母親は昭和36年に福岡から常磐線沿線に出てきた。昭和50年頃に俺連れて帰省したんだけど
小倉だったか門司だったかで、当時は421系
しかないんか?が交直切り替えのテストやってる時にバコンバコン異様な音立てるのでびっくりしてたな。連結手?のおいちゃんに大丈夫?って聞いてて、テストしてるんでいつもこういう音するんですよとか言われていて安心してた。
母親は若い頃から北九州にも時々行ってたけれど、考えてみると鹿児島本線久留米電化と共に上京してしまったから、そういう光景は初めて見たのに違いない。なんと言っても母親の記憶の中では国鉄はほとんど「汽車」だったから。
因みに昭和40年代生まれまでは鉄道を「汽車」と呼んでた。今若い世代は「JR JR」と言うが、オレはちっ 何がじぇいあーるだ田舎ものは田舎らしくせいっと面白くない。