【酒盛】懐かしの常磐線【列車】
常磐線
(上野)日暮里〜岩沼(仙台)
青電103系、中電401系、ボンネット特急ひたち、EF80客車列車・・・・・
未だ見通しの立たない広野〜原ノ町・相馬〜亘理・・・・・・ 1987年8月の乗車
上野509→451M→840平844→241M→1209仙台1318→1533レ→2237青森
なお1533レの車内では、青函連絡船の乗船名簿は配っていませんでした 1533レが普通ならそりゃ乗船名簿なんて配らないだろう 712ですが、1987年→1982年に訂正です
同じく1984年8月に行った時
上野507→441M→840平844→231M→1209仙台1329→3535M快速くりこま→1603矢幅1606→1535レ→2052青森
同じく1535レでは青函連絡船の乗船名簿の配布は無し
仙台1343→1537レ→2235青森は、当時50系のため1本前の1535レ(旧型客車)に乗れるなら乗りたいと思い、快速栗駒を利用
記憶では1535レ(旧型客車)は激暑、しかし夜間は虫が窓から入るため閉めたよう
超ガラガラでもなく、大きめの駅で人が乗ってきてしばらくして少しずつ降りる感じ
なお、平行の常磐線で見た客が数人青森まで見たと思いました(自転車をばらして荷物にしていたような人もいた記憶)
ちなみに酒は飲んでいません
翌年1986年も普通列車乗継しましたが、この時は東北本線経由でした >>716
その長い区間を呑まずに乗り通すとは・・・
敬服致します! いや、酒にとても弱い体質のためです
社会人になってから、宴会は大変厳しかったですね
ちなみに1986年3月では、
上野643→531M→841宇都宮853→727M→949黒磯959→129M→1208福島1228→577M→1356仙台
仙台1402→535M→1543一ノ関1549→2539レ→1728盛岡1804→541レ→2228青森
この時は客レは全部50系でした(北海道では41/42/43/46レは旧型客車)
38年前になります 酒がないと生きていけない人間にとっては飲めない人がうらやましく思うことがあります。
ないものねだりってとこかな。 当方65歳。
大酒呑みとして生きてきた。酒の上での失敗も数知れず。
酒呑めなかったらどれだけ貯蓄も出来たことやら。 >>719 >>720
父方は酒豪、母方は酒が飲めない、自分は残念ながら母方の体質を受け続ぎのようで、酒に超弱い
はっきり言って719さんや720さんが超羨ましい
再雇用の歳ですが、昔は酒が飲めない男は人間扱いされなかったです
自分はこのような男社会で生きていけるか、マジで真剣にそこまで悩みなした
最終配属はメーカーの開発設計になり、そこで初めて人間の扱いを受けた
ただし競合が厳しい主力製品の開発設計現場であり、
土日出社やフル残業当然の今の若い人からみたらブラックに見えるかも
でも自分を人間扱い(奴隷かも)してくれた職場のため、耐えられました
話はずれましたが、上野などで常磐線で勝田行などで酒を飲む人を今でもたまに見ますが
取手行でも見た時は、自分には違和感
列車では酒はともかく、国電で酒はちょっと、
いまでは取手行も勝田行も、一般客からは昔ほどの差はないのでしょうか なんか分かるな
お世話になった先輩とチウハイ抱えて531系に乗ったとき、「グリーン車行きましょか」とか、なんか憚られた
中電の頃は違ってたのかもね >>721 >>722
酒って悲喜交々有りますな〜
昔の中電では、全く別の勤務先の人たちが呑み友達になって仲良く帰宅する姿が見られた。
そんな昭和のモーレツサラリーマンの方々もご在世でもかなりな高齢だと思う。 >>721
連スレになってしまうけど、今では国電も中電も同じ快速として扱われ、一般ピープルによると、
青いラインのはグリーン車があるやつ、緑のラインはないやつ程度の区別なようです。 その通りなんですが、国電と列車、の世代になると、全く別感覚で別種の電車列車に感じます
ちなみに下りでいえば、取手行は10分間隔、土浦水戸勝田行は1時間に1本(夕方ラッシュ時は2本)
東北線高崎線でも似たようなもの
取手止まりと、その先に行く電車列車は、意識の上では別世界
ただ、この国電と列車(汽車とも言われた)の境界をなくそうとしたのが、1982年11月改正の広島地区
汽車から国電へ、シティー電車は20分感覚(その後15分感覚)、とかのキャッチフレーズ
ある程度の輸送が見込まれる線区は、本線支線関係なく、皆さんご存じのように大幅に改善されました
ただ逆に、ローカル輸送が平時でもあまり期待できない線区は、普通電車(列車)の大幅削減も発生しましたね >中電の頃
この国電と中電という言葉は、今でも通じますかね?
国電は分かるかもしれませんが、
年寄りはともかく、若い人には中電は理解困難な可能性 長距離の普通列車と短距離の快速が同じ線を走っているのはここしか無い
中央本線は立川までいちおう来ていますが、新宿までは来なくなった 常磐快速線:国電快速、中電、特急、貨物
常磐緩行線:営団代々木線乗り入れ
綾瀬に国電停まらせなかったからややこしく混雑緩和も出来なかった 中央本線と同じようにすると水戸からの普通列車が取手止まり(一部は我孫子まで)の感じ >>729
綾瀬を国鉄・営団の分岐点にしたもんだから、迷惑乗り入れなる言葉も流行した。 うわぁあったなあその言葉
鉄友の間で「迷惑○○」というネーミングして遊んでたわ その当初は普通列車が北千住通過だったのでなおさら。 >長距離の普通列車と短距離の快速が同じ線を走っている
別線走行なら当時国鉄ならよくあり(ただし簡単に乗換が困難、これが少々理解が苦しい)
東海道線と京浜東北線のように、国鉄では別扱い的な状態、乗換は基本考慮しない前提
その延長で、総武快速線、常磐線などの複々線化です
常磐線はさらに西日暮里/北千住は営団地下鉄ですからね
国鉄としては北千住の乗り換えは南千住や三河島へ行く人限定で、
大半の人は乗換せず西日暮里までいくことを前提を想定
よく混乱にならないな、と思ったら、複々線化直後は大混乱だったそう
当時、中央線の新宿発甲府/松本/長野行の115系(さらに前は71系や客車)がある程度あり、同様
阪和線も、南紀伊/はやたま等と阪和線快速新快速、ただし紀勢線直通普通は少数
電化後は直通が増えたが阪和線は本当に普通か快速等で夜行以外は該当せず
思いつくのいはそのくらい、漏れていたらすみません 京阪地区なんかせっかくの新快速を設定したものの、緩行線に走らざるを得ないから外線がガラ空きで、当然緩行線は混雑のままの私鉄との競争も不戦敗。
国鉄本局の権限が強くて大鉄局の提案がかなわずだったとか。 昨夜の遅くに天王台駅で「松戸」行きという行き先表示を初めて見た >>737
新快速設定当時の外側線はガラ空きではなかったぞ。
特に新幹線の博多開業前は、優等列車、荷物列車、貨物列車 ↑途中で書き込まれた。失礼。
新幹線の博多開業前の外側線は、優等列車、荷物列車、貨物列車等が頻繁に走行していた。 昼間はかなり空いていた。
複々線なのに何でこんな使い方するのか子ども心不思議だ4 天王台発の上り快速線では、
松戸行が深夜にある
我孫子行も531系で1本あり
今まだあるかわからないけど、取手発15両で前10両上野行、後ろ5両我孫子行というのがあった
あるとしたら9時から11時くらいの上りですね 常磐の複々線は、北千住から西日暮里の区間は国鉄として建設すれば何の問題もなかったと思う >>744
西日暮里ー綾瀬ー北綾瀬 をJR線にして北綾瀬のアレは植民地車庫的な物にするわけにはいかんのかね。大人の事情でダメなのかしらんが。 北千住、町屋民のことも考えてあげなよ
それに国鉄ストで千代田線が死ぬw >>746
運賃計算上だけ、西日暮里/綾瀬間を共有にするしかないでしょう
目黒/白金高輪と同じ
2024年にできたら、その可能性はゼロではなかったと思う >>747
その通りですが、逆に営団ストの時はパニック状態
快速線は正常運転、緩行線は綾瀬から下りのみ運転
松戸駅はとんでもない状態 >>749
つまりどうしたって弊害があるということ
「何の問題もなかった」ということはない 町屋なんて京成があるだろ
それほど困るものじゃない >>751
流石にそれはないよ
京成は金町にだってあるだろ >>749
複々線開通初日の北千住駅のパニック
国鉄としては、多くの客が西日暮里に回ると予想してたとか
営団の料金が加算されるのにそれを認識していなかった国鉄 >>754
おそらく泥酔した連中が立てた計画
「少しぐらい余計に金払ったてかまわんやろ」 料金が加算されるのにそれを認識していなかった
公共事業体あるあるだな
まあ戦災復興需要があるのにディスリまくって廃止に追い込んだ住宅営団よりましだが
あれ絶対国とGHQがグルになって廃止決めてるよな
国なんて何するか判らん信用できん
まあそれより都電の三ノ輪橋浅草間延伸きぼんぬ >>757
かつて銀座線の浅草から三ノ輪延伸計画もあったんだが・・・ >>748>>754
その複々線化からまもなく53年を迎えようとしている
後から開業した目黒〜白金高輪のようにすることもなく今まで変わらないのは
ある意味すごいね >>756
酒の上での失敗は許してしまう懐の広さがある常磐民 飲酒絡みの鉄道事故も過去にあったけど、三河島は違う。 三河島って春日一球がやられた奴だっけ?
貨物列車をどこから入れるか? それを考えると昼も寝られない >>768
そうだけど名前間違えてる
クリトモ一休(内堀欽司)な
春日三球も当時の芸名はクリトモ三休 湖の大型遊覧船や、超高層ビルの大型クレーンの話もあったような・・・ >>754
ネットで調べると当時の新聞記事がヒットするね
やはり国鉄の見通しの甘さを批判する論調 でも現在も当時と全く変わらね運行・料金態勢、53年も経つんだよ。
凄くない? 最近盛り上がってるな〜 笑
酒飲みと言えば昭和の時代は駅のホームdw
酔っ払ってくだ巻いてる労務者風のジジイが
良くいた。あれは南千住だったか、北千住だ
ったか。なにか肉親について嘆いているようだった。 素直なオレはこのオヤジの言ってる事も社会の真実の一面なんだろうみたいに思っていた。 そのオヤジの近くにはなぜだか、おばさんがジジイの言うことをうんうん、と頷きながら聞いていた。途中で、バッグの中から木綿のハンカチを取り出して、頭を傾けつつ目の隅にハンカチをポンポンと頭を拭っていた。
辛気臭い、くだ巻いてるジジイの言い分にどれほど意味があるのか、そんなジジイに共感しているおばさんも何か共依存の傾向にあるのでは
ないか?大丈夫か?などと今になって見ると感じ、考えなくもない、が 今の駅で、そういう酔っ払いがいるからか
せいかわからんが、ベンチを撤去して座り心地のひどく悪いアルミパイプ二本の仮の腰掛け?
など見ると客を人間扱いしなくなった今のJRを
見るとそんな時代が少し懐かしくなる。 さらに遡れば駅のホームに居座って酒飲んでる人なんて居なかったから
そもそもそういう場所じゃないし
またあの腰掛けは待ち時間が数分なら却って合理的だろう
特に腰痛持ちだと有難い
それよりも大きな駅で無料で待てる待合室をカフェにしたりして出費を強いるのが憎たらしい 故郷から東京に出て来て、上手くいく人ばっかじゃない、飲んで何か言って晴らしたいよな、とか思う
「ホームにて」って歌、沁みるんで好き >>782
中島さんの名曲だね
中島さんの曲は心の琴線に触れる 中村君だった気がするけど、酔っ払ってるから良くわからない 下山事件の現場検証で枕木に血痕跡のルミノール反応
捜査班はトイレからの経血だと濁したが、現場は国電区間で当時垂れ流しの列車走っていたっけ?
あとトイレ流し管は外側に付いていて枕木に滴り落ちるかな? 新幹線上野延伸前のそこが知りたいって番組に常磐線行商おばちゃんたちが出ていた
常磐線快速にも行商人乗っていたのか 上野から水戸、平、仙台、青森方面の列車は客車で、トイレはついていました。 成田線から乗り入れる快速にも行商乗ってたよ。成田線の駅で行商台が残っている所がある。 >>793
というか790が言ってるのはまさしくそれのことだべ >>790
成田線が電化したとき、なんと103系が成田まで乗り入れるようになった。
早朝の成田発には行商おばちゃんたちがたくさん乗ってた。 >>790
その放送は1988年3月で、新幹線はすでに上野に伸びてた。むしろ青函トンネル開業ダイ改の直前。
録画していて、何回も再生したため、今でも内容は覚えてる。
レポーターは渡辺文雄・宇江佐りえ。沿線情報と称した、行商人のレポートには、さいたまんぞうが担当。 >>795
電化する前はDE11が客車を牽引していたから、電化後はどの電気機関車が充当されるか興味津々だった。
まさかの103系と知ったとき、たまげて腰を抜かしてしまった。 >>796
ようつべにうぷされてるのはリポーター
生島ヒロシ
内海佳江 >>796
その当時はまだまだ盛んだったんだね
いつ頃からいなくなったんだろうか? 山下清が働いていた蕎麦屋がある駅って我孫子駅だっけ? >>801
そう、やよい軒。
彼が働いていたのは駅近くの店だったらしいけど、
今は我孫子駅ホームに何軒か立ち食いの店がある。
「ぼくが働いていたやよい軒のおそば、おいしいよ」
の張り紙がある。 実は新京成の五香とか新津田沼にもあった唐揚げそば
どっちも弥生軒とは無関係ですぐ潰れたけど
ちなみにやよい軒自体はは天王台にもあってあそこは空いてるからおすすめ 天王台にもあるんだね
我孫子駅下り1・2番線ホームに2店舗有るのもすごいね >>806
無関係ではなくのれんわけの店だったと思う >>806>>808
その話、無関係・のれんわけの2説有るんだよな。
一度行っておけば良かった。
五香の店はあっという間に潰れてしまった。 大阪メトロ我孫子駅から常磐線我孫子駅までノーラッチ(改札を一切通らない)で行けます
現にこれをやってのけたYouTuberがいる
昔の【柏駅】・【我孫子駅】・【取手駅】を語ろう
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1707622473/