【酒盛】懐かしの常磐線【列車】
常磐線
(上野)日暮里〜岩沼(仙台)
青電103系、中電401系、ボンネット特急ひたち、EF80客車列車・・・・・
未だ見通しの立たない広野〜原ノ町・相馬〜亘理・・・・・・ 485系の間合い普通があったのはいつからいつまでだったでしょうか? 年明けにテレビで放送していた終着駅殺人事件ありゃなんだよ。
原作の小説から離れていることは勿論、約30年前の土曜ワイド劇場放送作品からも離れまくってんなぁ。
やっぱり原作通り常磐経由寝台特急ゆうづるが舞台でないとな。 『列車ガタピシ暑い車内』
高崎線や東北線の115系300番台にくらべ、まったく冷房車が入らなかった。
文字通り退廃文化に陥ってたときわの夜明けはいつ来たのだろうか。 土曜日の昼過ぎの下り客車列車は超混雑で最悪だった。
牛久で降りられずに土浦まで連れていかれたことは一度や二度ではなかった。 常磐北線区間の出身だが、
鈍行のバリエーションが豊富だったな。
旧客は最低7両から最高13両、50系もあった。
キハは2両だったり「そうま」間合いのキロ入り6両だったり。
451系だと7両と11両、
本線急行間合いで455の12(13)両があったりと。 いつか全線開通したら
懐かしの「ときわ」号走らせようぜ。 >>20
現実的には、岩沼〜原ノ町間の「常磐北線」と、
いわき〜広野間の「常磐南線」化しそうだな。
で、双方の盲腸線は、周辺の人口減少により、
3セクDC化⇒廃止⇒路線バス代行運転、と、国鉄末期と同じ道を辿りそうな予感。 当時の特急としては異例なほど自由席の多かった昭和50年代のひたちの印象が強い。 12両が5両(6両)、9両が3両でしたな。
その後9両化になっても自由席は5両のまま、スーパーも登場時はたしか6両だったような?
本線特急と違い、水戸・日立・平まで短距離客がメインですからね。 ひたちの食堂車とかときわのビュッフェとか利用者いたの? 架線下気動車急行…キロ28なのに空気バネのがあってビックリ。まだ俺がカメラ持ってない頃。 甲子園の準決勝で情けない負け方をして地域のアンチヒーローにされた投手の話
が銀河テレビ小説にあったな 最近は若い女性もビールや酎ハイで酒盛りするからなぁー
この前ビール缶を倒してそのまま出ていった!
マナー悪い!!