国鉄時代の貨物列車を語る
国鉄でなくても国鉄機関車や国鉄貨車の乗り入れや私鉄の機関車や貨車の乗り入れの話題も可能‼
地域間急行とかあったよな。 巨大なヤードで、コンピューター制御で貨車編成組み立てるって発想、馬鹿だったねえ。 航空燃料のタンク車編成が、天下の大新宿を堂々通過していた。
そんで、ある日本当に火を噴いた。
いやぁ、マーフィーの法則を地でいくような物騒だった。 ブルトレぶーむ世代は基本的にブルトレ特急・新性能機関車・L特急・583系以外に対して興味が低かったんだよ
客車の壁に掲げてあった
「東日本の特急」
「西日本の特急」
あれがオルガスムスだったんだ ブルトレぶーむ世代って、20系の特急時代って知ってるのかな? >>260
大阪発の24系デビューの頃の東京発着は
まだ20系だった
んで神戸住んでたワシはEH10萌えだったと
むりくりスレタイに戻す かつて冬の関ヶ原は新幹線の鬼門で、特急料金の払い戻しを期待しつつ、白い背景に映える(?)
ブラックなEH10が行き来する様子を崇めていた。 そういや安治川口や四日市で良く練習の為にタキの写真撮ったよなぁ。
うちの勤務先にはワムとワムフが倉庫になってる。
水濡れしたら困る資材を直付けで搬入出来るから結構重宝している。
後タキが重機置き場に水タンク代わりにいる。
手入れすれば結構持つから今でも土建業系では倉庫になってる貨車は多いと思う 昭和53年が小6、生粋のブルトレ少年です(でした?)が
初めての寝台特急は20系「あかつき」でした
因みに今は臨海鉄道に夢中です
よし、軌道修正完了 北海道では土地が安いからかあちこちでワムをカラオケBOXに使ってた 山の中を縫って走る石灰石輸送列車は、あまり人気がないのか?
川崎方面行きED16牽引の石灰石輸送列車を、青梅線でよく見かけたものだが。
他に、秩父鉄道、西武池袋線、東武東上線など。
コンテナ列車と違い編成が単調だけど。 >>269
山の中を走らない石灰石輸送もあるけどな、美濃赤坂→笠寺。
稲二のEH10やEF65の天下だった。
撮ったのが3〜4枚残っているが、もう少し撮っておけばよかった、時間も良かったし。 いま残ってる秩父もいいし、青梅のED16はさらによかったけど、石灰は土佐が最高だった。
ギリギリDFに間に合った。その後、すぐDE10になってなくなった
青梅もEF15になってすぐ64になったからな。EF15のときは見にいってない。油断した 国鉄時代に貨物専業(もしくは比重極めて大)だった人っているの?
本命の合間に来た貨物列車撮ったり代表車種の型式だけ(とりあえず)撮る方が大半で
「よし!ワラ1形全車撮ってやる」とか「現役トムトラは全部記録するで」とか
本格的に「コンテナ全形式撮るぞ」とか「タキ1000は全て制覇だ」ってのは民営化後に客レが激減してから本格化したのでは?
まぁプロフェッサー氏に連載依頼したRM誌の存在も無視できない 国鉄って営業面で規制や問題は多かったけど開発陣の技術革新に対する情熱は素晴らしいね
今夜の「武蔵野操車場」面白かった、動いてるワム70000初めて見た そういえばED16がコンテナ車牽いた事ってあるんだろうか?
阪和線と青梅・五日市線の写真を調べても大体ホキか二軸貨車だし… >>273
あれだけの叡智と技術の集大成施設も大赤字で無用の長物に その一方、0系新幹線や103系とかは20年以上に渡って造り続けた 昭和61年6月23日
DE10 33
ヒ807
ヒ741
ヒ576
ヒ727
ヒ573
コキ52465
コキ51940
コキ53138
コキ60093
コキ52040
積載でUV1-141西松浦通運 >>278
何処の駅での記録でしょうか?
教えて頂けないでしょうか!! >>278
函館駅です。
入れ換え中の記録で昭和61年くらい? 273みて「ワムフ0000って?」って一瞬思ってしまった フレートライナーデビューした1970年代からじゃね? 86/5/15
EF65 32
ヨ8945
シキ290B 明電舎 沼津
ヨ8632 模型で10000系特急貨物再現したいんだけど、
ワキ10000だけの編成ってあった? >>288
緩急車が作られなかったので、チンイツは無理かと。特急貨でなければあったかもしれないけど、両数制限あるから短くなっちゃいますね。 JR化後でも残っていた10000系特急貨車って
北海ライナーくらい?
九州にも長崎運輸の白コンテナとED76P型が限定運用で引っ張っていた気がする。 >>290
知ってるのは新鶴見65の東海道
東広島辺り行ってたような?
オール4個積みのコンテナ列車は東海道は数少なかった。
(夕方か、日暮れ以降に藤沢〜辻堂間通過してた。)
九とか西表記でなおかつ4個積みフル積載車だったから印象ある。
逆に北海ライナーは縁遠くて実見するのはオール緑コキになって以降。 スーパーライナーの誕生で10000系も影が薄くなったねぇ 函館本線の砂川〜岩見沢
室蘭本線の岩見沢〜苫小牧〜室蘭、
D51が1両でセキを約30両牽引して、
室蘭方面の積車でもほぼ平坦か下り勾配で易々走った。
案外難所だったのが、
砂川〜豊沼の小さな峠で蒸機は喘ぎ喘ぎ走った。
そこの台地通過に切通し工事費用をけちった報いが・・・ ここで聞くのはお門違いかもしれないけど、
昔の駅って駅舎のすぐ横に貨物ホームがあったじゃん
よくワムとか停まってたけど、あれってどうやって出し入れしてたの? あ、勿論荷物の出し入れという訳じゃなくて、
貨物列車からの切り離しとか、入れ替えの作業の順序とかの事です
昔は貨物列車たくさん走ってたけど
入換機の無い小さな駅では一体どうやって貨物を取り扱ってたのか
旅客ホームに停まった時は扉開けてぽいぽい中身投げ出してたのは見た記憶あるけど
専用ホームを使う際はどうやってたのか謎だった >>295
アナルセックスしてて、チンポが腸内のウンコに突っ込むと、未消化の物が亀頭に擦れてキモチイイのと同じやな >>295
自分が見たのは人力だった。びっくりした
引っ張ってきた機関車が入換して、その辺に放置してその後は人力
ウインチ?みたいなのがある駅もあったらしいね >>298-299
自分もいちいち元の機関車が入れ替えしてるのかと思ったけど、
なるほど人力とは盲点だった。
確かに、>>14見たらめっちゃ手で押してるね。 >>296
解結貨は解放する駅が近い順に後から繋ぎ、到着駅で落とすところから切り離してまずは引込線の発送分の貨車を連結、それを本線の残された方に連結して、今度は引込線に到着分の貨車を落とすのが基本スタイル。
ここまでは本務機のお仕事。列車掛(車掌)は落とした分と足した分を差し引きした換算を機関士に報告します。
入換動車がない駅では人力で動かしますが、積車はテコを使ったり、連結面に挟まって足で押し出して転がしました。
文章にすると上手く書けませんね。 15年前まで走っていた3560レについて、貨車の組成や行先詳しい人教えて下さい。EF66がスーパーライナーのHMつけて3560引いてた頃、ホキ2200が1〜2両ついていたの、運用なんだったんだろう 2軸貨車の音がしてたまにボギー車の音がするのが懐かしい あーそれは判ります。
よそ見していて、タンタンタンタンの中に突然タタンタタンが入ると思わず振り向きましたからね。 タキとトキにワムが混じっていた北陸本線の専用貨物
ガチャンガチャンガチャンガチャンタタタタガチャンガチャン・・・ 国鉄時代の貨物の画像見ると、
ローカル線でワムワラに混じってタムとかタキが組み込まれてるのがたまにある。
こういうのって、途中駅に積み下ろし設備あったのでしょうか?
関連して、国鉄時代の只見線貨物で石油輸送をやってたのか調べたいんだけど、
参考になりそうな書籍とかありますか?
※会津若松〜西若松の輸送は除く。
検察しても震災迂回のしかヒットしない… 駅にはないけど、その時代には専用線が結構多くてね。
只見線で石油輸送は多分やらない。
冬季に需要が増すが、その冬季に只見線が安定輸送できないのだからやるわきゃない。
それに定数の問題もある。何トン牽けるの?
ローカル線は両端が通じていても通過貨物を認めないところが多い。
只見線については未確認だが、只見線を経由して通過してゆく貨車は多分ない。
だから、只見線内の専用線一覧から石油化学工業関係の物がないか洗い出せば答えは出る。
大昔のトワイライトゾーンマニュアルに専用線一覧、ついてたよね。
ローカル線では軸重を簡単にオーバーしてしまう。
タキって幹線でも最大級の車両でしょう?
無理をしていた路線もあるが、そういう場合は積み荷を半分しか入れないなど軽量化の工夫をしていた。
外観から判る訳ないw 只見は写真だとDLにワフ1両の写真が有名だよな。
石油は無かったのでは?
あっても制限のない38000、35000,9900クラス、
それか西若松で分割しそれの残りが1〜2両で奥まで行ってたか?
ダム工事のセメント輸送ならありそうだが? >>311
全検の車両がたまたま通過したとか?
只見線なら両端が上越/磐西で繋がっているし。
まぁ昔は小規模の石油輸送なら何処でもやってたからね。 ローカル線は両端がつながっていても通過貨物禁止の所が多い。
そうしないと、最短コース選んで弱い線路にどんどん貨車が流入してきてしまう。
長野県など、中央本線に信越本線が通過貨物禁止だった。
勾配を上って降りるだけエネルギーの無駄だし、東海道線と上越線に投資を集中した効果を減衰してしまうからね。 >>313
運賃計算上の通過禁止線区というのもありました。飯田線や身延線などでショートカットして運賃計算できないようにしていました。信越本線はそうでなかったと思いますが、碓氷峠の定数は小さいので、線内発着の貨物しか通らないなんてことはあったかと。 >>311
ネットで見られる只見線の貨物列車は有蓋車と無蓋車ばかりですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~aj4s-ski/aizu10-2/newpage1.htm
↑こちらの6枚目にワキ1またはワキ1000らしきボギー車が(昭和49年)。
http://count32totteoki.naganoblog.jp/e523904.html
↑ホキ700らしきものはたまに繫がっていたようですが(昭和49年)。
どなたかの書き込みによれば、田子倉ダム建設のために電源開発の
ホキ1(のちのホキ3500)が只見線を走っていたんだとか。
「全盛期の国鉄貨車」に載っていた電発のホキ1。憧れたけど
この写真以外見たことがない。 https://www.youtube.com/watch?v=GniO3IjOd3U&t=1m28s
三木線・上り貨物列車(宗佐 → 国包) 昭和40年代
現車10。
C12 167 + ワム90000 + ワム50000 + ワラ1 + ワ10000(またはワ12000)
+ ワム1(またはワム3500)+ テム300 + ワム80000 + カ3000
+ ワム80000 + ワフ22000
カ3000の走行シーンは珍しい。牛の姿は見えず。 SL時代の米坂線では石油輸送をやっていた
youtubeに映像(モノクロ)が残っている。 >>319
動画漁ればセメントタキとかも普通にある。 貨物列車のビジネスホテル見かけたんだが何故か調べても出てこない >>323
ちょっと違うが鹿児島交通が列車風のやつを置いてた時代があった
自社の廃車体をリサイクルしたのか他から調達したのかは知らない 昭和41年までは100km/hで走る貨車がほとんどなかった
そのため、上限の85km/hが特急貨物ないし急行貨物となっていた
昭和41年に一部つまり電化区間の一部で100km/hの10000系貨物列車が運転を始め、高速特急貨物列車が誕生
でいいのか? コキフの車掌室部分が最後尾でなく逆向き、あるいは機関車次位とは逆向きに組成されていた列車はなんの理由だったのだろう? >>309
亀レス
タンク車の積み卸しは、(勿論専用設備あったほうが安全なんだろうけど)タンク車に
ローリー直接横付けしてホースで荷役、というのもあった。
ソースはトワイライトゾーンマニュアル(何号か忘れたw)の掲載写真
(撮影場所はたしか新興だったか、渡辺一策氏のレポだったと思う) 国鉄専属貨車配置表昭和57年版(クリエィティブモア)を見ると
北海道内では局管内の配置区指定なしという貨車が結構ある
面倒くさかったのかわからんが、配置区指定しないでいいならどこに戻すのがきまりだったのだろうか
あと北海道内から外に出すのを禁止という貨車もあった覚えがあるが
九州や四国、本州でも同様に他の島に乗り入れ禁止という貨車があったんだろうか 国鉄時代、貨物列車の最後尾にクモヤ143がぶら下っているのを目撃したな。
その頃の貨物列車の最後尾には必ず車掌車が連結されていたんだが、
機関車+多様な貨車が多数+車掌車+クモヤ143+車掌車という編成だった。 配置転換や入場、機関車は重いから貨車より前方、
客車・気動車は連結器が強くないので最後尾 >>338
むしろ客車や気動車は連結器の耐久度が強いから最後尾じゃないのか まぁそう書いてあるな
>>339
電車は自連にするか密着にアダプター使わないといけないし、気動車の密自は小型だから
客車は連結器というより緩衝器ついてたり台枠が怪しかったりするからだな 気動車の自連が小さいのは動力分散方式で負担が掛からないから? 餘部鉄橋上の蒸機貨レの写真で、蒸機+ヨ+蒸機(無火?)+貨物ズラリってのがあってさ、
大丈夫かと思ったわけよ。それだけ 自連は遊間があるから、いっちゃん力のかかる起動抵抗は一両ずつ。
1000t貨物といっても、連結器に1000tかかるわけじゃない。 引き出したあとは少ない力で仕事出来るのが鉄道の利点。平坦区間での話しだけど。 国鉄末期には DD51+ヨ8000ってな編成が走っていて、ちびった 余剰車の回送じゃね?
ヨ8000はまだ新しかったのに大半は廃車されたんだろ? >>354
貨物の少ない場合は拠点間輸送列車なら最初からウヤにしてしまうだろうけれど
解結貨物列車は途中で貨車を全部落として緩急車だけってのが結構あったんだよ 間に挟まれてるべき貨車が全く無いということか
貨物オタとしては悲しくて正視できなかっただろうな