【酒盛】懐かしの常磐線【列車】
常磐線
(上野)日暮里〜岩沼(仙台)
青電103系、中電401系、ボンネット特急ひたち、EF80客車列車・・・・・
未だ見通しの立たない広野〜原ノ町・相馬〜亘理・・・・・・ >>78
水戸駅電留線で一夜を過ごした編成が,翌日早朝に帰って行ってたな。
茨城県内の駅で「普通 仙台」の表示を見た思い出。 ローズピンクというカラーリングのチョイスは絶妙だと今更ながら感じる。 何がうるさかったんだ
ちゃんと書かないと読む人が分からないだろ 日本語が不自由な奴が来るとスレが穢れるから追っ払うに限る
口語で会話してるならともかく文章でコミュニケートするネットで
主述を明かさずに書き込むアホの気が知れん 察するに、継ぎ目の通過音若しくはモーターの駆動音か。 昔はロングレールなんてほとんどなかったし、台車の造りも悪かったから
ジョイントでの騒音は耳障りだったのだろうな やかましいといえば103系のドアの立てつけが悪かったせいか
ガタガタを音を立てていたな
長時間聞かされるとイライラしてくる音 ま、103系も203系も大手私鉄に乗り慣れてると残念乍ら見劣り感は拭えなかったね。
同じ新車でもこうも違うのかなと。 三セク化で分断された東北本線
津波と原発で分断された常磐線 203系はシートが致命的にダメ
誰だあんな設計したのは? 常磐線ではEF81牽引の旧客レは運行されていなかったのか?
末期の水戸線はほとんどEF81だった。 £__
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-W-----┘二二二二二二二二二└--ff---\-- 異論は多かろうが103系1000番台の配色は絶妙だったと思う >>104
関西から上京して最初に乗りあわせたのが203系。
関西ではお目にかかれないので新鮮感があった。
シート?何か問題あったかなあ? わかる。国鉄時代に決まった塗装というのは余程手間ヒマかけて考えて選ばれたものなのか、飽きのこない永遠デザイン。
一方でJRになってからの思いつきのような塗装の趣味の悪さ見るとつくづく思う。 203系は小学生の頃に読んだコロタン文庫の本で「高価な電車」と紹介されていたことだけが印象に残り、
初めて乗った時にしげしげと車体と車内を眺めたことがあったわ >>114
高価というよりも高価にならない為に精一杯の軽量化を追求した電車だったな。 大和証券社員が電車内で痴漢か 警戒中の警官の前で
(2017/04/27 11:56)
千葉県松戸市のJR常磐線の電車内で通勤中の38歳の女性の尻を触ったとして、
大和証券社員の57歳の男が現行犯逮捕されました。
谷口賢司容疑者
は26日朝、JR常磐線の松戸駅と亀有駅の間を走行中の上り電車内で、
千葉県に住む女性の尻を触るなどした疑いが持たれています。
警察によりますと、女性から14日に相談があり、私服の警察官が満員電車の車内で警戒していたところ、
谷口容疑者が女性の体を触ったため、その場で身柄を確保して現行犯逮捕したということです。
女性は通勤中に複数回、痴漢被害に遭っていて、警察が関連を調べています。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000099525.html
http://news.tv-asahi.co.jp/articles_img/000099525_640.jpg >>113
それ、分かるわー
大阪からはじめて上京して乗ったのがこれ
俺も停車中に車外に出てホームから車体を舐め回すように観察したよw 10年前の今日は
415系白電復活運用の日
だったな。 子供の頃、勝田駅の近くに住んでいた。
車庫に電車が沢山、停車していた。
子供だったから近郊型や急行型があるとか知らなくて、
「こっちの電車は赤いのばかりので一番前にだけ白が入ってる(401・403系)けど、
あっちの電車は窓のところも白い(451・453系)な。なんで違うんだろ?」
なんて思いながら、うっとりと電車たちを眺めていた・・・。 成育環境で鉄への関わり方に違いが出てくるのは確かにあるね
生家の近所に車庫や主要駅があると鉄分濃度が高くなる傾向にある 583系「みちのく」、「ゆうづる」
483系「ひたち」、臨時で常磐線デビュー、それまではキハ81だった
451、453系「ときわ」455系はまだいなかった
キハ58系「ときわ、奥久慈」、キハ26、55が混じる
401、403系、低運、高運の連結面が好きだった
103系、必ず下り方先頭はクモハ
103系1000番台
営団5000、6000系
機関車はEF80がメイン、武蔵野線開通の頃からか?EF15が北柏まで来ていた
DD51にホキ9500形20両くらい?成田空港建設のセメント列車
成田線電化まではDE10の成田行き直通
金町、北柏ではDD13が常駐
俺が鉄オタになった1971年頃 1985年3月14日早朝上野駅高架ホームで、415系を定期便と臨時エキスポライナーへ分割した。
https://pbs.twimg.com/media/DwBUIhiU0AAyuzN.jpg 表題にあるような酒盛してる場面に出くわしたことがないが
ガラの悪そうな学ランの集団が一両全部を占領してるところは見たことがある 一両全部はさすがに見たことないw
でもドアとドアの間の座席全面を学ラン軍団が占領してたのは見た
シルバーシートでないのでお年寄りが来ても誰も譲らずは言うまでもない なんといっても20系客車のエキスポドリーム号。前日の22時過ぎ土浦駅出発。そして土浦電留線で朝まで停車。翌朝7時過ぎ出発。途中土浦駅で停車。扉は開く。そしてつくば博の開場時間に合わせて万博中央駅に向かう。夏休みに寝台券とって友人と乗車しました。 エキスポドリーム号は20系と583系と交互に運転してました。あと一部常磐線経由でエキスポライナー大宮駅行も乗車した。万博中央駅発の常磐線~武蔵野線~東北線で。使用車両は俺の大好きな583系。 昔、急行『奥久慈』、『阿字ヶ浦』走ってたよな。
ディーゼル急行ってだけで
かっちょいー↑↑って
思ったよ いよいよいわき以北が繋がって9年ぶりに全線復旧だ
ED75走らせてほしいな 『ゆうづる』『みちのく』『十和田』『もりおか』など仙台以北に向かう列車は
「東北本線の列車が常磐線を経由しているだけ」という印象だった。 上野ー平の列車を『ひたち』
上野ー原ノ町・仙台の列車を『ときわ』
平ー仙台の列車を『いわき』
にすると名称と走行する区間との実態に近づいたのに。 >>144 ときわは、水戸の常磐公園こと偕楽園にちなむ名称なんだが。 品川発原ノ町行き
E531系15両編成(後10両土浦切り離し,前5両が原ノ町行き)
とかそのうち出てこないかな・・・ >>146
長距離列車ってそんなに良いの?
個人的には何がいいのか分からんのだが... 初めて東京に来たのが71年8月。
親戚が松戸だったので上野から松戸行。
翌日叔父に連れられて松戸から電車に乗ったら北千住から地下へ。全然予備知識無かったんで、アレアレアレと驚くばかり。当時は霞が関まで。
日本時間71年8月16日は世界がドルショックで霞が関も大騒ぎしていたが、そんな事知る由も無かった。 いろんな車両が走ってたから見ていて飽きなかった
私見だが撮り鉄から始めた人は常磐線がきっかけになったケースが多いのではなかろうか? >>153
いや、ブルトレから入ったり新幹線から入ったりそれぞれだと思うよ。 1997年ごろは国鉄色のゆうづるが多数派だったけ? >>153 電気機関車は公直流のEF80しかなかったんでは。70年代半ば頃だと、赤羽行けばEF15に58に65と色々見れたものだが 70年代後半に関門からEF80-300が2ヶ転入した辺りからか 1964年秋 準急ときわで平まで、行ったらSLが待ってた。 上野から松戸まで電化が完成したころの普通列車の停車駅
上野ー日暮里ー松戸ー馬橋ー北小金ー柏ー我孫子ー取手ー藤代ー佐貫ー牛久ー荒川沖ーその先変わらず 水戸以北のド田舎に住んでいて、たまに所用で東京に出ることがあった。
ド田舎民ながら常磐線=上野各線の中でも最底辺のド田舎の路線という印象を持っていたんだが、
我孫子ー北千住の間だけは近未来的な営団6000系が見られるので
「俺、本当に常磐線(こっちは赤電)に乗っているのかな?」と不思議な感覚になっていた。 全盛期の夜間は、ゆうづる、十和田、貨物列車も多数走っていたろうに、
平ー岩沼の全線複線電化が見送られたのが不思議。 >>164 定期運行でゆうづる5往復に十和田1往復の計6往復、貨物列車は少ない。貨物列車の本数で東海道線とは比較にならない。 電化がまだ取手までの頃、
北海道に転勤した親父や家族と一緒に赴任する時、
上野駅の地上ホームの今は「四季島」は発着する番線に、
青函連絡船に接続する夜行急行「北斗」が夕方で出発に迫る時刻。
その急行「北斗」の後部改札口寄りには、
何両かの荷物車と郵便車が連結されていて、
ターレーに引かれた荷車が新聞の包みを満載にして、
狭い荷物ホームに連なって、
シャツ姿の人夫さんが秒速で新聞の包みを荷物車に放り込んでいる。
発車時間を気にしている助役さんがしきりに時計を眺めて、
積み込み状況を見守っている。
その頃私達家族はもう「北斗」に乗り込んで、
寝台車の所定の席についている。
発車のベルがなかなか鳴りやまず、
父は新聞の積み込みが長引いていると語る。
ちなみにそうした新聞(全国紙)は北海道まで運ばれて、
翌日日付遅れで配達されると知った。
思えば全盛時代の光景、
ちなみに北海道内の接続は急行「まりも」で根室行。
赴任先に着いたのは翌日の夕方頃。 昭和のいつ頃までかね?電気機関車に引かれた客車が常磐線走ってたの。
好きだったんだよなぁ〜 >>6
これ覚えてる
常磐線には、東京周辺の路線から古い車両が寄せ集められて、カラフルな編成で走ってた。
そんな、吹き溜まり状態の常磐線に怒りを感じた鉄ヲタが、爆弾を手にして常磐線を走る電車に特攻しようとする話。 >>168 松戸出たら我孫子まで停まらない(北千住も通過だったか?)ってのに、上野から土浦まで1時間半かかる鈍足ぶり。81年春に乗ったが、都内発の客車鈍行は常磐線しかなかった。完全廃止されたのがその数年後だったかな。 >>168
平より北側なら、84年まで走ってたような気がする 昭和46年頃の早朝の松戸駅3・4番線ホーム
3番線には成田発のDD51牽引の上り客車列車、4番線には千代田線からの営団6000系。
双方が並ぶ時間が合った。あと二年早ければC62牽引だったはずだ。
そんな鍼灸のご対面があったが、残念ながら営団6000系も鬼籍に入ってしまった。 >>175 その当時でも中電より遅いだろ。荒川沖まで一時間半だったかな。