【酒盛】懐かしの常磐線【列車】
常磐線
(上野)日暮里〜岩沼(仙台)
青電103系、中電401系、ボンネット特急ひたち、EF80客車列車・・・・・
未だ見通しの立たない広野〜原ノ町・相馬〜亘理・・・・・・ 日暮里に70年代まで東北本線ホームがあったけど、
どんな列車が停まってたかわかる方いますか??
Wikipediaには「一部の臨時列車」としか… >>215
昔、古老に聞くと昭和初期には普通に停車していたとか。
その後はほとんど停車しなくなったとか。京浜東北線の開業によるとも聞いたことがある。
昭和30・40年代のことは覚えているけど、屋根もなくかなり朽ち果てている印象(カフェが
オープンする前の万世橋駅みたい)臨時列車の停車も有るとは考えられないくらいの状態。
緊急避難的な停車はあったかもしれないけど・・・ Wikipediaの「一部の臨時列車」は終戦直後の混乱期かも・・・ >>218
騒乱罪ってのは多衆が集合して暴行・脅迫を行うことにより公共の平穏を侵害することを構成要件とするから不可能
書き込む前にググれば? >>219
酒盛りする連中が集合して、コロナ蔓延に対する精神的暴行、コロナ感染に対する実質的脅迫になり
車内の他の乗客達の公共の平穏を侵害することになるのでは・・・ マスクなしで騒ぎながら酒盛りし、他の乗客に恐怖を与えるため車掌が中止を求めたにもかかわらず止めないようであれば、威力業務妨害罪が成立する可能性があるな。
さらに車掌や他の乗客に腕力奮うようであれば暴行罪。いずれの罪でもその場に居合わせた者が現行犯逮捕可能。酔客を捕まえて警察に渡すことができる。 >>220
>精神的暴行
0点
法律用語くらい調べてから書け
インターネットは馬鹿を晒すためのものじゃないぞ 相手が精神を害するほどの心理的威圧を与えれば傷害罪になるとされているけどな。腕力等の物理的有形力の行使なくても。
数人がマスクなしで大声で騒ぎ立てて相手を取り囲み、コロナ感染の恐怖でトラウマにさせるほどであれば。 最近座席に正座して座るおばあちゃんを見なくなった。なぜだろうか? >>227
最後に見たのは10年くらい前だったかな。 >>225>>226
どちらも甲乙つけがたいほど怖い 電車内で臭いおならをしたらどんな罪になるかな?
因みにスカンク並み。 >>233
あまりの悪臭に、逃げ惑う客で将棋倒しが起こり、更に嘔吐する乗客達で
阿鼻叫喚の車内になってしまい、列車は非常停止ボタンが押され、緊急停止。 >>227
座っていたら脱いだ草履が盗まれる事件が多発したから。 現在の常磐快速線では、成田線開通120周年とのことで、なぜかスカ色の帯を巻いたE231が運行されている。
長い成田線の歴史の中で、スカ色の113が走ったのはごく短い時期なので不思議な感じだ。
でも常磐線にスカ色の車両が定期として走るのは1957年頃の山スカモハ71以来だと思うので
ある意味快挙かもしれない。 >>237
どうせなら、旧型客車の濃紺、国鉄気動車色、旧型客車とモハ72の茶色、
一時期天オトからやってきていた113系阪和色、オレンジのモハ72も再現してほしかった。 103系には各地から転属して各色観られた時期もある。
カナリア、オレンジ、ウグイス、スカイブルー、千代田線乗り入れ色。
これらも成田線乗り入れ運用に就いていた。 最近社内で酒盛りしている姿を見かけない。
かつてのモーレツサラリーマン達も既に隠居か鬼籍に入ってしまったのだろうか。 昔は普通列車内で弁当を食べる客もいたと古老に聞いたことがある。 >>243
駅弁なら普通に食べたよ
土浦とかタイミングが合えば日立とかで 中電でも4ドアロングの車両が増えれば、酒盛りする雰囲気無くなってくるわな。 科学万博の頃に比べると労務者が減ったのではないかな。
その頃は建設土木工事が多かったし、仕事帰りに車内で一杯というグループの乗客が結構いた。それが常磐線のイメージを悪くしていたんだが。 ↑訂正
11月号の鉄ピク、常磐線特集だ。買わないと。 >>245
10年以上前のお話
もう10年以上常磐線浸かって日立へ帰ってないよ >>250
残念ながらなかった。
地下鉄直通が主な話題 普通列車が上野-日暮里-松戸-馬橋-北小金-柏-我孫子-取手 の時代が懐かしいね。 土浦にうなぎ弁当あったよなぁ〜
一番線ホームで、売ってたの
あれ仙台行きのお客用だったのかな? E501新製投入時上野-土浦限定運用で土浦終にも使ってたけど
終電は割とすぐに415系列に戻された
ロングはともかく酒盛り線の終電にトイレなしはきつかったのかな
仕切りドアも殆どついてないから連結部での非常用トイレも厳しいw >>255
E501が投入された頃、松戸駅で上野行きを待っているとたまたま入線してきた。
父子と思える二人連れの男児が「各駅(停車)の電車が来たよ」
父らしき人は「快速用の電車が故障か検査で使えないから代わりにこの電車にしたんだ。
一応どちらでも使えるようになってるんだ」と得意げに話していたんで吹き出しそうになった。 常磐線中電のラッシュ時混雑緩和のため地元からの要望で、間に合わせで造ったのがE501だわな。取手・藤代間で車内電灯がついたままの中電はこれが初めてだったが。
でも、中電の本数が増えなかったから地元は半分、期待を裏切られた。 E501はシルバーの車体に緑の帯では各停用と見分けがつかないのは非鉄では無理ないと思う。 >>255
415系列のお便所を取り外してしまったら、酒盛りも自然消滅したかもしれないね。 酒盛りのない常磐線普通列車なんて、金隠しのないお便所以下だ。 イカの燻製の匂いもよろしく。
あのワンカップ大関にイカくんくちゃくちゃやってたおっちゃん達はなんだった
んだろうなあ? 日立とかの下請けの現場かなあ。中には動燃や福一福二原発関係の
人もいたのかな。 多分日立や東電の元請けの人は特急ひたちに乗っていたと思う。 >>258
小田急4000系が乗り入れるようになってE531と区別がつかないおばはんもいた。 >>258 4ドアロングの車両が土浦まで入るから、取手以北は田舎というイメージ転換が期待された。
90年代初当時の地元自治体の要望。でも、今は茨城の田舎を走ってる。
登場当初から中途半端感が否めない。 >>261
上野から快速でワンカップ飲みながら
イカクチャクチャ喰ってたのって
北千住、松戸、柏で殆どが降りてたよ 土浦あたりまでいってたおっさんたちがこのスレの主役 えらい懐かしい話がたくさん・・・。
親父の実家が小高だったので、盆暮れと往復してた。帰りのひたち、早朝便はつらかった。
そういえば、取手にときわが一往復停車するようになったとき、記念切符が発売されたね。
昔は急行でも優等列車の停車は大事だったのだな、と。 一時期、特急停車駅が増えたね。
上野土浦間の快速停車駅で一本も止まらないのが三河島、南千住、天王台のみだった。 かつては常磐線の特急は水戸までノンストップが相場だったけどな。
急行は土浦、石岡、水戸と停車で。 北千住と柏通過の旧客鈍行が記憶にある俺、
ひたちの北千住停車を知って、これは実質
急行だろ、よくある増収策だよなと思った。 急行が無いのに特別急行があるのもおかしな状態だったしな。 十五年ほど前、勝田駅でフレッシュひたちを待っていると、おばちゃんが
「今度来る列車は急行ですか?」となず寝てきた。
俺が「特急ですよ。今は急行は走ってません。」と答えると、おばちゃんが
「柏に泊まります?」
俺が「泊まります。」と答えると、おばちゃん
「ああ。急行だわ」
おばちゃんは、スーパーひたちが特急、フレッシュひたちは急行と定義していたようだ。
この頃は割引回数券もあったし。 ↑
なず寝てきた。→尋ねてきた。
泊まります→止まります
変換ミスだらけw 昭和60年国鉄「お前らそろそろ金あるんだろ?シケた事言ってねぇでトッキュウ料金払えや」 足立区生まれ育ちのオレは北千住駅は
ローカルな東武鉄道に対して最寄りの大日本国有鉄道常磐線への入口。常磐線はもっとも
親しみのある路線だ。東武線ホームにいると
一つ目DD13がガラガラヴォーと紫煙吐いてウロウロする連絡入換線の向こうは、エメラルドグリーンの103、赤電、運が良ければひたち、みちのく、ハチマルの引く客レ、ときわなど
輝かしい大国鉄の車輌たちが疾駆していくのだった。幼児連れは早朝や夜間は家にいるので、ゆうづるの24系や583系はお目にかかる機会はなく、初めて見たのは中学二年一人で都内を
ウロウロすることが出来るようになってからだった。既にハチマルよりも北陸から来たというハチイチの方が多かった気がす。関門海峡からはるばる来たコルゲート塗りつぶしの300
番台のハチイチが貨物ひいてた。あと隅田川
からの貨物線は宇都宮のゴハチをのんびり撮れる穴場であったw >>278
連絡入換線が有ったあたりはつくばエキスプレスが乗り入れ隔世の感があるね EF80やモハ484など屋根上にパンタを二基搭載している車両は上野では二基上げているのに
茨城県内は片方(進行方向から見ると後方)だけしか上げていないというのが常磐線特有のミステリーだったよな。 闇の車販屋をやって酒売ればいい商売になったかもしれない。 >>280 取手・藤代間の交直切り替え区間、デッドセクション通過時に、切替後に架線から電気が流れてこないようなリスクを防止するため、予備のパンタも上げておくということではなかったっけ。 286です、訂正。直流区間ではパンタ二基必要だが、交流区間では電圧が高いから1基で十分集電できるということだった。
しかし、湖西線で485系が二基上げていたのは離線対策というし、線区や車種によって事情は異なるのかもしれない。 調べてみたら確かに電圧や離線対策の関係で直流電化区間は2基必要だが交流では1基で事足りたとのこと。
ただ走行中でのパンタの上げ下げは危険なので直流区間から交流区間に入っても最初の停車駅までは2基ともパンタを上げたまま。
勿論、片方は上げているだけで集電はしていない状態になっていたと。
常磐線の『ひたち』の場合、国鉄時代は上野ー水戸ノンストップだったのでその区間は2基上げてて水戸で上げ下げしてたみたいね。
他の区間も同様だったんだろうな。
東北線なら郡山でパンタ上げ下げか。
>>287
国鉄時代の湖西線は京都側から近江塩津の手前まで直流区間だったからパンタ2基を上げてたんだろう。
で北陸線に入った最初の駅で上げ下げと。 山陽―九州特急なら門司、小倉、博多でパンタ上げ下げ。
『白鳥』は東海道線や信越線は2パンで北陸・羽越・奥羽線は1パンか。 急行つくばねは水戸線入ってから下館で上げ下げしてたのだろうか?
それとも全区間二基とも上げたままか?パンダ上げてトラブル生じた際に対応できる職員を、下館あるいは結城に配置していたとは思えないし 『つくばね』は7両編成でパンタ2基、『ときわ』や『もりおか』は11両編成で3基有ったから、
一部は上げ下げしてた? 編成での話じゃなくてモハ一輌に載ってるパンタの事だろ? 郡山で485系特急のパンタ上げを見ていたが、下げのついでに交直切り替えのテストもやっていた気がする
急行も一旦下げて交直切り替えテストをやっていたんだろうか
>>288
スレチですまんが、485系の上り「しらさぎ」は長浜で上げていた >>295
和歌山のアドベンチャーワールド、パンダが6頭もいて感激した。 >>296
切り替えテストは下りの場合上野でやってますな。
今もやってたような?パンは上げたままで。
上りは郡山や水戸でパン上げついでにやってましたね。
本線急行は黒磯で車上切り替えだったので、
テストは無しでパン下げして電源切り替えでしたが。 >>288
白鳥なんかは大阪を両パンで発車した後
敦賀でパン下げ、富山でパン上げ、酒田でパン下げですな。 >>298 今は圧縮空気の破裂音がなくなったからな。415や485が上野で鳴らしていた。 >>297
上野動物園でパンダが誕生してらしい。
公開されたら見に行きたいね。 >>301 プッシー‼ バン‼ ...クォォーーーン
は門司小倉が印象的だが確かに上野駅でも
聞いた気がする。 >>302
コロナのため、1月は3日間だけの公開に決まったらしい。 大昔、勝田から客車に乗って
上野動物園にパンダを見に行ったな 大昔、パンダはいなかったように記憶してるけど・・・
確か昭和47年だったかな。ちょっと前だね。 カンカンとランラン見に行ったぜ
小さい頃
その頃赤電じゃなく、
電気機関車に引かれた客車でワザワザ行った覚えがある
青だけど銀河鉄道999みないな
ボロ客車でよ 422レ
原ノ町619、平811、勝田947、水戸1003、土浦1112、我孫子1153、上野1227(9番線)
あたり? ボロ客車と言うけれど
スハ43系だから昭和47年当時だと一番古いのでも製造後20年位
常磐線のE231系は導入後今年で20年目
という事実