思えない。E51を買うのが経済的に見て正解なのだろうか。
判らない事だらけだ。 秩父と三岐の貨物はまだ残ってんだけどな。
三岐に行った南海凸電はモーターは三岐オリジナル並びに東武譲渡車と互換性が利くし
あと南海での落成当時の試運転で孝子峠を楽々と登ってったらしい。 >>35
貨物電化の時期と積み荷の違いじゃないの。
東武は草色のセメント貨車ホキ100や無蓋車を連ねた大谷線や砂利などの専用貨物もあったけど、
各駅に切り離していく国鉄式の車扱い貨物列車も多かった。電化も側線単位で進めていったから、
無煙化を進めていた昭和30年代後半は、列車の統合ができなかった。
一方、西武のE851は横瀬のセメント輸送、というはっきりした大量輸送があったから投入
できたんじゃないのかな。 西武の元国鉄機はもっと早い頃に払い下げを受けているでしょう。 亀レスだが。
黎明期の国鉄電機は標準化が進むにつれて廃車されていったわけで、
その時代はそれぐらいしか余った電機がなかった、というのが
西武がこれらの電機を買い集めていった理由じゃないかな。 セメントとか炭カルとか全部?
てかあの量トラックで運ぶ気か 東武宇都宮線柳原貨物駅から業平橋駅と埼京線板橋駅の間に砂利輸送がありました。
他に京浜東北線王子駅や小湊鉄道線五井駅(バラスト)まで輸送していたらしいです。 相鉄にも貨物あったよね。西横浜の留置線は元々貨物ヤードだったとか。 敷かれた目的を考えれば、あったドコロの話じゃないでしょう?
都市化を予測していたわけじゃない。 比較的後年の話だけど、保土ヶ谷から相模線経由の厚木に中継駅が変わったな >相鉄の貨物。
他スレで既出だけど。SF分離の頃。
相模鉄道厚木駅常備だった、小野田セメントのホキ3100、相鉄EDに牽かれる写真を
撮りたいと思っていたが、ダイヤがわからなかった… 戦前の民鉄電機で恐らく最強の 阪和ED38?が、買収後
製造から20数年で製造当時には、後年入線することが想像つかないような地方私鉄に
跳ばされたのは、買収私鉄の悲哀を感じる。 京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像
こちらがその瞬間です
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください >>48 大井川、三岐(貸し出し)も・・・しかも両社とも戦前は非電化で規模は中の小レベル?私鉄。 >>48-49
まず1号機と3号機は秩父に行って
2号機だけが大井川に行った後に秩に譲渡された。
4号機は三岐に貸し出された後に返却されて1970年近くに鷹取工場で廃車解体。 >>43-44
瀬谷駅で入換中の貨物と本線を走ってきた電車が衝突なんて事故もあった
当時の瀬谷には専用線ないはずだから国鉄で言うところの解結貨物だな 相鉄西横浜は何本も無かったよ。
現在の留置線の一部はバスの横浜営業所だった。
下り側の急カーブに保土ヶ谷連絡線が平行クロスしてるのは、
国鉄大船同様凄かった。 >>52
定数上の必要があって重連だったんですか? 国策による鉄道貨物衰退促進政策が続く以上、ますます私鉄の貨物は望み薄か。
私鉄貨物のメッカというイメージがあった東武・西武はもちろん、専用線的な
イメージがあった三岐も全廃? >>50
秩父山界隈って戦前私鉄最強と戦後私鉄最強がいたんだな。 設備投資に慎重な筈で(SL動態保存で手一杯で電車の動態保存は、ソコソコレベル)の大井川鉄道が、
以前 ゲージの違う西武山口線(762mm)バッテリーロコを購入したのは何故?
・・・・ひょっとして改軌して井川線での使用でも目論んだの? 相鉄の電気機関車は、制動弁はEL14っぽかったが、右手操作だったな。
マスコンは細身のがついてたから、たぶん自動進段だったんだろうな。 読売 > 北海道
夕張を走ったSLカレンダー…石炭採掘最盛期の8点 2013年10月24日
1960年代に石炭や旅客の輸送で夕張市内を走った蒸気機関車(SL)など鉄道車両の写真を
使った2014年版カレンダー「Memory of the 60's 汽笛の響いた街」を、三菱大夕張鉄道保存会
(奥山道紀会長)が製作した。
同保存会は、同市南部でSLなど鉄道車両の展示と保存維持活動などに取り組んでいる。同市の
JR清水沢駅で11月中旬まで鉄道写真展を開いており、出展作品から8点を選んでカレンダーを
作った。いずれも石炭採掘の最盛期で、同市の人口が11万人を超えた1960年代の写真で、
道内外の写真家ら7人が撮影した。
国鉄夕張線、夕張鉄道、三菱鉱業大夕張鉄道、北炭真谷地炭鉱専用鉄道を走る雄姿を捉えている。
明治時代に米国から輸入され、60年代半ばまで石炭を運んだ古い機関車の写真もある。
同市出身で釧路市在住の奥山会長(54)は「カレンダーを見て繁栄した頃の古里を思い出す人も
多いと思う」と話した。
カレンダーはA4判大で、500部製作。1部500円で、郵送で販売している。申し込みは代金
500円分の定額小為替と送料として200円分の切手を同封し、〒069・0855 江別市大麻宮町
4の6の502 三菱大夕張鉄道保存会事務局へ。問い合わせは、奥山会長(090・8635・5207)へ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20131024-OYT8T00052.htm
http://www.asahi.com/articles/HOK201310230003.html 元筑波鉄道のDD502,ロッド式ディーゼル機関車って、まだ「懐かし」ではないんだな・・
国鉄から乗り入れる客車を牽引していたころは懐かしいのだが。 DD502はずっと常総線配置で元筑波線じゃないし、
国鉄乗り入れ客車もミト座を1回牽いただけだと。 【不買運動】ポッカサッポロは男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的企業です
ポッカサッポロフード&ビバレッジは女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
(コーン茶の広告)
http://www.youtube.com/watch?v=2xAE8e6yUKw&feature=channel&list=UL
男性の人権を毀損したこの企業の製品・サービスに対して不買を心がけと情報拡散をしましょう! 常総筑波と鹿島参宮が合併してできた関東鉄道時代 唯一の新造車両として登場したのはDD13同系のDD901
コレが旧鹿島参宮の本線に相当する鉾田線に導入されたのは、当時 自衛隊百里基地向け燃料輸送目的で
適当な中古出物が無かったコトより、気動車については尽く旧常総筑波側の常総線、筑波線に性能や経年程度の良い車を
召し上げられてガラクタの巣窟になったコトに対する見返りと云うかパワーバランス調整の意味もあると思うのは俺だけ? 75が正解。その時点で旅客輸送の見通しは暗かったのに対し燃料輸送は確実な収入源だった。 >>75,76 主旨は理解しましたが、1機のみ導入で予備機は、試作機並のゲテモノでは
定期検査は勿論、故障時の運行確保に困ったのでは?最悪 国鉄から借りる想定? 連投すまん 西武が戦後 国鉄の大型輸入電機を多種購入したのは、一見不合理にみえるが、
それは、やはり所沢工場で所沢工製 国電の複製と同じく戦後元国鉄の技術者を受け入れ(引き抜い?)てきたからではないだろうか?
後年まで大宮工場で大径の車輪削正を委託していたりとか、距離、人脈的にも技術ノウハウの支援が容易に受けられたのではないだろうか? >>77
しらないけど末期にはDD13を2両買って使っていた >>71-72
502は一応筑波走ったことがあったはず
確か旧客の時代 >>77 DD901の予備に江若DD1352(パイロットモデルの1351はともかく)を買うことは、
何故しなかったのかね?懐?江若が吹っかけた?単に倉敷市営に先越された? >>4
俺もその事を思った事がある。
でも貨物の牽引しか想定していなかったから>>6の言うように歯車比4.44でEF60級の機関車を作ったんだろうね。 近鉄養老線デ31・33のさよならイベントに参加した事ある。
吉野線の貨物は母方の実家が南大阪・吉野線沿線だったから母親の弟が
デ51か52の運転室に入れてもらったなんて話を聞いて羨ましくなり
夢屋のキット(N)を組んで完成させました。
南海のは三岐のイベントで見たりしたけど南海を去ってから30年くらいになるのか。 連投スマんが
神鉄ED701も晩年鈴蘭台まで見に行った。
流石に車体に汚れや錆びが目立っていたけどパン上げていて今にも走りそうな感じだった。
だからまだ走れるんじゃないかと思っていたんだけど映した半年後に見津で解体。
フォトランに行けなかったのが惜しかった。 岳南ED402まだ動いてそう。
あとの3両は放置されてるけど。 >>88 保存するんじゃね?それか事業用(極端なハナシ事故発生時の救援)
岳南のED401三岐の貨物博物館で保存しないかな?
・・・鉄道模型小型レイアウトに似合う好ましいデザインの機関車だよな。 機械類は定期的に動かしてサビ落としをしないと、意外と早く起動しなくなる。
商品価値があるのか、まだ希望を捨ててないのか。 トロッコ列車的な可能性を考えているのだろう。
工場の中という特殊?な路線だし。 >>92 最初から標軌のが居た。
名古屋線のは、狭軌→標軌に改軌 もしくは、養老線に亡命。 >>93-94
三岐の注文流れという説が昔からあるが・・・。
>>95
近鉄大阪線の最初は電動貨車でしょ?機関車は全て1067mmからの改造の筈。 広軌の電機って用途があまりなさそうだね
工事用くらい? >>99
それは今の感覚。
京阪の複々線化工事の時期など、日本の土木建設業界の機械力は低い。
標準軌で動力を持たない貨車が少なかった事が、電動貨車ではない純粋な機関車が生まれにくかった原因だと思う。
その中で土砂を運ぶサイドダンプカーは動力なしの貨車が多少はあったようで、京阪と新京阪にいて、新京阪ではサイドダンプカー牽引専用の電気機関車まで保有していた。
後の阪急4300形。
建設工事が終わると用なしになったようで、建設用と言って差し支えなかろう。 阪急のは確か土砂を運ぶとか何とかって聞いた事ある。
貨物が早い目に終わって工事用が主だったケースは神戸電鉄ED701がそうだった。 長電のあれはまだ現役なのか?動いてる中じゃ最古の部類? 写真でしか見たことが無いが北陸鉄道のデワと見紛うスタイルのD形電機。
電車型の台車を履いてた。ああいう「有り合わせ感」がローカル社電機のいいトコロ。 北陸鉄道には、単車をボギー化した電車改造電関とかいたけど、電動貨車とは荷物室の有無くらいしかなかったやうな?
電車でなくて電関として在籍させる利点とかあったのだらうか? 減価償却期間が電気機関車の方が長い筈。
税制上の有利な面があるんじゃないかな。
北陸の場合は古い改造車が多いし、そこまで深く考えてない、とも思えるがw
単に電気機関車が欲しかったからだろ。恐らく。 標軌の非電動貨車タイプの電機・・・京成、西鉄、近鉄(名古屋線の改軌車ばかり?で大軌や参急、奈良電等 引継ぎの製造時より標軌のクルマはない?)こんな程度か・・・ 全く ハナシがぶっ飛ぶけど、昭和40年代前半 十勝沖地震被害で廃止になった青森県の南部鉄道が
その数年前に 汽車会社製のDC351(小型のディーゼル機関車の性能が比較的安定してからの代物)を加悦鉄道に譲渡し
その後釜に 昭和36年 国鉄新津工場製造で貨車移動機として製造し大井工場で入換使用した(国鉄では車両扱いせず)
DB351を購入したのは、何故?
スペックダウンも?だが、入手先(どういうルート?)がスゴイような気がするのだが・・・。 川車製20トン機って可愛いなあw
これ台車間隔が狭すぎと言うか、車体長が短すぎなので橋梁の重量制限に引っかかりそうな気がする。
20トンとは言え、短い軸距離の間に集中する訳でしょう。 >>109 年代、機種(電気、蒸気、ディーゼル)を言ってもらわんと イメージ涌かん。
憶測だが電機のこと?
西武(武蔵野)、小田急、岳南(上田→三河→)に居た 川造製の小さいボンネットが両方付いた正面4枚窓のヤツのコト? 東急デキ3021
http://art57.photozou.jp/pub/592/282592/photo/99381348_624.v1420864131.jpg
西武E11より一回り小さい。その西武E11はED22よりも一回り小さい。
小さな橋梁に一両丸ごと乗ってしまう。
軸距離は短いので横圧は問題外だろうが、単位距離当たりの荷重は意外と大きい?? >>111 他に山形交通高畠線と近鉄養老にいた奴のコトなのね。
養老は知らんが、高畠も廃止後保存されたらしいから、
他に兄弟の居ることも知らずに、それぞれ一生涯孤軍奮闘苦労したが、報われ幸せな余生みたいだな。 国鉄の黒いワムの方が長かったりする。
二両の貨車が似合う。模型向き。 昭和30年代の地方私鉄の貨物列車
小さい電機+国鉄より乗り入れのワム23000+自社の木造ワフ(国鉄ワム較べて遥かに背が低くスポーク車輪の古強者)
・・・コレが定番でしょ。 会社と時期により大きく違うから、それは実態の定番と言うよりは「らしさ」を求めた編集者の写真の選択の定番ではないかと思う。 最近、名鉄の新型電機が東芝府中で落成したみたいだけど
金太郎そっくりだった。
岳南鉄道ED402が貨物休止後もまだ走れる状態だけど
今度イベントで体験乗車とかできるかな? >>116 マジ!!!このご時世に・・・D級?
貨物なんてもう無いでしょ。
工場入換の古典電機にソコまでして引退勧告?
アントじゃダメなのか? たまーに、名市交の新車輸送があってだね。
豊田線の急勾配を新車6連牽引して、手持ちの電気機関車は青息吐息なんだそうだ。
どれもこれも、いつぶっ壊れてもおかしくないほど老朽化してる。
代わる代わる使って来たけど、限界。
あと、名鉄は放射状に路線が伸びるので、深夜に大江の保線基地から全路線へ電気機関車を走らせ易いとは言える。
足の遅いモーターカーにしたら各方面別に最低四か所は似たような設備の保線基地が必要になる。
そういう所をケチるのが名鉄。 私鉄機関車が生産されるのはよっぽどの理由がない限りなさそうね。 都交の大エロ⇔浅草回送用以来?
今後確実に期待できるのは、関電(黒部)くらいか? >>119
電車運ぶなら、電車で引っ張ればいいのに。
非常時に後続列車が押し上げられるような電車の性能になってるんでしょ?
ほかにも理由があるんだろうけど、わざわざ機関車作ったのは驚き。