デラックスロマンスカー
でもねぇ、東武特急がまだ停車駅が少なかった時代、そうだなぁ…22、3年前だったかなぁ?
“りょうもう”に乗ってた時、俺の後ろに東武本社の人(多分皆も分かる人)が乗っててさぁ、小田急の特急のやり方
について、まぁ知識のある第三者と真剣に話してたんだよねぇ。
そんな事があってしばらくして、停車駅が増えたり、定期券で乗れるようにしたり、朝の上りも設定したりして
まぁなんて言うか小田急化っつうの?今見たいになったんかな…。
盗み聞きした訳ではないけど、所々聞こえる話に「ふ〜ん、そうなんだ…」くらいに思ってたけど、今思えば、今の
特急のスタイルは22、3年前から模索されていたんだわな。 昼間割が無かった頃が懐かしいが、昼間割はあったほうが良い。
ヲタ急もやればよさそうなものだが。
快速急行券の硬券ってあったんだろうか… >>63
東武の鉄道事業で目線を広く見てる人と言ったらあの人か? >>62
確かに
結構そのうち各地でそんなノリでJRなら485系国鉄色原形や583系(西日本のきたぐに車を国鉄色に戻して)、
民鉄なら近鉄10100系や西鉄2000系、札幌市交6000形など1両も現存しなくなった今頃になって悔やむ時が
来るんだよな
博物館にいるDRCもだが、渋谷の青ガエルもカットボディという形で現存していて、記念碑的な車両がその
変わり果てた姿を嘆いても今更元には戻らないのはわかってるが、残されただけ素直に喜ぶ気にもなれない…
まぁ、上には上がいて、小田急SE第1編成は再就職先で見事に鉄屑に帰したけどな >>69
デハ10,トク500「東武に期待してもむだだろ」 DRCの列車ネームの前サボ バカでかくて重たそうだけどどうだったのかな?
もし今ウチの会社で行う作業だったらホームでの交換は、要注意作業になり安全対策対策行うハメになりそう。 >>71
あれ80キロ位あるよ
ホームにセットされたアーム式のウインチに引っ掛けて作業していた
作業員3人位がレンチ持って命綱してとりつき、ホームでは黄色の回転灯がまわり、警備員が配置されての大層な作業だった >>72
りょうもうのも重そうだいね?あれもやっぱウインチかね? 前サボ交換 ソコまで難儀なら何故幕に改造しなかったのかな?
大きすぎて電灯の熱による粘着や破れ、巻き取りトラブルとか懸念したのかね? 現在、東武博物館所有という形で8111Fを動態保存していて素晴らしいと思うが、
それならDRCも1編成動態保存して欲しかったなぁ…と思うのは俺だけ?
でも、DRCが引退した20年以上前に動態保存という発想はさすがになかったか… けごんときぬの2種なんだからタテ割れにして
めくるとかじゃだめなのか >>76
足回りを200系に流用するという計画があったからな。
動態保存というより、車体の更新という意識が強かったんだろう。 >>63
小田急ロマンスカーのほうも東武を見習って、
シートサービスのメニューにおでんを加えてほしかったな。 奴のせいで「デラックス」という言葉に意味が、
「豪華、贅沢」から、単なる「デブ」、
に変わってしまったような気がする。 >>81
けごん、きぬ、きりふり、さち、なんたい、かわじ、ゆにし、、、
あと何か? 浅草からゆっくり出ていくデラの後部乗務員室で車掌とスチュワーデスが和やかなムードに包まれていると、
「きっとこの二人は特別な関係にある」と信じていたガキの頃w
検札でスチュワーデスに切符の提示を求められた時、カッコつけてわざと素っ気なく無言で切符を差し出した厨房時代w
未成年にもかかわらず、ちょっと年上のウェイトレスに大人の自分に見てもらいたくてアルコールを頼んだ二十歳前。
そして今、車販のお姉さんとつかの間のふれあいを楽しみに、女房に「今日は俺が出すから好きなもの買いな」と
女房をダシにしつつ、自分をカッコよく見せたがる自分w
まぁ色々ありましたが、さて、10年後はどういう自分になってるのかなぁ…。 とうとう座席もお別れの時が近づいてきた。
http://railf.jp/news/2014/12/14/142000.html
50年もおつかれさまでした。
あの掛け心地好きだったよ。 >>88
運ぶの大変だぞ、国鉄のグリーン車の座席が99sあるって聞いたことあるが、それ前後あんじゃね?
京阪だったか初代AEの転クロを売るとき、座るのに使うならしっかり固定しないとだめなんだって。 京阪旧3000系がどんどん廃車になってた90年代に京阪百貨店扱いの通販で転換クロスシートを販売してたが、
1脚3万円だった記憶が。
注意書きで“しっかり固定しないと自立しません”旨が書かれていたなぁ。
おっと。ここはDRCのスレだった。失礼。 おれは買うなら78の例の二人掛けのロングシートでいいわ >>89
AEは京成だろうがwww
いつからAEが関西私鉄に移籍したんだ?w 自宅に路線バスの2人席があるが、見た目以上に場所を取る
背もたれを壁につけないと、バックドロップの刑
で、背もたれと壁がこすれて、壁紙に傷が付く 東急相鉄阪神にもデラックスロマンスカーがあってほしかった AEの椅子は俺の出身高校の廊下に据え付けてあったんだが
どうやって固定してたんかな、特に後付けの金具みたいのは見えなかった
床の裏から手が入れられるような場所じゃなかったし クロスシート車なら阪神には存在した
関東大手は知らん 今年の久里浜で600の座席売ってたけど、ふつうに自立してたな。
固定クロスだからだろうけども。
「去年買えなくて欲しかったんですよ〜」って言ってた姉ちゃんと
「もう更新終わっちゃったから今年が最後ですよ〜」って売り込んでた中の人が印象深かった 廃車になった電車のシートって興味そそるものなんですかね デラックス感でいうと長編成を組む東武DRCに軍配ですかね
近鉄ビスタカー等は2連とか3連で走ることがあって特急車としての威厳があまりなかった >>101
ところが荒川の鉄橋で浅草、上野同時刻発のDRCとひたちが競演すると485系より貧相に見えちゃうんですよorz DRCはデザイン的に渋すぎて子ども心には
怖い電車っていうイメージがあった >>102
向こうは長さが倍ですしおすし
6000なんか415と比べても貧相ですたorz 『鉄道伝説』
第13回「東武1720系デラックスロマンスカー 〜「こだま級」を超えろ〜」
2015年4月19日(日)25:30〜26:00
今回は「東武1720系デラックスロマンスカー」の伝説を紹介する。
昭和4年から長年に渡って国鉄と日光観光の旅客獲得競争を繰り広げてきた東武鉄道。
昭和30年代初頭に国鉄が画期的な特急電車車輛を開発中との情報(151系)を得た同社では危機感から新型特急車輛を開発する。
開発にあたっては周囲の無理解や意思決定の遅さからチームは8ヶ月という短期間での作業を余儀なくされ、
想定される国鉄の新車両に対抗するために速度性能と居住性快適性は最優先事項、設計士は辞表を胸に突貫で設計した。
こうして出来た1720系は昭和35年にデラックスロマンスカーとして運行開始、以降30年以上に渡って東武の最上級電車として君臨する。
http://www.bsfuji.tv/top/pub/tetsudo_densetsu.html 金色スペーシアのイメージパースを見た時は、ちょっとデラの復刻塗装っぽいなと思った。
ゴールドと黒(と橙)だから現物は全然違うんだけど、
次のネタとしていかがでしょう??>東武鉄道様 そんなウソ電どっかで見たが個人的には無えなと思った 今年は特急専用車誕生80周年だからデラカラーやるとすればヒョッとして…、かもしれなかったんじゃん?
再来年の鬼怒川特急乗入80周年にあたると思うが…、さてどうかな? >>106
東武博物館で、DRCを「古いスペーシア」と呼んでいた子供 >>101
色々な見方感じ方があるものだな
俺は編成両数なんかに全く影響されないのだがね
名鉄も2〜3両で走ってることあるよね DRCというと格好良いが
デラックスロマンスカーっていうと急にダサくなっちゃうなw デラックスロマンスカーだと安部徹とか山形勲とか佐分利信が乗って葉巻吸ってそう 東武DRCは「きぬ」「けごん」以外にも「さち」という特急にも使われていたような 昔、平日の日中、浅草4番線から1800系の「りょうもう」に一人で乗って発車を待ってたら、
ガラガラだったので昼酒など楽しみたくなり、酒やツマミが欲しくなった。
あー、でもそろそろ電車でちゃうしど〜しよ〜と思って、いい考えが思い付いた!
向かいの3番線に停まっているDRCのビュッフェにウェイトレスさんがいたから、行ったら売ってくれたw
あ〜俺はなんて頭がいいんだろう…と、その時思った。 うちでDRCの34年前のこんなものがでてきましたw
↓
http://l2.upup.be/kFAlIlMNJ5 >>122
幸の湖(さちのうみ)
中禅寺湖の別名
明治天皇の命名だそうな
俺も知らんかったので調べるいいきっかけになったよ
ありがとね 金曜日夜の最終けごんが取れなくて、調整席も先客。サロンカーに座って、車掌から特急券買ってたな。サロンカー座っていた全員同じだったのには苦笑い。 関西人からするとDRCは高嶺の花みたいなイメージ。
何度か東京に旅行したがついに乗ることはできなかった 関西人からするとDRCは高嶺の花みたいなイメージ。
何度か東京に旅行したがついに乗ることはできなかった 今ほど洋式トイレが普及してなかった当時、一回だけ使ってそれっきり。 河合その子出演のキャラメルのCMの最後に映ってたな
本人はバスの後部座席にいるのに >>131
名古屋でもやってたよ
子供の頃はこのcmが流れるたびに親に日光鬼怒川方面への旅行に連れて行けと
せがんでいた >>131
当時は関西からでも東京観光のついでに日光鬼怒川まで足を伸ばすというのも結構多かったからな。
関西でも大山崎付近に東武DRCの広告看板が立ってたぐらいだし。
だが今では円高やLCC登場で関西からだと日光鬼怒川なんかに行くより海外に行く方が安いという時代になって、
東京観光のついでに東武特急で日光鬼怒川まで・・・というのは少なくなってしまった。 >>134
大阪のおもちゃ屋にDRCのブリキ玩具が売ってた思い出 浅草に停車中のデラのサロンちらっと覗いてみたら、ジュークボックスに
三原順子の「サニーサイド・コネクション」やアリスの「エスピオナージ」
のジャケットが飾られてたのが懐かしかった。サロンがあった頃に一度乗って
みたかった。 DRCと小田急NSEは幼少期の俺にとっては憧れだったわ 明日の朝、目が覚めたら、電車が突っ込んでくる5秒前だったらどうしよう・・・・。 小田急は特急券を発車間際に駆け込むと空席待ちで乗った人が座っている
東武のデラはずっと気位が高く北千住は通過で浅草から乗れと、しかも定期券を持っていても乗車券まで買わないといけないし >>117
シブイ人選だな
でも実際に有名俳優らがオフの時にDRCで観光したりしたことはあっただろうね 子供の時は全然格好いいと思わなかった
渋すぎだろこれ 浅草から日光までノンストップなんて、今では考えられないw 他の大部分の列車も下今市のみ停車でノンストップに近い 昔はやや無骨な外観と野暮ったい塗装で好きじゃなかったが、
ビュッフェが二か所でサロンルームまで備えていて
同じくロマンスカーを名乗る小田急ロマンスカーと遜色ない、
むしろ上に思えてきて最近、興味がわいてきている。
ま、東武も小田急も乗ったことがないから、どちらがどうとは言えんがw 今も昔も6両しかないのにサロンやら個室やら作るのは
今や10連さえある小田急ロマンスカーと好対照だ >>134
他にも新大阪駅、モノレール大阪空港駅にもあった サロン…
でも揺れるし音も鳴るし、値段は高いしそんなに居心地良くないでしょ
街にレストランがあるのに食堂車の料理を殊更に有難がるのと同じで、
目的地にある普通のお店で楽しめば良いと思ってた 東武の都心ターミナルが上野だったら小田急ロマンスカーよりメジャーになれたかな?
今や東武スペーシアが小田急のVSEも発着する新宿まで来るだなあ。 新宿駅JRホームで東部の列車と相模鉄道の列車がみられるとは
時代の移り変わりを感じるね。 DRC鬼怒川線乗り入れの場合、下今市で日光行き特急連絡が接続するが、最初は5300とか吊り掛け元特急車使ってたのか?
6000よりDRCの方が少し登場時期早いよね。