展望車 総合スレ
>>68
その詳しい人を探している内に生き証人が鬼籍入りしちゃったらどうすんの?
とりあえず現段階で話を聞くだけ聞いておいて、
詳し人と巡り合えたら再度話を聞かせて貰うってのはどうだろうか? 昔の東京ー神戸間を走った鴎は、神戸着の後、どうやって展望車を転換したんですか。東京のようにデルタ線があったのでしょうか。どなたかお分かりでしたらお教え下さい。 >>70 そのまま神戸電鉄経由で粟生まで行って折り返し、そこから加古川線で加古川折り返しで神戸に向かうというルートだったんじゃね?
極秘で鵯越の勾配を鴎が登ってたんだよな・・ >>70
明石まで回送してから機関区の転車台で方転 戦後のはとの茶色時代の展望車はスイテ48とかマイテ58といったコンパートメント付きの車両が入っていたけどコンパートメントは料金とか別個だったんだろうか?
つばめはマイテ39だったのでコンパートメントはなかったけど。 >>72
やはり、そんな面倒な事をしていたんですね。ありがとうございました。 下りトワイライトエクスプレスのスイート個室(1号車1番)の展望は最高だった >>73
懐かし板、しかも往時を語るなら、
せめて「区分室」と呼ぼうよ。 走行中はデッキになんて出ないよ。
客層考えたら。
ヲタじゃないんだしw
談笑か新聞読んでるか寝てるかだよ そりゃ出れないことはないから
ときには出た人間も居ただろうが、
別に事故もなかっただろう。
戦後、専用列車でヤンキーどもは
展望部分に椅子出して
脚放り出して寛いでたらしいな。笑 >>43 ロマンスカーとかパノラマカーに飽きるほど乗れば済む事。 >>80
その場面の写真を見たことがあります。
海外ではそれほど危険な感覚もなく、珍しい行動ではないようですな サロンエクスプレス東京を初めて知った時、自走できるものと勘違いした。 >>78
事故があったかどうかは知らないが、
嵩上げ修繕が施されたのは本当。 改造されたのが丸分かりで見た目がイマイチ
オリジナルを知らない世代でも造作が良くないのが分かった 効率第一、デザイン二の次。
何事にも完璧はないってことで
よもや落っこちる客などいないと決めるのは危険 昔の展望車
車内装飾で桃山式があった。
装飾が荘厳であったが
後に人が嫌がる様になった。
まるで、霊柩車の様であった。 >>89は何も問われていないのに何を言ってるのやら
変な奴もいるもんだわ 往年の1901のほう?
それなら、うん、たしかに。 あと、高野山側だけに連結されてたのか、難波側にも連結されたのか
どうでしょう 手軽に展望できる空間を提供した名鉄の功績は大きい
パノラマカー全廃はかえすがえすも残念
せめて一編成くらい動態保存を試みて頂きたかった ただ昨今は高架化か地下化で窓外の眺めが頗るつまらなくなり
展望の価値が下がってる気もする
名鉄は立体化は進んでるのかなあ 地下区間はつまらないけど高架区間は眺めを楽しめるでしょう 名鉄名古屋駅は地下だからパノラマカーも走っていた。
そんなに轟音は気にならなかった。 昔、門司にいたオヤ31 21、通称『オイラン客車』は
展望車だったらしい。太平洋戦争後、アメリカ軍が日本に進駐した時に
将校の貴賓室に使用した。 客車好きなら皆しってますが。貴重な特別職用車だったのに解体された 名古屋だからふつうならナゴ座になるはずだが
業界用語は奥が深い? だからさ、ナコ座って呼び名そのものが電略由来だからって話よ ハテは大盤振る舞いだな。ロテ+イテでもよかったのに
イテにならなかったのは料金制度上無理があったから? 今の貨幣価値に換算すると大体1回で4〜50万くらいか >>65です。>>41の元レスも自分です
その人、おととし亡くなってしまったよ。永久に聞けなくなったね。 コロナだからむしろそっちの方が良いような気がする
通勤電車でクラスターが発生してないことを強調する手合いがいるが、
素直に信じられない
こっちは免許持ってないからクルマも使えなくて
移動手段がないのよ そういえば真冬でも窓を開けてたっけな
さすがに全開ではないがそれでも風があちこちから吹き込んで寒かった
泣きたかった
なんでコロナのせいで・・・ 瑞風の先頭部が外に出れるのを知ったときは衝撃受けたわw このスレで往年の一等展望車に乗車する資格のある者はいるのだろうか
乗れるのは、閣僚、大使公使、道府県知事、陸海軍の鎮守府長官や師団長以上の将官、財閥の会長社長、国民的超一流芸能人だ >>133
日鉱佐賀関の荷台付きのキハでそのようなことがあったと雑誌で読んだことがある(本当はダメだけど)
ナローだから狭かったのかな >>135
ピクトリアルに載ってるよ
荷台に人が乗ってる光景
あれ、衝突する時は運転士の盾になってくれるんだよなw まあその設備があるだけだから
2段式にすればよかったのに >>137
展望車という呼び名はあくまで車両運用面やマニアでの話で
乗る側からしたら単に一等車だからね。一等車が自動的に展望車。 マイテ39
マイテ49
マイテ58
ざっくりと違いを説明できる偉い人いますか? 39 客車として旧構造時代の車両、モニタールーフ、リベット、霊柩車だと揶揄された桃山式の純和風内装
49 昭和戦前期 シングルルーフ、リベットレス(溶接技術の進化)、モダンな洋式内装
58 展望室側から逆側へ、同幅の広窓(ただし35系の普通車レベル)がずっと続いてる窓配置のイメージが強い 普通車が1200mmだったはずだから、それより広かったかな、失礼
オロ35の1300mmと同じかな 偉い人ありがとう
39は屋根が違うし何となく分かるけれども
49と58の違いは難易度高いです 名鉄がパノラマDXで運転室と展望室を逆転させたときには驚いたものだ
一度だけ展望席に乗ったことがあるが目線が高過ぎて却って退屈だったことを覚えている
そんなDXも過去帳入りしてかなり経ってしまった 東急目黒線ユーザーだが、毎日見てる埼玉高速2000系の前面デザインが密閉式展望車の元ネタになりそうと。
模型ネタになってしまうけど。 >>146
ググって見たけど、個人的印象では営団03系にしか見えない。。
どこに密閉式展望車チックな部分があるのか教えてくれ 埼玉高速2000系だが、ガラス部分の側面への巡らせかたが広いので密封式展望車っぽくないか?と思った。
旧客の展望車というより、151系が20系同様の客車だった場合の展望車のイメージ。 東武のカメ号だって半室運転台のおかげで正面展望できたね しかも正面窓も開けられていたから極上の展望環境
東急の戦前の写真でよく見かける デッキ式展望車が使われていた当時、デッキには発車時に乗客が見送りに立つためのもので
基本的に走行中にデッキに出るようなことはしなかったらしい 名鉄ダンプキラー開発秘話にあったな
「これまでの展望車は過去を見るものだったがこれからは未来を見るものにする」 カハフE26に座ってぼーっとしてたら、椅子の座布団ズレた >>158
それで合ってる
それはそうと、アメ公が展望デッキにソファ出して
走行中にくつろいでる写真あったな クロ151に展望車がない車両の場合はどのように区別して販売したのか気になる。 マロフ97は寝台や密閉式展望室を備えていたのに、称号はマロネテにならなかった。
戦後すぐの特別職用車には展望室付きの車輌も多かったね。
戦前の満鉄や鮮鉄には密閉式が存在していたから、改造もスムーズだったのかな。
宮電テモハ220、神有テン1、東武トク500の改造後は密閉式だった。
東武トクはレプリカを作ったからいつかは本線走行するのかと期待したけど、解体されたのは残念だ。 >>165
それは、そもそも職用車だからでは。
緩急設備のある荷物車にフが付かないのと同じで
旅客営業するわけじゃないからね